OUT IN JAPAN の参加を、二人で話し合って辞退した!!…9月28日に執筆しました。
OUT IN JAPAN の参加を、二人で話し合って辞退した!!
グットエイジングエイルズという、東京のNPOが企画している、LGBTで顔を出せる人たちを、被写体にしてあつめて、という、最初はなかなかの企画だと参加を希望していたプロジェクトの参加を、熟考の上辞退した。
今日、関西から訪ねて来た人とも、この件で話した。その人は、私たち2人は参加するべきだ、とも薦めた。が、「生きづらさ」の側にやはりいつづけたい、という気持ちが明確になるような、そんな話ができたことも大きかった。
ほんの少しのさびしさと、清々しいような開放感、その両方を感じながら、今私はその次を思う。
これから、私のすべき優先事項を抱きしめる。
シャープな画像の撮りてとのやりとりはなくなったけれど、余計な心配からもあっけなくも解放された。
杞憂でないのはたしかだ。
商業主義とともにある、現在の性的少数派のありかた。
恵子ちゃん、それでいいんだよ、そんな声が、澄みきった今晩の満月から聞こえた気がした。
以下、「きちんとききたい」という主催側にこたえた文面を、そのまま掲載。注意深く読んで欲しいと願う。
今のところ、返信はない。
はじめまして。岩国英子のパートナーの米谷恵子です。この企画が、グットエイジングエイルズということは最初から判っていました。ただ、原宿で写真展を見たLの友人が、GAPがやっていると勘違いしたのか、そう思う展示だったのかは判りませんが、そう伝えてわりに最近、そうなんだと思いました。それはそれだけのことで、今回説明を聞いて了解しました。
今年から来年にかけて、ちょうど40周年のパートナーシップを生き抜いてきた私たちがこの企画に参加する意味を考えて、参加したいと最初、ごく自然につよく思いました。
トーキョーの人たちしか参加できない不均衡を、今回大阪の撮影会で払拭するというのもよかったと思いました。だから、早く申込みたいと思って、フォームは間違えたものの、私がまず申込みました。
ただ、そのとき、この企画の但し書きというか注意点のようなものを、はじめてきちんと読んで、危惧が始まりました。
特に感じたのは二点です。
撮影する時点で、カメラマンの指示に従うといったことは、1978年からあらゆる雑誌や新聞の特集記事となり、また最近ではテレビのドキュメントにも出演した私たちは、記者やディレクターが舌をまくほど、鍛錬してもきました。
ただ、この企画に応募する注意点として、そちらの意図などに撮影時、したがえない場合は、退場もありうる、と書かれていた点が目にとまりました。記憶が確かでない面もあるかもしれませんが、そのように読めた文面だったかと思います。
この企画のカメラマンの方のまなざし、感覚にはとても共感するところがあり、最初はぜひと、思っていましたが、今までの経験の範囲を逸脱する面もあるように感じました。どんな取材でも、取材者と徹底的に信頼関係をつくることなくしてはありえなかったからです。
この企画を信頼していないわけではありませんが、少し性質が違う。スポンサーの立場などもありうるのだな…など思わざるを得ませんでした。
また、撮られた写真が、どうひとりあるきするか判らないという不安も、注意点を読んで、浮上しました。
というのも、私たちの存在は、新宿二丁目のNPOの代表が言うように、「先を行き過ぎている」ゆえに、参加する意味合いも小さくはなかろう、と思っています。そう自覚する反面、それがどう先行き、使われるか見通しが見えない、という点では、自分たちの手が届かないところまでいくことに、またも耐えうるかどうか判らないと思ったのです。
貢献はできても、私たちの側の確かなメリットがあるのか、と言い換えることもできます。勇気を、エールを投げ続ける側でいることに疑問を感じている面もあります。また、そういう画像が芯から、クローズで生きている都会であれ地方であれ、まだまだ「生きづらさ」を抱える人たちにどう働くか、真剣に向き合ってきた経緯もあります。
正直言って、本当にこころから参加するつもりでした。高一の孫の男の子は、服飾関係に進みたいなんて言っているし、などと、ノリノリで話したこともあります。まあ、彼の人生を今から、そんな画像で規定する権利などなにもない、ともすぐ思いましたが。
ともあれ、次から次へと、セクマイの知った顔やら知らない顔が溢れる?スタジオでの撮影は、私にはおそらくどうもなじまないだろう、という予感もあります。
最後に付け加えれば、様々なトーク、講演、大学での講義の機会なども持ってきたなか、二丁目のアクタでのトークショーにおいて、グッドエイジングエイルズのある方が、アンケートを残し、そこに「気軽に参加したことを反省しています。」とこたえたこと、それも若干、働いているように思います。
私たちは、私たちの40年のパートナーシップの節目の日々を、慎重に大切に、そして大胆に生きていきたい、と同時に「気軽に参加して反省している」ようなことにはしたくないと思っています。
尊重していただいて、感謝しています。
だからこそ、この時点で、丁寧におこたえする必要を感じた次第です。
なにかあれば、ご返信くださいませ。
2015年9月27日夜 ベロ亭 米谷恵子
グットエイジングエイルズという、東京のNPOが企画している、LGBTで顔を出せる人たちを、被写体にしてあつめて、という、最初はなかなかの企画だと参加を希望していたプロジェクトの参加を、熟考の上辞退した。
今日、関西から訪ねて来た人とも、この件で話した。その人は、私たち2人は参加するべきだ、とも薦めた。が、「生きづらさ」の側にやはりいつづけたい、という気持ちが明確になるような、そんな話ができたことも大きかった。
ほんの少しのさびしさと、清々しいような開放感、その両方を感じながら、今私はその次を思う。
これから、私のすべき優先事項を抱きしめる。
シャープな画像の撮りてとのやりとりはなくなったけれど、余計な心配からもあっけなくも解放された。
杞憂でないのはたしかだ。
商業主義とともにある、現在の性的少数派のありかた。
恵子ちゃん、それでいいんだよ、そんな声が、澄みきった今晩の満月から聞こえた気がした。
以下、「きちんとききたい」という主催側にこたえた文面を、そのまま掲載。注意深く読んで欲しいと願う。
今のところ、返信はない。
はじめまして。岩国英子のパートナーの米谷恵子です。この企画が、グットエイジングエイルズということは最初から判っていました。ただ、原宿で写真展を見たLの友人が、GAPがやっていると勘違いしたのか、そう思う展示だったのかは判りませんが、そう伝えてわりに最近、そうなんだと思いました。それはそれだけのことで、今回説明を聞いて了解しました。
今年から来年にかけて、ちょうど40周年のパートナーシップを生き抜いてきた私たちがこの企画に参加する意味を考えて、参加したいと最初、ごく自然につよく思いました。
トーキョーの人たちしか参加できない不均衡を、今回大阪の撮影会で払拭するというのもよかったと思いました。だから、早く申込みたいと思って、フォームは間違えたものの、私がまず申込みました。
ただ、そのとき、この企画の但し書きというか注意点のようなものを、はじめてきちんと読んで、危惧が始まりました。
特に感じたのは二点です。
撮影する時点で、カメラマンの指示に従うといったことは、1978年からあらゆる雑誌や新聞の特集記事となり、また最近ではテレビのドキュメントにも出演した私たちは、記者やディレクターが舌をまくほど、鍛錬してもきました。
ただ、この企画に応募する注意点として、そちらの意図などに撮影時、したがえない場合は、退場もありうる、と書かれていた点が目にとまりました。記憶が確かでない面もあるかもしれませんが、そのように読めた文面だったかと思います。
この企画のカメラマンの方のまなざし、感覚にはとても共感するところがあり、最初はぜひと、思っていましたが、今までの経験の範囲を逸脱する面もあるように感じました。どんな取材でも、取材者と徹底的に信頼関係をつくることなくしてはありえなかったからです。
この企画を信頼していないわけではありませんが、少し性質が違う。スポンサーの立場などもありうるのだな…など思わざるを得ませんでした。
また、撮られた写真が、どうひとりあるきするか判らないという不安も、注意点を読んで、浮上しました。
というのも、私たちの存在は、新宿二丁目のNPOの代表が言うように、「先を行き過ぎている」ゆえに、参加する意味合いも小さくはなかろう、と思っています。そう自覚する反面、それがどう先行き、使われるか見通しが見えない、という点では、自分たちの手が届かないところまでいくことに、またも耐えうるかどうか判らないと思ったのです。
貢献はできても、私たちの側の確かなメリットがあるのか、と言い換えることもできます。勇気を、エールを投げ続ける側でいることに疑問を感じている面もあります。また、そういう画像が芯から、クローズで生きている都会であれ地方であれ、まだまだ「生きづらさ」を抱える人たちにどう働くか、真剣に向き合ってきた経緯もあります。
正直言って、本当にこころから参加するつもりでした。高一の孫の男の子は、服飾関係に進みたいなんて言っているし、などと、ノリノリで話したこともあります。まあ、彼の人生を今から、そんな画像で規定する権利などなにもない、ともすぐ思いましたが。
ともあれ、次から次へと、セクマイの知った顔やら知らない顔が溢れる?スタジオでの撮影は、私にはおそらくどうもなじまないだろう、という予感もあります。
最後に付け加えれば、様々なトーク、講演、大学での講義の機会なども持ってきたなか、二丁目のアクタでのトークショーにおいて、グッドエイジングエイルズのある方が、アンケートを残し、そこに「気軽に参加したことを反省しています。」とこたえたこと、それも若干、働いているように思います。
私たちは、私たちの40年のパートナーシップの節目の日々を、慎重に大切に、そして大胆に生きていきたい、と同時に「気軽に参加して反省している」ようなことにはしたくないと思っています。
尊重していただいて、感謝しています。
だからこそ、この時点で、丁寧におこたえする必要を感じた次第です。
なにかあれば、ご返信くださいませ。
2015年9月27日夜 ベロ亭 米谷恵子
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