異様、夜中の2時に往復2時間の、県庁所在地の郵便局に車で走り抜ける、それもヒデコひとりで
異様、夜中の2時に往復2時間の、県庁所在地の郵便局に車で走り抜ける、それもヒデコひとりで
そもそも、SOTTO虹、のリーフレットは、2ヶ月近く前にできていた。その完成の前後にも、あれこれ、いやがらせや遠まわしの忌避はあった。それでもその時期になんとか仕上げる必要はあった。そして大口の四ヶ所を送付したあと、私は一切、この発送ができなくなってしまった。
受けた傷は、何度同じようなことが起きても小さくはならない。むしろ累積赤字が大きくなるように、なんどもなんどもひらいては治りきらない傷口のようにうずくのだ。
彼らはあたかも強姦の加害者のようだ。痛くもかゆくもなく、パレードの列に意気揚々と並んていたりもする。
彼らはあたかも戦場の兵士のようだ。人を殺した自分にすっかり麻痺してしまって、自分の愚かさにはけっして気づかない。
彼らはあたかも遠まわしな答弁で、責任を回避する国会議員のセンセーがたのようだ。まるでそのことには関わり合いのないようなふりをして、何事もなかったふうに装うのだけは長けている。
それらの全てを私は見た。2011年の放送以来、数十回は目の当たりにした。
私たちの家で、番組を見たカップルがいた。のえの死と「のえルーム」を描いたシーンで、怒鳴りまくり、呪われたような言葉を言い続け、品位を欠いたひどい言動を吐き散らした。
彼女は当事者だったのだと思う。自死でノコサレタ家族だったのだと思う。そして、それを恥だと、罪だと、別の家族や親戚からたたきこまれたのだと思う。
むろん、彼女は泥酔していた。大阪に帰ると言い出した。
「どうぞ」と私は言った。運転できる訳もなかったけれど。
私はまずいなと、大人になって、なにか持ち直す方向付けをしたのだけは覚えている。
あるLマザーの二人と終わった日のことである。
そりゃあ、終わるしかないよねえ。
こんなことが何度も何度も繰り返されていて、精神衛生に良い訳もない。
のえの尊厳のみならず、私たちベロ亭の二人の尊厳は、数十回あまり、どかどかと踏みにじられてもいる。
いや、数えられないくらい、そこここの空気に満ち満ちているような体験だ。
LGBTであれ、フェミニストであれ、脱原発派であれ、「自死」に目を背けるような人のほうが、日本では一般的なのかもしれない。これはきわめて恐ろしいことだ。人が追い詰められていったそのことそのものから逃げようとする人たち。
逃げなければ生きていけない場合もある。
人は様々な地雷原を抱えて生きているから。
そして、そういう人こそ、追い詰められる側になりえたりする。
でも…。
ようやくのこと、十数通の郵便の束をもって、24時間受け付けている往復2時間の県内でいちばん大きい郵便局にヒデコが車を出してから、いやおうなく許しがたい思いがつきあげる。
なぜ、こんなにも、どでかいテーマを二人して抱えているのだ。
抱きしめていたはずのものが、営みとして動かそうとすると、抱えてしまうという結果になる。手に余るほどのものを。
ねえ、ここに来て、リーフレットを持って行ってよ。
あの日、羊のやきものを購入に来て、20部持って行ってくれた大阪の彼女みたいに。
ねえ、そして配布してよ。黙っていても、私がまいっていても、そっと助けておくれよ。
もう私たちには限界だ。とっくに限界をこえて、自分の本来の仕事をも犠牲にすらしている。それしかないという選択のもととはいえ、異常な状況であるのは紛れもない事実だ。
表向きだけは元気な顔をして、世の中にはLGBTというマイノリティしか存在しないかのように、ふるまう人々と触れ合うのは金輪際ごめんだという気がする。
どんな少数派も弱者もいる、と本能的に判っていたのが、ハーベイ・ミルクだった。そして、マイノリティであるということは、他のマイノリティの生きづらさも瞬時に判ろうとするものだと、私はいつまでかは忘れたが、そう思っていた。
わずかな人はそうであるかもしれない。
私はむしろ夢見る。あらゆる少数派も弱者も、多数派も少し困った強がりも、渾然一体となってパレードするそんな風景を。
鳥肌と悪寒が走る。
68歳のおばあさんを深夜の往復2時間のドライブに走らせた「無自覚きわまりない状況」に対して、鳥肌と悪寒が走る。
ケイコ
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| 自死へのタブーを見抜く | 02:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑