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何もつかまなかったと思える2日目の深夜の余韻を聞いてみた

何もつかまなかったと思える2日目の深夜に

おとといは、21日から再開した仕上げの続きをした。
昨日は…。
昨日は、午後1蒔から7時まで隣の県から記者が来て、
「取材」という営為に時間が埋め尽くされたのだ。
カメラマンは、手慣れた態度で、私たちの姿をおさめた。
私たちも手慣れた態度で、
そういうカメラマンの注文にも、すぐに応じられるのが、
何回目かの取材に来た記者ですら驚いていたのだ。
私たちがあんまり自然に笑い合った、
そのことが記者には、「つよい」と思えたとすらいうのだ。

その直前は、なんとも言えずここのところくすぶっている、
ヒデコと私の、
二人のあいだの燃えかすが再びくすぶったような記憶は、
そりゃあ、確かにあるけれど。

一旦、執筆を再開すると、
その現実のただなかでは無駄ではないと決めて向かっていた、
取材も、人との対応も、どれも虚しい営為に思えるときが多い。
そして、何もつかまなかったように思えてしまう。

今日は…。
鍼灸院の時刻は遅らせられないので、結局、
土曜日の治療に変更して、来客の二人と会話があった。

そのしょっぱなに、北の友から真剣な電話があって、
電話を切らなくてはならないことが私には、
ひどく申し訳ない気がした。

それでも、最近、ぼちぼち知り合っている顔ぶれを、
大事にしたい思いもあった。
それに「お客様」であるのも事実だ。

二人が立っている新制「展示室」に電話を切って入り、
「あらあら、トップランナーだか、ラストランナーだか、
いやいや、反対側からみたら、
どっちがトップだかラストだか、
わかんないお二人が揃っちゃって…」
などと、私は言うのである。
紛れもなくそういうお二人はお二人で、
ベロ亭には場違いなくらいな、
いやいや時代は変わったのよ、と言いたげな、
40代後半の女性の、
おしゃれな衣装とお化粧に、
おからだもお顔も包んでもいる


新制「展示室」には悪くない光景だ。
それに話していることが通じるのは、
やはり嬉しいのだ。
まだ、そりゃあねえ、小出しの部分もおおいにあるけれど、
ずばりの話もしたり、
あれあれ、ずばりがそれてそちらに話が行くんですかあ、
なんて話も勝手に展開していたりもする。

ところで、
21日に再開したとはいえ、
車で町まで用事に行けば疲れて、寝入ってしまうし、
記者の取材を受ければ、駅に往復した後にも寝入ってしまう。
今日は今日で、大して長い時間を接客に費やした訳でもないのに、
やっぱり気づけば寝入ってしまう。
シャットダウンしたままの、二階の書斎のパソコンが、
ひらいてよー、書き続けてよーと、うなっている。
否、私のどこかで仕上げたさが暗礁に乗り上げてうずき始める。

うずき始めているのに、展示室なんぞで、
私は大人の冗談が通じる二人にしゃべってなぞいるのだ。

ここのところ、続けて、
タカハシゲンちゃんの本を読んだ。
刺激的だったが、自分なりにやれていることの確認にもなって、
シッタゲキレイの部分よりは、よっしゃーっという元気づけになっている気がする。
ついで、『東京プリズン』だの鶴見俊介だのを、アマゾンの古本で買っている。

時間のすきまには、そういうものに目を通しているのだから、
何もしていないのとは違うし、するべき大事なことを通過しているとも言える。
いや華麗そうな遊びをまじえた、ふっと凡庸にも当たり前にも思える時間すら、
大事に経過させてもいるのである。

それでもうずく。
暗礁に乗り上げないうちに、またこぎ続けたいと願う。

記者は膨大な疑問を遺した。
「遺した」と書くと、昨日の記者がこの世の人ではないみたいだけれど、
これは1979年からの取材の全てを指しているから、
もう他界した人も間違いなく含まれているので「遺した」と表記した、
というところもあるし、なにか記事そのものの性質に由来しているような気もする。
いいや、新聞記事だけではない。
雑誌、ラジオ、そしてあのテレビのドキュメント出演。
ほぼ、取材を受ける側ではあるものの、
私は記事も番組も、共同制作者として、
おそらく良い意味で関わってきた、
関われてきた人間の部類なので、
つくづくこの膨大な「取材される」歴史の蓄積を思うとき、
いい知れない思いが膨らむのは避けられない。

今回の、ヒデコが中心になる取材では、
こんなにもこの36歳の女性記者さんは
7時間とか6時間とか、
半日とか、
時間を経た、時間を蓄積した取材をして、
それでも書かれるのは、たかが見開き2頁なんだよね、という事実に、
私は不覚にも、彼女の書いた記事の内容と共に、
初めて昨日触れて、頭がぽかんとしてしまったのである。

大事にしてくれそうだし、大事にしているけれど、
実際に良い記事につないでくれるかどうかはまだ未知数だ。
良い記事につないで「なんぼのもの」、というのが、
被取材者の現実なのだ。
地元紙にほんのちょっと載って、
経歴なんかに掲げて大騒ぎしている人とは、
全く次元の違う苦悩だ。

なぜと問うまでもなく、
私が言葉の使い手、他でもない書き手だからだ。
ヒデコをモデルに、彫刻で仕上げたいという人がいたら、
彼女は絶対に困るだろう、ということを、
私はこんなにも長いあいだ、寛大な心で許してきたのだ。

たとえて言えば、ヒデコをモデルにっていったって、
なんだかやや安易な、
プラスチックか何かの素材で描かれたアウトラインで、
つまりは実のところ、表現なんかではありえないからだ。
いや、プラスチックでも素晴らしいアートはあるんだけれどね。

いや、それとても、
1979年から始まって、一旦は1994年で終わりにしているのだ。
記者さんのためのやさしくも実質的な文章教室を、
無償で、モデルにすらなって、
表現の奥行きにも貢献すらして、
それでもそうしつづけることにすっかり飽きてしまったというべきか、
そういった必然性が尽きてしまったというべきか。

全ては間違った事実を書かれたくはなかったからだった。
しかし、間違いとは、そもそもなんなのだろう。
創造的なマチガイなんぞ、絶対しないだろう、
そういう確信だけはあったからだろうか。

いや、あったぞ。
見出しに「仲良し二人、イベントに」。
いや、あったぞ。
「そんなあ、バートナーなんて書くと、
勘ぐられますよー。いいんですかあ。」
いや、あったぞ。
なんの断りもなくパートナーと書いて、
勘ぐられる心配も書く側も書かれる側もしなかった記事に、
Lカップルが勘づけて訪ねてきた西のキャラバンでの記事とか。

それからそれから。



ぼおんと飛んで、
あいだにドキュメント出演などをはさんで、
LGBTデビュー? なぞもはさんで、
それはそれで、それ以前にも新聞でも、
ある時期には、匿名記事になったりもして。

ぼおんと飛んで、隣の県から、ずいぶんと誠実で感受性のある、
次世代の女性記者が、
なんだか空から降ってきてしまったのである。
いやはや…。


にもかかわらず、
という、にもかかわらず接続詞に読者は途惑うだろうけれど、
今晩は、これまでと「趣向」をがらりと変えて、
というより、前にどかーんと戻った感覚で、
借りたままたまっているビデオの一本を観ることにした。

そういえば、夏辺りはやたら映画を観た時期もあったっけ。

ああ、これでまた乗り上げたままになるけれど、
ヒデコとこういう時間を、
9月以降持てなかったことを思ってもいたから、
迷わず決めて、『息ができない』に釘づけになって観た。
ソファの服のくずはどけてよけて、
ノートパソコンを運んで椅子にぐらつかないようにして。

いちいち内容の説明は書かない。
これもまた、やむにやまれない、
ある連鎖の極限を描いた映画だった。
驚かなかった。たじろがなかった。
それでも平気ではなかった。

しかし、私はどこかで問われていて、
自分の奥深くに潜む憎悪の類いの感情について、
しばし思いを巡らしもした。

それにしても、
主演も監督もしていた韓国人の若い男性、
なぜ、「やはりフィクションでしか描けない」と言うのだろう。
私だって、そうだろう、とは思う。
それでも、そうだろうではすまない。
それが私の今の暗礁と進行のはざまの極限的現実でもある。


記者はけっして気楽に取材をしている訳ではない。
お客様もけっして気楽なだけで、ここに来ている訳ではない。
なにしろ、トップランナーとラストランナーか争うお二人なのだから。
ええっ、どういうことって、こういうことよ。

ヒデコは必死でシュトレンを焼き続け、
執筆ゾーンに入った私のこころここにあらず状態に、
時にぼやき、時にやりすごしてもくれる。
やれることはやりながらも、暗礁を意識する日々の繰り返しはかなりきつい。

記者でよりいっそうえぐられるような気づきがありもするし、
お客様で、妙になごんで、でもそれがどうした、という思いもある。
ましてや、ヒデコのネット上での出来事には、
ほとんど振り回されてはいけないと心を決める。

「反省する」がいかに軽い言葉かという学習。
「フルオープン」は困った連想をしてしまいそうだけれど、
実はカミングアウト強迫の極限で、
そのからみで、ある時期、
私がどれほど傷つく始まりの時を得ていたのか、
と気づきもしたり…なのである。

華麗なネット上の書き込みやら、写真やらは、
目の毒なのである。
みんなクリスマスをやっていたんだ、なぞと、
突如、だまされていたみたいに気づくのである。



何もつかまなかったと思っている深夜に、
私は、各種映画祭で絶賛されたハードで、
人の深淵を描ききった…と思われる…映画に、
「ここまで描いてもいいって訳だよねー」と見終わってのうのうと言う。
ふーんだ、と思う。たかが映画じゃないか、
よくやったよ、でもたかが映画じゃないか、と思う。

よくぞ貸してくれたと貸し主の目利き度合いをも思う。
そう、このてのは彼はよくよく判っているんだ、とも思う。

そして…。

ラストシーンが焼き付ける現実の意味に射貫かれる前に、
すでに、とっくに、何度も射貫かれている自分を意識して、
そうさ、そうさ、射貫かれる準備はできていた、とだけ思う。

嗚咽なんぞはするけどさ、嗚咽なんぞはするのである。


号泣する準備はできていた、という小説があった。
同じ題名で書けるな、と昨日思っていた。
この集落の歴史のことを、記者に語った後のことだった。

号泣はムラを変える…でもいいかもしれない。


ひろい集めてみれば、
何も落としてはいないのに、どんな成果もつかめないままに、
年は暮れようとしているようにも思える。

今晩垣間見たネット上の出来事では、
コラボレーションをした相手が、
表現とは何か、
果たしてコンクールのコンクールのためのものなのか、
という根源的にもなりうるテーマで立ち止まっている様子に好感を持った。
おそらく、私と慎重にコラボしたことをも含めて、
彼女の人生と表現にも届いていることがあるのだ、と思える確認だった。

少しずつ少しずつ、
目に見えないものが進行して、そうして暗礁はしかと見つめられて、
今も私のパソコンのすぐ隣には、
あの青年の斜め左側からの横顔が覗いている。
私は彼の顔を見ていることをやめたくはないのだ。

彼が今、どこに住んで、
どれほどの貢献をして、
どこに所属しているかをこえて、
おそらくその全ても呑み込んでも、
それらを超えて、
彼の写真が大写しされたこの本の表紙は、
あるべくしてここにあるという確信がある。

彼が見つめているもの。
彼がその左斜めからの横顔で見つめているものは、
私が見つめていたいものと、
おそらく、
多分、
間違いなく、
かさなっているか、
同じかだろう。

その本のタイトルは
「ぼくの父さんは自殺した」。
その本のサブタイトルは、
「その一言を語れる今」。

むしろ、私はこの本の中身はもう必要ないのかもしれない。

彼の斜め左側からの横顔。

繊細でりりしくて、
切羽詰まる寸前で、
あるがままに我に返って、
意識的に自らの意志を集中させている、
そんな斜め左側からの横顔。

私のなかで持続するべく、今は暗礁に乗り上げているにすぎないものを、
ここぞとつなぐ意志が、ここでつながれようとして見上げている、
そんな横顔に寄り添われ、寄り添う日々。

何もつかめなかった…と思えた…二日間のあとの、
誠実な36歳の女性記者の、どこか揺らぐまなざしやら、
トップ&ラストランナーの訪問者の浮つき気味でいて、
なんだか妙に真剣な痕跡やら、
寒さになんとかしてよーと言っている、
よれよれの玄関口のハナの懇願やらが、
確かな、
こんなにも確かな余韻となって聞こえてくる。


ケイコ
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| 出版という困難な旅路にて | 03:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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