ターシャにならって、ありったけ盛った花は尽きないグリーフワークだなあ


今日は花瓶でなく、古越前の壺に、庭の嵐があけた後の花たちを、ありったけ投げ入れてみた。思い思いの向きに伸びているから、投げ入れも工夫がいる。
後方にあるのは、仔猫5匹と親?猫2匹とが、前向いて、おのおのらしい表情たっぷりの、お気に入りのカレンダーの絵。
うむ、かつてのベロ亭ファミリーに見えるんだよね。
あとは、例によってパソコンを立ち上げてから書きますね。もう一度見てね。
ケイコ
すでに半時間後に、パソコンに向っています。
なんだかポカンとしています。
こういう時間って必要なんですね。
で、庭の花をもいで!!投げ入れたりにほっと一息。
昨晩、精神も神経も、心も魂も、
ちょいと、極限的な疲弊まで行きましたね。
なんということなく、仕事もし、資料も読み、
最近よくかかってくる息子の電話も取り、
なのに、突然それは起りました。
昨日は余り寝ていなかったかも…。
それに、トーキョー行きが決って、
モッキンバード風に言うなら、
私は「自由休憩」状態という、
大波に揺れる小舟がなんとしても、
うまく船こぐんだよってな感じの、
キンチョー状態に突入していたのだけは確かです。
ゲーゲー、突然吐きました。
ごめんなさい。読者の皆さま。
でもこれが私の現実。
パニックも起こさないし、
あんまり、最近は英子ともぶつからない。
まだ、そんなふうになって短いとはいえ。
それで、自分の心とからだを信じていたら、
からだの方からNO! と来ましたね。
英子がある若者に会うのと、
さっきミケランジェロ展に行くのについていこうかと思ったけど、
一人会いたい方の都合が合わず、やめにしました。
で、花なんか投げ入れて遊んでいた。
…ご自分をいたわるのをためらいますな…
この言葉の奥行きとか、私にとっての意味を考えています。
あるいは、あのタイミングで言われた時に持つ、
どうにもならない抵抗感のようなものについて…も。
そう、いたわらなきゃだめなんだってのは、
よくよく知っています。
だから、この執筆もここまでかかってもいます。
それでも、いたわらせてくれない現実にも向き合う。
ああ、やっぱりブログ書いていたら、
『自由休憩』状態に胃の辺りがなってきたあ。
今、私はある大変困難な章の仕上げをしています。
この章については、ほぼ誰とも共有できないような、
そんな体験と痛苦とを通過しています。
昨日も、原稿を書いているとフラッシュバックに陥るほど。
そうだ、書いていて、いきなり気分悪くなったんだ。
この章は、のえの人生とはとりあえず別物なのに、
それをふりかえり、それを人々に公開? したことのおもみって、
誰も、誰ひとりとして、
共感も共有も、なかなかできないと言うより、
まず、そんなこと望めないことなのかな、って思います。
これって、それを選択した私たちの側の気持ちのことですよ。
そして、それはまさにあの番組の描かれかたのことなんですが…。
それでも、あのシーンに励まされた。
自分の大切な人とのことに向き合う勇気をもらった。
そう私に直接言った人は何人もいるんですよね。
その事、大切。
それから、今も、
あんなに、穏やかに深い事柄をいきなり話せる場、
日本中さがしても今もどこにもないはず…。
そう言われたのもお宝。「のえルーム」のことです。
私のガーデニングはややアディクションめいてもいるけれど、
でも、これで誰にも迷惑かけていないし、
むしろ、私以外にもほっとしている人がいるし、
昨日なんかは、この前の段階の、ヒデコの花瓶に乱ざししたのが、
ヒデコのフェイスブックにアップされて、
「いいね」が乱発されていたみたいです。
田舎の素朴な人から、
新宿二丁目のレディドラッグクィーンまで。
40人くらい??
そうそう、今日のこの写真の花は20種類くらい。
花の名前言うのは疲れるからやめます。
昨日は12種だったんだけど-。
下の写真は、一輪のルドベキアをたした状態。
一輪が加わるだけでこんなに違う。
そういう花も、
そういう人も、
そういうワンフレーズも、
あるんですよね。
はてさて、原稿の続きはできるだろうけれど、
トーキョーに無事行かれるように、
平静で穏やかな心を回復しなくちゃなあ。
今日は取り戻しているけれど、
何に取り組んでも、そうでなくっちゃなあ。
それから、
私のいない間の花の水やりも、
あの方たちに頼まにゃなあ。
ありゃ、
やはり、
少し胃がおもい。
さっき、
五木寛之がまとめた、
「わが心のスペイン」をひっぱりだして、
読んでいた。
これってスペイン戦争のことをまとめた本だったんだ。
へえっ、へぇっ、てな感じ。
『蝶の舌』とか、
『ペーバーバード』がまざまざと甦ります。
この二本、借りられるから見られる人見てねー。
ものすごく良い映画だよん。
最近、自分の書庫が、まるで図書館のように甦っています。
すごい蔵書!!?
その中に、
そう偶然だかなんだか撮りだした一冊に、
今の私の心境にびたりの長編詩があって一気読み。
ここに全部書き写したいほど。
それは、スペイン戦争が終わってから、
失ったものの全てをみつめなおすような詩。
どこにも拠ってたたないような、
意思のありかだけが確かな、
そして言葉のリズムも向うところも、
余りに自然に入ってくる詩。
だけど、多くの人には判らんのかも。
こういう詩が入ってくる今の私って、
どこにいるのかな。
スペイン戦争はスペインのものだけではなく、
世界を語る時には、何もかも抜きにできない、
そんなものとして語られている一冊。
筑豊も、朝鮮半島も全てつながっているという…。
きっと、
私は今、
日本の『内線』を凝視しているから、
すいすいと読み取れるのかもしれません。
ぐいぐいと入るのかもしれません。
こわいな。
どっちを向いてもこわいな。
どんなマイノリティも。
どんなファミリーも。
マイガーデンを離れて、
トーキョー行くの、いやだよん。
年甲斐もなく「自家中毒」の夜が明けた。
どうしようもないなあ。
ったくー。
ケイコ
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| シリーズ花 | 16:40 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑