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形だけのセレモニーに鳥肌が立つわけは…

形だけのセレモニーに鳥肌が立つわけは…

行くつもりではなかったお寺に夕方からいました。
そこにはフクシマから来た子どもたちがいました。
ヒデコが午後、陶芸教室の指導をして、夕方からの打ち上げに私も合流するよう促されたのです。けっして、気が進んでいた訳ではありません。でも、誘われればそれはそれで、オサソイヲ歓迎したい気持ちにもなりました。

チケットをもらってから、焼きそばやら久々のフランクフルトソーセージを食べて、少しなじめた私もいました。でも、やっぱり寺という所には、もはや尋常な思いでいられない私がいることに行ってすぐに気づきました。

このお寺で、一体、何回、「自死」であってもそうではないと偽ったお葬式が行われたことだろう、などと、考えている一参加者がいたなんて、後で知られたらまずいかもしれませんね。そのお寺がどうのこうのではないのです。それが当たり前の現実を知ってしまっているからです。

曹洞宗のお寺で、本堂には中央に観音様、手前の両側にやはりハスの花と葉をかたどった金色の大きな置物…。鎌倉時代のものという観音様はとてもいいお顔で、携帯におさめたかったけれど、暗すぎて無理でした。

打ち上げの会場のお寺には、総勢百人くらいの方々がいたでしょうか。
そのうち、三人が自死遺族であることを知ってしまっている私…。未遂者もいることを知っている私…。
いやいや、間違いなく、十人以上はそういったことに関係ある人に違いありません。この地でボランティアにいそしんでいる人も、遠くから「汚染されていない」地に来た人も。

この場で、自分が書いた本に基づいて、話せるだろうか…とも考えていた時間もあります。照明の向こうの人々の影が反転して、自分の表と裏がひっくり返ってしまったような、妙な気分でした。そんな時間ばかりではなかったですよ。笑ったり、おしゃべりしたり…。

でも、なんとも言えない会話もありました。偽装を生きていると人は、偽装しなくともいいことまで偽装してしまうんだな、そうも思いました。

でも、お寺のネットワークで、フクシマから子どもたちを呼んで「善行」にいそしんでいる姿は、人によってはすがすがしくもあり、人によっては大変そうでもありました。

帰ってから、昼間に百円ショップで買った額に、のえの遺した長田弘の詩の新聞の切り抜き「新聞を読む人」を入れようとして、大きすぎたので、それに加えるのに良さそうな、のえのものを物色しているうちに、それは起きました。

私が、のえに宛てたファックスがとってありました。前にも見たと思います。
でも、あらためて読んでみて、私がいかに、のえとの共感を大事にしていたかが判りました。それは、すなわち、のえが共感できない人たちとの違和感でもありました。
私の中で、ふつふつとわき起こるものがありました。

のえに、いつも家族写真を年賀状で送っている三人の友人がいます。これは間違いなく、のえの「結婚願望」をそそったかもしれない、のえの孤独感をつよめたかもしれない、前からそう思っていましたが、いよいよ今日は思いました。

それから、新聞記事や、のえの遺したマザーグースの絵はがき、のえのライブのチラシなどをミックスして額に入れたのを、風呂上がりのヒデコに見せながら、家族写真が人に与える影響など話していました。

私たちがツーショットを年賀状で送るようになったのは、まだ数年のことです。これもまた、気持ち悪いと言われたことがあると聞きます。シングル指向の人に言われていたと思い込んでいたのですが、もしかしたらホモフォビアのある人なのかもしれない、という話にも及びました。でも、私たちは、30年以上一緒にいて、ツーショットなんて、一枚も見せたり楽しんだりできない、長い長い時代をへてここまで来ているんだからなあ、なんて少し話しました。

そのうち、家族がそろったベロ亭での、ある正月の光景がフラッシュバックになって私に襲いかかりました。ペルーに行っていて、出席しなかったワタシガ、娘に、結婚式の写真を見せられた時のことです。私はもう乖離しそうでした。周りには、娘たちのパートナー、否、配偶者がいて、その人たちのことを私はほとんど何も知らないのです。その集団は、私にはお化けのようにこわい集団でした。その一人となった娘が、うれしい記憶として、共有してほしい体験として、セレモニーの写真を私に見せたのです。

気持ち悪いとは言えませんでした。気持ち悪かった。本当に…。
これは、私の心と脳と、魂が気持ち悪いと言うのですから、いかんともしがたい気持ち悪さです。でも、受け入れなければならない状況があり、娘の気持ちがあり、私は余りよく見ないようにしながら見ているようにふるまっていました。

私はだんだんと乖離(かいり)していきました。ヒデコには私が真っ青な顔になったのが判ったようです。よく判らない集団が周りにいて、でも、その時はのえはいませんでした。

その次、その娘の双子のもう一人の、結婚式のセレモニーの中で起きたことを思い出してしまいました。こちらは、あれこれ悩んだ末に出席するしかなかったのです。

実は、司会の人が大間違いのトンチンカンをして、
「●●さんは、お母様お一人と三人姉妹の一人として育ち…」とやったのです。聞き取ったのは、私とサナエでした。この時は、のえは入院していていませんでした。
私は即、行動に出ました。大きな会場を一回りして、前に立っている司会の人の所に行き、訂正するように抗議したのです。他の家族は誰も動こうとはしませんでした。

それから、私は、お色直し中の当の本人にも、話にいきました。そんなにうまくコミュニケーションできなかったという記憶だけが残っています。彼女はエンターテイナーとして出演中でしたから…。
それから、私はパニック発作が出て、控え室だかどこかのソファーでずっと横になっていました。新婦の「親族」の席はもぬけの空。そんなセレモニーってあるでしょうか。

私は七分もらう約束を取り付けた出席だったので、パニックから立ち直って、最後の最後に「敗者復活戦」に出ました。それを「笑い話」として、人にはよくします。「笑い話」にするしかないからしていたのだ、と今日悟りました。いや、そんなことは今までも判っていたのです。

実は司会の人は娘の会社の人と聞いていましたから、つよく出ることができませんでした。ところが後で聞いてみて、結婚式場の担当の人だとわかりました。これは「訴訟」ないしは、「謝罪」をきちんと求めて然るべき問題だと何度も思っては、娘のために…!! 打ち消してきましたが、今日はいても立ってもいられなくなりました。

のえへの共感をかみくだいて判りやすく書きながら、のえと共通の違和感を語っている私のファックスの手紙が大きく尾を引いていたと思います。私の心はちぎれそうでした。

ちぎれる気持ちを訴える私を置いてヒデコは寝ました。当たり前です。九時からフクシマの子どもたちのために頑張って、陶芸教室をしたのですから。

そうして、今私はこのブログを書いています。やはり、結婚式場の担当者にきちんと謝罪してほしいと思います。娘には謝られたけれど、それではすまないことだし、もしも娘がちゃんとに説明した上でのことだとしたら、これはとんでもない「犯罪」です。

何百万円かかったかは、結婚式の費用については知りませんが、その何割かは謝罪として返してもらってもいいくらいの「事件」を起こしてしまったということを理解させなければいけないような、そんな出来事です。

これからだって、レズビアンマザーがゲイファザーが娘や息子の結婚式に参加することだってありうる。いや、どんなふうにだって、母親が二人いるということは起こりうるのです。

私の痛みと悔しさは、このことに真剣に怒ったのが私だけだということにもあります。胃が痛くなってきました。

おそらく、今日、お寺に行って、そこに自死遺族が何人いるか知っている自分を感じてしまったこと、自死ではないと偽って、お葬式がそのお寺でも行われているだろうこと、その背景に、どんなふうに日本人の恥と外聞ばかりでミエっぱりな、余りに罪深い心持ちが潜んでいるのかを感じてしまったから…。

その上で、のえに気遣って、のえの来なかったお正月を丁寧に語る私の手紙の文章を読んでしまったから…。

そして、それだけではなく、なぜ人はそういった「偽りのセレモニー」が大好きなのか、私は今まで、自分の考えだから腹をくくってと決めていた以上に、深く気づいてしまっている自分に立ち止まっているのです。

ヒデコのお父さんは、ヒデコの子ども時代、お母さんが用意した仏壇を庭に投げ捨てたといいます。お母さんは、ヒデコが生まれる前に二人の子どもを亡くしていますから、それはそれで、非情で容赦ない夫だと思っただろうし、悲しかったことと思います。

でも、お父さんにはお父さんのやむにやまれぬ真情があったのだと思います。無神論者というような名付けで言い切れない、やむにやまれぬ真情があつたのだと思います。

私はもう、自分が乖離するような、そんなふるまいはしまいと思います。真っ青になりながら、うれしいふりをするなんてありえません。
腹をくくって、魂も心もそこに居心地よくできたらいたいと願っていた場所で、自分もカラものえも、「消されていた」ことに我慢しなかったのは当たり前のことです。のえがそこにいなかったのは、その時も思いましたが幸いだったかもしれません。

やはり、あの結婚式場に訊いてみようと思います。それが決定的な間違いだとは、絶対に気づいていはしない、それだけは言えます。そして、それは二度と犯してはいけない間違いだということを伝えなければならないと思います。

あやまちは二度とおかしません、と言いながら、あやまちしかなくなってきた日本。
だから、返って見えてくることと、のえのノンフィクションの執筆できわまったこととが、きわどくも微妙に交叉する日々。

目まいがするような、そんな疲労を感じます。

私の子ども時代は、思えばそんなセレモニーもどきが、どんな他の価値観の一切を認めず大好きなオバサマに、母と父が「支配」されていた日々だったのです。

そして…。ヒデコのお父さんは、小さいときから両親を亡くして孤児でした。おそらく、仏壇の位牌は何も助けてくれはしない、ということを痛烈に知らされ続けた人生だったのではないでしょうか。それ以上のことは私には何も言うことはできないのですが…。

ヒデコが結婚した時、「よく考えろ」と言い、離婚した時、「よくやった」という人でもあったと聞いています。


ケイコ
 
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| 心底飛びきりのケイコ節 | 03:56 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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