団塊ってなんやねん!
私は、自分より若い人と話すのが好きです。
同級生とか、元同志とか仲間とかと話したくないって、
積極的に思っているわけでない。
たまたま、余り会わない。
私が、奥地に引っ込んでるせいか
団塊の皆様が、私が出て行くような集まりにいらっしゃらないからかは
判らないが、ほとんど会う機会がない。
それに、日常的には、ツイッターとかFacebookに私は埋没していて、
そこでも会わない。
私は、多分あの人たちにある、言葉が通じない可能性を恐れている。
なんか頑固で、かたくなで過去に執着し
過去を美化してるような世代って、私は思っている。
こんなに私が発信しても、
関わるようなことがないっていうことなんだなと。
まあ、特にに男達だけど・・・。
あの時代の男は今も、前時代を背負って、
「生活右翼」のまま、酔いどれて、くたばってる。
見たくない。
某忘年会で、団塊のある男性が、自分がアナログって話で、
「若い人と話す手段は僕にはないけれど、
ツィッターデモの若い人もいつか、時間をかけて判るはずだ」って言う。
今の活動スタイルに限界を感じての、発言のようだった。
私は思う。そして、言った。
「もう若い人の時代なんだから、
いつか判るっていうような高見の物言いでいいんか!」
若い人が、デモを作りデモをやり続け
それを応援できんのかよ。
いや、物足りないし、言いたいこともある。
それは、きちんと伝えるべきだ。
どうもすごい世代間ギャップ。
ネット世代と、アナログ世代。
理解し合える場がない。
若い人は、親の世代の話なんか聞けない。
聞きたくない。
ネットで語り合える範囲で十分とでもいった感じで・・。
アナログの団塊は
あんなwebなんて難しいとかいって、
ネットには実態がなく、
信用ならないツールだとすら思い込んでいる。
私は、二晩で二つの忘年会に出た。
一晩目。
団塊の澱んだ世界に、
「ネット」も有効なコミュニケーション手段なのに!って伝えた。
若い人には、もっと話したいって伝えた。
二晩目に「団塊が悪いから世の中が悪くなった」って言われた。
30代後半の大学の先生にだ。
団塊は悪い。
いや、「今の団塊」は、もしかしたら悪いかもしれない。
でも、あの70年代の、リアルタイムな団塊は本当に悪かったのか。
ろくな、現代史が伝えられていない現状だ。
団塊は、「悪」や「戦争」ときちんと向き合った。
闘った。
そのあと、闘えなくなるほどの国家権力の制裁が有り
労働者の戦いの権利が、
生きていく権利が
国の力で、奪われていった。
どうして今は、ストライキをしてはいけないのか。
働く人が、モノを言えず
教育現場でもモノを言えず
どんどん、社会が悪くなったのであって
団塊が悪くしたんじゃないですよ、って答えた。
守りきれないほどの総攻撃だったのだ。
歴史的に何が起きたか知らされていない。
私も、NTTの前身、日本電報電話局という現場で
ははは、電線をつないでいたのです。
電話をつなぐというサービスがあったのです。
もう誰も知らない事かもしれないけど、
「100番です」っていって、回線をつなぐ。
それで、全国の「全電通」という労働組合で
ストライキした事があった。
どうせ、自分たちの利益でしょ?
と言われそうだが、
その利益をこそ守って、
はじめて自らの権利を獲得し、
人権という人間の基本的な「自由」があることを
その労働者自らが、知っていった。
だが、その人たちがその後、
どんなに、どんなふうにリストラされたか、
余りに知られていない。
そんな勇気満々の気持ちいいことしてたんだよ。
いや、団塊がやったことは、
それだけでない。
戦争、あの頃はベトナム戦争だった。
いや、原発が造られ始めていたのは知らなかったが。
核の搭載された、米軍の原子力潜水艦の寄港と闘った。
これから、このブログで、当時何と向き合っていたのか、
たんなるスローガンではなく
私の中で、何が生きていたのか、何が進行していたのか、
をぼちぼち書いていかなきゃなー。
そんな私が、ベロ亭を作れたんだってことを、
伝えていかなきゃなー。
団塊、ぼろくそにされても困る。
少なくとも私は、
かつても、今も、自由のために闘い、
権利のために闘い続けているのだから。
権利は、闘わなきゃ獲得できないという「常識を復活」させなきゃ!!
ヒデコ
同級生とか、元同志とか仲間とかと話したくないって、
積極的に思っているわけでない。
たまたま、余り会わない。
私が、奥地に引っ込んでるせいか
団塊の皆様が、私が出て行くような集まりにいらっしゃらないからかは
判らないが、ほとんど会う機会がない。
それに、日常的には、ツイッターとかFacebookに私は埋没していて、
そこでも会わない。
私は、多分あの人たちにある、言葉が通じない可能性を恐れている。
なんか頑固で、かたくなで過去に執着し
過去を美化してるような世代って、私は思っている。
こんなに私が発信しても、
関わるようなことがないっていうことなんだなと。
まあ、特にに男達だけど・・・。
あの時代の男は今も、前時代を背負って、
「生活右翼」のまま、酔いどれて、くたばってる。
見たくない。
某忘年会で、団塊のある男性が、自分がアナログって話で、
「若い人と話す手段は僕にはないけれど、
ツィッターデモの若い人もいつか、時間をかけて判るはずだ」って言う。
今の活動スタイルに限界を感じての、発言のようだった。
私は思う。そして、言った。
「もう若い人の時代なんだから、
いつか判るっていうような高見の物言いでいいんか!」
若い人が、デモを作りデモをやり続け
それを応援できんのかよ。
いや、物足りないし、言いたいこともある。
それは、きちんと伝えるべきだ。
どうもすごい世代間ギャップ。
ネット世代と、アナログ世代。
理解し合える場がない。
若い人は、親の世代の話なんか聞けない。
聞きたくない。
ネットで語り合える範囲で十分とでもいった感じで・・。
アナログの団塊は
あんなwebなんて難しいとかいって、
ネットには実態がなく、
信用ならないツールだとすら思い込んでいる。
私は、二晩で二つの忘年会に出た。
一晩目。
団塊の澱んだ世界に、
「ネット」も有効なコミュニケーション手段なのに!って伝えた。
若い人には、もっと話したいって伝えた。
二晩目に「団塊が悪いから世の中が悪くなった」って言われた。
30代後半の大学の先生にだ。
団塊は悪い。
いや、「今の団塊」は、もしかしたら悪いかもしれない。
でも、あの70年代の、リアルタイムな団塊は本当に悪かったのか。
ろくな、現代史が伝えられていない現状だ。
団塊は、「悪」や「戦争」ときちんと向き合った。
闘った。
そのあと、闘えなくなるほどの国家権力の制裁が有り
労働者の戦いの権利が、
生きていく権利が
国の力で、奪われていった。
どうして今は、ストライキをしてはいけないのか。
働く人が、モノを言えず
教育現場でもモノを言えず
どんどん、社会が悪くなったのであって
団塊が悪くしたんじゃないですよ、って答えた。
守りきれないほどの総攻撃だったのだ。
歴史的に何が起きたか知らされていない。
私も、NTTの前身、日本電報電話局という現場で
ははは、電線をつないでいたのです。
電話をつなぐというサービスがあったのです。
もう誰も知らない事かもしれないけど、
「100番です」っていって、回線をつなぐ。
それで、全国の「全電通」という労働組合で
ストライキした事があった。
どうせ、自分たちの利益でしょ?
と言われそうだが、
その利益をこそ守って、
はじめて自らの権利を獲得し、
人権という人間の基本的な「自由」があることを
その労働者自らが、知っていった。
だが、その人たちがその後、
どんなに、どんなふうにリストラされたか、
余りに知られていない。
そんな勇気満々の気持ちいいことしてたんだよ。
いや、団塊がやったことは、
それだけでない。
戦争、あの頃はベトナム戦争だった。
いや、原発が造られ始めていたのは知らなかったが。
核の搭載された、米軍の原子力潜水艦の寄港と闘った。
これから、このブログで、当時何と向き合っていたのか、
たんなるスローガンではなく
私の中で、何が生きていたのか、何が進行していたのか、
をぼちぼち書いていかなきゃなー。
そんな私が、ベロ亭を作れたんだってことを、
伝えていかなきゃなー。
団塊、ぼろくそにされても困る。
少なくとも私は、
かつても、今も、自由のために闘い、
権利のために闘い続けているのだから。
権利は、闘わなきゃ獲得できないという「常識を復活」させなきゃ!!
ヒデコ
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