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夜の庭で月を見た…首相官邸前数万人・三重県の芦浜原発撤回の歴史・そしてバリバラと、2週間前の福井の全国集会の曲がり角で

午前零時すぎ。久々にブログを書く。やっと少し落ち着いてきたのか。
長くなりそうなので、短めの短編でも読むつもりでお願いします。


ここのところ、急激に姿形を現した『コミュニティガーデンこうのとり』と言っても、野外にテーブルを増やし、花の溢れるわが庭のことだけれど、そこで、夜7時すぎ、花の水やりをし、少し草むしりもした。まだ、虫はいないから、いたって涼しく、痛みがちな腰をいたわりながら、それでも私なりの筋トレと思っているジョーロ式水やりで丁寧に、幾つもの植木鉢に水をやると、時間も案外かかる。

朝は、そもそも朝食が終わるや、二人とも、やっぱり花の世話や、庭で生かせるペルーの装飾品の修理やらに余念がない。どうにもならないな。この年になっても、いや、ますます夢追い人の二人だもんな。炎天下でもついつい。

ここまで、ガーデンができたのも、二泊三日の間に、草刈り、雨どいつけ、ガーデンの下に敷いた砂利状のカワラ屑をならすまでしてくれた、福井県在住の剛くんの手助けがあったからこそのこと。淡々と、でも必死に頑張ってくれたよね。暑い中で。

夜の花の水やり。ヒデコはまたもや福井に出かけていて一人。
空の月。やけに輝いて、月の縁が透けて見えるようだ。満月かな、と、のえを思う。
その時、ふと、二年前に、あの私の薬害での凄まじい闘病の日々、ヒデコの留守を一泊して支えてくれた、やはり福井県在住のある友人の事を思い出した。
彼女は、車が通るには見えにくい花壇の縁の草を刈り、次に私を助けに来る人に引き継ぐべく力を注いだ。そんな事は彼女としては、まれなる事だった。
どうして、あの時、彼女はあそこまで…。
そして、ある事実に私は思いあたった。そこまで、その瞬間まで思い至らなかった私自身に恥じ入るように、思いあたった。

二週間前、福井市の中央公園には、全国から大勢の人が集って『大飯原発再稼働反対の全国大会』が開かれた。私は後から、急に思いたって、そこに駆けつけた。
やや心身に不安はあった。最寄り駅への運転も少しかったるかった。でも、ふりきった。
というのも、全国から、そう、あの5月5日と6日に集った、あのイベントならではの顔ぶれが集いそうだった。私は自分の体の動きを止めることができなかった。
これについては、ヒデコも書いているのでここまで。そう、偶然なんかじゃないんだ。

でも、私は心配だった。何かが溢れて、とんでもない事をやらかしてしまうんじゃないか。
でも、私は心配だった。キャパをこえて、どうにもならなくなってしまうんじゃないか。

やはり嬉しい再会があった。葛藤と嬉しさ半々を、満面の笑みでおおった再会もあった。福井県民だけが集まる訳じゃない事、それはやっぱり私の心身を動かしてしまっていた。

県外から来ていた、のえの女友達二人とも別々の瞬間に再会。互いに溢れる涙にまかせて抱き合った。おのずと閉めていた蓋が開いたような、そんな涙でもあった。格別の嬉しさだったけれど、エネルギーを使った。

歩いていて、ふっと後ろから私をつつく人がいてふり向くと、けっして会いたくない人だった。脱兎のごとく、私はデモの群衆の中に紛れて、駆けぬけていた。
どうして、私がそこまでの態度を取るか、知らない人。
自分が何をしたか、知らない人。
ただ、懐かしさだけで、もしかしたらつい、というぐらいの人。

彼女は、のえが亡くなって間もない頃の市内のキャラバンで、のえの訃報を告げると、お悔やみすら告げず、「最近は、家に帰っていなかったの??」と尋ねてきた。昔はそれなり交流もあったから、のえの事実の最小限は伝えた結果だった。
最近、別のスペースで偶然会い、ヒデコに向けて番組を見た、と告げたと判って、私は敢えて、彼女の前に進み出て、「全部を視たんですか?」と問うた。その時、彼女は私をふりきるように無視し、そそくさとその場をあとにした。


私は脱兎のごとく駆けぬけた。
この一年半、私を追いつめつづけた物事と同じ現象から、私は脱兎のごとく駆けぬけた。群衆をかきわけ、くぐりぬけ、私は脱兎のごとく駆けぬけた。
あってはならない事だった。会ってはいけない人だった。

数千人のデモ。再稼働反対のプラカード。思い思いのことばの群れ。でも、意外に独自性豊かな表現は少ないなあ。
私の胸には、これ以外にその日はありえない言葉があった。

デモの途中で、ひとつだけ、最も必要なはずでいて誰も書かないプラカードが目に留まった。
サラリーマンにすら見える中年のおじさんが掲げている。
『福井人よ、立ち上がれ』。

私はいつの間にか、群衆の喧騒に疲れて、デモの列を離れて歩道を歩いた。デモは、県庁を囲むお堀沿いの道路を行く。列が大きく左に折れて、最先端の人々が掲げているスローガンが、曲がり角の向こうで、真横に私の目に届いてくる。
その文字はこう語っている。
「福井で、つながろう」。

反復する。「福井で、つながろう」。
胸に落ちない。腑に落ちない。許せない。何が何でも、私には落ちない。
スローガンが、うずく。
足先から頭のてっぺんまで、そのうずきが突き抜けていく。

私は、お堀の縁の歩道にたまった枯れ葉をかき集めて、ざあっとお堀の水に放った。投げたというほどではないけれど。

今日、首相官邸前を映しだす、ユーストリーム放送は、すさまじい数の群衆が集まった事を知らせていた。そんな最中に、私はガーデンの水やりだ。月見だ。そこに、それでも立っている自分を、当たり前のように刻んだ。

庭から戻ると、官邸前では今夜のデモストレーションの終了を促す、主催者側の必死の声が続いた。緊迫した空気を、なんとか無事におさめようとしている様子だ。とりあえず群衆の動きはさして変わらない。
主催者側の必死の声。
「このアクションを続け、参加者の人数を増やしていくためにも、今日はこれで解散という事でお願いします。主催者として、土下座してお願いします。」
ユーストリーム放送の視聴者数が、うなぎのぼりにのぼって8万人を越える。

テレビをつけると、NHK総合の『金トク』(中部地方限定放送)で、三重県内にぎりぎり、原発が立地されないできた37年に及ぶ、すさまじいたたかいの歴史をドキュメントとして描いた番組につきあたった。何度か立地されそうになって、多額の金がばらまかれて、それでも、結局立地されなかった芦浜原発の地元で、一体何が起きたのか、克明にリポートされている。そこには、住民同士のありえないほどの軋轢や対立が生じていた。特に反対派が多かった、地元のおばちゃんたちが受けたいやがらせのひどさも伝えられた。

最後の最後に、これぞ英断と言う以外にない、国策にノーの決断に踏み切った元知事のインタビュー。彼は、現在は早稲田大学大学院の教授で、『地方分権』が専門だ。
それから、賛成派として立地に貢献した元村長の口から、今は、地元民の誰もが仲良く暮らせるようになった事を喜び、過疎化の進む地方の町で、それでも何がいちばん大切か、見失わない大切さが語られる。今は財政難の現実も映し出されながら。

地方の漁村の過去のたたかいの歴史と、ユーストリーム放送のたたかいの現在が同時展開で、私の頭脳は少し混乱する。
首都圏の首相官邸前と、原発が立地される過疎の町の現実の解離が、きわどく私をゆさぶっていた。
それでも、全てはつながり、ひとつの流れになり、大きな河になっていく。
海には、はたして出られるのか。

紫陽花革命なんて言っているけれど、都市圏の人々は、紫陽花がどんなにたくましく、毒々しいか知っているのかな。どんなに旺盛な繁殖力で、あの可愛らしく小さい花々を丸丸いっぱい咲かせるのか知っているのかな、なんて思いは巡る。

午後9時。一週間前には、『八日目の蝉』を観たけれど、今日はバリバラ。
お題は、なんと「障害者の子産み」。なんとまた、根源的なイッシューで直撃か。
私の頭脳は、またまた加熱気味。いや、冷え冷えとしていったと言ったほうがいいのか。
二組の夫婦が、どんなふうに、家族や親戚の猛反対、あるいは自分たちの体調を乗り切って、出産に及んだかが、そりゃあ、バラエティだからバラエティ風に展開するけれど、インタビューを受けている本人がやや涙ぐんでいたり、切羽詰まったその時を追体験してぐっとなっていたりするから、バラエティをこえたバラエティか。

二組目の精神障害者カップルが、いっそう胸に迫った。産婦人科に行くたびに、堕胎されるんじゃないか、と心配だったと語る妻に、補足するように「この人は、統合失調症ですから、被害妄想が強いんです」とつけ加える夫も、同じくトーシツなのが切ない。それでも、夫の側が、妊娠中の妻の混乱に対する姿勢として、突如シャキっとして、妻が強制入院させられている精神科病院でも、挨拶大作戦に転じるところなど、トーシツならではの、生と死にゲンシュクな本質が顕在化して、うむうむそのトーリー!と唸るように頷く。

私の中では、親戚の反対で、産めなかった聾唖者の従妹が、子育てに支援者総動員で頑張った何人かのCPの友人が次々と、乱反射するように思い出される。そして、結局は自分の記憶が大半を占めていく。だって、私も立派なショーガイシャだもの。歓迎されない妊娠も出産も経験済み、子育ても大奮闘したものね。



実は、今日も、のえのミュージシャンとしての部分の原稿を書き継いだ。ここの部分は幾らでも書き継げる事柄がある。どれも省けないような、大切な事ばかり。音楽の判る人に、確認しなければいけない内容にも入ってきている。

だけど、のえのあの診断に向ける日々には、なかなか入れない。
まして、あの最期の日々には、入れる訳がない。


今晩、私は新しく『コミュニティガーデンこうのとり』として、ネット上でもアップした我が庭で、一人水やりをした。夏日が続いて、とうとう枯れてきたパンジーやビオラを、えいやって、力を入れて引っ張り抜いたりもした。
季節の移り変わりが容赦なく、時間の進行を告げる。
そして、月が輝いていた。さっき、見直したら満月ではなく、やや欠けている月。

二年前、本当に彼女にしては珍しく、私たちのために、私のために、ヒデコの留守に、力になってくれた友人。
昔は、様々な活動を地元共にしながらも、私にとって、どこか物足りない、違うって感覚を埋もれさせられたように感じた友人。
いつも、ヒトのウチの事なんて、力になる気はしない。ベロ亭の事はベロ亭の事でしょう!!……
と突き放すように言う彼女には、埋めきれない距離と壁を感じていた。そして、それでいいと思っていた。そういう人だと長い間、思っていた。


全国集会は、六月の半ば、夏日がやや来ていた。炎天下とまでは行かなかったけれど、私は心身共に疲労困憊して、二日間寝込んだ。泥のように寝込み、心はどこかをはいずりまわり、体の芯にある重心が、地球の核に引き込まれるような感覚に見舞われた。のえが私をずしんと引っ張って行くような、そんな感覚。地球の核心には、のえという重心があって、私はその確かさとおもみを感じつつも、疲労の泥沼に足を取られそうにもなった。
三日目、水曜日。私はある市内の人に久々に逢い、家族のうちの二人を、病気で亡くした彼女の話を延々と聞くはめになった。こちらが、のえの事で、ただ、亡くなったとだけ知らせた、その事に端を発した会話だった。

「自ら」という要素が加わる死。誰だって、それを切りだせない事は多々あろう。たとえ私のように、全国放送に出るという選択をしていたって。
私は、切り出せない、切り出したくもない、切り出す必然性もない、その苦さをとことん味わい、しばし呆然とした。
茫然としたまま、私はスーパーで買い物をヒデコと共にし、ヒデコの腕が痛むので、私がハイエースの運転をしていて、車のキーをバックから取り出して、あちこちのドアをあける合間に、そのバッグを駐車場の地面に置いて、そのままにしてしまったらしい。

帰宅して一時間してから気づいた。30分かけてその駐車場に戻った。なかった。スーパーにも届けはなく、警察に紛失届を出した。バッグに入っていた物で思い出せる物はすべて、生活安全課の若い女性の担当に話した。

何かをやってしまいそうだ、と思ったのは、これだった。
これだった。
これだった、と私はかみしめていた。
避けられなかった、と自分のうっかりを棚に上げて思えた事が不思議だった。

免許証も実印も、保険証も各種カードも、いつになく持っていた現金も全て失った。


そして、私は今日、二年前、私をケアするために次にやってくる、田舎道の車の運転が苦手だろう神奈川からの助っ人のために、彼女としては希有な行為のように、花壇の縁の草取りをバッサバッサとしてくれた、現在はウツで、けっして脱原発の行動には出てこない、友人の事を思っていた。

彼女は、かつて恋人を自死で亡くした。それを、ほとんど誰にも語れなかった事だろう。そして、その苦悩が、彼女に「人のために動く」事をせばめさせる要素になったかもしれないと、私はふと自分のこの二週間余りの時間の流れに、いざなわれるように思い至っていた。

誰も、誰にも、何も決めつけてはいけない。そういう人なのだ、と決めつけてはいけない。
脱原発で動けない人、あるいは、人助けができない人を責めてはいけない。

誰がどこで、どう、その人のキャパシティをとおに越える体験をしているかは判らないのだから。まして、それが自死なら。まして、それが魂を押し殺されるのに匹敵する出来事なら。まして、それが、誰にもけっして言えないと思うしかない、長い長い沈黙の月日を耐えなければならない事だとしたら。

私は、のえが亡くなった直後、『死刑廃止』に奮闘する友人に、「しばらく私は『死刑廃止』では何もできないよ」と言ったものだった。『死刑廃止』への思いは変わらないけれど、どうにも何もできない、その事から出発しなければならない、と私の胸も腹も心も魂も言っていた。友人は、少しぽかんとして私を覗いた。

今晩見た、少し欠けているけれど輝く月。
夜の草むしりでふとかさなった、二年前の友の手。

だから、私は何よりも、かによりも、のえの原稿のそばにいよう。
ゆっくりと、静かに、そばにいよう。
時にはガーデンの世話に夢中になりながら。花に水をやりながら。
夜の冷やっこい空気に我に返りながら。お月さまに頷きながら。

私は何よりも、どれよりも、のえへの言葉のそばにいよう。


大飯原発再稼働反対の福井の全国集会のデモが終わった公園で、不意に出逢った、のえの女友達に、私は思わず言っていた。彼女は、大阪の西成からやってきた。
「原発を動かしているものもね。人を自死に追い込んでいるものもね。同じこの日本の国の、全く同じゆがみなんだよね。ねえ、そうでしょう!!」

もともと涙もろい彼女の目は、たちまち涙でいっぱいになった。私はおもむろに胸につけた、私のその日の、私だけが記した意思表示を示した。デモの間に、何人かが目に留め、頷いていたそのメッセージを。

『もうこれ以上、殺すな、死なすな』。

彼女は、感極まって、私たちはしばらく抱き合って離れなかった。



ケイコ
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| ベロ亭から | 23:57 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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