胸が張り裂ける音を聴いた…一つの電話と、二つのメールと
午後11時、夜の早い同じ市内の人には、失礼かもしれない、
そう思いながら、決心して、来てほしいと思っていたIさんに電話した。
一瞬、彼女はわからなかった。私の声が…。
彼女はものを書く人だ。書き言葉で、人やその胸の内を刻む人だ。
大切な言葉を届けてくれた事もある。
時に鋭かったり、時に正直で誠実だったり…。
でも、同じ市内という地の利は、時に残酷に働く。
「三つ、その日はブッキングしているから、
行けるとは、はっきり言えない。行けると言って、行けない、
それはいちばんよくないことでしょう」
そのことを余りに何度も繰り返す。
彼女らしくもないとも思えるし、彼女らしいとも言える。
もしかしたら、彼女とは書き言葉の上だけで、
会っていたほうが良かったのだろうか。
のえの地元でのコンサートを、ありえないほど的確に書き残してくれた人。
あれは、永久に私の心をいやしてくれている。
その人が、
「のえさんにできることがあったかもしれなかったのに、
私はできなかった。
でも、それはそれで仕方がなかった…」
と、一言多かった。
彼女としては、想いを尽くして言ってくれた言葉だと思う。
でも、のちのちに、じわじわとその言葉は残っていった。
ああ、聞きたくなかった。
とりわけ、今日は聞きたくはなかった。
「仕方がなかった…」なんて、聞いてはいけなかった。
かつて、「のえルーム」で「昔ベーシスト」さんが言った。
「これは運命だと思う」。
「運命? なに、それ?」私は、内心、反発した。
これらの言葉は、
遺されたものが悲嘆の底で、
死をじわじわと受け入れ、
向き合っていく事とは、
どうにも性質を異にするとしか言いようがない。
その言葉を私は許していない。
今日も許せなかった。
彼女のことは、よく判っている気がするし、好きな人なのに。
誰に向かって言っているのか。
なにが判っているのかとやはり思ってしまう。
5日の確認の電話一本に、ずたずたに傷つく。
こんなに最良の人と話してすら、ずたずたになっている。
昼間には、ヒデコは、ある自閉症の施設の支援員をする人に電話した。
その施設の9割は自閉症、その9割が知的障害を伴うという。
5日は家の一大イベント、家のお披露目とのこと。
福井の人は、家が一番大事だもんなあ。
彼は、私を気遣って、申し訳ないと言ったらしい。
でも、イベントは多分、
とりあえず関心のないことのように映ったとヒデコは言う。
そんなの、多くの人にとって、当然かもしれない。
でも、生きづらさ・弱さが課題なんだよ。
そこから導きたいことがあるんだよ。
彼には、ふと、私は、
のえの死を余りに自然にもらしたことがある。
言うか言わないかのうちに、
彼はその事実の意味をのみこみ、向き合っていた。
ものすごい判り方で、彼は言った。
「知的障害のない自閉症の人と、僕はちゃんとに向き合えるだろうか」。
私は彼のその言葉が芯から信じられた。
こんな判り方をした人は、初めてだったように思う。
夜、市内の友人に電話した後、
余りにずたずたになった気持ちを抱えて、
ベロ亭の「強力な」友人二人にメールしようとして、
とどまるものがあった。
違う。
私のことを知っている二人だけれど、今はきっと届かない。
DDAC、「発達障害を持つ大人の会」の代表でもある、
Hさんのことが心によぎった。
ほとんど同時に携帯メールの着信音がした。
ハッタツ同士って、こういう本能的な勘が著しく働くのだ。
Hさんからの丁寧な、余りに丁寧な、
言葉を尽くした、
5日に参加できない旨を書いたメールだった。
来ようとしていたけれど、
大阪府の事業を終えたところで、くたくたで、
精神的にぎりぎりの状態が切なく書かれていた。
泣いた。ふりしぼるように、私は泣いた。
来てくれようとしているかもしれない、
そう思う事は虫が良すぎるかもしれないと思いつつ、
そんな気がしていた。
だから、そうだった事がうれしく、
でも、来れないほどの彼女の疲れがつらく、切なかった。
彼女は、DDACと大阪府の事業の一環でした、
私達二人の、大阪での講演の二次会の後、
見送りに一人行った私にこうもらした。
「ねえ、今、ここに、のえさんがいる。
二人のあいだに立っている。」
そして、飲み屋の階段を上りながら、
私のほうを振り向きながら、こうそうっと、つけくわえた。
「私、一人も死なせないからね…。頑張るからね。」
携帯メールを読んでから、
彼女にパソコンからメールした。
ハッタツの私が、むくむくともたげてきた。
誰にも書けない、今の私達二人の実情も、あからさまに書いた。
彼女を疲れさせない程度に。
いや、疲れさせたかな。
でも、彼女は多少のことで、
驚くことはないから、リアルな現実を書けるのだ。
ハッタツを隠してなんか、5日に臨めないと思ってはいたけれど、
その事が判らない人に何をどう言うべきか、
考えるのもつらかったし、それでも、ハッタツを隠したくなかった。
LGBTの前で、私の別の当事者性をはっきりと示したかった。
でも、一人でもその事のおもみが、
その実感が判る人にいてほしかった。
二つの希望が今日はついえた。
いや、三つか。
ハッタツ二つ。
そして、のえの音楽を心底感じてくれた人との、
余りに切ないかすかな希望。
いや、ただ単にハッタツ二つとは言いがたい。
二人とも、のえの生きがたさの中身を、
いやおうなく知っている人だから、自死をも判る含みがある。
さっき、深夜過ぎて、またヒデコにメールが来た。
仕事で来れないというメール。
5日に私達二人が命を削って開催するイベントに、
参加できない事に、
胸がしめつけられるという思いが綴られたTの方からのメール。
映像のもっと深いところにある「想い」まで、聞きたかったというメール。
たまに地方に出向いて仕事をしていると、
トーキョーが遠く思える、地方で昔つらかった記憶をたどるメール。
どうか、お元気で、と彼は結ぼうとしつつ、
どうか、お元気で、と言うのも憚られるくらいの重みを感じている、と綴る。
私の胸が張り裂けた。
はっきりとその音を聴いた。
あの、ツバメに次から次へと、
自らを覆いつくした金箔を、貧しい家に運ばせて、
ついにミスボラシイ銅像と化した、広場の王子の話のように。
ミスボラシイ王子を人々はののしり、あざけり、
王子の胸が張り裂けた音を、しかと耳にして号泣した、
子どもの頃の私の記憶がはじけるように、
自分の胸が張り裂ける音を聴いた。
オスカーワイルドの一言一言が蘇る。
ハッピープリンス。
ハッピーベロ亭。
逆説を生かされる者の孤独と、
皮肉と、
大きすぎる幸せと、
深すぎる悲しみと、
どうにもならない受難と。
Tの彼もハッタツかもしれないと、その余りの感受性に思う。
オスカー・ワイルドも言わずと知れた、自閉圏。
だからこそ、書けたその寓話。
ところで、ハッタツの人たちの自殺率は通常の何倍かな。
おそらく、5倍くらいだな。私の勘にすぎないけれど。
だとすると、私の自殺率は、24倍かける3倍かける5倍。
悪趣味な計算だなんて、言わないでほしい。
誰も、なにも言わなくとも、自分だけは、その内圧の高さを、
かみしめて、いとしんで、
かみしめて、耐えて、もちこたえて、いつくしんで。
人々に手渡してしまった金箔もまた大事に胸にしまって。
誰が渡したか、どこからの物か知らない人たちのことを、胸にしまって。
ハッピープリンス。
ハッピーベロ亭。
ハッピー、のえ。
ハッピー、ハッタツ。
ケイコ
追伸 これを書き終えて、推敲して、
深夜、否、明け方、
ほんとにホントの「パニック発作」が出た。
漢方薬で切り抜けた。
そう思いながら、決心して、来てほしいと思っていたIさんに電話した。
一瞬、彼女はわからなかった。私の声が…。
彼女はものを書く人だ。書き言葉で、人やその胸の内を刻む人だ。
大切な言葉を届けてくれた事もある。
時に鋭かったり、時に正直で誠実だったり…。
でも、同じ市内という地の利は、時に残酷に働く。
「三つ、その日はブッキングしているから、
行けるとは、はっきり言えない。行けると言って、行けない、
それはいちばんよくないことでしょう」
そのことを余りに何度も繰り返す。
彼女らしくもないとも思えるし、彼女らしいとも言える。
もしかしたら、彼女とは書き言葉の上だけで、
会っていたほうが良かったのだろうか。
のえの地元でのコンサートを、ありえないほど的確に書き残してくれた人。
あれは、永久に私の心をいやしてくれている。
その人が、
「のえさんにできることがあったかもしれなかったのに、
私はできなかった。
でも、それはそれで仕方がなかった…」
と、一言多かった。
彼女としては、想いを尽くして言ってくれた言葉だと思う。
でも、のちのちに、じわじわとその言葉は残っていった。
ああ、聞きたくなかった。
とりわけ、今日は聞きたくはなかった。
「仕方がなかった…」なんて、聞いてはいけなかった。
かつて、「のえルーム」で「昔ベーシスト」さんが言った。
「これは運命だと思う」。
「運命? なに、それ?」私は、内心、反発した。
これらの言葉は、
遺されたものが悲嘆の底で、
死をじわじわと受け入れ、
向き合っていく事とは、
どうにも性質を異にするとしか言いようがない。
その言葉を私は許していない。
今日も許せなかった。
彼女のことは、よく判っている気がするし、好きな人なのに。
誰に向かって言っているのか。
なにが判っているのかとやはり思ってしまう。
5日の確認の電話一本に、ずたずたに傷つく。
こんなに最良の人と話してすら、ずたずたになっている。
昼間には、ヒデコは、ある自閉症の施設の支援員をする人に電話した。
その施設の9割は自閉症、その9割が知的障害を伴うという。
5日は家の一大イベント、家のお披露目とのこと。
福井の人は、家が一番大事だもんなあ。
彼は、私を気遣って、申し訳ないと言ったらしい。
でも、イベントは多分、
とりあえず関心のないことのように映ったとヒデコは言う。
そんなの、多くの人にとって、当然かもしれない。
でも、生きづらさ・弱さが課題なんだよ。
そこから導きたいことがあるんだよ。
彼には、ふと、私は、
のえの死を余りに自然にもらしたことがある。
言うか言わないかのうちに、
彼はその事実の意味をのみこみ、向き合っていた。
ものすごい判り方で、彼は言った。
「知的障害のない自閉症の人と、僕はちゃんとに向き合えるだろうか」。
私は彼のその言葉が芯から信じられた。
こんな判り方をした人は、初めてだったように思う。
夜、市内の友人に電話した後、
余りにずたずたになった気持ちを抱えて、
ベロ亭の「強力な」友人二人にメールしようとして、
とどまるものがあった。
違う。
私のことを知っている二人だけれど、今はきっと届かない。
DDAC、「発達障害を持つ大人の会」の代表でもある、
Hさんのことが心によぎった。
ほとんど同時に携帯メールの着信音がした。
ハッタツ同士って、こういう本能的な勘が著しく働くのだ。
Hさんからの丁寧な、余りに丁寧な、
言葉を尽くした、
5日に参加できない旨を書いたメールだった。
来ようとしていたけれど、
大阪府の事業を終えたところで、くたくたで、
精神的にぎりぎりの状態が切なく書かれていた。
泣いた。ふりしぼるように、私は泣いた。
来てくれようとしているかもしれない、
そう思う事は虫が良すぎるかもしれないと思いつつ、
そんな気がしていた。
だから、そうだった事がうれしく、
でも、来れないほどの彼女の疲れがつらく、切なかった。
彼女は、DDACと大阪府の事業の一環でした、
私達二人の、大阪での講演の二次会の後、
見送りに一人行った私にこうもらした。
「ねえ、今、ここに、のえさんがいる。
二人のあいだに立っている。」
そして、飲み屋の階段を上りながら、
私のほうを振り向きながら、こうそうっと、つけくわえた。
「私、一人も死なせないからね…。頑張るからね。」
携帯メールを読んでから、
彼女にパソコンからメールした。
ハッタツの私が、むくむくともたげてきた。
誰にも書けない、今の私達二人の実情も、あからさまに書いた。
彼女を疲れさせない程度に。
いや、疲れさせたかな。
でも、彼女は多少のことで、
驚くことはないから、リアルな現実を書けるのだ。
ハッタツを隠してなんか、5日に臨めないと思ってはいたけれど、
その事が判らない人に何をどう言うべきか、
考えるのもつらかったし、それでも、ハッタツを隠したくなかった。
LGBTの前で、私の別の当事者性をはっきりと示したかった。
でも、一人でもその事のおもみが、
その実感が判る人にいてほしかった。
二つの希望が今日はついえた。
いや、三つか。
ハッタツ二つ。
そして、のえの音楽を心底感じてくれた人との、
余りに切ないかすかな希望。
いや、ただ単にハッタツ二つとは言いがたい。
二人とも、のえの生きがたさの中身を、
いやおうなく知っている人だから、自死をも判る含みがある。
さっき、深夜過ぎて、またヒデコにメールが来た。
仕事で来れないというメール。
5日に私達二人が命を削って開催するイベントに、
参加できない事に、
胸がしめつけられるという思いが綴られたTの方からのメール。
映像のもっと深いところにある「想い」まで、聞きたかったというメール。
たまに地方に出向いて仕事をしていると、
トーキョーが遠く思える、地方で昔つらかった記憶をたどるメール。
どうか、お元気で、と彼は結ぼうとしつつ、
どうか、お元気で、と言うのも憚られるくらいの重みを感じている、と綴る。
私の胸が張り裂けた。
はっきりとその音を聴いた。
あの、ツバメに次から次へと、
自らを覆いつくした金箔を、貧しい家に運ばせて、
ついにミスボラシイ銅像と化した、広場の王子の話のように。
ミスボラシイ王子を人々はののしり、あざけり、
王子の胸が張り裂けた音を、しかと耳にして号泣した、
子どもの頃の私の記憶がはじけるように、
自分の胸が張り裂ける音を聴いた。
オスカーワイルドの一言一言が蘇る。
ハッピープリンス。
ハッピーベロ亭。
逆説を生かされる者の孤独と、
皮肉と、
大きすぎる幸せと、
深すぎる悲しみと、
どうにもならない受難と。
Tの彼もハッタツかもしれないと、その余りの感受性に思う。
オスカー・ワイルドも言わずと知れた、自閉圏。
だからこそ、書けたその寓話。
ところで、ハッタツの人たちの自殺率は通常の何倍かな。
おそらく、5倍くらいだな。私の勘にすぎないけれど。
だとすると、私の自殺率は、24倍かける3倍かける5倍。
悪趣味な計算だなんて、言わないでほしい。
誰も、なにも言わなくとも、自分だけは、その内圧の高さを、
かみしめて、いとしんで、
かみしめて、耐えて、もちこたえて、いつくしんで。
人々に手渡してしまった金箔もまた大事に胸にしまって。
誰が渡したか、どこからの物か知らない人たちのことを、胸にしまって。
ハッピープリンス。
ハッピーベロ亭。
ハッピー、のえ。
ハッピー、ハッタツ。
ケイコ
追伸 これを書き終えて、推敲して、
深夜、否、明け方、
ほんとにホントの「パニック発作」が出た。
漢方薬で切り抜けた。
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| 自閉圏のつらさと豊かさと | 02:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑