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「父ちゃんだと思っていたら、母ちゃんになったり、なんなんだあれは」…ある「分かち合い」と報道と

私は、自分が何者でもない、という「とらえがたさ」から出発して、だからこそ、「何者でもあるはずだ」と、自己形成に至った人間なので、本来ならカテゴライズするという事象から最も遠くにいる類の人間だと認識している。
だから、自らを「レズビアンマザー」と名乗る時、ヒデコとの出会い、5人の子どもを共に育てた事実、彼女との35年のパートナーシップという、個人的な出来事の集積としての横軸と、歴史的な時間の流れという縦軸を、自分の脳と心と魂でよしとして、ある種リアルに胸に落としている。

このブログに書く時も、相方はカテゴリーの欄を書き忘れるくらい「自由…野放図」な一方で、私がカテゴリーを一々考えるのは、そんな訳でいたってアイロニカルな現象だ。

書き出しが、なんだか、論文か何かみたいな調子で、かために映ったとしたら要注意。
要するに、これから書こうとしている事柄が、「虹色カミングアウト」にも「自死のタブーを見抜く」にもおさまりかねる事を、私は意識しているので、ここまで「えらそうに」前置きしちゃうのです。

それは、身内の「自死」を「分かち合う」目的で持たれたある集まりでの、ごく最近までの数ヶ月間、ヒデコにすら語れなかった、私の、屈辱的とも言える、手痛い体験です。
一人で胸にあたためてきた分、確かに見えてきたものを、そろそろ表出する時期かと思い、ブログでの告白とあいなりました。

本当は私が体験した「分かち合われなさ」の一部始終を書きたいし、書かなければ伝わらないのでは、という思いもあります。ただ、今の私にはそこまでの必然性と余裕がないのが、たった今感じる心臓の動悸からも察せられます。最近の私は、否、私たち二人は、何事につけ、命をまさに削っているような気もします。胸が縮む、とか、単に比喩ではないなと、言葉の意味を刻みなおす日々です。だから、この告白も凝縮して短めに…。

その会は、お子さんを亡くされた方が多いというのが、私のかすかな希望と探究心をかりたてました。息子さんを亡くして間もない、涙が止まらぬ方が隣りにいて、私は瞬時に彼女の嘆きの意味をとらえ、必要な言葉を返したりもしました。彼女をケアしていた代表はそんな私の態度をよろこばしくは感じていないようでした。
自己紹介は私が二番目。私はテレビ映像を通して、娘の「自死」とその悼み方が取り上げられてすら、多くの人が番組の感想として、メインテーマとは切り離して、その事に沈黙を守るつらさを訴えました。その場で、わずかでもその痛みを分かち合いたかったのです。メインテーマが何かを伝える気は、その時点ではありませんでした。

私の自己紹介はそんなに長かった訳ではないのに途中でさえぎられました。後に続いた方々は、だらだらしゃべってもほとんどそんな事はありませんでした。
自己紹介後の雑談の時、隣りの席の人の体をさすったりはしたものの、私の側の事が誰からも取り沙汰されることはありませんでした。私は何回か思い切って、他の方に話しかけたりもしました。が、会話は成立しませんでした。

それなりもちこたえて、ぽつんとしていた長い時間が過ぎた後に、急に私の心身が抵抗を始めました。気分が悪くなり、私はテーブルにつっぷしました。
「どうなさったの」と心から声をかけてくれたのは隣りの方でしたが、一同のまなざしが集まったのも事実です。

私は、私の自己紹介がさえぎられた理不尽さを訴えると共に、なにかが溢れるように、「レズビアンマザー」としてカミングアウトをしていました。詳細は忘れましたが、おそらく「女二人のパートナーシップの中で子どもを育てた事実」として伝えました。番組のメインテーマで、すでにほとんどどこでも必要なら自然と出すようになっていた「レズビアンマザー」である事実を、娘の事を語りたいと臨んだこの会で出さないのは、私にとってきわめて不自然な事だったからです。

リアクションはすぐに来ました。初老の男性でした。
「テレビを観ていても、訳がわからんよなあ。父ちゃんだと思っていたら、母ちゃんになったり、なんなんだあれはと思わんかあ!!」
彼にとっては、まぎれもなく他愛もないお茶の間談義の延長でした。が、こちらはそのまま聞き流している訳にはいきません。胸張り裂ける思いを抑えて、私は精一杯冷静さを保ちながら、いわゆる性的指向と、性同一性障害の違いを、かいつまんで話したりして、誤解をとき、少しでも理解の糸口をつくる方向へと話を持っていきました。

この初老の男性とのやりとりが、やむなく続いた折には、
「その人たちのことをそんなふうにおっしゃるというのは、死んでもいいと思っているんですか!!」
とも投げかけました。このときだけは、決然としてややつよい口調になりました。
「死んでもいいのか」
という問いかけは、自死遺族こそ判らなければならない、最も切実な物言いだからこそ出てきたのかもしれません。
と同時に、私の中で、何人もの知り合いや友人のトランスの人たちの顔が浮かび、点滅し、ここで彼ら彼女らを守らねばいつ誰が守れるものか、との思いが集まりました。

それにしても、私は私が何者であるか、という事を伝えようとしていたはずです。にもかかわらず、お茶の間談義の延長で、トランスの人たちの立場を必死で守る事となりました。
と同時に、目の前の人たちに、亡くなった身内が性的少数者であることを言えずにいた場合もあるかもしれないですよ、ともつけくわえました。場は鉛のようで、何も浸透していかない感覚がありました。

少しして、LGBとTの違いが伝わらない中、私の語りがややレクチャーめいてきて、
「ここは分かち合いの席ですから」
という代表の声かけで、またもや私の話は中断されました。

何事もなかったかのように集まりは進行していきました。私は、私自身が「レズビアンマザー」として娘を亡くした事実を分かち合うどころではなくなりました。なぜなら、「レズビアンマザー」であるという事実にすら、この場では、あの初老の男性の一言で、到達できなくなってしまったからです。誰も私に話しかける人はいませんでした。

ほどなくして、私は、
「ここは私にとって『分かち合い』にはなりませんから…」
と言って立ち上がり、その場を去ろうとしました。
「ああ、それなら…」と代表。が、やはり私に去られてはまずいと思ったのか、引きとめようともしました。そこで私は、
「私はただこの方と少し話したいだけです」
とさっきの初老の男性を示しながら、場に向けて語りました。すると彼は即座に、
「この集まりの後は先約もあるし、とてもあなたと話す時間などないわなあ」
と返ってきました。
「それは私とコミュニケーションする気がないという意味ですね」と私。
その時、場に集ったほとんど全ての人が、
「そんな言いかたはないでしょう!!」
と私に返してきたのです。驚きました。その場が私を拒否しているようにも映りました。
「もちろん、私もそちら様とお時間をとってお話したい訳ではありません。今、この場で二、三分だけいただければと思っているだけです。」

私は真剣にその二分ほどを、声を低めて静かに語りかけました。LGBTの自死の問題、そんなふうに、お茶の間談義から発する違和感を言ってくれる事から大切なコミュニケーションが始められる事をこそ、大切にしたいと思っている事、などなど…。もちろん、うんとかみくだいて、判りやすい言葉でです。この場での事はこの辺にしておきます。

さて、この一件は、二つの発見を私にもたらしてくれました。

まず、一つ目は、自死遺族の集まる席で、性的少数者である事を同時に出す事に伴う大きなリスク。この部分は、あえて言えば、代表の会の進行も含めて、『差別事件』とも言える展開でしたから。

二つ目は、Tことトランスジェンダーと、LGBことレズビアン・ゲイ・バイセクシュアルの混同がもたらす混乱が相当なものだという事でした。繰り返しますが、Tは性の自認の事、男女の境界を超えるような思いを持つ全ての人々を含む言い方ですが、その中に、『性同一性障害』というくくりで、法的にも戸籍の性別変更が限定的に認められていたり、また、障害として認められていたりもする方々の事です。ざっくりとした言い方ですけれど。
そして、LGBは性的指向、誰を性的なものも含めて愛の対象とするかという事です。

マスコミに露出している人は、トランスの人たち、ゲイの「おねえ」たち、といった傾向がいやおうなく強いのはどうしてでしょうか。そして、レズビアンがまずほとんどメディアに登場しないというのは、どうしてなのでしょうか。
そこには、紛れもなく女たちのおかれた、いまだに経済的に不利だったり、社会的に物事をとらえる訓練を怠っていたり、という側面もあるように思われます。

トランスの人たちは人たちで、複雑にしてデリケートな綱渡りをしながら、人生における立ち位置を探っていることそのものは、私にもはずせない大切なコトでもあります。

でも、その事で、特にレズビアンの存在、はたまた、子を持つレズビアンマザーの存在がかすんでしまうとしたら、それはそれでやりきれない事です。なぜ、女性同性愛者はカミングアウトしにくいのか、なぜ子を持つレズビアンマザーは、こういう家族もあるのよ、と言う機会を奪われがちなのか、その事の考察なくして、法律的に一部だけ擁護されている側面を持つトランスの人が、なぜ顔を出すやすい側面があるのか、特に報道関係者は、その事について、バランスを欠いた安易な出し方をしないように心得ていただきたいと、切に念じる結果となった、ある『分かち合われなかった』集まりにおける、私の手ひどい体験がもたらした発見でした。

私は内面的には、自分がむしろ「男の子」のようである事を意識して生きていた時代が長かった気がします。外見的な違和感がなかったのは、外側との関係に無頓着な特性を持っていたがためかもしれない、と最近は思い始めています。ただ、子どもを産んだり、育てたり、生活者として生き抜く体験は、なんらかの「女」としての感性のようなものを、私に培ったような直感だけは紛れもなくあるかと思います。それとても、本当は根底から問われなければならない、直感でもあるかと考えるところですが。

ある時、トランスの方に、そんな私がおのずと携えてきた「内面的な男の子」の面について、ふともらしたところ、「内面なんか関係ないのよ」とそっけなく返されたことが、大きな疑問符と共に印象に残っています。その方にとって、外見的肉体的違和感が最大公約数的なものであるとしたら、当然の返答だったのは、それはそれで判ります。

ちなみに、Trans とは、「越えて・横切って・貫いて・…の向こうに・後に・別の状態に」という意味の接頭辞です。スペイン語でも英語でもほぼ同じでした。
私の好きなスペイン語transparente 透明な・にも、この接頭辞がついている事は、言葉から世界を理解する私としては、とりわけ大切な思索に誘ってくれるように思えます。

最後に、私はこの小文で、「分かち合われなかった」事柄から深めざるをえなかった考察を取り上げたのだ、という事実を、あえておさえておきたいと思います。

ケイコ
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| 虹色カミングアウト | 15:44 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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