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絶望の只中で見た『ペーパーバード』、ゲイファザー映画と見たり

もっと、早くこの映画については書きたかった。
でも、大阪行きがあって時間がなかった。
少し薄まったかな。
いや、薄まってはいない。
大阪ではまた、いくつかのことを切り拓いてきた。
孤軍奮闘は終わらない。
絶望の只中であっても。

そうだ、私は間違いなく絶望している。
今の日本の、見ない、聞かない、言わない現実の全てに。

心の重荷が自分の中にあってすら、見ない、聞かない、言わない、
そんなLGBTの人々の、いかんともしがたい無力さに、底の浅さに、
心底絶望している。
ここまでつながれない、伝わらない、とは思わなかった。
ここまで、現実感覚や、他者への想像力が欠如している、
そんな人々ばかりだとは思いたくなかったし、思わなかった。
だが、しかし。

もちろん、LGBTだけではない。
日本全体が、真実、すなわち事実の錯綜した蓄積の中にある、
物事の本質を見る目を失い、本当の事を見分けて「たたかいぬく」、
そんな力を失っている、というのは、この一年の、
一言で深い、なんて言うのもはばかれるほどの絶望だ。
それは、私の絶望でもあるけれど、
しかしながら、私は絶望などしている暇はないのです。

この日本が放射能にまみれて、なくなっていく前に、
やっておかなければならない事が沢山あるからだ。
自分自身の人生をまっとうするために、
せめて手をつけなければならないことが幾つもあるからだ。

そんな只中で観た映画が二本。
『黄色い星の子どもたち』、
フランスのヴェルディプ事件を真正面から扱った映画だ。
福井市にあるメトロ劇場で、
のえの生誕日への自分へのプレゼントとして観た。
数回前のこのブログにも書いた『サラの鍵』にも連なる。
これはこれでいつか書きたい。
震えた。泣いた。怒った。しんとした。震撼とした。
そして、私の腹の底からずしんととどまるものがあった。

原題は『伝説』の一言。邦題ってセンスないよなあ。

さて、三日後にまたDVDで続けて映画を見る、
そんなことは実に久々だった。こんなに立て続けに観ること事態が。

『ペーパーバード…幸せは翼にのって』。
皆さん、どうか観てください。けっして検索などしないで観てください。
レンタルDVD屋さんにありますから。
映画紹介も、あらすじも、嘘しか書いてありません。
あの映画紹介やあらすじで、観る目を失う人が沢山いたかもしれない、
この映画を観終わってから、検索して、つくづくがっかりしたんですから。
罪深い映画紹介やら、あらすじです。

なぜなら、あの映画の一分一秒に刻まれている、
切ないくらいのデリカシー、こわれそうなやさしさ、あやういまでのうつくしさ、
それでも、やむことない、生きる事への意思。
そんなものは、けっして単純な検索作業の中からは読み取れないからなのです。
先につまらない説明なんて読んでしまったら、
その微妙な映画の間(ま)や役者一人一人の表情、
また、その一つ一つがしんしんと意味するもの、しみじみとした感覚の奥行きを、
今の日本の人々のほとんどが見失ってしまいかねない、そう危惧するからです。

私はまた例によって、朝日新聞の沢木耕太郎の映画評で、
いつか観たいと思って、食卓の前のカレンダーに題名だけ記しておいた。
そして、映画評の中身はいつしか忘れていたのです。
それが観る上で、この上なく良い結果をもたらしたことは幸いでしたね。

ペーパーバードとは、早い話が折鶴のこと。
どこにでも出回っているんですねえ、この日本文化。
でも、これはシンボリックにこの映画では働きます。
サブタイトルの「幸せは翼にのって」、特に意味はありません。
映画産業の妥協の産物に過ぎません。

映画が始まって、スペイン語であることに狂喜しました。
あれ、アルゼンチンかな、いや、やっぱりスペインのスペイン語だ。
町並みもどう見ても、南米なんかじゃないなあ。
間もなく、字幕を見ていない自分に気づいて、
まだまだスペイン語を忘れていないことが嬉しかったものでした。

映画は、スペイン内戦時代から始まり、
内戦終了後のフランコ政権の圧制の中での、旅芸人たちの姿を映し出す。
うーむ、主人公の男優、しびれちゃったなあ。
久々。渋い。苦悩が深い。
なのに、喜劇役者。コメディアン。うーむ、だからこそなんだけどなあ。

Jo soy comico  …  ジョッソイコミコ
そう、彼はコミコなんです。

家族全員を内戦で亡くした主人公。
一年後、劇団に復帰する彼。
舞台の相棒との再会。
突然、現れた11歳の男の子。

『黄色い星の子どもたち』の主人公も11歳。
『サラの鍵』のサラも11歳。
孫のイオン君も11歳。
不思議な符合です。

ところで、語るのやめます。
ストーリーなんか話してしまったらもったいない。
お涙ちょうだいなんかじゃ、全然ない。
体制と反体制が、くっきりと割り切れなんかしやしない。
人の、光と闇が、光と闇のまんまにあるわけなんかありゃしない。

紛れ込み、なだれこみ、人と人が、出逢いながらも、反発しあいながらも、
お互いを必要な相手として見出していく、そのプロセスそのものが、
レジスタンスなんて域すらこえて、人間の存在のあり方の根源に迫るシーンの数々。

若い読者君。レジスタンスって判るよね。
抵抗って意味だけど、その奥行き、知っているかな。

私とヒデコは、この映画。
実のところは、ゲイ映画と見たり。
つけ加えて言うなら、ゲイファザー映画と見たり。

敵も味方もないよ。
人間みな、つながれるときはつながれる。
伝わるときは伝わる。
伝えなければならないときは伝えられる。

そんな基調低音みたいなこの映画のトーンがたまらなく胸に来る。

自分のデリカシー、切なさ、孤独、絶望、
それでも人とつながりたい、
人に伝えたい、
そんな気持ちをもてあましている人、必見映画。

言葉のアナーキスト、と勘違いされている私、ケイコのお気に入り映画。
私はただ、時には言葉で過不足なく伝えることが大切なだけの人間。
私はただ、沈黙すら、存在の底から光ることがあることを知っただけの人間。
そんな私のおすすめ映画。

ゲイの人も、そうでない人も、見て、間違いなくじーんと来てしまうはずの映画。
もしもあなたが、まだデリカシーを失っていないのなら。
日本のいつわりの末期的繁栄を見まちがえていないのなら。

日本の戦後の大衆のことを、吉竹輝子さんがこう語っていた、と、
尼崎で女性センターのある専従を、不思議な位置でする友人が言った。
「あの頃は、日本人の誰もが暗黙のうちに、困難を抱えている事が当然だった。
それをひるまず出せた時代だった。」
とかなんとか。

困難ってなんだろう。
苦労ってなんだろう。

底の底から光るもの。
それはどんな困難も、すすんでかう苦労も、突き抜けて光るものであるはずだ。

内戦も、人の闇と光も、罪も罰も、突き抜けた向こうにあるものへと。

とにかく観てください。
そして、どうかコメント欄に書き込んでください。

そして、交わしたい。
人と人が、芯からつながるということがどういうことであるかを。
人と人が、芯から伝え合うということがどういうことであるかを。

あるいは、ゲイ映画かどうかすらも。
ゲイ映画なんかじゃなかったとしても、何であったとしても、
人と人が根源的に求め合うことのあつみとおもみと深さに思いをはせるために。

どうか、年越しにでも、お正月にでも観てください。
ケイコからの心からのお願いです。

ケイコ



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