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時代をしのぐ普遍的な思索の困難さのメタファーとして

けっして、めげている訳ではない。
けっして、望みがない訳でもない。

だが、昨日と今日と、思索の軸を大幅にずらすか、
変えるかしなければ、
という深い必然性に見舞われて、
一昨日までの日々ときっかりと隔たったところで、
しかしながら、一昨日までの余韻は余韻として、
おのずと探索の旅にゆっくりと委ね始めた私がいるのは事実だ。

昨日、最近は定期的に行くようになった隣りの市の図書館で、
『「恥ずかしさ」のゆくえ』と題した書物に、
新刊コーナーで、おそらく何かにひっかかるように巡りあった。
著者は、言語政治学と社会言語学が専門という、
菊池久一氏、みすず書房刊。

私にとって、「恥」とか「恥ずかしさ」とか「羞恥心」と言った事柄は、
実はここ数カ月、大きくひっかかっていることにもつながる、
課題を引きだしてくれそうにも思えた。
それがなんであるか、どういう背景であるかなど、
ここでは親切ごかしに書くことはしない。
そこまでの大判ぶるまいはもうしまい。

「恥」から並べた三つの言葉に、深い思索と洞察の第一歩を見ない、
そんな読者なら、ここで読むことをどうぞおやめなさい、
そう言ってもいい。
何言ってんの? 恥ずかしさ、ですって。
それが、何か思索の種にでもなるって訳?
そう思うなら、そう思えば全然いい。

この書物の筆者は、様々に「恥ずかしさ」を巡る考察をしながらも、
それに対置するものとして「廉恥心」という、
ある種、超越した概念を用いてもいる。
が、それについては、今日は深入りしない。

さて、30数年の生きに生きた日々から、一言一言をびしばし、ひねり出した、
今の今も血も滴るような言葉たちを、
「トンビが揚げをかっさらう」というようにではなく、
しかしながら、私がぼんぼんと、あたかも何事でもないかのように発語し、
それを聞き取っていった人たちとの、その関係とは何なのか。
そこをしかと胸に刻み、問わずしては、私は私として、
もはや立ってはいられない、という危機と言うほどではないが、
とりあえず対象があんなにもあったにもかかわらず、
紛れもなく忽然と眼前から対象を喪失したような、
深い空しさと、今さら言うのも憚られる戸惑いの中で、
私の思考と感覚が、とてつもない大きな疲労感と共に、
深い水脈から言葉を探している時間が過ぎて行く。
当たり前の忍耐も、気が遠くなるような時代の落差も、のみこんで、
私は私の答えを本当に見出せるのだろうか。
この長い、トンネルのような、
先の見えない「私」と「時代」の間で。

相方は、4日間のおさんどんに、食事作りをしばらく休みたくなる、
というほど、さすがに昨日は疲れはてていた。
おそらく、娘や息子が来た時よりも、「不思議なことに」相当働いたのか。
それとも、「当然ながら」働いたのか。
関係を初めて、時代をこえて構築し、はるばる来た客人には、
「語り合う」ということを優先させて段取りしなければならないから、
ほとんどの事はやむをえないようにも、映るけれど、
私たちの大判ぶるまいは、一体いつまで続くことになるのか、
という、重すぎはしないけれど、けっして軽くはない感覚が、
わずかに浮上してくるという事態にも、
その只中ではともかくして、喉元過ぎた疲労感の中では、
言わずもがな見舞われた。

還暦前後という、二人の熟年の女を前に、
それでは、人々は一体何を見ようとしているのか。
はるばると、いとしくも、
距離も時代も、差異も意識も飛び越えて、
あるカテゴリーにくくれる少数派として共通項があるとして、
それでは、どこまでお見せし、語り、届け、
滴る血と涙を、そうと見える形ではなく、
すでに結晶となった言葉として届ける時、
何を私たちはしていることになるのか。

とおに見えなくなった、悲嘆の対象にすら、
にじり寄りながら、私は訊く。
なぜなら、その存在は、そんな営みにすら至らずにして、
逝ききった、というおもみと共に、
私の存在としての「恥」を常に問うてくる者としてあるからだ。
その「恥」と共に、私の思考は深まりを余儀なくされているからだ。

あえて言う。
ここで言う「恥」とは、
いわゆる日本的な恥とは一切関わりがない。
存在の根源的な「恥」としてある。


さて、それならそれで、
それは、出すぎた、ただの大判ぶるまいに過ぎず、
ただ、命削る空しき営みに過ぎないのか。
あるいは、はるかな未来に一歩ずつ近づいていく、
希望への胸ふるえる試みとでも言うべきものか。
何がどうあろうと。
一つ一つの問いを問い、言葉を言葉にし、
物語る場を手放さないならば。

届くのか、届かないのかを越えて、私の思索は巡る。
昨日、ひっかかって手にした一冊の書物と共に。


沖縄戦のさなか、集団自決を余儀なくされた、鈴木洋那さんの物語から、
私はあくことなく思いを巡らし、思いを凝らし、
自分の立ち位置と、そこでの立ち方をも確認しなおす。

鈴木さんは、義兄の手による集団自決で死にきれなかった生き残りとして、
こう語る。
「沖縄で自決を軍人が命令したとかしなかったとか…、わしらは命じられれば
自決する教育を受け取ったんです。だから自決したんです」。
そういう鈴木さんは、家族や自分に出刃を向けた義兄にまったくの恨みはないという。

その伏線として…。
彼は、捕虜収容所で傷が癒えてから、好奇心で他のテントを覗きに行って、
多数の日本兵の捕虜を目にしたことで驚くのみならず、
「生きて虜囚の辱めを受けるな」との教えに忠実であれば起こり得ないはずの、
光景を目にするという、「怒りをも凌駕する衝撃的な出会い」を経験する。

以下、鈴木さんの回想の一部より。
その先生、捕虜になってね。無傷でね、生き残っとったの。
で、先生! とよんだらプイと、顔を逸らせた。
そのとき、嘘でもいいからなにか一言いってくれればよかった。
だからねえ、悔しい、というか何と言っていいのか。
鬼畜につかまったら…(中略)…。だから死して虜囚の辱めを受けるな、
死なねばならぬ…先生は三年生から六年生までずっと、
そんなことを教えたんです。先生は偉い人だから、わしら子どもは信じました。
そんな教育したんだからねえ、何かお話があっていい。(後略)

一方で、全く同じような立場で助かり、やはり軍国主義教育の実践者だった、
別の先生に会った別の生徒のエピソード。

敗戦後のある日、沖縄地上戦を生き残った教え子が、
その先生にばったり再会したときのこと、「きみらには、すまなかった」と
「開口一番、自らの過ちを道のど真ん中で詫びた」という。

この二つの、対象的な究極のエピソードが伝えること。

学友が多く戦死したというに俺は生き残った、とのいわれなき罪悪感に苦しむとき、
ばったり出会った先生が、前述の先生のごとく目を逸らせば、
その生徒は自分の生を恥じ、人生を否定すらしかねなかった、とも言える真実。

以下、24頁後半からの長めの引用。若干言い回しは、判るよう便宜的に変更した。

教え子の直接的視線を、顔を背けることなく「引き受ける」とき、己にとつては、許しを請う姿勢ではあっても、恥ずかしさの感情は起動されないのではあるまいか。また教え子にとっても、その教師の態度は、すぐには許しがたいものではあっても、「恥を知れ」という感情の対象にはならないのではないだろうか。一方、道のど真ん中で詫びた先生と元教え子との間には、己の過ちを認めるその姿に、先生との間に過去に結ばれてきた、教え子との間の継続的な「物語的」関係を保ち続けようという意思を確認できるのではないか。先生が教え子との視線を自らの内面に照らし続けてきたことが、目を背けた先生との違いとして現れたのだろう。
しかし、目を逸らした先生のような人間が、顔を背けることによってそれまでの関係を断ち切ろうとするのは、元教え子だけではないのではないか。軍国主義教育を支えた一連のシステムもその一つ。だがそうしたシステムは、自分も含まれる、固有名をもった実在する人物が支えたという事実が、その被害者によって知られてしまったとき、それまでに教師と教え子との間に築かれた、両者の「信」に基づく関係性は、実は偽物であったことが暴露されるのだ。国家の権威を盾に不実な行為を行ってきた者がとる態度は二つ。率直に詫びるか、顔を背けるか。

ただし、その場合も、取られる態度は二通りに分かれるだろう。すなわち、いかに自己の選択の余地がまったくなかったように見えようとも、少なくとも規範を受け入れたのは最終的には自分なのだという意識を抱き続ける立場と、システムの暴力性ゆえに従わざるを得なかっただけで己に責任はないとする立場である。戦争といった極限的状況においては、後者の立場をとることもやむを得ないかもしれない。
しかし、親族に手を掛けた義兄に恨みを感じない立場は、おそらく前者からしか生まれないのではないだろうか。たまたま生き残ったとしても、自害せずにさらに生き続けることを選んだのは己であるという、己の「責任」を意識しているかぎり、自らの罪悪感に悩まされているのであり、むしろ義兄に対しては「共感」さえ感じているのではないだろうか。義兄を許したのかと問われて、「許すもなにも、恨んだことはないですよ」と答える態度は、すべてはシステムのせいであるとする立場からこそ「許す」という発想が生まれるかのような状況に対する痛烈な批判となっているのだ。
 
 傍線部分を読んだとき、その洞察の深さに身震いし、涙が溢れた。
 これは、なにも、沖縄戦のさなかという、極限状況でなくとも、
ある種、鋭い普遍性をもって言い切れる側面も持っているのではないかという、
私自身の深い気づきと共に。

 私は、、時代をこえて、大切な出会いを、どう紡ぎ、
どう物語として語りだすか、という
たった今立ち始めた、入口のところで、
同時に、この書物の第一章にも立ち止まっている。

 えっ、なんのことやら、判らないって?

ヒントくらいは言うことにしようか。

 時代とは、システムを網の目のように張りめぐらした、
目くらましの、絶望すら絶望と認識できる覇気を喪失した、
この時代のことである、ということぐらいは。

 そんな荒んだシステムの只中で、物事の本質を見きわめ、
自他共に敬意を持って、生き抜く姿勢を保つ、
その困難さのメタファーとして、
あの沖縄戦の只中で、時代のシステムと、
一人一人がどう向き合ったかがある、ということぐらいは。

ケイコ
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