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朝から騒音で眠れない、でも、のえ、オールライトだ、やるからね(夜に加筆)

まいったなあ。やっと、7時間くらい睡眠を維持して保っている私の現在の健康。
漢方で、うまくいくと6時間眠れたり、まれに9時間くらいってこともあるけど、
今は、ほぼ、漢方でそれも生薬煎じたやつですよ、それで4~5時間、
それから、西洋薬の一番軽い睡眠剤マイスリー10ミリで、2時間くらいからよくて4時間。

そんなんで、なんとか、合せて6~9時間の睡眠時間を保っています。

それが、時々朝方、マイスリーをのんでも全然きかなくて、
それも一日量の最大の10ミリグラムに今は戻ってしまっているのに、
それでも効かなくて、やや深刻になっています。
放送以前の上向きだった一月頃は漢方と軽い抗不安剤ほんの少しで、
9時間くらい、ゆったり眠れていたし、
それ以降も、マイスリーが必要といっても、
今の四分の一から半分の量でよかった、というのにです。

しかも、どうも、最近の私には鍼灸治療より、
一日五千歩から八千歩くらいのウォーキングで歩いたほうが、
眠れるということにつながるみたいです。

なんと、今日は5時間とちょっと。
漢方で安眠したあと、漢方のこの眠りはとても質がいいのですが、
そのあと、やれやれと観念してのむしかないマイスリーが効かないときは、
本当にくやしいです。
二日それが続いたときは、副作用のふらつきだけに襲われます。
起きてから、そう四、五時間くらいの間は。

これって、昨年六月発覚した例の抗ウツ剤レスリンの、
媚薬のような睡眠作用が私の眠る機能を壊してしまった、
その現実から今もまだ這い出れていない、という現実であるのです。
こんちくしょー。レスリンのやつめ、って思ったって、
加齢もあるから、それと共に眠りにくくなっているのもあるかも、
また、ここのところ、頭がどんどん回転し、緻密に、微細に、
三百六十度という感じで、縦横に、南北に、
詩でも、哲学でも、小説でも、って感じで頭が吸収したがるので、
ゆっくり寝ている、という状態と相容れない感じでもあるのです。

まあ、こんな頭のさえ方というのは、
20年ぶりくらいかもしれません。
現に、20年ぶりに詩まで書いてしましました。

カミングアウトして、
ヒデコがしばらくして、霧が払われたみたいに、
すごく頭が晴れて、実際頭がよくなったと思う、
と言っていました。

やや遅れてですが、私もそれを感じるようになりました。
いえ、それ以前から、去年の闘病生活のつけで、
もう止めてというか、どうにもならないほど止まっていた頭が、
もう働きたい働きたいと今頃になってやむにやまれず駆り立てるので、
要するにそのせいと、カミングアウトのせいと、
つまりはその相乗作用だったんでしょうね。

でもねえ。
私の体、まだまだ充電が足りないバッテリーのようなもの。

それにしても、ここんとこはものすごく元気になって、
人と電話でしゃべりまくったり、
本当に、色々な人と話しまくっていますよね。
だって、会えないなら、肉声で、というのが、
最も私らしい手段だと思っていますから。
まあ、それはそれは、よみがえったというしかないほどの
変貌ぶりだったことは確かです。

私の敬愛するまあ、昨年の副作用事件では命の恩人とも言うべき、
女性鍼灸師の先生は、時々まとめて眠れる時があれば持つでしょう、今なら。
そう昨日、言ってくれましたけどね。

おまけに、今日は、さてこれから後半の眠りっていうときに、
隣接する田んぼの田植えの準備が、ものすごい音を立てる機械音と共に
始まってしまったんですよね。

ああ、田舎の田園地帯で生きているってこういうことだと、
いつもつくづく思わされます。

夏が近づけは゛、草刈り機のキーンという私の聴覚では耐え難い周波数の音。
田植え機は、今日の機械音と同じくらいかなあ。
まあ、それも寝ているすぐ横の田んぼでのことですものね。

そして、稲刈りの季節が来れば、
刈りいれた稲の乾燥のための乾燥機が、
私達を眠らさない、という魂胆でも持たずには出せないというほどの轟音で、
夜通し鳴り渡ります。

昔、言われましたよ。
農家の者には、あれは騒音ではない。うるさいこともなにもない。
よおく眠れるんや。
その轟音のする機械を私達の住まいのすぐ横に設置した、
当のおばあちゃんにね。
轟音の遠くで寝ているその人にね。

数年前に言われましたね。
次世代のこの町内のある方に。
俺らだって、近くの家の乾燥機の音で、夜中眠れないんやわ。
皆、そう思っていてもそう言わない。
農家同士だからかもしれないんやけど、
うるさいものはうるさい。それはみんな同じやわね。
誰も、それをそうと言わないで我慢しているだけ。

まっ、この辺にしときましょう。

5時間睡眠でのウォーキングは、せいぜい四千歩くらいが限度。
それ以上やると、本当に伸びちゃいますからね。

私は平穏を保ちたい。
平穏を保って、療養中のような早寝早起きをして、
相方のやっているツイッターがつくる全国の人たちとの不可視なつながりに、
一喜一憂する日々からおさらばしたい。

それでも、彼女がそれを作っているからこそ、
広がっていること、確かになっていることもあるんだけれど、
おとといのように、はらはらするような思わぬ展開に、
涙と震えが止まらなくなるような事態になると、
やはり後遺症って残るんですかねえ。

その翌日の昨晩。
まるで、その結果か何かが出たかのような不思議なつぶやきに、
ああ、それがいくら良い結果らしきものでも、
それそのものの本当の意味は、現実に生きている人と現実に語れない以上、
実質的にはわからないのが、ツイッターがツイッターであるゆえん。
バーチャルな世界だけで人とつながるという
私には、とんでもなくも、はかなくも、空しくも思えるそのことに、
またまた、今朝は眠りの継ぎ目のそのときに、
頭がさえて、働いて、
いっそ私もツイッターやろうかな、なんて、
似合わぬことを不意をつかれるように思ったり。

ああ、でもやっぱりやりません。

私は私。何も変わらない。

私の永遠の師、永瀬清子さんの詩篇を再読し、
カズオ・イシグロの「私を離さないで」を読破し、
ある方がお勧めの「忘れられた日本人」を次の候補に横に置き、
なんか、急に気になりだした、ハンナ・アーレントの解説本の彼女の顔写真を覗き込み、
いまや、古典となりつつあるだろう、アドリアンヌ・リッチの、
レズビアンフェミニストとしての批評の分厚い本をぱらぱらと読むことを
やっぱり続けよう。

そして、私の愛する、この人の世界にいたら、のえ、ともつながれる、ドナ・ウィリアムズの
『自閉症という体験・失われた感覚を持つ人々』の謎にも向き合おう。

そして、いっそ、四十数年ぶりに確認したくなった吉本隆明の講演の本、
例の喫茶ギャラリーで借りられたし、思い切ってひらいてみようかなあ。

そして、もう、本当に絶対、
この春の終わらぬうちに、
のえの唄とブログの日記と私の文章で構成される本の、
原稿書きへと、歩みを進めなくては。

書きかけ始めていたその原稿が、
キッズ・オールライトやら、新宿二丁目やらがらみのなにやらで、
掻き消えてしまいそうだ。

のえ。ごめん。
のえ。本当にごめん。

うちは、どうせいつもついでだよね。
なんて、もう言わせてしまうようなことにはしないからね。

でもね。世の中、動き出したら止められないことってのもあるんだよね。
だから、止めるために、この世におさらばしちゃう人もいるんだろうけどね。

だから、待っててよ。
頼むから待っててよ。
頭にできかけていたこの本のイメージをゆっくり思い出す。

そして、夜眠れるようにする。

キッズなんか、けっしてオールライトなんかじゃない、
この日本の現実を書ききってみせる。
キッズも、大人も、全然オールライトなんかじゃない、
絵に描いただけの多様性なんてもの、
そんなものの中では生きていけない、
発達障害者の問題やら、
そんな人たちが持っている多様で豊かで深すぎる特性を
私のペンの力で明らかにする。

どうやら、そんな時間が来たってお知らせだ。

そうだよねえ。
この田園風景の中で、
キッズ・オールライトなんか、まだまだ夏にしか上映されない県にいて、
そんなの、遠くの都会でのキッズ・オールライトの封切りが、
セクマイの空騒ぎにだけ終わらないことを祈るだけ祈って、
それに、そのことで最低限の提言だけはもうさせてもらったのだから、
私はもう、のえのことに切り替えて書くよ。

そうさ、勝手に子どもってたくましくも育つものさ。
そして、ストリートミュージシャンにまでだってなるものさ。
新宿の歌舞伎町だって、東口の地下道だって、京都の木屋町だって。
そうして、大阪の長居公園のホームレスのテント村の歌姫にだって。

それでも、なんでも、とおとお、ついに歌いきって、
歌いまくって、歌いつくして、
命削りに削って、
笑えるときは笑って、怒るときは怒って、
逝くときがきたら逝く、
そんなことだって、
あるってことを書きつくす。

のえ。
誓っていうよ。

私はキッズ・オールライトなんかに酔ってはいられない。

のえ。
私は腹をくくるよ。

セクマイだって、
発達障害者だって、
精神障害者だって、
ガン患者だって、
薬剤の重い後遺症の不眠症だって、

どうなったって、誰だって、
なんとかオールライトって言いながら生きている、
それだけのことだってことを。

オールライトに含む、
皮肉や含蓄がわからないやつらが、
セクマイが子を持つことを、
けっして絵空事でないって言うやつらが、
何がこれから起きたって、
きらきら、目標に向かって、
ひとつも差別のない世界に向かうなんて、
そんなことご自由にって思うし、
思う前にそんな理想論あったりまえだろうって思うし、

だから、
だから、

オールライトって、
天国で、
月で、
今日もよく月が見えなくとも、よく見えても、
またもライブ゙飽きずにやっているのえに、
贈るよ。

私の今の、
切なる言葉。

どこまでも、オールライトの言葉。

ケイコ

追伸  四千歩ほどのウォーキングをして、帰ってから読書、ある批評家の講演テープを子守唄に、
3時間ほど爆睡しました。よって、またよみがえった次第です。ご安心を。
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