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古くなったモノを捨てる

ここのところ、娘のお別れ会に来てくれた人たちに、ぼちぼちお礼状を書いていて、徹夜が続いている。ヒデコはヒデコで、娘のモノが運び込まれたときに困らないように、我が家のスペースを作るべく、今までありとあらゆるダンボールをやきものの梱包のためにためていた部屋の、さまざまな大きさの、とても丈夫で使いやすい箱をどんどん燃やしたり、片付けたり、昨日は、そのために福井のある方にまで足を運んでもらった。息子がいたときは、箱の中の子供時代の物を整理させたり。それで、今夜は、大阪でも東京でも娘ののえの追悼ライブだというのに、ふらふらの私たちは、たくさんの本の詰まった幾つものダンボールをブックオフという古本屋に持ち込んだ。こんなところに持ち込んでも、ただ、見栄えがいいかだけで判断されて、かつての児童文学の傑作もただのごみとして処理されていくのが、なんだかむしょうに悲しかった。何冊かの本だけは、手元に残すべく救った。私が子供時代大事にしていたケストナー全集。その一冊の『わたしが子どもだったころ』。ああ、なつかしい、それにしてもなんで捨てられちゃうの??それから、誰が集めたのか、わたしか息子か、それとものえか。ビートルズ関連の本が十冊あまり。でも、児童文学の質の良い本も、その見栄えの質の悪さから、手元に残すのは控えた。控えながら、良心の呵責を覚えた。詩人の旧友からもらった、彼女が子ども時代に大事にしていた本もある。モノを捨てるってなんなのだろう。モノなんて、継承してくれる人でもいない限り、ある人にとってだけ大変な価値があっても、他のほとんどの人にとってはゴミに過ぎない事実に呆然とする。今日は、たった今、娘の追悼コンサートが開かれている。大阪で、東京で、のえを思い、偲ぶ人たちが集っている。そんな輪から遠く離れて、かつての大切なモノをゴミにすることを終えた私たち。追悼の集いに変えられるほど大事なことをしたと言えるのか。ものすごくつらい。東京行きが、今日の午後二時ころまでちらついていた。それでも、これからの物事の段取り、自分の心身のエネルギーのバランスを考えてあきらめた。大阪のライブの良さが、息子から伝えられる。実況だ。なんだかすごくさびしい。そんな集いからも遠く遠くへだてられて、のえのモノを入れるスペースを作ったり、お別れ会のお礼状をつくったり、書いたり、包んだり。なんだかすごく悲しくてなさけない。追悼ライブ行きをあきらめてから、何かがストップしてしまったようだ。のえのことを偲んだり、思ったりという作業を、純粋にやれている人たちのことが妙にしゃくにさわる。しゃくにさわるなんて、不謹慎なのだが、気持ちが荒れる。
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