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かすむ現実 遠ざかる生と死

昨日と今日と、ただただ眠り続けている。こんなに疲弊していたのか、と心身の許容量をとっくに越えていたこの日々を遠ざけるように、ただただ休んでいる。昨日、北海道から電話があった。のえの赤ちゃんのときからつきあいのある私の友。北の地のキャラバンで何度も世話になっているから、近々ベロ亭に行くわ、顔を見たい、と言ってくれ、それから、私は泊まる「権利」があるもんね、と冗談ぽく言ってくれる。三日休めば行って帰れるし、とも。今日は、別の北海道の友人が来てくれた。こんな訪問を待っていたはずなのに、私はかすんでしまったような現実の中にいて、すべての生と死も遠ざかってしまったようになっていて、なんだか、している会話も現実のように思えない。昨日は、一日中パジャマでいた。夜、銭湯かわりの近くの温泉に行くというので、はじめて着替えた。このあいだの日曜日まで大阪にいた。まるでのえの生きた戦場をそのまま歩きたどるような、そんな一週間が濃く、痛く、しかし新しく胸に落ちるものもあり、過ぎに過ぎた。合わせて七人の人と大切な言葉も交わした。それが無駄だったとは一切思わない。これからもそんな機会は少しずつ持てていくことだろう。しかしだ。しかし、この住まいに戻ってきて、はじめて、のえのことがあって以来の疲れに身をゆだねていると、起きたことがすべて夢うつつのようでもあり、嘘のようでもあり、しかし、それでも、現実であり、ベロ亭の私たちがすでに踏んでしまった日々であり、書き換えられない歴史であること。だからなんなのだ。だから。毎日のえの写真の前で、私はのえと語ってきた。自然と聞こえてくるのえの声。ただ、今は頭も心もしびれたかのようで、現実のおもさにではなく、限りない軽さに粛然とする。自分が生きているその日々もまた、限りなく遠ざかり、目の前の大切な訪問者すらいったい誰であるかわからない感覚におちいる。ものも食らい、睡眠もとりまくり、そして私は現実に生きてはいる。パジャマで毛布にくるまっている、そうか、それはただしい。今はそれでいいんだよ。北海道の友の電話が、はるか向こうからつぶやく。こぼれおちる生。その向こうに、私が、私たちができなかった無数の可能性が置いてきぼりになって。のえの写真に向かって収束していく。できなかった私。生きている私。生きていく私。休んでいる私。かすむ現実。遠ざかる生。ふところ深くささやく凪いだ生。ケイコ
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