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新しい生徒にならなかったブラジル人女性の嘘

ひびき日本語教室のケイコからです。最近、日本語教室に集うブラジル人の現実を反映する教室の日々に、 私自身も思わぬところで、心を荒廃させそうになります。ドタキャンにも無断欠席にもほとんど慣れてきた。それがいいことかどうかはわからないけれど、 長時間労働の仕事の疲れ、それで急に来れなくなるのは仕方ないか。眠り呆けて、起きそびれて、結果無断欠席になるのも、 こっちが早起きしたり、多大な影響がない限り、仕方ないか。そうでも思わないと続けられないほど、彼らの現実こそ荒廃している。次々と派遣会社からの派遣が打ち切られ、あるいは別の土地の工場へ、 あるいはどこどこへと、彼らは国内難民を余儀なくされている。こんな不安定な労働条件で、気持ちが荒まないほうがおかしい。それでもまた、同じ地元の工場に新しく労働者が雇われるのだから、 本当にわからない。安く使えるだけの理由なのだろう。切れそうで切れない細々とした糸をつないできた二人の生徒がついにやめた。ずいぶんいろいろなことを我慢して対応してきたが、 必ず心からのゴメンナサイが返ってきて続いてきた若者。彼は、一か月前ついに朝のクラスで無断欠席して、 翌日朝電話かけてきたときは、 今寝ています。またかけてください。 という私の声を伝えて以来、連絡が途絶えていた。思うようにチラシ配りの反応がない中、 彼に思い切って連絡して授業をしようとしていた夕方、 今日の夜のクラスには行かれないと言う。それだけでなく隣県の工場に移ることになるので、 もう続けられない、と説明。そして、先生、本当にありがとうございました、と続く。色々あったけど楽しかった、電話本当にありがとう、と私。お別れコールができただけでも良かったと思う。ところでこの一週間ほどの間に、 二人のブラジル人女性にまんまとしてやられた。二人ともどうしても個人授業を始めたいと言ってきて、 一時間ほど面談をし、時間もとりつけて、あとは月謝の支払いだけ残していた。一人は、支払の約束の日、子どもの病気で行かれないから、 初授業の日に払うと電話の往復のあと、何度も繰り返した。一人は、やはり一時間ほど面談したあと、 週二回のクラスの約束をし、翌日月謝の支払いの約束をし現れなかった。二人とも熱心ではあったけれど、 やや上滑りなところがあったから要注意だったのかもしれない。しかし「ただのドタキャン」でも無断欠席でもなく、 何度も交わした約束のあとのこの裏切り行為には、 つくづく嫌気がさし、ブラジル人が嫌いになりそうになった。現にヨーロッパ系の一人と、派手な日系人タイプの一人と、 それぞれに似たタイプの人を、 広告とか通りすがりに見かけるだけでもいやな気持になる。彼女たちのモラルは、彼らがおかれた現実とは別に、 彼女たちの非常識さとしてアップになる。こんなことでは誰もブラジル人のことなど考えなくなるよ。現になってるじゃないか。私はそうも言いたくなってくる。二人の時間が空白となった時間割は、 やけにクラスとクラスの時間があいて、疲れが一挙に襲ってくる感じだ。薄氷の上の彼らの現実もわかる。でも心変わりだけは伝えてほしい。先生の前では夢を見ていたのよ。日本語がうまくなってなんでもできるようになる、夢を見ていたのよ、とかなんとか。それでも、私はまた救われる。信頼する生徒たち数人が、またやってきてくれるからだ。信頼し始めた生徒が、 なんとか電話をしてきてくれるからだ。先生、今日は夫が疲れていて子どもを見れないから行けません。そう、それなら次のクラスはいつにしましょうか。こちらからいくら電話しても、 ツーツーとなり続ける呼び出し音、を何度聞いたろうか。彼らをつかまえるのはものすごく難しい。十二時間交代で勤務している、そのハザマを狙わなければならないのだ。だから、どんな電話でも、 細々と次へとつないでくれる電話は まともであること、 を呼び覚ましてくれる。こんな当たり前のこともほとんどまっとうできなくなっている ブラジル人に寄り添いながら、 薄氷の上の「食っていく」現実をつなぐ私たち二人。食べていくことが骨身にしみる。電話嫌いがひどくなる。
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