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スペイン語のクラスに漕ぎ着けた

今日はもうペルーの八月二十五日、この一週間余りにも、またまたさまざまな展開がありました。でも、やはりここは「ベロ亭から」のジャンルにします。私のスペイン語の先生をゲットするまで、そしてゲットした後の六時間のクラスのことを中心に書くつもりだからです。といっても、これは日本語クラスにもおおいに関係してくることなのですが。

前にスペイン語学校探しの一日を書きましたが、その翌日、私の生徒のイルデ君が、ヒデコのやきもの関係の友達であるフロールさんの紹介の、サンバルトロメデラスカサスという文化センターに二日後、やっと行ってくれました。一日目は実はそこがどこか判らず、クラスで文化的な催し、特に先住民のアイデンティティにかかわる織物の専門の講座とかで、そこをよく知っている、やはり生徒の一人ロナルド君から確認しなおして、私が学校探しでへとへとになった翌々日水曜日に訪ねてくれたのです。

彼はそこで習うにはある旅行代理店を通す必要があるとかで、個人クラスを開いている二人の先生を紹介してもらってきました。そうして、一人の先生と翌々日、金曜日に会うことができました。小一時間ほど話したでしょうか。私の話すスペイン語を的確にキャッチして、話しながら着々とレベルチェックをしていたり、かなりドライなところはあるものの、信頼できる、と思いました。一時間十七ソル、約五ドルというのもありがたいところです。来週月曜からと時間も約束して帰りました。

さて、月曜日、前日日曜日もその日の朝もあれこれ復習をして時間通り到着したこの先生宅で、彼女はこう言いました。「胃が痛くて、おなかの調子が悪くて、とても集中して授業ができる状態ではないの。今日はとてもできないので、明日からにしてもらえますか。」私はしばし口も利けず棒立ちになりました。二分か三分かわかりません。彼女も困った様子で見ています。打ち合わせの日、この先生と私は電話番号を確認しそびれていたのです。

やっと気を取り直して、電話番号を書くために部屋に入りました。私の当惑振りに、さすがにこの先生、「私から電話番号を聞くべきだったわね。私の責任こです。ごめんなさい。」と謝られました。「何かあったら連絡しあいましょうね」。この家を出て、石畳の町を歩き始めました。間もなく、いつものあの声がかかりました。「マッサッヘ、マッサッヘ」というマッサージの呼び込みの声です。呼んだ声の主の顔を見ると、なかなかまじめそうな先住民色の強いほっそりとした中年のおばさんでした。三十ソルというのが瞬く間に二十五ソル、日本円で千円相当になり、ひととき迷ったものの、肩凝りもひどいしと、マッサージをしてもらうことにしました。

そこはにわか仕立てのマッサージ室でした。「へただったら三十分でやめるわよ」そう宣言して受け始めました。なかなかのうまさでした。九十点、つまり頭にぴりぴり気持ちよさが走るのを求められるのを基準にしている私ですが、まあまあその直前で八十五点でした。それから行き着けの美容院に行き、長くなった髪を切りました。美容院の外は、クスコ市役所の前で、地震の救援物資を集める広場でした。

翌日、二週続いて、せっかく時間のある月曜をつぶされた無念さを取り戻すべく、スペイン語の先生宅に向かいました。どこかで祈っていました。無事クラスを受けられますように。そして、クラスは始まりました。始まるや、一時間は四十五分を意味する、学校でもそういう時間で教えているし、あなたにもそうしてほしい、という話が、この先生、カリナ
先生からありました。実質値上げです。しかし、この機を逃しては、いつ誰に教えてもらえるか判りません。むっとしつつ、「なんで最初の確認のときに言わなかったの」と告げるや、すぐに授業のゴーサインを出しました。

この先生との授業は最初こそ、彼女のドライさがちらついたものの、私の作文や、話す内容を通して、私の人柄が少しずつ伝わって、なかなか充実したものになりました。日本語とスペイン語の文法的な違いも理解したいということにも、初めて答えてもらえる先生に出会いました。スペイン語の文法説明をほぼ確実に聞き取り、確認し、日本語のクラスで使えるものをもう一度よく聞きなおしたり、それはそれは私の頭の中が瞬く間に晴れていく気持ちの良いものでした。

二十年近い独学のはてに、私は一時間七ドルかけて、私の要求にこたえてくれるスペイン語の先生にようやく出会えたのです。スペイン語のクラスが待ち遠しくてならないくらい楽しみです。私は日本語の面白さも口にし、日本語の文法の精緻さも伝え、まさに丁々発止の知的な競争の様相を呈しています。そして、私は私をほめてやることにしました。ここまでよくぞ一人でがんばってきたなあ、と。

そして、その成果は日本語のクラスにもすぐ反映しました。説明がより適切にできるようにその日からなったのです。それを、最近とくに注意深く日本語を勉強しているパウラは、その日のうちに察知しました。うれしかったです。日常生活の中で話すスペイン語も少しずつ霧が晴れたような爽快さを感じます。

日本人はなかなかスペイン語の感覚というものがつかめない、と言って心配していた先生も、「あなたにはセンスと才能がある」とはっきり言ってくれました。会話より、時間をかけて書いた作文に、私の生きる感覚、言葉への探究心、そんなものを感じてくれたように思います。

さて、この先生、九月三日から例のサンバルトロメデラスカサス文化センターで米国からの大学生の受け入れがあり、いつまでこのクラスを続けられるかは本当のところわかりません。でも、八月中だけはあと四時間、本当はこれは三時間ちょっとですが、は続けられそうです。ということで、スペイン語学校ゲットの続報でした。

ケイコ



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