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京都、尼崎とめぐって

3月10日11日12日と京都、尼崎、そしてまた京都と、ペルーの民芸品バザールと、プエンテの会の お話の会、そして各二次会とで4泊5日してきました。

写真は10日の京都の法然院でのバザールの様子。庫裏の玄関をこうやって開放してもらいました。左奥にあるのは、由緒ある屏風。

まるで、4泊5日が、プエンテの会のこれから、わたしたち二人のこれからを、人生の峠のように、岐路のように映し出す、連続合宿のようでもありました。

10日の夜には支援者、新しい仲間、そして娘三人などと、11日の夜には、尼崎の古くからの仲間や友人と、会場の主などと、12日の夜には、京都の古くからの友人たちと、プエンテの会のこれから、クスコの活動の深くなまなましい現在、それからそれから、「ベロ亭」のわたしたちの人生の時間やエネルギーに限りがきている中、一体何を優先すべきか、などなど、大きく深く、多岐に渡り、様々な問いかけと笑いとうなずきのなか、話しに話しました。

今までなんとかやってこれたのはなぜ、そんな質問もありました。いや、そういうふうな意味にとれると思われる質問というか、投げかけがあったのです。私たちは不死身、いつまでもこの活動を、私たちのままに、私たちの生き方の延長線上で、誰でもない私たちだからやっていくだろう、と思われるまなざしや思いもありました。

胸いっぱい、腹いっぱい、動脈静脈、毛細血管の節々まで、どんなセラピーを受けるよりも芳醇な問いかけと共感とをもらったような気もします。とりわけ、徹夜で話した尼崎の会場の主からは。

ありがとう、感謝でいっぱいです。会場をあけわたして開放してくれたこと。会にはせ参じて、心からの投げかけやまなざしを送ってくれたこと。忌憚なく意見を言ってくれたこと。おなかの底から、語り笑ったこと。しんしんと人生の岐路を分かち合いながら、話してくれたこと。みんなみんな間違いなく、私たちの栄養となって、私たちのこれからを決めるサジェスチョンとなることでしょう。

そんな中でただただつらかったのは、展示即売とお話の会とを同時に持たなければならない、私たちの30年変わらぬ現実にこの年になっても耐えなければならなかったこと。

これって、お話の会 に切り替えるときに、ものすごい決意と瞬発力と、孤独とをぐぐぐと乗り越えなければならないのです。

常に私たち二人が主催者なのです。常に私たち二人が作らなければならない場なのです。会場の時間の制約のある中で、あるいは大勢の人たちが会へと集まりつつも、展示しているものにも目をとめる中で、あるいは会の間際、トイレに駆けつけてもトイレが何度もふさがっていても。

一度でいいから、何も並べず、私たち二人だけが並んで、ゆうゆうと余裕を持って語りたい。作品は私たちです、と言いたい。

余りにありすぎたペルーの民芸品の搬出搬入を手伝ってくれた沢山の人たち、終わるのをゆっくり待ってくれた会場の人たち、本当にありがとう。

薫り高い宿題をどう片付けていくか、さあこれからです。

けいこ
hounennin
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