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とうとうこの課題が受け止められつつも、やはり行き違って

慎重に回避してきた課題。
慎重だったのか、語るのが痛すぎるのか、
それはとりあえずおいておこう。

今日は昼、新婚のカップルがやってきて、三時間あまりの会食会。
楽しかった。大人の話ができる、ちょうど四十代に入った二人だった。
昨日から家中を片付け、展示室ではなく、居間を一年近くぶりに、
居間らしくして、そこのテープルで前の番から仕込んだセビッチェを共に食した。
私はお正月から25年ぶりくらいに再開したアルコール…
といっても3パーセント程度のワインだが…も飲んだりして。
いいな、こういう時間って、なにか普通にユーモアが飛び交い、
おかしなことはおかしいと言える、そんな普通の関係が、
かけがえのない時間の余韻を残してくれた。

そのあとは、例の原稿のつづき。
あの一言の内容を入れることになって、
今でも、そのことがぐるぐると回っている。
記事が「すっぱぬく」私の一言の中身が、
本当に読者に伝わるのだろうか。
すでに、短絡な読者からの不用意だったり、
無神経だったりする反応が耳にこだましそうだ。

それでもなんでも、私はゴーサインを出した私が、
「私で良かった」という立ち位置にいつづけられるのだろうか。



2月8日の二回目の「ちいさな集い 悲しみにSOTTO虹」
を前にして「SOTTO虹ささえあい塾」を始めようとしている。
今晩はそれで何人かに電話した。
ささえあえる人を探して、考えを巡らす。
その前段では、大きな難関も突破した。

この地元で分かち合いをやっている代表の女性から、
年賀状をいただいていた。
おそらく
、「いつかとことん話したい、
大事にしあえる人のはず」
という期待がちらついて出した年賀状だと、
彼女と相当話してから、実際に聞き及んだ。


それ以前は、一時間くらい、
彼女の側のこと、議員で、国の施策との関連。
毎年のように、自殺対策や自死遺族の課題に予算をつけさせるために、
ふりだしに戻っては、活動しつづける苦労話も聞き続けた。
娘さんの変化について、あるシンポジウムや足なが育英会との関連で、
聞くこともできた。

しかし、聞き続けるには限界があった。
途中でパニック発作が出たのである。
彼女はしゃべりまくる、おそらくアスペ系の人。
全くこちらの状況などお構いなし。
用事があるからと一旦切って、
しばらく横になり、軽い薬ものみ、呆然ともした。
ふわっと少し深呼吸もした。


始めたことを言う意味があるんだろうか、とも、もたげた。

「やっぱり動かそう」。

立ち上がって、一時間半後、私は彼女に電話した。

それ以前の電話の内容で、
精神科処方薬について、学習会を始めたと聞いていた。
よくよく聞けば、私がさきおととしのたった一回出た回で、
精神科の処方薬の大量処方の問題はたしかにあるけれど、
きちんと最低限服薬して、より良い日常を送らなければならない人もいる、
と丁寧に代表の「精神科処方薬はすべてとんでもないという間違い」に対して、
説明を加えたことがきっかけになったことは、
よくよく聞いたら、あとから打ち明けた。

二回目の電話。

「これからはこちらの話を聞いてください」。
少し殊勝になった数分はあったものの、
処方薬の話がぶりかえされたとき、
「あのときは、過剰に処方された問題をかかえていた人がいたから」
と言い訳めいた言い方が出てきて、
私はその大人気なさにあいた口がふさがらなかった。

一回目の電話で、「あなたのおかげで」「あなたがきっかけをくれて」
と言った同じ口が一時間後にはこうなのだ。

「誰に向かって言っているのかこ存じですか」と私は返した。
「もしかして、あなたがそういう目にあっている方なんですか」
余計あきれた。
あなたも当事者なのではないのか。
当事者に何を説明しろ、と言われていることになるのか。

これ以上はここには書けない。
まだ、私のなかに敷居の高さがある。
あっていいと思っている。


とにかく切り出そうと決めていたので、
私はおもむろに
、「鯖江で分かち合いを始めた」
ことを語った。
「それはよかった」。
そのときは少し嬉しかったけれど、
それは違うのではないか、少しずつせりあがる思いがあり、
今、やはり違うと思っている。

鯖江市の議員の女性が、やはり、
お二人がやってくれるとは良かった、と言ったことがあった。

まったく同じ。

そして、今晩はたとえ、当事者でもまったく同じ。

「よく、決心されましたね」
とか、
そういうのってないのか。
「よかった」
は自分の安心立命のための言葉じゃないのか。


いずれ、情報交換をまたしたり、
一緒に学習会をしたり考えられたら、とも言い合ったが、
彼女の「無神経さ」でよく分かち合いを5年続けてきたものだと正直思った。

こういう、福井的な「リーダーシップ」こそが求められてもいるのか。
いや、なんだか言葉の矛盾だな。

彼女とは、個人的に丁寧に話せば分かり合えない訳ではない。
ただ、相手の言葉に耳を傾ける、ということがなぜかいまだにほぼないように感じる。

なにか語りかけると、つまり問いかけると、
言い訳と釈明で、人を傷つけているのに気づかない。

5年続けてきた事実には敬意を評したい気持ちははっきりある。

でも。
でも。
でも。

続けていくことだけに価値があると言わんばかりの調子と、、
きた人すべてに気持ちよく帰ってもらえる訳もない、
という、言い方には、謙虚に限界をも引き受けているというおもみはなかった。
少なくとも私はそう感じた。

先日、新宿で活動する女性に、
「この会、やめないでね。こんなことで」
と言われたのも悔しかった。
そんな、簡単に決心して始められることではないと判っていないのか。
ここまでの道のりへの想像力のかけらもないのか、
ついそう思ってしまう。
すごく信頼している人なのに。

そして、5年やれたことをかみしめる、
地元の代表に「続けていく価値」こそが、
一人でも多くの人にこころの扉をひらく機会があればという思いよりも、
何倍も大切だと言わんばかりの物言いもまた、私には虚しかった。


私は私。

まあね。彼女は彼女。


なにしろ、この人はあの番組を観て、
ヒデコと別件であったとき、
「だんなさんですね」と言った人。

マイノリティのことは全然わからないんです。

白状していたけれど、
そんな分かち合い、敷居が高くなるのはあったりまえだよ。
他の不備も多々あろうとなかろうと。

それに精神的な分かち合いというより、
少なくともあの一回限りは、
「仲良しクラブ」をはみだした、私も、
あのお父さんも、あのお母さんも、実にさびしそうだったんだもの。
ものすごくさびしそうに帰っていったんだもの。

そんな帰らせ方だけはしたくないんだ。

それだけは。



あの日、私は会場の会館の入口の階段に
30分か一時間、座りこんでいた。

「ああ、ここもまた、私にとって、
分かち合える場所ではなかった…」
そんな虚しさ、地元である以上、覚悟していたし、
当然゛たったから、
淡々とした真情だったけれど、
やはりざひしかった。
強烈にさびしかった。

帰路につくと決めて、アクセルを踏んだ瞬間、
私はすべてに背を向けた。


その前に、
「しばらく来ることはないと思います」
と代表に言ったのは、
今日言われて思い出した。

階段に座っていたとき、
さすがに声をかけた彼女に
そう言ったのかもしれないが。

階段の向こうには、
「仲良しクラブ」みたいな常連さんのお母さんたちが
ずうっと向こうの駐車場の車の前で、、
わきあいあいと話していた。


あの分かち合いの中で一人が吐き出した言葉を忘れない。

「わたしたちは叩かれれば叩かれるほど、
つよくなるのよ」。

耳を疑った。

そういう場面は数限りなくあるけれど、
分かち合いで「推進」する事柄ではなかろう。

そう言えば代表さん、言っていた。
私は今でも精神科の薬を「推進」する側ではない、と。
薬を推進する?、

施策とは違うんだよ、と言いかけてやめた。

ばかな。


また虚しさが突き上げた。


なんとも言えない余韻を残して、
私は、同じ県内の分かち合いの代表に、
私が「始めた」ことを告げた。

ともあれ告げたのである。


そして、これから、
私たちのやりかたを本当に見出す道が、
はじめて、よりたしかに見えてくる、
そんな予感も始まってもいる。

ケイコ
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