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2か月が経つ北陸中日ポプレス… 「レズビアンマザー寄り添い40年・闘う最愛の家族と」 参加型で読む「SOTTO虹あゆみあい塾」の痕跡をたどる…

2か月が経つ北陸中日ポプレス… 「レズビアンマザー寄り添い40年・闘う最愛の家族と」 参加型で読む「SOTTO虹あゆみあい塾」の痕跡をたどる…

2か月と明確に思う。ただし、その2か月が何を意味するかは問う意欲はない。
その2か月を私は生きた。暮らした。悩んだ。笑ったりもした。
しかし、紛れもなく悩んだ。
あれはいったいなんだったのか、と。

真っ最中は奇跡の時間だった。奇跡の余韻をかみしめられる時間は3日間はあった。
参加した二人はすぐに印象や感想を知らせてくれたが、二人は落ち着いた時間が取れず、それらを送ってくれるのに2週間ほどはかかったかと思う。
そのあいだに、別の、ないしはそこから派生した課題が肥大化した。なんでってくらいに。
私は、この大切な奇跡の日の報告を書く機を完全に逸した。

そして、待つこと、合わせること、かみ合わせることに疲れた。
しょせんかみ合わなくてもしょうがないやって思える自分に戻った。
戻ったという点では、なんともないようでいて、それはそれでそこに賭けたエネルギーも、気遣いも、大切にしたい思いも、あれこれあったから、もはやこの奇跡の日は試練のような記憶になりつつある。

しかしだ。奇跡の日じゃないか。
そんなに何日も記憶が…賞味期限…持たないのは当然だ。
という訳で、記そうと思う。備忘録くらいには…。
といっても長くなるよな。

そもそもあの番組における手痛い打撃から学んだから、徹底的に意を尽した記事に一点の間違いもなかった。
このポプレスの記事は一字一句が完ぺきだった。
だから、
「どうせ記事なんて適当に書かれているものですから、お二人の話を聞いて、本当のところを聞ければ」
という、ある一人から届いたメールには落胆した。
今、思えばちゃんとに読んでいなかったんだろうと思えるな。まあやむない。

根拠はあるのだ。数々の然るべき人を、うならせ、感動させ、驚かせた記事だったからだ。
「そうか、日本のこんなところに、ハーヴェイ・ミルクのような人たちがいたんだ」。
そう何人もに言わせた記事でもあるからだ。
むしろ、性的少数者がそうは必ずしも、反応しなかったってのも今後の研究テーマかも。なんなぜかか判るのもいやなんだけどさ。

私たち以外の5人のうち、性的少数者は一人。事前にこの記事から何を感じたか、ざっくりとでも訊こうとして、どことなく当事者以外は他人事感がただよったような、そんなふうに感じたのは、あれは錯覚だったとはいまだに思えないでいる。おそらく錯覚だったと思いたい願望のようなものはまだあるのだろう。

そもそもだ。「レズビアンマザー」という言葉を使って、新聞のこれだけ大きな特集記事に書かれたことなんて初めてだというのを、参加した5人に言い忘れたのは不覚だった。
私は訊かなければならなかったはずだ。
「レズビアンマザーという言葉に、どんな事実や印象を想起するのかな」などなどと。
その手はずを欠いたら、いつでもどこでも、いつからでも「レズビアンマザー」というどこか「普遍性」を帯びた名称を担った、そんな存在としてい続けていたと勘違いされてしまうというのに。
私たちがこの異性愛が大前提で、なおかつ家父長制が脈脈と生きる地域でどんなふうに自分たちを偽らずに翻訳して生きてきたか、ということへの想像力を、参加者に駆使してもらう大切な機を逸してしまった訳である。それゆえにだ。

ああ、面倒だ。この取材に何時間かけたってか。そう、この女性記者さんには、長電話での確認も合わせれば、10回は会っているように思う。そして、通算すると最低見積もっても40時間は会っていると思う。そのうち、僭越ながら? 私が物書きとして、叱咤激励ないしは、最低限のルールとして、このような被取材者を取材する時に必要な姿勢は何かなど、質問をありとあらゆる手で、しつくした時間もある。
私たちには、あのEテレの番組以来、どうしても欠けていると思えていたことがある。
それがなんであるか、この記者さんには、教えるのではなく、自分から学び、絞り出してほしかった経緯もある。その日本語の動詞「ねぎらう」を引き出すには、私は文章指導をこえて、激しい人生の峰と渓を渡り歩いた人間として、ばしんと向き合うしかなかった。
記者さん、よくぞ耐えてくれたとも思うよ。
偉い。偉い、と思う。

で、だからさ。無理なんだよ。この記事の奥行なんて判りっこないのは当たり前。
感じられる人は、それ相応の経験やら知性やら知恵やらひらめきやらがないとね。
でもその頃、私はそろそろ皆さん一人一人に徹底して寄り添って、ファシリテートだけをすることに、そうして、そのために自分をどかんと棚上げにすることに、少し疲れ始めてもいた。あるいは、見え隠れするある種の人々の偽善的な態度に疲れ始めてもいた。

コーベからの、かなり身内っぽい参加者が電話であとから言っていたっけ。
「この記事ね。キーワードみたいな大事な言葉だらけで、そのキーワードをぽんと押すと、だあああああって、長ーい、深ーい物語が飛び出すの。物語が飛び出す不思議な記事。なんかそういう印象がものすごく焼きついちゃったわ。ぽん、物語。ポン、別の物語。この物語とあの物語はこう関係しちゃって、とか、ね」。

うむ、これはかなり私の頭と心の設計図を見られているかのようだわ。

はい、ちょうど2か月前の幻の、あら間違えた、ハイ奇跡の「SOTTO虹あゆみあい塾」で取り沙汰されたキーワードを思いつく範囲で挙げましょね。

「どんな夫婦よりもきょうだいよりも濃い」。
これがそんなに過剰な褒め言葉ではない、ということを、この地域で生まれ育ってきた人を通して翻訳してもらいました。夫婦もきょうだいもそれなり濃いらしいけれど、ちょいとその「濃い」の意味が違うのです。私たちが思っていたのとは。
本当はまだ適格なニュアンスは判ってないかも。ただ、褒められたのではなく、認知された、と取ったほうがいい、そんな発見がありましたね。そう、あのおばあさんは私たちを私たちとして認知した。婚外子を婚外の父親が認知するみたいにね。つまり、それ以上でも以下でもない、というのがすごいということです。褒めるよりもすごいことなのです。

私たちの最初の旅も、経済的な貧しさも意外と皆さん、関心なかったわね。英子の造形作品の修飾語にも関心は集まらなかった。

やっぱ、なんと言っても、皆さんをキーワードとして捉えたのは、「ベロ」と「アリ地獄」。
英子がなんか分かち合えない孤独のなかで一人作っていた個人誌「ベロ」の巻頭言を、実は皆さんに披露しました。読み上げてね。
コピーを用意していたけど、急に惜しくなって渡さなかったんだった。それにはそれの訳がある。咄嗟の判断。この辺りは、それぞれの立場で、耳をダンボにして、聞き入っていらっしゃいましたね。逃れがたそうな「結婚生活」のなかで、いかに英子が渇望していたか、そこから私とのどのような出逢いが生まれたか。それは、たった今、結婚している人にも、性的少数者の女性にも、しんしんと迫るものがあったはずです。
子どもぞろぞろ連れて参加していた地元の女性に英子が、「いつも私あなたに橋を渡してる」とそっと囁いていた。切ないほどそっと。アリ地獄を知っている者同士の頷きでした。

「鏡の上で倒立している自分を見るよう」はキーワードになりそうでならなかった。これはものすごい話なんだけど、まっいいや。
「一緒にいると自分が何倍も生き生きとする」これもおんなじ。関心ないみたいだ。

さっきも書いたけど、ベロ亭の原点の旅、想像を超えるのかな。反応あったかどうかよく覚えていない。たぶん、そんなに反応なかった。

英子の作陶との出逢い。そのあとの「貧しくとも創作を手放さない」に、やはり視覚的表現に携わっている次世代の女性が反応してましたなあ。「共感」のようなものですね。

記者さんが、「レズビアンなどありえなかった」ことがなかなか判らなくて困った話をしたよな気がする。まいったからね。ありえない、って判らないからね。ありえるところやら時代と私たちだけ見て思いこんでいる人たちには。

今日の食卓での話。
「ありえないから、母親二人で学校でも何でも、自信満々で通していたよねえ。
2006年の大阪のレインボートークのゲストで英子ちゃんが話したときに、しゃあしゃあと話したゲイの別のゲストの人が、「誰もゲイですか、なんて訊く勇気ないし…」と言っていたのと、どう対比させたものか、そのとき思ってたの、今思いだした。
もっとつよく意識したね、今。」

はい、これから参加者にとってのキーワード満載のテーマ。
子どもたちへのカミングアウト。
「ママ、いいやろ?」と本当のこととの距離を事前に訊いてきていた人もいた。
それには、あれで答えたことになったんかな。参加しなかった人には内緒。

ただハーヴェイ・ミルクのドキュメント映画を知らなきゃ、というか彼の最後を知らなければ、…「本当のこと?」。驚いた子もいた。…の誤読もあると伝えると、人は読みたいように読むよねって何人かが判ったように言ったっけ。
むろん、私たちの関係を本当のこと?って訊くような、ベロ亭の子どもはいなかったんですけどね。
はて、でもだよ。この塾の流れのなかで、私が読んでほしいような流れができていただけのようにも思うんです。だって、ミルクのこと知らない人もいたんだし。
ただ、皆、私たちを丸ごと知ってはいるから、子どもが私たちの事実を疑うということは念頭に確かになかったかもしれないんだけれどね。

皆が一様にぎょっとしたのは、「誤って子どもを産んだ」。
20代の若者がいちばん悩み深げにありえないって感じで考え考え話していた。
そりゃそうだ。異性愛者こそ、「誤って子どもを産んだ」人ばかりだから。
これじゃあ、悪い冗談になってしまう。
正しく生まれた人なんていないはず、って言ったほうがいいよね。
天皇家なんてその最たるものだろうしな。あれ、右翼に狙われるかな。

エクアドルでの天国にいるような2か月。その中身をちゃんとに知りたい、と言ってくれた女性は、私たちが幸福になってほしいと思っているようで少し嬉しかった。
それでも、話した中身はゲイのカップルとの、破天荒な楽しい日々で、どんなふうに伝わったかは言ってくれたかな。笑って聞いていてくれたのは覚えているけどね。

ここからいきなりEテレドキュメント出演になってしまうけれど、このあいだには、レインボートークだの、30周年記念トークだの、新宿でのトークだのがはさまれて、半分クローズくらいの挑戦があったのは字数の関係で割愛された。

それにしても、思いだす。大阪のドーンセンターでやった30周年記念トーク。
あの報告は、「女性学学会」なるものの会員さんの担当さんが、それこそ「アリ地獄」状態で、私たちの始まりの始まりしか、しかも受付やりながらだから印象に残らなくて、ありゃ、これが30年のパートナーシップを語った私たちのトークの内容?ってあきれた報告を原稿の段階で抗議。他の、昔からの友人とかにピンチヒッターを頼もうとしたのもやめて、結局、「女性学学会」の分厚い会報にも、このときの報告は載らなかった。
つまり、ここでもすでに「先をいきすぎた」私たちへのスルーはもう何十回目というほどではあったものの、パートナーシップを明かしてすら繰り返されたのだった。あああ。

のえ、あの席の最後に言ったね。
「良かったね。この会、持てて」。皆の拍手があったよなあ。

はい、Eテレの反響批判。
「性的少数者の側面ばかりが注目されてしまい」
は、私たちが私たちであることとつきあってくれてる人たちは、そうかそうか、という感じだったような。

さあ、シングル・ダブルマザーの真骨頂の「児童扶養手当改悪反対運動」だ。
福井県下の旧丸岡町の事件もけっこうしゃべったかもしれない。
ああ、記憶うすれたかも。でも、シングルマザーの参加者もいたから、絶対しゃべったわ。重要な事柄だもん。

のえの急逝。SOTTO虹への道。
あんまし話せなかったかも。そのための会だったんだけどね。
…人の心に分け入り、逆境の中で自分が獲得してきたことを伝え、一緒に生きられたら。…
少しは届いていたよねえ。
結び。
…結婚式を挙げなくとも、可視化できる絆を育んできた。…

この結び、今さらながら重要だ。
最近の投稿にもつらなるよなあ。

少し切ないようなさびしいような、それでもおかしいような反応もあった。
20代の若者。
「読んでいて、なんか悲しくなって涙が出そうになったってどうなの」と私が問う。
彼。「いや、あの、英子さんの書いた見出しの言葉が大きい字だからよく見えて、それでその字が迫って…」。
…はっ、そうなのね。内容はついていかないわけねー。…と心の声、
「偽装の家族」ふう。体揺らしてた彼。

はい、この記事、完璧だけれど、
英子の手書き文字を小見出しに使ったこと明記していないこと、手落ちです。
「食ってはいけない人間を出さないこと」。
「弱さを認められる自分と社会をつくること」。
「何でもいえる世の中にすること」。
こんな名言と、やきものにもデザイン的に手書きする英子独特の文字を、
まるで北陸中日の工夫のように横取りしたのはかなり許せません。抗議しました。

それから、ハーヴェイ・ミルクの人物紹介が右下の枠の中に、「同性婚」と並んであるべきでしたね。これも手ぬかり。
この2点以外は、つまり、はい、完璧な記事なのです。

私はこの記事の一字一句を読んでいると切なくなります。
私たちの人生の骨の部分が書かれている。
血や肉は味付け程度ね。この切なさ判りますか。
で、この記事が出た日に書きました。
「取材される空しさを知っていますか」という文章。
記者さん、お気に入りにいれてくださいました。
そう、人生の輪郭、生活のひっ迫、暮らしの息吹、二人の絆、娘の急逝。
そんなものすべてさらして、本当のことがやっと伝えられて、はじめてなんぼのもん、というのが被取材者というものの切なくも空しくも、ありえない立場なんです。
とりわけ、私たちのようなマルチマルチ・マイノリティファミリーにとっては…。

その記事を読み込む、あの時間は不思議な奇跡のような時間でもありました。

参加者の一人が残してくれたメッセージ。
…離れる人は離れて残る人は残った。
そんな自分との新たな出会いや、恵子さんたちとの再会や。
22日も、どうして自分がここにいるのか、よく判ったというか、納得してあの場に座ってました。
ムーミン谷の住人…ってSOTTO虹のコメント欄に書かれてましたが、すごくぴったりな表現で気に入ってしまいました。あの時間をありがとうございました。…

今日も実はこの日のトーキョーからの参加者と話したんですが、一人一人、ひっかかるというか、この記事とかみあうところの違いが面白かったって言ってましたね。
この方は、「アリ地獄」は判らないって言っていた、先にこの方が帰ったあと、どっぷりそこにはまっているある女性が驚いていました。そんな訳で、今日訊いてみたら、
「そういうのは避けて避けてはまらないようはまらないようしてきた」って。
でも、何か、リアルな語感がそもそも違うようにも思いました。

結局、人は人の生きた範囲でしか、なかなかその文面の伝えるところを窓口にすることはできないんだと教えてくれたような時間でもありました。
ということは、きわめてさびしい面も私たちにはあったということです。だって、これですら、私たちの人生のほんの骨格としての一部なんですからね。

記者さんとの丁丁発止は、少なくとも葛藤ではなかった。
葛藤と、あとから感想に書かれた参加者もいましたが、信頼しあったうえでの知的な格闘ともいうべき力技をしあった感覚です。
女性記者さんでなかなか繊細なところもあって、それでいていざというときには、譲らないところもあって、はてさて、彼女が最後まで譲らなかった、それはどこでしょう、と皆さんにふったものでした。
ヒントにヒントをかさねたら、少し判っていった。

でも、ここには書きません。切なすぎるので。
記者さんの熱意に押されて、書くのをオーケーした、あまりに私には人生の含蓄がこめられすぎた一言の「露出」だったからです。

「虹色ダイバーシティ」が越前市に講演に来たときの話もしました。
そして、レインボーフラッグが市役所に掲げられたらどう思うか、も訊きました。
ほんの少しの説明で、「それなら絶対無理」と一致を見ました。
二人。この市の行政の限界をよくよく知る参加者がいましたからね。

子ども連れで、よくぞ参加してくれた次世代の女性。
彼女は、実に深くものわかり良く、次々と反応してくれたものでした。
性的少数者の女性は、これぞって感じで食い下がる瞬間がありました。
表現者でもある女性は、するするするって必要な言葉がすべりでることがありました。
20代の若者には、他のそんなに歳の違わない女性たちすら、「ずうっと大人」に映ったということでした。

英子は、この日はゲストで、私との兼ね合いのなかで、次々とエピソードを披露したものでした。
それこそ、ポンとキーワードブラスの私の語り。
そして、記憶の底から飛び出す、語り継げないほどに溢れる物語。
エピソード。忘れてはいけない確かでリアルな時間の帯。

骨組とほんの少しの肉と共に血も流れている記事というナマモノ。
それはその日のその時の一人一人の鏡のように、
よくよく一人一人を映し出していました。
あれっきりこれっきりもう。あれっきり、これっきりもう。
それは、紛れもなく奇跡のような時間でした。

ただ。
ただね。私たち以外のメンバーはそんなに知り合っていなかったり初対面だったりで、
お互いの対話、議論は、やや遠慮勝ちで、肉づけできなかったよね、というのが、私たち二人の正直な実感です。
若いんだよね。みんなね、
そう二人で1週間後には溜息とともに話したものでした。

その人その人にとっては、消化しがたいこと、たいしたこともないこと、は、
その後、日常という霧の中に消えていったかもしれません。
でも、あの日のそれぞれのふとしたひらめき、誠実にそこにいつづけようとした姿勢。
それらは、あの日の録音をまた聞けば、一気に蘇ることでしょう。
それでも、まだ聞くということは、私にはできません。
一生、できないかもしれない。

これっきり、これっきり、もう。

ああ、そうそう、事前にこの時間に皆が集まれるように、
私、どれほど、時間の調整、皆さんの気持ちの調整をしたことかも、
まざまざと思い出します。
英子は英子で展覧会中だったから、なかなかスタンバイしないし、
なんか微妙にちぐはぐだった様々も忘れてはならないような気がします。

山盛りのコロッケ、なんであんなにあったんだっけ。
栗ごはん、盛り沢山、おいしかったね。持ち寄り、食べ食べの時間の恵み。

それでも、この日のこの時間は、
SOTTO虹のささやかな奇跡として、刻まれます。
少なくとも企画したかった私のこの胸には、このこころには。

つま先から頭のてっぺんまで、異質と思う人を確認するのを、
のうのうと無神経にやってのける市民が相当数いる。
そんなふがいないことを、住んで38年たって確認できた妙な日でもありました。
みんな、そんな目にあっても、何にも解決なんかない土地なんだという。
クソおもしろくもなんともないんだけどさ。

ということでおしまい。

明日は、11月29日のちょっとした集まりの告知でも、ようやくするとしますかね。

ああ、もう、どうなるかなどと、
溜息つかないように鋭意努力いたしますぞ。
はい、楽しみ。
ハイ、ハイ、奇跡は輝石。
輝石は軌跡。奇蹟はベロ亭にあり!!

2015年11月22日未明 米谷恵子 SOTTO虹主宰
    文責・とはいえ責任は取れそうもありませぬ。

追伸 あっ、忘れた。
「なんでフクイですか。イバラの道を選んだように思います」。
こんな深遠なる問いには、そう簡単には答えられませんわ。
   ということで…。
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| 先を行き過ぎた苦悩と至福のただなかから | 02:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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フランクルのスヌーピー逸話に見る 「意味」を巡っての再確認として70代のレズビアンカップルの映画「夕立ちの道」とかさねて

フランクルのスヌーピー逸話に見る
「意味」を巡っての再確認として
70代のレズビアンカップルの映画「夕立ちの道」とかさねて

少し前に書いたものに、あるネット上で呼応してくださった方が、またそのネット上で、展開している文章を英子が読んでくれて、耳で聞いた。その範囲でなんの異論もないけれど、なにか出発点が違うんだというところだけが、どうしてもアップになる。誠実で、一つ一つの日々の手段とも言える事柄を意味づけていくことの尊さについて、普遍性をもって書かれていることは間違いないし、その熱心さに敬意を表したい。


ただ、どうにもならないほどに「通過」してしまった、ある人に言わせれば「先をゆきすぎた」私たちゆえに、このフランクルの引用から思ってしまうことがあるのも事実だ。

「夕立の道」という、まだ米国で同性婚が全州で定まっていない頃、70代のレズビアンカップルがカナダへと二人して同性婚の届けにドライブするロードムービーを、「国際東京レズビアン&ゲイ映画祭」の前夜祭で観たことがある。よりによって、その前にゲストとして短い時間ではあるがトークをする機会もあった。
ともあれ、その「夕立の道」の中で、一人は死期が迫るなかで、偶然知り合ったちょいといかれたお兄さんの手助けも得ながら、時々交わす、一体なんのためにこの旅路にあるのか、といった二人の口論、対話、議論の類がこころに残っている。
元気なほうのバアサンは、男っぽくてヤクザな感じで口汚くて、ついつい爆笑してしまうが、同時に70代の二人の会話が泣かせて、号泣と爆笑同時というのは、私たちにいちばん近い、そんなレズビアンカップルの映画だったからだと思う。

つまり、どんな保証…手段…すらなくとも、生きて生きて、彼女たちは30年のパートナーシップを生きてきたのだ。私たちはその時、すでに37年だったから、ステージにスポットライトを浴びて客席から上がるとき、
「ここには映画の二人よりも長い37年のパートナーシップを生きてこられたお二人が!」なんて、ドラッグクイーンのマーガレットさんの紹介を受けたのだった。
あの、「結婚証明なんてどうでもいい」「いや、やっぱり」という二人のケンカ、動揺、葛藤が私にはものすごく共感できた。
不自由したぜ、だからなんだっていうのさ。
損もしたぜ、だからなんだっていうのさ。
そういう意気込みといってもいい。

そして、なんのための旅路なのかと、二人は問わざるを得ないのだ。

このスヌーピーにひっかけたフランクルの逸話は、きっと次世代やもっと下の世代の性的マイノリティには、なかなか判りにくかったり、やや抵抗があったりするかもしれない。

ただ、私は、どんな紙切れも信じてはいないところがある。
それだけは言える。戸籍。婚姻届。
それがなんだっていうところがある。それを知ってしまっているところがある。

出生届と死亡届。それは厳然たるものだから信じるとか信じないとかを超えるけれど、今も、娘の死を抱えて生きている私には、娘のところが抹消された戸籍届けをわざわざ見る意欲はない。

日常のささいな手段がたくさんの意味を持っているなんて、そんなの、よくよく判っているんだよ。
5人もの子どもたちを育てるプロセスでも、親に育てられていた子ども時代でも、経済的には豊かではなかったから、ささいなことに豊かな「意味」で色付けもした。
英子は、行事が好きだったから、なけなしの費用でいろいろなレジャーや節分やら、誕生パーティやらも楽しんだ。
いつも、料理を工夫して、最低限の費用で最大限の「意味」づけをするのは私だった。行動で楽しくさせて「意味」づけをするのは英子だった。

でもね。ここのこのSOTTO虹の文脈では、それだけではすまない挑戦もしているんだ。
なぜ、今、フランクルや石原吉郎を読んでいるかと問われれば、「自死でノコサレル」という体験が、「強制収容所を体験するに匹敵するストレスにも及ぶという説もある」という言説を裏付けるために必要な読書であり、文献の確認だからだ。

つまり、その点では、「意味」という言葉のよってたつところがかなり違ってもくる。

しかし、と思う。
これほどの経済の繁栄とも言えるはてのはての、世界の末路のような現在、見えないたましいの収容所を私たちは生かされていはしないか、と。
せっかくだから、「意味」やら「希望」を、芯から望める生きかたをしたほうが良くはないか、と私のなかでしきりと囁く声は消えない。

ともあれありがとう。読んでくれて、誠実に書いてくれた一字一句に感謝。
だからこそ、もう一度ここにアップします。
ネットの手段は違えども、これからもよろしくね。Kくん。

あなたの誠実さのなかに秘められた痛みが伝わってきたから、
私は私で、私の痛みをこめたメッセージとして書きました。
なにか伝われば、と。
恵子

| 先を行き過ぎた苦悩と至福のただなかから | 00:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「あのう、レズビアンのところに通っているって友達に言うと、へえっ、18禁かあってみんなに言われるんですよ………」超状況ドギャップ残酷物語・コントん?ノベレッテン 第1回

「あのう、レズビアンのところに通っているって友達に言うと、
へえっ、18禁かあってみんなに言われるんですよ………」
    超状況ドギャップ残酷物語・コントん?ノベレッテン 第1回

ああ、このネタは、私が立派な書物をものするときまで、とっとこって思ってたのにさ。やっぱ我慢できずに始めちゃったってことよね。
いやあ、これ以上は我慢できません。いや、我慢してきた訳ではありません。意外と緊迫感なかったのはなぜかしらって今でも、やや不思議なんですが……。

ペコ亭に、時折、力仕事やらで通ってくる若者、レイ君ってことでいきましょか。
そのレイ君がですね。3年半ほど前に通い始めて間もなく、私に言ったのでした。
そう、忘れもしない、庭に面した水道の蛇口のところでね。言ったのよ。これ。これだよ。
正真正銘の「フェミスニト」とやらだったら、いや待てよ、レズビアンフェミニストだったら、いや待てよ、これでいいんだよね、フェミニストレズビアンってのはフェミレズって揶揄される訳だから、えっとーっ、ともあれ何でもいいや、女で人間としてまっとうにだよー、生きている人だったら、卒倒して、否、卒倒しそうになりながら、それに耐えて、
恫喝くらわしているわよね。

「あんた、何言ってんのよ。レズビアンって言って歩いてるってわけー。
それに、18禁ってかえってきて、黙ってるわけー。
それってさ、私たちのこと、どれだけ侮辱しているかわかっるわけー。」

いやあ、言っちゃうとさ。フェミニストなんて自分、とおに卒業しているわけよ。そうだなあ、90年代には卒業。正確には92年かな。いや、卒業したって、フェミニスト魂、失うはずもありませんよ。ただね、それだけで回転していかない人生をいやというほどやってるの。男も人間だなんて、とっくに知っているし、いやあ、男はんが受けている抑圧っていうやつのほうが、場合によっちゃあ、めちゃめちゃひどいってことも学んでしまっているし、フェミニスト大学の大学院の博士課程よりも、もっと深くて広範囲な、世間様大学で、まあ学びつくしましたから、簡単にこういうの驚かなくなっちゃってるわけで。

というより、
「あのう、レズビアンのところに通っているって友達に言うと、
へえっ、18禁かあってみんなに言われるんですよ………」
って、私にのたまわったレイ君が、まったく悪気がない、屈託ない顔していたほうが大きかったんだけどさ。幼稚園生がまあ言ってたんです。レチュビアンとかさ、ジュウハッチキンとかさ。

おんどりゃあ、言っておくけどさ。こっちは卒業してるんだからね。
いやあ、いつ卒業したかは忘れたけれどさ。まあ忘れるほど大昔だけどさ。
「ポルノグラフィは女への暴力である」なんて定番のフェミニストの教科書かウィミンズスタディの研究書に書いてあるんだろうけど、そんなの読まなくとも、まあそんなの常識中の常識ってわけで、そんなポルノのなかでも、ああああああああああ、レズビアンがどう描かれているかって、おいおいおいおいおい、知ってんのかよ~。

3年半言わないでいたことを言うと、ここまで書くね。やっぱりね。

でもね。この無垢な若者は、自分が山深いここから1時間半の街で、何を言ったことになるかも、その反応として何を言われたことになるかも、全く判っていなかったってことなのよー。いや、そんなの即座に判りましたよ。長期戦覚悟。3年目から解決の段階。ようやくね。だから、ここにも書けますの。

えっ、18禁って最近知らない人もいるのかな。私も本当は全然関心ない?から、知らないんだけどさ。どうもR18って言うらしいね。Rって何の訳なんだろね。

ところで、ここまで読んで話、見えています?
最近、話をしていても、人様がどこまで判っているのか、きわめて戸惑いが多くなっています。いやあ、大阪ローカル、東京ローカル、否、新宿2丁目ローカル、それからここペコ亭から1時間半の街、まっ大平市ってことでその大平市ローカル基準とか、それぞれの個人の基準とか、世代間の基準とか、もはやありとあらゆる価値観、認知、知識、知恵、ファッション、識字?、読解力、会話力、いやはやコミュニケーションのありようとか、全く違いますからね。この言葉で通じるのかってのは、まあ、ここE県ではこの程度とか、そりゃ還暦過ぎてものうのうと生きているんで、判るところはあるんですが、まあ、最近の「コントん?ノベレッテン」ネタとしては、忘れられない始まりがあったんですよ。

ねえ、18禁ってやっぱ知らないの。えっ、知ってる。そうか。
いや、やっぱりR18って言わないと通じないのかな。

実は最近ですね。この話をある都会在住の50代のゲイの男性にしましたの。
3年半前にね、大平市から通い始めた25歳の若者にこう言われたんですって。
レズビアンのところに通っているって、会う人ごとに言っていて、そのたびに18禁って言われたんですって。

えっ、その都会在住のゲイの方がどう反応したのかって、はあ…。

「へぇっ、すごいですねえ。大平市は、LGBTへの理解がずいぶん進んでいるんですねえ」。
「そうなんですよー」って言いたかったです。
言ってもよかったです。どうせ、幻の世界に生きているんですから、言ってもよかった。

でもね、そのゲイの男性とは、あたたかい友情が育まれているときでしたから、私、もう笑っていいのか、どういう感情を発露していいのか判らないままに、言いました。

「そんな…。セクマイへの理解なんて100パーセント……」。
はっきり言うのいやだったな。言いたかないや。そんなねえ。ああ、でも言うしかないや。
「そんなことありません。セクマイへの理解なんてゼロ、百パーセントない街。」
相手の方は電話線の向こうでしばし沈黙、すぐに意味が判りませんでした。
しばらく静寂、黙ってらした。それから五秒か十秒か……一分、いや二分。

「それはレイ君は大変なことをしていたんだ……」
「ぴんぽーん、当たりー。その通りでーす。何も賞品ないけどさー」

いやあ、話はまだ続いたのです。
「でさ、18禁って返ってきて彼はどう思っていたんですかね」と私。
「18禁ってなんですか」とゲイ男性。
ありゃりゃ、18禁はゲイのお方には関係ないのかしらん。それともたまたま?
「あのねえ、百金はご存じですよねぇ。百金とは違いますですよ」
もうメンドクサイナア。ここまで説明するわけー。この私がーって叫んでました。口には出さないですがね。
少し「偽装の結婚」の白抜きのモノローグの影響出ていますかね。
いや、あの白抜き、私の江戸っ子弁をむしろ真似てるかと。

突如、大きな声になる。
「あのねえ。十八歳未満お断りって映画あるでしょう!!!」
「ああ、ええっ、あっ、えっ」

もう、やめますね。
このくらいの超状況のドギャップの人々を行き来していると、コミュニケーション能力上がりますわ。トーキョー村やら、新宿二丁目ムラで同じよな人が固まっているのとは違うから、たぶんね、ずっとコミュニケーション能力上がります。
いや、トーキョー村はともかく、新宿二丁目ムラのこと、とやかく言うと、何を知ってのことでござるうって、どつかれそうだから、これは引っ込めます。

ということで、
超状況ドギャップ残酷物語・コントん?ノベレッテン
の幕開けはこのへんで。
何か意味判りましたかね。

むろん、レイ君は、レズビアンがなんたるかも、
18禁がなんたるかも、内容をこれっぽっちも判ってらっしゃらない。
いや少しは判ってきたんかな。

いやあ、
「ポルノグラフィは女への暴力である」って常識は、
たぶん、私は十代後半にはたたきこんでしまっていたように思うけどなあ。

いやあ、レイ君も人間だし、純粋だし、無垢だし、
でも、純粋な試験管ベービーのままでもいられないし、
無垢な花婿候補にもなれなさそうだから、
彼みずからってのもあるけどさ、
やっと旅立ちましたわよ。
ハッタツロードを時々翻訳必要だけどさ、
いとしく、楽しくともに歩いてもいるんですけどね。

おおいっ、
渋谷区のメンツも新宿二丁目のメンツも、
大阪の西成のメンツも、アメリカ村のメンツも、
京都の魔の左京区のメンツも、
たまには、E件の山奥の無垢な若者のことも思えよなー。
そんな彼に助けられながら、それでもここまで、
怒りもしないで、
「ポルノグラフィーは、ましてレズビアンのそれは、
いよいよきわどくもひどくも、女への暴力である」って
秘めに秘めてきた、ペコ亭道の奥深い味わいを、
笑ったあとにたんとかみしめよ。
ねっ。

それにしても、
レイ君に、「それって18禁のとこ通ってるわけー」って、
コンビニの前あたりでしゃがんで言ったお若いのの一人に、
実際、LGBTずばりが、いたんじゃねえのかよー。えっ。
などと、またもやさしくいとしく思う、
E件大嫌い、トーキョーも大嫌いなケイコ姉なのでありまする。

10月末日またも深夜

というわけで、9月のポプレスの読み合わせの集まりの報告は、
何重もの、いたいけで他愛もなくも楽しくも悲しくも、切なくもある、
翻訳作業のはてに到達する芸当と知って、始めたシリーズなのであります。

| 先を行き過ぎた苦悩と至福のただなかから | 01:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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結局、どうしてそんなにもあきらめているのだろうか

眠らない態勢に入った。
起き出してきた。しかるべき人に、
メールアドレスをアドレス帳に追加して、メールした。

「ちいさな集い 悲しみにSOTTO虹」のおもみ、意味、意義。

結局、誰もわかっちゃいないんだと思えた。
結局、誰も絶望から希望が生まれるなんて思っちゃいないんだなと思えた。

それって、冒涜だよ。
私たちの人生への…っていったってどうにもならないよね。

会所を提供している住職ともかなり話した。
ものすごくものが判っている。
でも、ちらつくのだ。彼の深い諦観のようなものが。
フクイみたいなところが変わる訳ないよなー
ってのは同感だけれど、
どうしたら判らない、というのは、
どうしたらいいか探している私たちより、絶望は深い。
彼は、外れながらもやはりこの地の一員であり続けた人なのだ。

新宿で活動する人。
「続けてくださいね。やめないでくださいね。」
はーい、やめる気ないよ。
始めたばかりじゃないか。
そんな中途半端な気持ちで始める訳ないじゃないか。

でもね、リーフレットを配布するために丁寧に書いた手紙が、
早とちりだか過剰反応だかで、
読み違えられたり、読み違えたのは向こうなのに、
私の表現が不足していましたなどと「お詫び」をして、
そして、最終的に「理解しました」と言った上で、
「距離を取るためにしばらく途絶したい」と申し出られる?
ありえまへんわ。


それは「理解しました」は違うでしょう。


みんな、ひとつの観念、思い込み、妄想にしばられすぎていやしませんか。


ほとほと地元には友達がいないことに嫌気がさす。
なんでなんで、いつも電話電話電話。
そして、「そろそろ」「そろそろ」「そろそろ」と切ることを促され…。


三日話しても一週間話しても話し足りない。

日曜日のファシリテーターは少なくとも、
一泊はしての合宿体制くらいではないと、
このテーマはとても歩み寄れないとも言っていた。

その上、
あああああああああああああああああああああああああああ、
人生から遠ざけられた、
性的少数派の懸案事項はカミングアウトと自己肯定なんだもんね。

で、カミングアウトした人はまるでエライ人みたいになっちゃうんだ。
自己肯定おのずとしている人にはなんでもないことが、
自己肯定をやっとした人は、なんだかエライ人になった
って勘違いしちゃうんだもんね。


私を活用せよ。
私を利用せよ。
私を生かせ。
私を葬らないで。


眠らない夜のつぶやき。

ケイコ

| 先を行き過ぎた苦悩と至福のただなかから | 05:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私たちはこのまま死んでいくのだろうか

拍手の意味をコメント欄で教えてください。
拍手しない購読者数は相当いると掴んでいます。
覗くのだけではなく、少しは丁寧に、
コメントなど書いてくれたら嬉しいです。
あんたら、そこでそのまま死ねばいい、
と言われたくて書いている訳じゃない。
そのくらいの読解力はあるよねー。




自然と浮かんできた言葉は、
「私たちはこのまま死んでいくんだろうか」。
そして、そのままタイトルにしました。

ミヒャエル・エンデの『モモ』のなかに、
「豊かさのなかの孤独」という章がありました。
この魂の奥行とか、こころの豊かさとか、
そういったものを誰とも分かち合えないなら、
それゆえのとてつもない息苦しさのなかで、
息絶えそうになっているモモ自身の言葉です。

豊かさは、人一人のなかに息づいてもどうにもなるものではありません。
いや、その種の人はいるかもしれない。
経済的にも恵まれて、夢想して生きているだけでいい人。
でも、ロビン・ウィリアムズも自死したよね。
彼は、やっぱり孤独に耐えられなかったんだよね、たとえ「うつ」だとしても。


私たちはこのまま死んでいくのだろうか。
私たちはこのまま死んでいくのだろうか。


私たちの理解者は、地元にはほぼいません。
そんな高望みはとおに捨てました。
そこそここの点では、あの点では理解をすこししている、
そんな人が大事な人で、
あとは皆、遠い遠い、どうしても近くならない人たち。
相当の努力はしましたよ。
でも、どうにもならないほど遠い。

人生まるごと自分の手で決めてきた、
賭けてきた。
こんなこと、女だてらにふたりしてしてるなんて、
この地の果てみたいな土地でやっぱりバカみたいなことなのか。

今日もまた新宿で活動しているある女性と話しました。
「あなたたちは先を行き過ぎているかから」。
言われても言われても、どうにもなりません。


分かち合いたい。
語り継ぎたい。

このまま黙って死にたくない。

いや、このまま黙って死ぬほうが皆の望むところなのかな、
とふと思ったりもします。

だって、
性的少数派の懸案事項は、
「自己肯定」であり、「カミングアウト」なのだと、
彼女は語りました。それだけといってもいいくらい。

だから、私たちが「異性愛者」に見えてしまう人もいるかもしれない。

これってとっても不当だけれど、どことなく判るのが切ないね。


やっぱり私たちはこのまま死んでいくのだろうか。

浮かんだ言葉を書きました。

『モモ』という本を開ける環境にある方は、どうぞ開いてください。

このまま誰ともこの豊かさを分け合えなければ、
そう、モモは死んでしまうだろう、と言っています。


そう。
やっぱり私たちはこのまま死んでいくのだろうか。

浮かんでは消えるあぶくのように。
浮かんでは消える煙のように。
浮かんでは消えるシャボン玉のように。

おやすみー。

少しずつ、この豊かさを翻訳できる人、
語れる人、伝えられる人が、
現れなければダメだー。

理解したいと思っている人が、
関西や北海道や東京や千葉に散らばっているのではダメダー。

もはや、だめ。


牢獄みたいなこの土地におさらばしたい。

でなければ、
やっぱり私たちはこのまま死ぬのだろうかね。

ケイコ

| 先を行き過ぎた苦悩と至福のただなかから | 04:16 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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