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ジャーニーでなにかが動いたのかしら、なにがどうなふうに反応していたのかしら…三つのメッセージとともに

ジャーニーの軸でもある、陶展の搬出を終えて、
十日たつというのに、いまだにゆっくり休んだりはしていなかったんだな。
ヒデコなんて考えられないくらい、次々と課題をこなしてもいる。
こなしている、なんて言えないほどの難題だったりもする。

だのに、今日は、ふたりともにぼけぼけの頭と心でよく笑った。
ジャーニー№2のお礼状を書きながら、
「大変失礼な礼状だと思った方には、お詫び申し上げます」って書くかな、とか、
まあ、このかんの経緯を知らなければ、ふたりでバカ笑いなんてできないよねー。

ジャーニーって、「センチメンタルジャーニー」っていうくらいだから、
ちょっと気持ち的にはさまよってもいいんだよなあって思うけれど、
まあ、ふたりともほとんど寝る時間もなく、
ただただ、力尽きたときに寝るだけの日々をよくぞ生き抜いてきたぞ。


よしよし、よくやった、よくやった。
「失礼だっとことがいつまでたったらわかるんです」なんて、
まったくの冤罪で往生したこともあった。
まあ、冤罪ねらいの出来事だったんだなあ、と今さらながらわかる。
淡々と、次へと生き抜くべき時間を生きていくだけ。
それだけだね。


いいこともいっぱいあったよ。
ジャーニーは夢でも幻でもなかったよ。

でも、さすがに、昨日も今日もわたしは機能していない。
いや、昨日は二つかな、ブログをアップはしたんだっけ。

今日は、14日に向けて、地元のある方に、
遠方の何人かに発送しようとして、めまいがして吐き気がしてやめた。
もう、「発送」という作業そのものがキャパ超えているんだな。

14日に向けて、リーフレットを置いてもらうだけでも、
いくつもの出来事に遭遇した。
良いことも、思わぬこともあった。

何もかもが、必然的におのずとこうなったかのように、
でも、今日はへろへろのくたくたで、
めまいがして、昨日までは足元もおぼつかなくて、
転びそうになったりとか…。

で、今日は、こんな私たちふたりがふたりでだよー。
まあ、色々その日によって、搬入とか搬出とか、
イベントとか、手伝ってくださる方々はいたにしても、
やっぱりふたり、どこまでもふたりのジャーニーで、
やれたことを、大声で笑いながら、
それは、ののしられたことも含まれてはいるものの、
だからこそ、大声で笑いながら、
ここは、大真面目に、確かに届けられた
三つのメッセージを掲載させていただいて、
今日のご報告のしめとします。

いつだったかな。

そうだ、2012年の5月の自主企画イベントのとき、
会場の人々に「化学反応が起きていた」と表現して、
伝えてくれた人がいたっけ。
うむ、そういう反応、おそらくこの地元でも、
少しずつは起きているような、そんな気がする。
そういった化学反応に耐えられない人が、
間違ってというより、まったく意に沿わないなにものかに反発して、
ののしったりもするのよね。
そんなことほんのわずかでも、
けっこう、別の営みに飛び火したりするから、
たまらないけれど、これもまた人生なんでしょう。

人と人が出逢えば化学反応は起きます。
ジャーニーが終わっても、
そんなことが続いてもいます。

14日の小さな集いに向けて、
会場のお寺の方とかなり話し込んだり、
まあ、いろいろ。

それでは、お三方からのメッセージを貼り付けて、
それから、今日のことは「笑い飛ばしてゆるして」
「おやすみゆっくり眠りなさい」とします。

PARAさんより
ベロ亭ジャーニー2に寄せて

夏、軽井沢でのベロ亭ジャーニーから4か月、季節は夏から冬へと移り変わります。
あの7月の夜の体験は、それまで「文字」として見ていた二次元の言葉が圧倒的立体感をもって迫ってくるというものでした。音楽ではない、声だけでもない、舞台でもなく、それは全体としての表現。
物体としての形がないその表現に、波動ともいえる力の強さを感じたのです。

何ものからも目を逸らしてはいけない、考える事を諦めてはいけない。

自らの生に疑問を持ち、次の瞬間にも床に身を投げ出そうと、いや投げ出すまいと足を踏ん張り、下を向く頭の重さにじっと耐えている全ての人に。空を見上げても、鳥や花にさえ涙がにじむその人に、体感してほしいと思います。

自然の中で出会いたい陶彫達。
生も死もその中に抱き、流れすぎて行く時をいっとき、その場にとどめさせます。
おそれ傷ついている生に、死に、正面から向き合う事を私に語り掛ける作品たち。
その中に、温もりを感じます。

私のパートナーは言います。なぜそこまでべろ亭のお二人に惹かれ、こだわるのか。ともすれは心安い友人の言葉にさえ、打ちひしがれてしまうあなたが、と。
目を逸らしやり過ごすことで無事を保つ生活の中で、私が向き合うべきものに、本能的に、反応したのではないかと今は思います。

会いに行きます。今回もこれからも許される限り。

2014年11月14日

ベロ亭ジャーニーと№2と、「生と死を思う辺境の森」構想の実現へと思いを伝えた
お手紙に返信いただいた、ある研究者からのメッセージ

封書案内届きました。陶彫作品のカードがまず強烈に目に入りました。電線巻き用のテーブル?に置かれた、背後の手触り感が豊かなカップも穏やかなイメージで好印象でした。

中央の陶彫作品は、最初はペルーのインディオモデルかとも思いましたが、表情が欧米近代のまなざしと意思に貫かれているので、リアルな表情も手伝って不思議な印象を持ちました。それもそのはず、ハンナ・アーレントを模したと知って納得。

「お天気雨に虹ネット」通信も読みごたえがありました。硬軟取り混ぜたトピックとタッチながら、生きる決意という以上に「生きていく覚悟」のような奥深い世界を感じました。まさに「辺境の森」でしょうかね。

新しい試みと越えるべき課題への挑戦、メッセージに感じ入りました。
盛会を希っています。


最後は、カゲちゃんからのメッセージです。
とうとう、虹ではもはやなく、
オーロラと仲良くしなくてはならないみたいですね。
うむ、オーロラの本物見てみたいなあ。


この間ラジオでの朗読で耳に残ったのは
「そこはとても賑やかなところで・・・」

今 年賀状の仕事で極光(オーロラ)をテーマにしようとしていて資料を見ているんだ
けど
オーロラはあの世とこの世を結ぶものと考えられてきたみたいです。
美しいけど、虹より不思議な現象なので
吉兆というよりは不吉・不気味と思われたり。
動かない写真で見てもぞくっとするものがあるけど、
動画はたしかにすごいものがある。

恵子ちゃんと英子ちゃんが希求しているものは
人とのやりとり、関係性に生まれるものなんだと
あらためてしみじみ思います。

せいいっぱい生きて表現してなげかけるのはそれゆえ。
自己主張や自己表現を体現している強い人って曲解されているような気がする。
人との関係におびえている人が多いから・・・
やりとりにおびえ、自分を表現しないから・・・
あえて表現とやりとりに挑む人を強くて特別な人と思い込む。
そんなんじゃないのにな。
人とちゃんと向かい合ってやりとりしないから
このくにはどんどんひさんになっている。
平気で人をおとしめたり傷つけ、自分もだめにしてしまってる。

そこはとてもにぎやかなところで、
があの日はうれしかった。
私とこの世で縁を結んだ人びとがそこにいるはずだから。

外は雪がふってるようです。

樹雨工房 景平 洋子




ケイコ
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