「声」というものを、あらためて思わせるメッセージが、ラジオの印象として届く
「声」というものを、あらためて思わせるメッセージが、ラジオの印象として届く。かおるさんのメッセージから感じた、のえのこと、そして私のこと…。
眼前には、竹内敏晴氏の「ことばがひらかれるとき」、「声が生まれる」、「『からだ』と『ことば』のレッスン」など、発語とからだのつながりを微細に語る、その道をきわめた著者の文庫や新書が並んでいる。今夜9時半にかおるさんから届いたメールにふれて、「声」について、また言葉との響きあいやつらなりについて、ひしひしと思った。
私は時に失声に入り込むことがある。娘を喪う以前は、抑圧的な人…特にウーマンパワーを打ち出す女性政治家!…を前にすると、ややどもったり、言葉が引き気味になったりもする。子どもの頃からそうだった。
最近はそういうシーンにはほぼ遭遇しないし、そういう場面でも、鍛練の甲斐あって、びしばし言うべきことを言う人と思われているかもしれない。
失声症状というものは、なかなか伝わらないものでもある。
「えっ、風邪で喉をやられたんですか」とある自死遺族の分かち合いですら、言われたことがある。
「いいえ、発声器官になにか問題がある訳ではないんです。もうこれ以上、何を言っても伝わらない、伝えようがない、そういったストレスというか、奥深い慟哭のようなものが限界をこえて、言葉を発する意味をなくしたとき、声が出なくなるんです…。」
多くの人には、実際そういう人に触れたり、みずから経験したことがなければ判らないことらしい。が、実は見えないところで、かなり多くの人に発症していると思われる。
なにも、あのお堀に囲まれて、人間的な暮らしを奪われたうえに、姓名を持たない一家の「姑」にあたる人物だけに起こる訳ではない。となれば、彼女は家制度の最高峰を生かされた犠牲者でもある。
PTSDに匹敵する体験、自分で解決のしようのないジレンマを伴うストレス、などなど、引き金は様々だろうが、自死でノコサレタ人にも、むろんそういう症状が出ることはある。あきらめて、何も伝えたいと思わなければ、別の症状なのかもしれない。リューマチの悪化とか、一年半寝たきりとか、様ざまな依存症とか、自死でノコサレルという体験のあとに起きる状態は、そういう人の数だけ千差万別にあるのだ。
グリーフケアとしての「ねぎらい」やら、「なにげない寄り添い」やらが適切にあったら、また本人が悲しみを否定せずに生きられる環境があり、体験そのものがグリーフワークとして滞らなければ、そういう余計かもしれない、寄り道的かつ壊滅的な症状は回避できるはずだと私は思っている。
私が十日間、声が出なくなったときは、娘の本の執筆の山場と、そこに向き合う作業への無理解の最たるものがふたつも重なったうえに、別件で身内のように親しいけれど、実は理解し合っている訳ではない地元の同世代とぶつかった直後のことだった。
実はそれよりずっと以前には別の症状もあったが、それについては今日は触れない。
ただ、それがあの番組後の、なにやらマイノリティの旗手との間で起きたことだけは、おさえておこう。とはいえ、相手は私に何が起きたかは何も知らない。
私は大人だから、大人としてふるまう。ふるまうときには、なんともなく生きていると思われがちだ。みんな「こども」だから仕方あるまい。求めても求めても、やむないことの連続でもある。
求めることは、とおにやめた。絶望はしかとある。
が、むろんあきらめてはいない。
声。
のえは声の人だった。それは、のえに惚れ込んだ音楽仲間なら口をそろえる。
声。
私は自作の言葉を、詩を、朗読する者だ。最近では、唄と朗読の透き間のような、「声の演奏」とも「フリージャズ」とも言われる、不思議な表現に行きついている。そうしかできないというか、そうとしかありえない、そんな声とともに。
さて、今晩、かおるさんから届いたメールを紹介しよう。
体調も思わしくないうえに、仕事も立て込んでいるなかで、一旦、仮眠をとってから書いてきてくれた、そんな内容である。
「本放送をインターネットを通じて拝聴しました。
仕事場で聴いていたので、途中電話などの邪魔が入ってしまい、完全な状態で聴けてはいません。
英子さんのお話は後半のみしか聴けませんでした。
想像以上に低いいいお声だなあと思いました。
告知にありました、のえさんの歌が聴きたいというのが、一番の楽しみでした。
どんな歌を聴くときでも、私は耳で聴く言葉が頭に入ってきません。唱だけではなく話も同じと言えます。言葉は文字で読まないと理解ができないのです。
その歌は、声と音は、耳に心地よく力強くもあり、心の中にずしりとくるものでした。文字であらためて歌詞を読んでみたいと思っています。かなうものならば。
恵子さんのお声を聞いたとき、ああ、お電話と同じ声だとバカみたいですけど思いました。
Sotto虹に書かれる文章とお話しする声の印象は、かなり違うなと思います。
こんなに柔らかい声、優しい口調で話しかけてくださっているのだ、文字の鋭い考察は、この柔らかい人から発せられているのだなと、ラジオを聴いていて思ったわけです。
途中、嗚咽されましたね。(恵子注⇒やっぱりここでも伝わっていたんだなあ‼) 思いを全身全霊で絞り出すように、語られていらっしゃいました。
あの後は、かなりお疲れになったであろうと想像しています。ご自分の奥深くにあるものをすくいだし、眼の前に人がいない状況でマイクに向かって語る。その場で聴衆の反応は見て取れない。大変なお仕事であったことでしょう。」
つけ加える。ミキサーの女性はかなり物も判り、人の痛みも感じ取る人物である。彼女がいてくれるから、どんなことでも語れる、というのが英子がここまで継続できた背景にあると言える。私のあの内容であれば、それについては言うまでもない。ミキサーの担い手は機械をあやつるだけではないはずだ。
「うたうたい のえ」の草創期。
彼女は新宿の東口のガード下を、夜通しの拠りどころとしてスタートした。
その場所で切磋琢磨した音楽仲間が私に伝えた。
「のえの唄は、声、声の波動そのもの…」。
それからこう伝える人もいた。
「実際この眼でよく見たものです。言葉が判らない外国人が、のえに真っ先に近づいていく…。それよりも何よりも驚いたのは、眼が見えないかたが近づいていったとき。そういう大変なかたをも引きつける声の力が、のえにはあった…。
僕らは真似しようったって、どう転んでもできない。」
Sotto虹の投稿で、私の書く文面の意味あい、抒情、論理などを読みこんでいる、ここ数カ月の読者のひとりが、こうしてラジオから「声」を聴き取っていたことは、今日という日、大きなことである。
声はむろん、意味を伴う。
しかしながら、声そのものは感覚そのものの発露である。
それが届いた人の存在を、心から祝う。
のえのあの「声」とともに。
カゲさんが言ったように、あの特別な声が届いた人がいた。
そのことを祝したい。
かおるさん、ありがとう。こころの底から、ね。
2016年5月17日午後11時50分 米谷恵子
リーチ63人
眼前には、竹内敏晴氏の「ことばがひらかれるとき」、「声が生まれる」、「『からだ』と『ことば』のレッスン」など、発語とからだのつながりを微細に語る、その道をきわめた著者の文庫や新書が並んでいる。今夜9時半にかおるさんから届いたメールにふれて、「声」について、また言葉との響きあいやつらなりについて、ひしひしと思った。
私は時に失声に入り込むことがある。娘を喪う以前は、抑圧的な人…特にウーマンパワーを打ち出す女性政治家!…を前にすると、ややどもったり、言葉が引き気味になったりもする。子どもの頃からそうだった。
最近はそういうシーンにはほぼ遭遇しないし、そういう場面でも、鍛練の甲斐あって、びしばし言うべきことを言う人と思われているかもしれない。
失声症状というものは、なかなか伝わらないものでもある。
「えっ、風邪で喉をやられたんですか」とある自死遺族の分かち合いですら、言われたことがある。
「いいえ、発声器官になにか問題がある訳ではないんです。もうこれ以上、何を言っても伝わらない、伝えようがない、そういったストレスというか、奥深い慟哭のようなものが限界をこえて、言葉を発する意味をなくしたとき、声が出なくなるんです…。」
多くの人には、実際そういう人に触れたり、みずから経験したことがなければ判らないことらしい。が、実は見えないところで、かなり多くの人に発症していると思われる。
なにも、あのお堀に囲まれて、人間的な暮らしを奪われたうえに、姓名を持たない一家の「姑」にあたる人物だけに起こる訳ではない。となれば、彼女は家制度の最高峰を生かされた犠牲者でもある。
PTSDに匹敵する体験、自分で解決のしようのないジレンマを伴うストレス、などなど、引き金は様々だろうが、自死でノコサレタ人にも、むろんそういう症状が出ることはある。あきらめて、何も伝えたいと思わなければ、別の症状なのかもしれない。リューマチの悪化とか、一年半寝たきりとか、様ざまな依存症とか、自死でノコサレルという体験のあとに起きる状態は、そういう人の数だけ千差万別にあるのだ。
グリーフケアとしての「ねぎらい」やら、「なにげない寄り添い」やらが適切にあったら、また本人が悲しみを否定せずに生きられる環境があり、体験そのものがグリーフワークとして滞らなければ、そういう余計かもしれない、寄り道的かつ壊滅的な症状は回避できるはずだと私は思っている。
私が十日間、声が出なくなったときは、娘の本の執筆の山場と、そこに向き合う作業への無理解の最たるものがふたつも重なったうえに、別件で身内のように親しいけれど、実は理解し合っている訳ではない地元の同世代とぶつかった直後のことだった。
実はそれよりずっと以前には別の症状もあったが、それについては今日は触れない。
ただ、それがあの番組後の、なにやらマイノリティの旗手との間で起きたことだけは、おさえておこう。とはいえ、相手は私に何が起きたかは何も知らない。
私は大人だから、大人としてふるまう。ふるまうときには、なんともなく生きていると思われがちだ。みんな「こども」だから仕方あるまい。求めても求めても、やむないことの連続でもある。
求めることは、とおにやめた。絶望はしかとある。
が、むろんあきらめてはいない。
声。
のえは声の人だった。それは、のえに惚れ込んだ音楽仲間なら口をそろえる。
声。
私は自作の言葉を、詩を、朗読する者だ。最近では、唄と朗読の透き間のような、「声の演奏」とも「フリージャズ」とも言われる、不思議な表現に行きついている。そうしかできないというか、そうとしかありえない、そんな声とともに。
さて、今晩、かおるさんから届いたメールを紹介しよう。
体調も思わしくないうえに、仕事も立て込んでいるなかで、一旦、仮眠をとってから書いてきてくれた、そんな内容である。
「本放送をインターネットを通じて拝聴しました。
仕事場で聴いていたので、途中電話などの邪魔が入ってしまい、完全な状態で聴けてはいません。
英子さんのお話は後半のみしか聴けませんでした。
想像以上に低いいいお声だなあと思いました。
告知にありました、のえさんの歌が聴きたいというのが、一番の楽しみでした。
どんな歌を聴くときでも、私は耳で聴く言葉が頭に入ってきません。唱だけではなく話も同じと言えます。言葉は文字で読まないと理解ができないのです。
その歌は、声と音は、耳に心地よく力強くもあり、心の中にずしりとくるものでした。文字であらためて歌詞を読んでみたいと思っています。かなうものならば。
恵子さんのお声を聞いたとき、ああ、お電話と同じ声だとバカみたいですけど思いました。
Sotto虹に書かれる文章とお話しする声の印象は、かなり違うなと思います。
こんなに柔らかい声、優しい口調で話しかけてくださっているのだ、文字の鋭い考察は、この柔らかい人から発せられているのだなと、ラジオを聴いていて思ったわけです。
途中、嗚咽されましたね。(恵子注⇒やっぱりここでも伝わっていたんだなあ‼) 思いを全身全霊で絞り出すように、語られていらっしゃいました。
あの後は、かなりお疲れになったであろうと想像しています。ご自分の奥深くにあるものをすくいだし、眼の前に人がいない状況でマイクに向かって語る。その場で聴衆の反応は見て取れない。大変なお仕事であったことでしょう。」
つけ加える。ミキサーの女性はかなり物も判り、人の痛みも感じ取る人物である。彼女がいてくれるから、どんなことでも語れる、というのが英子がここまで継続できた背景にあると言える。私のあの内容であれば、それについては言うまでもない。ミキサーの担い手は機械をあやつるだけではないはずだ。
「うたうたい のえ」の草創期。
彼女は新宿の東口のガード下を、夜通しの拠りどころとしてスタートした。
その場所で切磋琢磨した音楽仲間が私に伝えた。
「のえの唄は、声、声の波動そのもの…」。
それからこう伝える人もいた。
「実際この眼でよく見たものです。言葉が判らない外国人が、のえに真っ先に近づいていく…。それよりも何よりも驚いたのは、眼が見えないかたが近づいていったとき。そういう大変なかたをも引きつける声の力が、のえにはあった…。
僕らは真似しようったって、どう転んでもできない。」
Sotto虹の投稿で、私の書く文面の意味あい、抒情、論理などを読みこんでいる、ここ数カ月の読者のひとりが、こうしてラジオから「声」を聴き取っていたことは、今日という日、大きなことである。
声はむろん、意味を伴う。
しかしながら、声そのものは感覚そのものの発露である。
それが届いた人の存在を、心から祝う。
のえのあの「声」とともに。
カゲさんが言ったように、あの特別な声が届いた人がいた。
そのことを祝したい。
かおるさん、ありがとう。こころの底から、ね。
2016年5月17日午後11時50分 米谷恵子
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