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クスコで窯たき

ペルーで、日本語のグループの手伝いをし続けながら
やっぱり、土のかたちを作りたい
この自分の気持ちを大切にしたい。

ところが実はコレは途方もないことだ。
ここのところ、連日グループがんばろうのメンバーと
これからどうするかはなし続けている。

時に、11時、12時まで会議だ。
それでも、朝から夕方まで、つくり続けないと
3ヶ月の滞在で窯がたけるはずがない。

もちろん、漢字のクラスも毎日あるから、
午後、工房にいけない日も多い。

日曜出勤までする、猛烈陶芸家をしてもいた。

それにしても、工房の人間関係はおもしろい。
スペイン語オンリーの世界で
地獄に落ちる日もあれば
冗談言いっぱなしのヒデコを披露する日もある。




世界的な彫刻家カルロスに、この間は陶芸の指導をし続けて
痛快だった。
一言で、作りたいお互いが理解し合えるからだ。
先進国の価格で仕事をしている彼に指導して、
ペルー価格の支払いを受ける不当な感覚は
否めないが。

私の仕事を丸ごと助けてくれるセルソー、
手助けはゆっくりだが、何とか着いて来てくれるファン。

そして今日ついに窯をたけた。
もう、大変なことになっている、日本語のグループの10人くらいが
お祝いを持ってきてくれた。

ケイコももちろん食料を抱えて、現れる。
思わぬ楽しい日になった。



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| インカ工房のヒデコ | 14:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ペルーの少年陶芸家

ペルーでは、日本では考えられないほど
子どもの頃から、やきものを始めます。

日本で私の拙著「土器の唄がきこえるか」にも書いた
チュルカナスのマネノは
今月鎌倉で個展をする。
彼も、13歳からやきものの仕事をした人だ。

アヤクチョで1990年代まで活躍した私の大好きな故ティネオ
の孫は彼がなくなった一ヵ月後同地で生まれた。

右の写真は故ティネオの娘と同名の孫ティネオの工房に行って撮ったものです。
孫ティネオはすでにすばらしい作品を11歳にして作り始めています。
作品は日本に持ち帰ります。






今、ヒデコはインカ工房で広島の個展に向けて
作品を作り続けている日々です。

そこに最近登場したのが、次の写真のフランクリン君。
彼は、クスコからチチカカ湖に向かう途中のやきものの村
プカラ村カラ来た17歳の陶芸家だ。

やはりおじいさんの代から焼き物をやっている家庭に生まれ、
お父さんからたくさんの技術を学び
すでにフランクリン君は30人の生徒を持っているという。

毎日彼と話をしている。
はじめ彼は私にろくろを教えてやろうかと思った。
私が、なれない粘土と格闘していたからだ。

その後毎日、彼と話す。
日本のやきものの本を見せたり、
いろんな話をする。
かなりの感受性だ。

ペルー全土の経済状況や
家庭環境や、日々の暮らしぶりや
すべてをかんじつつ彼の陶芸家ぶりに触れる毎日。
涙がこぼれることもしばしば。

生きることの意味が余りにも日本と違う。
このことは、帰ってから私の作品と共に
ゆっくり報告するつもりだ。


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| インカ工房のヒデコ | 11:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ろくろが燃えた!

アヤクチョから戻った私ヒデコは、月曜から、工房に復帰。
さあ、ろくろで、低温のやきものをつくろうと、ろくろにスイッチを入れた。
アー大丈夫だ・・。

つまり、いつも、1週間も留守をすると工房に異変がある。
だから、ろくろが動かなかったら内心どうしようと考えていた。

モーターが回った。
よかった!

桶に水を準備して、土をろくろにおいて、「うーん」何かくさい。
隣人がまた何か燃やしているのだろう・・。

振り向くと、もっと臭みが増す。
と、ろくろを見ると、モーターから煙が・・。

あー、だめだ、モーターが燃えてしまった。

コレでろくろは使えない。
いつまでかかるか。
とにかく技術屋のウィリーさんを
呼ばなくてはならない。

私の拙著「土器の唄がきこえるか」の193ページに書いたウィリーさんです。
窯を直すのを手伝ってくれたウィリーさんです。

3年もあっていないので、誰かと一緒に行ったほうがよいかと
この頃、工房に来ないフレディ君に電話をして
「来て、助けて」と。

かくしてフレディ君とウィリーさんの工房にいった。

今日は、ペルーは水曜日です。
月曜日に来てもらい、「明日できる」ということだった。

もちろん、信じていない。
明日は、永久の未来を意味する。

モーターは私が2004年に買ったもの。
そのときも工房のろくろのモータが燃えてしまって、
新しいものを、私が購入した。

今回は、新品を買いたくないから、モーターをウィリーさんに作ってもらうことにした。

写真は、今日、催促に出かけて、私が撮った写真で、
銅線でコイルを巻いて、ウィリーさんの弟が、モーターを作っているところ。
これからは、3相電流用のモーターに変えるそうで、
もう、燃えることはないといっている。

コイルを巻くところからだから大変。
コレではいつになるかわかりらない。
また、今日「明日」といわれたが。

何でも造ってしまうすごい国です。





| インカ工房のヒデコ | 08:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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電気がない!

インカ工房に通勤しているヒデコは、9月末の高温焼成の窯焚きに向けて、使いにくい轆轤を駆使して、鉢をだいぶ作りました。

翌日削ろうとすると、電気がない。

フリオさん曰く。
「2ヶ月電気代を払わなかったんだ。明日かと思っていたら今日切られちゃった。」
「えー、轆轤を引いていたから、今日は削りだよ。乾いちゃうじゃないの!」
「ヒデコ、一部助けてくれないか」
おー、こう来たか。・・・。
私は、個室を持ったのだし、家賃のつもりで少し出すかな・・。
「100ドル助けようかな。いいかな?」
「もちろんいいよ。」残りはは奥さんに相談するという。
「でも、払ってっていつ電気が来るの?硬くなったら、困るんだから」
「すぐくるよ。今から払いに行ってくるから」

と言うわけで、その日は往復のタクシー代280円と100ドルの出費。
仕事は何もできませんでした。
日本から持っていった、発砲スチロールの箱にしっかり入れて帰りました。
理不尽な気持ちは拭い去れなかったのですが。

写真は、工房の労働者フレディ君。
ケチュア語のほうが得意で、日本語の単語はどんどんマスターする。
ここのところなぜか休みがち。
どうしたものか。
この工房は人が定着しない。







| インカ工房のヒデコ | 08:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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工房の助っ人二人

教室のあるキスピカンンチス地区から
工房のあるサンティアゴ地区までバスに揺られていくと
30分ほどの通勤時間だ。

工房には主のフリオはいない。
写真の窯の模型を持って、
他の技術士とともにリマに行っているのだ。

この窯はフリオが作って私が改装したものだが。

彼はリマで窯のコンテストがあって行っている。
私は、世話になっているフリオに棚板やレンガをリマで買えるように、
個人的にかなりのカンパをこの際張り込んだ。

それでいまだに帰ってこない。

鬼のいない間にと言うわけでもないが
工房の私の仕事はどんどん進んでいる。

工房には留守番の、フレディとファンがいる。

彼らは根っからの先住民で、ほとんどの会話を
自然とケチュア語で話す。

聞いていて気持ちがいい言語だ。
日本語なんかにも近く感ずる。

彼らの目はきれいだ。
彼らの話は純粋素朴すぎて、こちらが大変だ。
特に、年配のファンは、話にのめりこみやすい。
話していることをすぐに実行しようとする。

私の異文化的存在が彼を脅かしていなければよいのだが・・。

フレディは、石膏がたくさん産出するピサック地方で生まれた。
子どものころから石膏で遊んでいたそうだ。

今日はだからフレディに私の、広島の個展の製作のための
型作りを手伝ってもらって、成功した。
そんな、子どものころの話を聞けるのも
とても自然な時間で、私の心は潤った。

この二人のことはまた続編で。



| インカ工房のヒデコ | 05:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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