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『ロスト・シティ・レディオ』も『闇の列車・光の旅』だ、リアルすぎる

『ロスト・シティ・レディオ』も『闇の列車・光の旅』だ、リアルすぎる

小説を読むんだから、おおいに楽しもうと思っていたから、付箋なんかするつもりはなかったけれど、やはり引っ張り出してきて、言葉のあまりにつよい喚起力にいくつか、つけた箇所より。

十年間、彼は記憶という、生と死のあいだの冥界に存在してきた。卑劣にも、残虐にも、『行方不明』と呼ばれて。そして、彼女は彼の亡霊とともに生き、普段通りの生活を続けた。彼は休暇が長引いているだけで、消息を絶ったわけではなく、おそらくは死んでいるわけでもない、とでもいうように。最初のころは探偵の真似事もしたが、ある意味では、そうしたことをやめてからのほうがすべて楽になった。諦めたのではなく、ただやめた。
   52頁

それは大量殺戮で、無数の死者たちという形での祝勝会なのだ、と…戦争が終わるとは、つまるところ、命を捨てようという者がどちらかの側にいなくなるということなのでは?   55頁

少年のせいではない。ビクトルはほとんど話をしなかった。固い沈黙の下に埋もれた、もつれあう感情と見開いた観察眼…それが少年だった。彼が何を見てきたのかは分からなかったが、そのせいでほとんど口がきけなくなっていた。小柄で細い体格で、堂々としたところはなかった。台所のひんやりしたタイルの上で寝ることになっても、柔らかいクッションのあるソファと同じくらい満足しただろう。     67頁


あまりにリアルに読み進んでいくなかで、上記のどれも、いっそうリアルに身につまされるように入ってきたところだ。

あからさまで、むきだしの、どこもかしこもラテンアメリカの内戦の長い苦い年月…。
あからさまで、むきだしの、どこもかしこもラテンアメリカの内戦の長い苦い年月…。


私は少年ビクトルをその表情から内面、立ち居振る舞いまでよくよく知っているし、戦争が終わったあとの、一人一人に刻まれた爪痕の深さも知っている。行方不明者の家族として、友人として生きた人々を知っている。

だって、ラテンアメリカのあの光を探した教室で私は出逢っていたんだから。
「先生、虐殺が当たり前になると、慣れてしまうんです。銃声が一発、ああ一人、二発目、ああ二人目、三発目、三人目…。」
そんな会話をしたことすらあるんだから。

「政府軍」という虚構と、「ゲリラ」という虚構が入り乱れて、結局のところいちばん貧しく弱い、先住民の村や、奥地の人々が苛烈な殺し合いにのみこまれていくんだから。

弟が大学を卒業するというその日に、二度と帰ってこなくなった、そんな体験を持つ友人もいた。彼のお兄さんは最近亡くなった。きわめて繊細な神経の持ち主で、大学教授をしていたけれど、アルコール依存で続けられなくなり、体を壊したはてのことだった。
ここE県で働いていたこともある彼とは、今でも連絡を取り合っている。彼は、こんなことを理解できる日本人がいるとは思っていなかったと語った。

『闇の列車・光の旅』というメキシコ映画がある。4年ほど前に見て、一人一人の登場人物がみんなみんな、あのクラスの生徒たちにかさなってしまって、私にはそのリアルさのあまり、たまらない映像であり、顛末であった。

アメリカへの国境を越えようと、列車の屋根にしがみついて旅する貧しい人々の群れ。
ギャングの一味だった少年が、手をかけられそうになったある少女を救い、ギャングの一味にねらわれつづけるという背景があり、二人の恋がけっして実るわけがないというのが主旋律。途中ではレイプあり、殺人あり、なんでもありのなかで、なんとか国境をこえてアメリカに行きさえすればという『光』を求めての旅。

最後に列車が到着して、少女が国境の泥の川をなんとか筏で泳ぎ渡ろうとした瞬間に、彼女をさきに向かわせた少年が、ギャング一味に追いつかれて、彼女の面前で殺されてしまう。彼女が国境の小さな川をこえる瞬間に。

号泣した。号泣は深い河のようなもので、私がラテンアメリカを知りすぎているせいだと思っていた。深い河は、私の個的な悲嘆とも深い水脈でつながり、そのとき、私は号泣しながら、一時間記憶をなくした。

でも今は分かる。私がラテンアメリカをよく知っていたというせいだけではないと…。
そこにある現実、そこにある紛れもない暴力の連鎖、それでもやみくもに「希望」へとひたはしる人々のむきだしの姿、それが国境をこえて、私の中にも、私の記憶の中にもあるということが今は分かる。それが偶然、のえへの悲しみの水脈につながった訳ではないということが、今は分かる。

2000年にクラスで撮った写真が今、目の前にある。
一人一人との思い出。
最初のクラスの月日の記憶。
イタリア、ドイツ、アメリカ、日本…。
みんなペルーでは、けっして希望を持てなかった顔ぶれが揃っている。
そういう一人一人だから、私たちとも強烈につながろうとしていたのだと分かる。

完璧に、ありえないほど完璧に、私を裏切った生徒はまだここには映っていない。
小さな嘘や、こずるいペテン、そんなのは慣れっこになっていた。
ただ、あそこまで完璧にやられるというのは、きわめつきの体験となった。

ただ、忠実で、きわめて誠実だった、生徒たちのリーダー格の男性が、このときから最後までいたのだとこの写真を見てあらためて思う。

その彼とて、ありえないほど完璧に裏切った生徒の存在と力ゆえに、その誠実さを保てなかったまでのこと、保てない程度だったのだ。
しかしながら、そう言い切れるほどには、日本人である私の位置はけっして「公平」ではないのだ。

苦い。
苦い教室の記憶…。

『ロスト・シティ・レディオ』。
『闇の列車・光の旅』。

ただむきだしなだけ。赤裸々なだけ。
光も闇も完璧なまでに乱暴で放埒であからさまなだけ。


日本の内戦は誰からも見えないだけ。
ひとにぎりの、いや、本当はかなりの犠牲者がうごめいているというのに、
沈黙のなか、あえいでいるというのに、
見えない内戦は、どこまで行っても見えないのだ。

光も闇も、「幸福」のよろいで目を覆われて、完璧に伏せられているのだ。
秘密の国。
誰も殺さなくとも、殺されつづけているのだ。
この国では…。
日本では…。

ケイコ
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| 文学の森にわけいる | 00:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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南米の失踪者の、圧制下のルーマニアの沈黙が、長居公園の奪われたテント村が、奏でる吟遊詩

今日読んだ本、
新進のペルー系米国人作家、ダニエル・アラルコンの『ロスト・シティ・レディオ』の続き、
着いたばかりのヘルター・ミューラーの短編集『澱み』の中の最初の短編『弔辞』。

それから、何度も、多分4回聞いて、
音源の吟遊詩を全部言葉に起こした、「うたうたい のえ」の『かえりみち』、
2009年4月30日の長居公園での録音。

本当は、「のえと共に」のカテゴリーにしてもいいんだけれど、
のえの吟遊詩をむしろ、世界に輝く語り部として見たほうがよりふさわしいと、
カテゴリーは、少し前に、創った「文学の森にわけいる」にした。

私はあんまり日本文学は読まないほうだ。
偉そうなことは言えないかもしれないけれど、
どんなにうまくできていても、どんなに感動があっても、
日本のものって、最後に、読後に、じわじわっと、
「それで、どうなの、どうなのよー」って思いが突き上げることが多いんだ。

ダニエル・アラルコンは、
南米の、特に彼のルーツであるペルーの奥地の村々の失踪者から、
リアルで生々しくて、やさしくって残酷なモデルを得ているし、
そんな失踪者探しの番組が、首都のラジオ放送でいちばん人気があるってのは、
アルゼンチンがモデルだろうし、
まあ、南米の光と闇なんて、甘っちょろいことは言いたかないけれど、
そう、私もまざまざと知っている空気感だったり、
人の乾きや熱さだったりするから、
ああ、ここまで読んでいたの、すっかり忘れていたって、
続きを、またまた読んでいて、つりこまれて、つりこまれて…。

へルター・ミュラーはすごい、ものすごい。
『弔辞』には息を呑んだな。
残酷なグリム童話のようでもあり、
ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』なんかも彷彿とするけれど、
違う、やっぱりそれとは違う。
なかなかの鋼のような文体。
ちょっとやそっとじゃ、歯が立たないほど、
すごい言葉のつらなりだ。



そして、
そして、昼に、夕方に、夜に、深夜に、
言葉を起こした、のえの『かえりみち』。
あんたはいったいなにを見ていたんだ。
なにを、どれほど見てしまっていたのだ。
書き写すほどに息を呑む。息を呑んでいる。
3回目は泣いていた。4回目は冷静だった。
1回目と2回目は、鉛筆を走らせるのにただ集中。

のえが長居公園の野宿者のテント村の強制退去で、
いやいや、それ以前のテント村の「ふつうの日常」の中で見たものの、
あまりの大きさに、あまりのかけがえのなさにたちどまる。

あんたは、紛れもなく『吟遊詩人』だったんだ、
壮絶な、ありえないほどリアルな、直球の語り部だったんだ。


4回目の文字起こしの直後には、
たまらなくなって、あけてあるピアノのところに行って、
気づけば、のえの『ひとりぼっちの夜』を弾いていた。
自然と音をとっていたな。シンプルな曲。
それでも、音を取れたんだ、弾きたいあまりに…。
  
      ピアノは、最近の乾燥した空気にさらそうと、
      ふたはあけっぱなしにしている。




そんなことごとの合間には、
小さなガラスのコップに花を生けた。
庭でひろった、捨て置いてあったわりには、
立派なヒデコ作の水盤をきれいに洗って、
花をまたまた生けた。

おとといの敦賀で、
生けられていた花も花器もあまりにも悲しかったから、
やってみたくなった。


ルーマニアの一人も味方なんていない凍りついた時間が、
南米の失踪者たちを駆け抜ける絶望の刻一刻が、
のえの見た、長居公園の奇跡と苛烈な変貌ぶりが、
私の中で、脈打っている。
どれも、同じくらいの密度で、
どきんどきんと脈打っている。


朝は、ご飯もつくった。

片づけもした。洗い物もした。

そして、私は、南米と東欧と日本の闇の中で、
言葉という希望を探した人たちの、
希望なんかどこにもなくたって、
ないって事実を丹念に記憶した人たちの、
声をまざまざとも聞いている。

たった今も聞いている。


ケイコ

| 文学の森にわけいる | 02:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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敦賀に同行し、へルター・ミュラーに再び出逢い、夕陽のしおかぜラインを海沿いに走り、帰宅して新鮮な活魚を食す








★★敦賀に同行し、へルター・ミュラーに再び出逢い、
夕陽のしおかぜラインを海沿いに走り、帰宅して新鮮な活魚を食す★★

タイトルとかかわりのない花の写真は、今日、どうしてもミドコロだと訴えている、クレマチスとラナンキュラスです。
クレマチスはまだ植えて間もない。一ヶ月半ほど植えられなかった日々を経ています。
ラナンキュラスは、二ヶ月以上前に4センチくらいの小さな苗…60円!…を購入して、育てたものが大きく花開いたものです。

さて、ここからが本題。
実のところ、少し鳥肌が立っています。まさか、今日、ヒデコが来週から始める陶芸教室の下準備やら兼ねて敦賀に行くのに同行して、作家のへルター・ミュラーに再会するなんて予想だにしていませんでした。

ヒデコが教室を始める、ものすごく郊外の、廃校したもと小学校という、春の光が降りそそぐ、立派すぎるほどの公民館に行き、そこの担当の人がヒデコと話をするのをかたわらに聞きながら、並んでいるパンフレットを集めたり、それから、二人して車に乗って、少し探し回って、お目当ての街中の会館の喫茶室にもずいぶんと長時間いました。

ヒデコは来週からのことがあるから当然ながら真剣。ひとつひとつ丁寧に対処していきます。私はパートナーが始めることをする場所や、関係者に少しくらいは触れておいたほうがいいし、たまには敦賀湾沿いのドライブも良かろうと、今日は決心して同行しました。


もう、敦賀滞在の最後の最後のほうの夕方の時間になって、長居した喫茶室の隣りにある市の図書館に、やっぱりと覗きに行きました。
つくづく、鯖江の図書館にすら行かなくなった自分の必然性を見る思いの、心地よくない数分があったのは確かです。雑多な本の並び、自分が必要としていない様々な本の背表紙の乱立を見るのに耐えられなくなっている自分を明らかに意識したからです。
そして、自分の住む市内の図書館と同じほどの量と質にもすぐ気づきました。
だから、反対隣の鯖江図書館には一年ほど前までは、ともあれ通ってはいたのですが…。

えっ、新書ってだけで、講談社新書も集英社新書も岩波新書もごちゃまぜにしているなんて初めて見るのではないかしら、と、そこそこにして、ここを引き上げたほうがいいと、黄信号が点滅しはじめます。
それでも、すぐ隣の列に外国文学の書棚があって、一気呵成にぱぱぱと覗いてみました。ミヒャエル・エンデ、それにマルグリット・デュラス、あるある、ミラン・クンデラあるなあ、と知らないタイトルの新刊本らしいのも、ほぼ手に取らないままに、はっと気づくものがあって、「あった」と実際声を上げていたと思います。

長いあいだ、出逢いたかったへルター・ミュラーの本が2冊、そこにはなんと実物が、そう実物の本が2冊並んでいたのです。購入しようとして、新刊しかなかった数年前には、とても高くて買えないと、とりあえずあきらめながらも、ずっと気にしていた、ルーマニア出身の在ドイツ・ドイツ語作家にして、ノーベル文学賞を2009年に受賞した作家。
その受賞時の記事が、あまりにも特異で印象的で忘れがたかった女性作家です。

本当はかなりもったいなくて、というか、きわめてプライベートな思いもあるので、書きたくない気持ちもあるのですが、このときの記事は私の書斎の、執筆中のノートパソコンの置いた机からいちばん見える位置に貼ってあります。なにか隠れたお宝みたいな記事として、私自身が言葉を蓄積するときの、深くも大きくも、大胆にも慎重にも、訳知り顔でも、訳など知らぬ顔でも、きわめて大事にしたい、あまりにも大事にしたいと、その記事からねらいをつけた、その感覚があまりにもつよくて、ずっと指標にし、捨てたりしまったりすらせずに、常に、見えるところにありつづけた記事…。

大サービスで再現しましょう。せめて、記事の見出しくらい。
「ノーベル文学賞ヘルタ・ミュラーさん
『私は私、変わらない』」

これは大見出し。
中くらいの見出しには「少数派の歴史意識濃縮」。


帰宅して、すぐに注文。その直前に、『狙われたキツネ』(キツネは前から狩人だった)のレビューを読みました。レビューは二つ。
一つ目。まあ、概観は判るけれど、少し甘い。詰めが弱い。どこに立ってレビューを書いているのか、と問いたくなる甘さが残る。
二つ目。すごいレビューでした。ドイツ語の原書を読んでいる自称理科系の人の、長いけれど、多面的にするどく突いた、ミュラーの真骨頂がとことん判るレビューにうなりました。アマゾンのレビューではもったいないかもってくらい書き込んでありました。

そんなことをしている折、新鮮なとりたての魚が玄関口に届けられました。魚なんていただいたのは、いったい何年ぶりだろう、という感じでした。
ヒデコがさっそくおろして、こりこりで新鮮なお刺身をもりもり二人して食しました。
実は、ヒデコは喫茶室から出て、外食したそうでしたが、喫茶代もかかったし、あまりお金を使いたくなかった私が、家で作ろうと乗りきった結果でした。
「ありがたいね。良かったね」と二人して舌鼓を打ちました。ありがとう。

私は敦賀行きがへルター・ミュラーとの再会になったことで、もう鳥肌立つ思い。帰りのしおかぜライン通過中も早く確認したくて、なんだか急くくらいの思いでしたが、のろい車が前にいるので、ゆっくりゆっくりなんて言いつつ、無事帰り着いた次第です。夕陽が目に痛いくらい、海に輝いていました。楽しく過ごしたあとのそのひととき、ふっと落日にしみるものがありました。

ルーマニアといっても、このブログの読者の多くは、ぴんと来ないのではないかしら。私もルーマニアの映画は一本も見ていないなあと思います。
いや、今日、午後の光降り注ぐ、敦賀湾沿いのしおかぜラインを二人して敦賀へとドライブしていたとき、聴いていたのは、娘ののえの音楽コレクションからの、ブルガリアの民族音楽のCDでした。二人して、インド音楽や、アイヌの奏でる楽器の響きや、南米のフォルクローレや、東北の民謡やに異様につらなる、ものすごい原初的なブルガリアの民族音楽がつづくのに、あれこれ、のえのことやら言いあいながらのドライブでした。
そのとき、ブルガリアの映画って観たことないなあ、ハンガリー映画って、何本か観ているけれど…と思ったのです。そう、ルーマニアではない。

図書館で、すぐに借りられる立場かどうかを確認しました。市の図書館なので在住しているか働いているかしなければダメ。一度喫茶室に戻ってから、二度目、本のタイトルと出版社をメモして戻り、ヒデコにその場でアイホンで検索してもらいました。
これからヒデコがそれなり仕事として通うにしても、あまり行くわけではない敦賀で本を借りるのは得策とは言えないかもしれない、そこで、もしかして今なら価値が上がって高くなっているか、もしかしたら日本ではメジャーになっていなくて、安くなっているかもしれない、そう思ったのです。

やはり古本で手に入れられる値段になっていました。これは私には喜ぶべきことですが、本当は本の価値としては認められていない、という証しなので悲しむべきことです。

長田弘の『読書することは旅すること』は昨年の私の誕生日のプレゼント候補でしたが、まだその時は古本で少し安いのがあったのに、もらいそこねてのち、絶版になって本の価値が上がって、プレミアオークション的価格で高騰しているという現実も一方にあったからです。
だから、へルター・ミュラーが読まれていない、というのはものすごく日本的でさびしい現実であるかもしれない、と即座に思いもしました。

しかしながら、アマゾンの、ドイツ在住で原書で読んだという「クレオ」さんの「原著を損なう翻訳と出版社のコマーシャリズム」と題したレビューを読むと、たとえ、英語、フランス語、スペイン語、そして日本語にも翻訳されてはいても、ぱあっと広がって読まれるような類いの書物ではない、ということが納得されます。なんだか、このレビューには記事を読んでいたときから「予感」していたような事柄がきめ細かく、しかも鋭く書かれていて、もうぞくぞくしてしまいました。

長いレビューからどこを引用すべきか迷うところですが、ピックアップしてみますね。


★へルター・ミュラーはルーマニア国内のドイツ語圏で育った人で、父親はナチドイツに協力していたトラック運転手。ドイツ語を普段使うルーマニア国内の少数民族として成長。
地元の大学の文学部を卒業して政府のための文書作成など下級公務員のようなものをやっていて、政府の都合のいい翻訳をしなかったので即刻クビ。女性としての身体生命の危険があり、ドイツに亡命。その後、社会保障で暮らしながら小説を書いていた。
底辺からはいあがり、作家としてのキャリアを積むことができる地位に上がると、その後はどんどん書いて大きな文学賞をほとんど全部。十二分の才能ありだと思います。


このレビューはここからが、むしろ面白い。

★ただし、他の長編も含めてけっして面白いとは言えません。一章読んで数日後に一章。そんな読み方が最適かも。
ノーベル賞後も読者は少ないと思います。複数の人物を複雑に組み合わせるのが得意で、じつに多面的に語ります。したがって早く読めない。
こういうところが、なんでもインスタントか代替物で済ましてしまう今の世相からみると、不人気の原因かもしれません。
ノーベル文学賞は必ずしも優れた作家に与えられるとは言えないですが、この作者は本物ではないかと考えます。


このあとレビューは、よりいっそう、彼女の言葉の世界の複雑さ豊かさ、文体の構築のしかたの不可思議さへと入っていきます。
「平易で俗向け」「辞書ではわかりにくい言葉をわざわざ使う」「ゆっくり読むと香気溢れる名文」「野卑な体裁を意図的に構成する口語体」などなど、矛盾に満ちた特異性溢れる記述がつづきます。

ちまたの読書会で、このレビュアーは彼女に遭遇しているみたいで、全然偉そうではないとも書いています。こんな一節もレビューにはあります。

★最初の数頁はすごく違和感がありますが、筆者のストーリーの奇抜な設定に驚きながら読み進むと、多次元空間の登場人物が出現しては消えていくので飽きないと思う。

それから、このレビュアーはこの作家の翻訳者にも若干以上の疑義もはさんでいます。注釈なしで、多義性を持つ彼女の独特の造語に耐えられるほどの翻訳をものしている翻訳者かどうかと…。そして、こうおさえます。

★文学史上、きわめて重要な作家であり、少数の人にだけでも長く読まれるべきだと思うので、あえて疑問として書き記します。

それからレビュアーは、「ルーマニアの独裁政治のもとでひそやかに私生活を営む市民を書いたもの」だという、「帯」の言葉が与える先入観とも言うべき愚かな思い込みへの警鐘も鳴らします。つづけて、またもや飛び飛びながら引用します。

★それほどに背後に隠れた政府監視の網の目が描かれている…といえばまあ言えるでしょうが、日本風に言えば一種の私小説。「権力の静かな午後」という言い方などにわずかにわかる仕組みは、われわれの社会生活も想記させる深い洞察力があると思う。

★出版サイドの先入観だけの眼力を疑う。ノーベル文学賞というブランドものを購入すればいいんだというのでは、日本の文学は衰退するだけ…もう衰退しているのかも…だと思います。



ここで、このレビュアーが批判の域にまで立ち入って、あえて書いている、他でもない「翻訳者」が書いた署名記事でもある、私が机の前に貼り付けてあった記事に戻りましょう。
ブログの読者がジグゾーパズルをもう少し解けるような素材を提供します。

☆ミュラーさんは「今は自由だけど決して消し去れないこと」と語ったうえで、「チャウシェスク政権が崩壊した89年に、ようやくもはや脅かされることはないと感じることができました」と話し、祖国にとどまった友人に思いをはせた当時をふりかえる。

☆会見場所にはひな壇ではなく書き机が用意されていたことにも、こだわりの姿勢がうかがえた。「常にノーベル受賞者というわけではなく、机に座っているときも、目玉焼きを作っているときも、ジャガイモを買っているときもある」と語った。

☆初期作品「澱み」では、加害者意識の希薄な村の頑迷固陋(がんめいころう)が糾弾されている。

☆この事実は、まるで罪を負った民族はいかなる罰を受けても当然であるかのように、ファシスト傀儡(かいらい)政権の過去を忘れ去りたい戦後ルーマニアでも、ドイツでも歴史の闇の底に葬り去られてきた。

☆ホロコーストという大罪の前に立ちすくんだ戦後文学は、ドイツ人の戦争被害と真剣に取り組んでこなかった。新作の意義はまずこのタブーを乗り越え、イデオロギー対立の文脈とは別に、歴史の被害者を忘却の淵から救いだそうとする点にある。

☆ノーベル章選考委員会が「故郷喪失の風景」というミュラーの主題ばかりではなく、「濃縮された詩の密度と事実に即した散文の正確さ」という文章の強度を称えたことの意義は大きい。


事実に即した散文の正確さ…は「実体験者に丁寧に取材した上に、極度の飢餓体験と徹底した相互監視体制に身を置き、出国後のドイツにも決してなじむことのできなかった作者自身の体験…に裏付けられているという記述も忘れてはならない点。


ここまで、書いても、あなたのいる日本の現在と響き合わないという読者は、「加害者意識の希薄な村民のひとり」とでも思っていただくしかないような気も少なからずするのですが…。そして、記事中の祖国にのこった友人を思ったという記述には、友人を思い、そしてがんじがらめの体制から守るために、編みださずにはすまなかった彼女の手法すら、思わざるをえません。それは、あながち、私にも身に覚えがないわけではありません。


ところで、今までかなり出し惜しみしてもいたし、控えてもいた「地球上の文学の森への思い」を今日から思いきって、このブログでも書き始めることにしました。
へルター・ミュラーとの、偶然か必然かはわからない「再会」が肩を押してくれたからです。いえ、必然でしょう。なにしろ、彼女はノーベル賞作家。だから、図書館にもあったのですから…。その必然は、本のある図書館と地つづきの現実とは、いまだ出逢っていないとしても…。

思えば、ヒデコ泣かせの、私のこのブログのカテゴリー分類。
「映画・ドラマ・本より」でも、「ケイコの言葉遊び」でも、「辺境の森から」でも、「国境なき話」でも、「現代史の中の私」でも、「なぜ、人は妄想を生きられるのか」でも、そのどれでもあるという気がする今日のブログ。

だからこそ、またまたヒデコならぬ、読者を混乱させるでしょうが、「文学の森にわけいって」というカテゴリーを創出する覚悟を決めました。
本気でこの分野については書いてしまうかもしれない、というおののきと共に。

先月か先々月、コロンビア出身のあの『百年の孤独』の作家、ガルシア・マルケスが亡くなったと聞きました。彼の本との出逢いも、ぼちぼちふり返りたいと思います。

それから、サナエから送られてきた、ペルー系米国人作家、ダニエル・アラルコンの『ロスト・シティ・レディオ』のこともものすごく気になっています。未読。私は紛れもない、冒頭と結末だけ読んで思いを馳せたという不届きな読者です。
1977年生まれのこの作家。彼は、ルーツであるペルーのみならず、南米各国の「政治的」失踪者の現実のただ中にある人々からの、数々の聞き取りを経た上で、5年にも及ぶ執筆の時間をへて、この奇想天外にしてあまりにもリアルな未来的長編小説を生み出しています。

なんか、ぶるぶる震えが来るなあ。

先日、ある先生から、私の詩へのこんな印象が届きました。
「言霊(ことだま)の発露さえ感じました」。
数行の印象の結びに書かれた一行です。

ケイコ

| 文学の森にわけいる | 21:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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