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ニーナ・シモンのヒアカムズザサンが見つからない

ニーナ・シモンのヒアカムズザサンが見つからない

はじけた。

KとHが、もはや何万回目かと判らないほどだったけれど、
それまでになく、いともたやすくはじけた。
あっという間もなく、ぶつかって心が砕けた。
魂が火を噴いた。

はじけた。
KとHが、電光石火のはやさで、瞬く間にはじけた。

それは、お互いのふがいなさではなかった。
伝わらないふがいなさ。
世間の鈍感さ、そんなものが二人におそいかかった、
そんな瞬間だった。

「ダメ出しわざわざしないでよー」とK。
「そんなつもりじゃないよ」と声を高めるH。
「わざわざあれだけエネルギー注いだことが意味がないようなこと言うなよ」
とひときわ大きな声でK。
「どうして、いつも私が言うことがそういうふうに聞こえるんだよ」
とH。
「そういうふうに言っているからそういうふうに聞こえるんだよ」。

その次の瞬間、Hは言った。
「私は赤恥かきにあんな集まりに言っているんだよ。まるでのうのうと…。」

叫んだ。Kが。
ありったけの底の底から声が溢れた。
Kにはそれ以上のHの声が耐えられなかった。
「やめてー、もういいよー、もういいんだよー、やめてー」
ありったけの底の底から、
一瞬にして弾ける、
くだけるすべてが。
すべてが。

それからも、しばらく言いあらそいはつづいた。
KとHのあいだのことではない。
KとHが注いだある集まりの、
ある内容が伝わったかどうかが、そもそもの会話の発端だった
伝わったかどうか、伝わったどうか、
伝わったかどうか…。

もういい。
もういい。
もういい。

もういいんだ。

Kはピアノのふたを開いた。おのずと指が動くままに、ピアノの鍵を両手の指はなぞっていた。なにか、メロディーに、歌詞までが決まっている、そんな楽譜をひらく気はしなかった。よりによってKが、そんなふうになっていることにK自身がどこかでおどろきながら、なにも考えずにただしばらく向かった。

それから、おもむろに楽譜を探し、ビートルズの楽譜二冊から、「ヒアカムズザサン」を見つけた。
あった。あった。あった。

三回か四回、繰り返してピアノだけで弾いた。
それから、歌詞を声でたどりながら弾いた。
どうしてここでこの音があり、どうしてここにこの英語の言葉があるのか、瞬く間にのみこんでいることに気づいた。

ヒアカムズザサン・イッツオーケー…
ヒアカムズザサン・イッツオーケー…

この曲は「のえルーム」に集ったあの日のあのときの皆のこころに刻まれた曲だった。
のえの路上仲間が、のえのお薦めミュージックとして記憶に刻み、それゆえに聴けなくなっていた曲だった。

リトルダーリン・イッツビーンアロング・コールドロウンリーウィンター…
リトルダーリン・イッツフィールライクイャーズ・スィンスイッツビーンヒア

日本語に訳して一度声に出す。
日本語に立ち上げて声にゆだねる。

ヒアカムズザサン・イッツオーケー…

Kは、のえのワンフレーズを映像で聴いただけで、ニーナ・シモンを聴いたときと同じ衝撃を受けたという、あるミュージシャンのことを思いだした。

ひととおり弾き終えると、今度は、のえの音楽コレクションから、ニーナ・シモンの声を聴きたくなって、二階の部屋にあがって、探した。
探した。探した。
一時間は探した。
ニーナ・シモンのレコードはようやく、4枚見つけた。CDも見つけた。

しかし、どれにも「ヒアカムズザサン」は入っていない。
コンサートのメドレーのところがあって、それを聴いてみる。ずいぶん久々に、のえのプレーヤーを使うので、針の上げ下ろしに少し途惑う。
ゴスペルのような合唱をバックに歌いあげる声がつづく。
しかし、「ヒアカムズザサン」は聴こえない。
聴こえてこない。

それでも。
それでも、急に、
のえの唄う手を休めた一瞬を、背後のビニールシートとともに映した写真の顔が、
やんちゃな子どものときのおどけた表情を映した顔が、
ちっちゃくうずくまって眠り込んでいる幼い顔が、
安らかになっていっそうけたけたと笑いだした気がした。

…いいんだよ、Kちゃん。ニーナ・シモンの声、聴きなよ。聴いてみなよ。

…聴くよ。聴くよ。聴くから。声、声だナー…

次々とふがいない人々の姿が消えていく。
消えながらまわっていく。まわりながらおさまっていく。
おさまらないながらもおさまっていく。

よくないよー。いいんだよー。
いいよ、いいよ。いいんだよー。もういいよー。


ニーナ・シモンの「ヒアカムズザサン」が見つからない。
ニーナ・シモンの「ヒアカムズザサン」が見つからない。

ケイコ


追記 
今日午後、庭を二人で見違えるようにしました。
その直前にもケンカしました。私たちの生活、回っていないのです。
回っていなくて、前のことの片づけもしないで次のことをしている自分が情けなくて、彼女が声を出したのがきっ かけ。

「はるか群衆を離れて」という映画のことや、「ベトナムを遠く離れて」や、「離婚を遠く離れて」などが思い出されて、話したりもしました。

   ええ、今日のそのとき、その瞬間、ある街では大きなパレードがあったはずです。
   ええ、「はるか群衆を離れて」私たちは、今日もここにいました。


本当は、ある「緊急声明」を発表する決心をしていたのが、ノベレッテンとなった夜です。
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その宵も月は出ていた…ノベレッテン1

その宵も月は出ていた…ノベレッテン1

201●年某月某日の晩。
KとHの二人は、トークショーを終えると、特にその日は泊まり先のあてもなかったので、たまにそういうときはするように、自分たちの大きなワゴン車のあいだのほんの隙間に敷いた細長いマットレスに、二人して横になった。

ベロ亭トークバック&やきものジャーニーも、二人の渾身の努力でかなり知られてきてもいた。二人は、様々なNPOや行政の講演にも再三呼ばれるようになってもいたが、この自分たち流儀のジャーニーを特に大切にしていた。
人に呼ばれればそれなりに制約を受ける。制約の中で、ぎりぎり自分たちを表現する、表出する楽しみも工夫した。
それでも、二人でするジャーニーは心身の限界を伴いもしたが、やはり何にも代えがたかった。

「あの若い子に、あの言い方で伝わったかねえ」とH。
「私がひとこと、言い足したから、伝わったと思う。そのとき、ふっと目の奥が、判らないくらいだけれど、私はきらっとしたのを感じたからね。」とK。
「そうか、それならいいんだけどね。」
いつもより、Hの声に力がない。

Hは誰よりも人の中で、自分の力を発揮するすべを心得ていた。
しかしながら、彼女が60代後半になる頃から、それがおおいなる勘違いを生み出すことにKは閉口しはじめていた。それ以前は、それ相応の夢を生み出しただけだった。
それは彼女の人徳であり、人柄であり、地道すぎる愛と勇気の公平な配分にもとづく勝利だと、けっしてそんなまねはできないKはいつも思っていた。

思ってはいても、そうできないKは、あまりにHが勘違いされることが増えるようになることに心配を募らせて、いよいよ当時から、度が過ぎないようにと注意するようになっていた。
「やっと最近、よく考えてみるってことが判ってきた気がするんだ。」
そういうふうにしみじみHがもらしたのは、その頃だった。

その頃から、Kは娘を亡くした以来の胸の痛みがいよいよ耐えがたいものにとってかわっていた。
その頃から、Hは老いをいよいよ感じて、外でふるまっているときの自分と、弱って体のあちこちの治療に精を出している自分との、いい知れないギャップに身もだえもしていた。

当時、さかんにやっていたフェイスブックでその種のことを訴えても、たまに、心配を書き込む人はいても、ただただ「いいね」の数が増えるだけで、二人は、この「いいね」の意味を、「人が今にも死にそうで面白い」と思っているのか、「それほどまでに頑張っているかっこ良さ」に拍手をしているのか、「同情すべき姿にやむなくいいね」をしているのか、判りかねるね、と話したものだった。


人々に伝わらないのは、経済的な側面と肉体的な側面だった。
やきものの仕事は限界に来ていた。それでもHは死ぬまでその仕事をつづける以外にないと、大好きな仕事を大好きであろうとしつづけていた。日々、作ることに、売ることにかまければ、日々エネルギーは摩滅した。

充電は、二人の語らいであり、壮絶なケンカであり、結局は百万回目の和解だった。

当時、Kは、亡き娘の本の仕上げに精を出していた。人々はいつまで「精を出す」のかを判りかねた。終盤を書いていると言って、久しかったからだ。
Kは書いても書いても、立ち上がってくる娘の新たな姿に目まいしつつも、ぞくぞくと身震いするような発見を手放すまいとして、終わらすことができなかった。


その宵も月は出ていた。
月が、亡き娘であった頃からもすでに何年もの月日が流れていた。


トークショーを終えて、車内のにわかベッドに倒れ込むように二人して並んで、ああでもないこうでもない、あの質問の子は見込みがある、あの愚問には耐えがたかったなどと、二人が話しているうちに、ふっとHが静かになった。眠り込んだのだな、ともう何年も話の途中で、それも深夜には当たり前になった、話を頓挫させるHの眠りに、何度話を中断されてもやまない小さな怒りと、それ以上のHがようやく休めたという安堵をかみしめながら、その静けさが尋常ではないことに、やがてKは気づいた。

顔をのぞきこんだ。かわいいな。いくつになっても…。
それにしても、息をしているか。

していないような気がする。いや、しているか。
いや、していない。

Kははっとして、来るべきときが来たと悟った。
トークバックジャーニーをしながら、わたしたちは野たれ死にすればいいと思っているの、そう常日頃から二人は皆に言いふらしていた。
言いふらしていて、今、本当にその時が来たと、Kは知った。

しばらく、車の天井に見入った。あの頃、そのずっと以前に新車で買った車が四駆も冷房もなくて、この車に買い換えてからも一体何年がたっただろう。あの頃だって、これからどれだけこんな旅ができるだろうと思ったものだった。意外につづけて来られたではないか、とKは呑気に傍らのパートナーの事態に距離を置きながら思っていた。

しばらく天井に吸い込まれていくような心地がつづいた。
『人生に乾杯』と詐欺のような邦題がついた、実のところは、『終わり』というタイトルのハンガリー映画をふと思い出した。

「終わり、終わり、終わり」。
Kは胸のなかでつぶやいた。

どこまで行けばいいんだ。Kは思った。
いいやもうここまで来ているんだ。Kは気づいた。

そっと傍らのHから離れて、車の中ほどからそうっと降り立った。
その宵も月は出ていた。満天の星すら出ていた。
そうだ、ここは相当の田舎で、ネオンも町の灯りもないぶん、月も星も明瞭に存在しているのだと、Kは気づいた。

そうか、かつては原発事故で避難地域に指定されていた地域で、
その晩はトークショーを持っていたのだと、Kは人事のように思い出した。

どこまで行けばいいんだ。
Kはもう一度、口に出さずにつぶやいた。
「いいや、ここまで来たんだ」
Kはつぶやいた。
「行こう。本当に行くべきところ」に、とKは声を上げた。
もう、この世の存在であることをやめて十年余りがたつ娘の顔がよぎった。

しばし、夜の空と対話した。夜の空はなにもこたえなかった。
しかし、月と星はしかとそこにあって、沈黙のなかに夜の闇にあらがうように煌めいた。

おもむろに運転席の側に行き、ドアを鍵で開けた。
「行こう。行くべきところに。」
Kはもう一度、こころに言った。
アクセルを踏みきる感触が足裏に伝わった。

ドタン。大きな叫びをドアがあげた。

「なんなのー。どうしたのよー。
Kちゃん、今日はここで寝ればいいんだよねー」。

静かに息をとめたと思ったはずのHのいるほうから、むずむずと声が上がった。

「うん、今日は、ここで寝ればいいんだ。」
Kはことさらはっきりとした声で返した。

ケイコ

シリーズ「ノベレッテン」を開始します。
ノベレッテンは、シューマンが詩や小説からヒントを得てつくったピアノ曲につけたカテゴリーです。小さな小説みたいな感じですかね。
小説そのものが「小」がつくんですがね。
私の「作家」としての腕試しとして、あることないこと書きますから、現実と楽しく混同したり、うろたえたりしていただければ幸いです。

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