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ノコサレタ自覚なき阿保とヒトゴトさんの雑言と

ノコサレタ自覚なき阿保とヒトゴトさんの雑言と

今日のタイトルで、カテゴリー連載始めますから、読者諸氏よ、覚悟してお読みなされ。

そこで、私の立場を明らかにしておきます。
私は56歳で37歳の娘を亡くした自死遺母です。なんか、私が字面か、口調かは知りませんが、えらく威勢がいいと勘違いされるのか、娘を亡くしたのなんてなんのそのって勢いで生きているって錯覚していませんか。

だからって、「ああっ、おかわいそう」なんて言われたかないのよ。上から目線の憐れみ、優越感で、この事象を取り扱うの、もうおやめになったらって訳で、このカテゴリーを始めるわけでね。


ここのところをまずどかんと落とすのに良い、短歌に巡り会いました。故・河野裕子さんの一首。


何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋じゃない


悪性の乳がんであるという診断を受けた直後の妻が、病院前の路上に夫がやってきたときに浮かんだ表情を、瞬時にとらえた句。
彼女によると、
「彼とは30年以上暮してきたが私を見るあんな表情は初めて見た。痛ましいものを見る人の目。この世を隔たった者を見る目だった。」

この引用をした柳田邦男氏の説明はこう続く。
「そして、下の句に突然登場する「吊り橋じゃない」。この吊り橋とは、深く険しい渓谷にかかったロープで編んだ古い吊り橋であろう。目のくらむような危なっかしいものだ。山に慣れない者には、恐怖の対象になるだろう。「越すに越されぬ深山の吊り橋」とでも言おうか。」


あんまりにも既視感のある一首でした。のえを亡くしてから、私をまさに「吊り橋」扱いする人に何人か会っています。私はガン患者でもなく、自身に何かが起きたというのとは違います。でも、ノコサレタというだけで十分に避けたり、驚いたり、震え上がったりする対象と化したのです。

実は、今、のえの本のエピローグを仕上げようとして、年末には、ほぼ一字一句頭の中で仕上がっていたのに、なんかもう一度か二度、それ以来地殻変動みたいな体験を踏んで、もう一度更新しなきゃあ、書き上げられない自分を意識しています。
エピローグだから、ごく短いものなのですが、これは「のえ亡き後」私たちが何に向き合っていったかを、ざっと核心的に触れる、けっこう重要な内容です。

私に対して、心の奥底では震えているのよねって感じるのは、古い親友たちです。「大変だ、大変だ、大変だ、大変なことになっちまっただ」のままで、私に対して、その人の時計が止っているのを感じます。いい大人のはずの人達なので、まあ、デリカシーに欠くことは言いませんが、彼女たちの心の震え、なんとかしてくれないと、私としては普通につきあえないと思います。

彼女たち、母親でもあったりするので、急に、自分の子どもにやさしくなったり、ちょっと連絡取れないとうろたえたりが見えると、しらじらじらってするのよね。ああ、あほくさ。その震え、ちゃんとに取って、出なおして来いよ。でなければ、私にこころを開いてだね。「あのう、のえちゃんのことがあってから不安で不安で」って訴えなよ。ちゃんとに応じてやるからさ。

私がどこを歩いているか、なんてとおに見失っているよね。まあいい。みんなうろたえているサマがかわいいからそれでよろしい。

のえのセレモニーの全てが終わってから、初めて、町中の日本語教室に向う途中でそれは起こりました。のえの第一報が入ったときに居合わせた人が向こうに立っていたのです。
そして、明らかに立ちすくみ、あとずさりしたのです。

ふふーんだ。
私はここよ。吊り橋じゃない。
私がどう対処したかは、ひ・み・つ。後半の本の大事な書き出し。


実は、昨年初夏に私の書斎の隣に「リメンバーのえルーム」を開設いたしました。いろいろと時機がかさなり、いよいよそういう気に二人してなった結果の結実です。
間もなく、以前の「のえルーム」にならって、「リメンバーのえルーム」に来る人のノート、を作りました。以前のノートとほぼ同じ体裁にして、「口には出せないことでも書いて」と書きました。そうやって、大阪の西成の「のえルーム」では、とっても大事なことが書かれてあったことが何度もあったからです。

しかしながら…。

この、のえのお骨と共にあるお部屋では、何かが違っていました。
だいたい、のえに本当に会いたい人が来ているのかしらん、と思うときもあります。
のえちゃん、邪魔くさい人が来ているんと違うかなって少し思うときもあります。
なにしろ、のえは一人の世界が大事な人でしたから。

でも、のえの生きた証しのCD音楽コレクションが並んでいてこそ、そのおもみ意味、生きて、のえが聴きに聴いた音楽の大きさも判るのよね、っていう出逢いももちろんありました。ありがとさん。その方の、音楽の読みに私はとっても救われもしました。取材という点でも確信を得ました。

そんなことも、むろん、続いてはいるんですよ。

ただね。私はずっと気になっている。
「いなくなっちゃうなんて、のえちゃんのバカ」って書いた奴の、ノートに残る「バカ」が、隣りの部屋にいつもいる私には、急に痛くて痛くてたまらなくなるのです。
つくづくバカって書く奴が、とことん阿保なんだと判ることがたまらないのです。妹です。





実は、この妹のほうは、なまじっか私の草稿を読んでしまっています。
読むほどの意識の持ち主ではなかった、ということが露呈しています。

読んで、めっちゃ深いショックを受けた状態を、二度、三度、
彼女の「家族」にトリ違って受け取られ、
私が大変な被害を受けているということが、
彼女には全く判らないということが、
どでかい痛みを呼び起こすのです。

もう一人の妹は、のえの生と死に向き合わない、
少なくとも、私の書いたものを通しては向き合わない、
自閉症にも、のえの生きづらさにも向き合わないって自分で決めたんです。
そういう生き方もあろうかな、そりゃね。

でも、なまじっか優等生の向き合わなきゃの、こっちの妹が、
命日に会ったとき、本の中で仮名にすることで丁寧に話していたとき、
「そのほうが好きに書けるもんね」などと無邪気に言ったことが、
私にはときにまざまざと甦るのです。

そのときの凍ったようなこの人のマナザシが甦るのです。

どこのノンフィクション作家が好きに書くために、
仮名にする選択をしたかーってね、思うわけでサー。
こころ震える。
魂が揺れる。

私はとおとお誰とも口がきけなくなった。

どんな登場人物にも私は真摯に向き合っている。
どう書くべきかとことん悩む。
好きに書く相手なんか一人もいやしない。

このブログだって好きになんか書いてやしない。

仮名の希望まで言ったね。
近い仮名にしてってね。
未練がましいけど、受け入れた。

もう一人には別れ際に希望は?って訊いたら、
何でもいいよ、それは…って謙虚に潔く言ってたけど。

仮名にするのはね。
個人情報を守ったり、難しい出来事に遭遇しないようにするため。
差別偏見から守るため。
あんたたちをはじき出すためじゃあない。

だめだ。また胸が砕けそう。

のえの生と死に向き合えていない二人が、
私とのえの本の出版で起きることに向き合える訳ないだろ。
それがどうして判らないんだ。

そこから守ろうとして、
その意味を伝えようとして、
どうして、あんたの「家族」に取り違えられるんだ。


のえの生きづらさのことで2008年3月に相談を持ちかけたときに、
「それはさあ。のえちゃんはさあ、
わがままなだけなんだよ。そんな生きづらさなんて…。」
って、誰もが思っていたように言った、
その事実に向き合うのはそんなに大変な訳ないじゃん。

じたばた、今さらするなよな。
2年間、のえが逝っちゃうまで会わなかった、
そこに向き合えよ。
自分のことで精一杯だったのは当たり前だ。
大変な手術もしたんだし、当たり前だ。
そういう自分を受け入れればいいんだよ。
それが向き合うってことなんだよ。




さてさて、
前の「のえルーム」のノートには、書かれた内容的に、
妙なフェイントはほぼありませんでした。来たい人しか来なかったからでしょう。

一人、昔の唄を聴いて、「唄、うまかったやん」って、そのノートに書いた、のえの後輩唄うたいは、追悼ライブでも唄ったし、直後にも私たちに会ってくれたけれど、やっぱり、つくづく、のえの唄のスゴサが判らん奴だったんやと思います。
直後に話したとき、のえが音楽を習ったことがなかったって言ったとき、驚きを隠せなかったもんね。まっ、西成で少しは鍛えられつつあるお嬢ちゃん歌手です。


その人が、のえのことを「卑怯だ」って言っているって人づてに聞いて、バカもの!って思ったのは一昨年の夏でした。これは、自死した人への典型的な偏見が圧縮した物言いです。
「あんた、やっぱりとことんお嬢ちゃんやなあ」と内心思いました。ありそう、ありそうって思いました。もったいないから、このネタはこれ以上書きません。

一番最後の取材相手となった、のえの最後の日々を知る、今は東京在住の女性唄うたいは、彼女のブログである段階で、「あなたはバカです」と書いています。これはニュアンス的には少し違うと思います。バカ!と投げつけるのとは違うのです。同じ唄うたいとして刺激しあっていたからこそ、そして、つきあって日が浅かったから、のえのことを人間としては深く知り得なかったから、こういう表現が向き合うブロセスで一回出てきます。
いいよ。自分のブログでなら、なんでも書けー。
いろんな奴のいろんなブログやコメント見たぜー。
心温まるもの、染みるものもあったけれど、その横にそれ打ち消すように、向き合いきれないバカ者の雑言を読むと、不快です。

たとえは、そういう事を書く奴は、私に電話口でこう言ったりする訳です。
「のえのこと繊細なんて言うの、やめてください。あいつはたくましかった。最後の2年がおかしいんだ。」

ああ、そうだろう。あいつはたくましかったよ。だけどサー、誰もが認める、のえの世界の言うに言われぬ危うさまで否定するなよなー。古い友達のくせしてさ。最後の5年間、絶交していた事実に、まず向き合え。

さっき、「リメンバーのえルーム」のノートに、小さな紙を貼りました。
「のえをバトーしたり、ののしったり、hinanしたりする表現はやめて、自分としっかり向き合って書いてね。のえのすぐ横にあるノートだと、意識してください。ノート管理人」

部屋の入り口にも貼り紙。
「むやみと入室ご遠慮ください。のえは一人を大切にしています。(仏壇ではありません。)」

他意はなくとも、いらんこと、色々人は言うものです。

のえの姉のパートナーから、直後にいただいた手紙より。
「僕は親より先に亡くなるのは親不孝だと思っていますから。」
阿保かー。これ慰めているかなんかのつもりなの。
先に亡くなったのは私がよく知っています。よおく知っています。

こういう悪意なき、他愛ない言葉が、ふりつもるほどに、こちら側に何が起きるかも徐々にお話することにいたしましょう。

それでは、今日はこの辺で。

なぜ、自分が生きていられるのか、自分の足元を見てから物言えよな。
言ってる側が、立ちすくんでいる側が、吊り橋さんなんだって、自覚してから物言えよな。

新しいカテゴリー、「ノコサレタ自覚なき阿保と、ヒトゴトさんの雑言と」という訳で、
第一回目は入門編。
これでも、たかが入門編だよん。

むろん、これもコメント欄への記入お断り。

ケイコ
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