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『こども版ベロ亭通信』に生き生きと使われた 「仕返し」という言葉!おお、こんなにしなやかで屈託ない「し返し」もあったのね、と驚く私。

『こども版ベロ亭通信』に生き生きと使われた
「仕返し」という言葉!
…あの時伝えきれなかった言葉を今…より抜粋
19歳の「のえ」と20歳のサナエの真夜中の電話から始まった。
「ねえ、出してみない」という一言が始まりだった。
現在は一人を残して、皆40代と天国、の5人5様のユニークな声。


まず、のえが最初に寄せ場と出逢った頃の手書き文字の記述。
「とにかく、山谷が好きなのです。もちろん深刻なことも山谷にはあるのはわかっています。これからいやでも見なきゃならないかもしれません。その時はその時です。
またいろいろ思うことがあるんじゃないかな。いろいろ知っていきたいのです。
そうだよ。そうだよ。いろんな奴に会って、いろんな話をして、もみくちゃにされるのです。もみくちゃにされたら、もみくちゃにしてやるって、し返しをするのです。何回、し返しをしても、またもみくちゃにされるのです。涙が出る時は出て、笑いがこぼれる時はこぼして、もみくちゃになる時はなるのです。それで少しは私も大人になるのかな。なんないだろうけど、それはそれで楽しいものです。
これから、いろんな事があるだろうけど、私は頑張ります。のえを頑張ります。女を頑張ります。悩んでいたって、何にもなりやしないし、バカは直らないのです。」

おお、こんなにしなやかで屈託ない「し返し」もあったのね、と驚く私。
去年、あるかたに私のある記述を巡って、「仕返しをするのを我慢しているくらい」というメールをいただきました。その前には、その記述を巡って、話をしたいと丁寧にお伝えしたつもりです。ただ、「仕返し」というその言葉にはらむ怒りというより怨みのようなものに、私のなかで不安と恐怖がよぎり、かなり足踏みしたのも事実です。
今は、思います。そのかたが「仕返し」をしたいのを我慢して、体調を崩しているほどなら、思う存分私を蹴るなり怒鳴るなり踏みつけるなり、行動と言動にして返してもらったほうがいいんじゃないかなって。まあ、けがをしない程度ならね…。
だって、私のほんの一言でも、その人が傷ついたのは間違いないのだし、そうされてもいい責任なり使命を負っているのだと私は思うからです。それで気がすむならですが…。
と同時に、本当は、ちゃんとに心穏やかに話したほうがいいんだけれど…。

息子は、この山里の地区の小学校時代から、一番のおませで早熟で、結局おぼこい同級生がじれったくて、いじめるというより、ちょっかい出しただけのつもりが、翌日「死のうかと思った」と言われて、平謝りに謝ったり、かと思うと、いじめられている子がいれば、当然のように止めに入ったり。まあ、もっと伝説化した逸話もあるのですが、このくらいにしておきます。

どうか押しつぶされそうな思いを閉じ込めて、肥大させて、違うものにさせないでね。
そう願うばかりです。誰かが悪い、とスケープゴートを作るのは簡単だけれど、本当は話し合うことができれば、どんなにか人間的で自然にすむことかと私は思います。
両手をひろげて待っているつもりでも、時間とともに肥大していった何かにまた脅かされるようにして、針小棒大化した、あたかも冤罪のような罪を私がかぶるのは違うとも思います。
話せばいいんだ、そうやって判りあっていくんだって、19歳の20歳ののえとサナエが、16歳のヤエとハナが言っているのです。

やえのパートにはこんな記述も見つけました。
「中学のとき、制服があるのが当たり前、それを守るのが当たり前と思っていた。「くつ下の色は白」という決まりで、ベロ亭の生活で毎日白いくつ下をはいて学校に行くということは、とても困難なことだった。(中略)校則を守らなきゃならないというより、みんなと揃えなきゃならない、一人だけみんなと違うのは恥ずかしいことだ…という気持ちのほうが大きかったのである。校長先生が口癖のように言っていた「○中の生徒らしさを失わないように」という言葉は、髪の毛は肩につくまで伸ばさないという校則はないのに髪の毛は伸ばせなかったり、その他、いろんな、いつのまにかできた決まりで、○中の生徒をしばりつけていたような気がした。京都の友達に卒業アルバムを見せると、「みんな同じに見える」と誰もが言う。今思うと、私の中学校の3年間はちょっとぞっとする。(中略)今は、校則もあってないようなもので、テストの順位なんて出ないし、みんなとても仲がいい。中学の時は、他の人に勝つために勉強していたけど、今は学力をつけるために勉強している。もし、あのまま、E県にいてE県の全日制の学校に行っていたら、また、みんなと同じ格好をして、順位や点数を上げるため、勉強をしていたのだろうか…そう思うとあの時、京都に来ることを決めてすごく良かったと思う。とにかく、私は今の生活がとても好き。」

つけ加えれば、ベロ亭の「こども」だった人たちは、皆、この地元の中学を出ると、東京、京都、神戸の定時制高校へと進んでいる。私たち母親二人は、それぞれに4年間、家賃を送り続けたが、それ以外は自力でそれぞれの道を歩んだ。

2016年3月26日   米谷恵子
リーチ128人

keiko Yonetani 6時間経過。えっ、と驚く。早起きして仕事していたから、今聞いておかなくちゃいけないある音楽を聞きながらひと寝入り。そのあと、見たらもう少しで100人というリーチ数にもかかわらず、反応を示しているかたは一人のままだ。「あきれた」とでもいう選択肢があるといいのかな、とも思いたくなる。私がつつしんで、もと「こども」さまさまのお言葉、拝借して使わせていただいて、これってあり、なの? ってかなりさびしいというか、悲しい。あっぱれ、よくやった5人のこどもたちよ、と言えるのは、私たちだけなのか、そうなのか。孤立は私たちだけの課題ではない、そういうことなのか、日本では。

Keiko Yonetani うむ、2時間で60人のリーチ。やっぱり、ドキュメントというか、ノンフィクションが皆さんお好きなんだろうか。フィクションというかファンタジーというか、民間伝承的物語とか寓話とかに秘められたものって、現実にも通底しているんだけど、イマジネーションは今の時代は要らないのかもね。テレビ映像の凝り過ぎたコマーシャル映像が、人々のイマジネーションをのっとってしまっているのかも。
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| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 00:59 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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どの嘘、ホント? 夕刻にスーパーをさまよった

どの嘘、ホント? 夕刻にスーパーをさまよった

クリニックには間に合った。ともかく六時をほんの少し回っていたけれど。
薬局にも間に合った。ともかく六時をほんの少し回っていたけれど。

クリニック経由の生協マーケットは「ハーツ鯖江」だから、
むろん、月曜日の冷凍食品半額もあるので出向いた。
英子が集中して予約に応じているシュトレンの材料で、
不足しているものなどの買い足しも必要だった。
それからボタン電池。精密な重さの計りのための…。

確かに、いそいそとというほどではなかった。

直前の来客のために、雪道を出かける時は暗くなっていたし、
だから六時に間に合うか不安がもたげても、生協だけは行ければというのもあった。

直前の来客は新婚さんだった。
うちには珍しく、婚礼の儀式の写真などを、
きちんと見せてくれる折り目正しい、
私たちとはまた違う世界で、礼節と筋を通した生き方をしている、
そんな風情と、
儀式の写真のなかの、
特に彼女の顔つきが、ごくごく自然でもあり、
なにか突き抜けていて「自分」を保っていることが、
婚礼の写真であることを忘れさせる風情があった。

話は終盤でいつの間にか、「自死」のことになった。
こちらがわざわざ言った訳ではないというタイミングだったのに、
彼女は、先々代の人々のその事実を控えめに告げた。
それはごく自然に口を突いた「必要」を物語っていた。

私も英子もおのずとその「必要」に応じていた。
それはもう、どんなときでも私たちには、
そして、とりわけ私には、
日本社会に溢れる人災という名の犠牲者の話で、
いつも目をかけるようになった切ない課題と化していた。

すらすらと彼女は言いかけて、
幾つかの言葉をかさねて、
英子とも私ともやりとりをして、
ふっと言葉に詰まった。
…今の私にはそれ以上…
そのような言葉が出で、
彼女は胸の内でぐっと来るものを、
おさえていた。
涙をこらえてもいた。

そこでその日が終わるのは構わなかった。
時間がないのはすでに聞いていたからだ。

ただ、次の瞬間、間髪を入れず、
彼のほうが
「それではおいとましようか」と言葉をかけて、
ちいさなひっかき傷となった。

それは彼女の身内のことであり、
彼はそれを今聞く訳にはいかなかったのかもしれない。
それでも、聞く用意が淡々と準備されていた私には、
あたかも、好奇心で聞いていたかのように映ったのではないか、
といった疑惑が一旦わき出でて、いいやそんなはずはない、
と打ち消しながらも、それでもしばらくは容易に消えない、
ちいさなひっかき傷くらいは残すに違いなかった。

おそらく、そこには彼と、他の三人の温度差があった。
先を急ぐ必要もあった。
でも一言つけ加えてくれたなら、
それは、なんということもなく、ひっかき傷にすらならないのだ。

「大切な話だから、いずれ時間を作って来るとして」
など、あまりにもあっさりと、それをさえぎるというのではない、
そんな話の流れさえあれば…。

私は医者と薬局に向かいスーパーに入った。

スーパーで孤独になることはいつもだった。
スーパーで孤独にならないことはほとんどなかった。
特に一人で疲れているとき、それは不意にやってきて、
どこに生きているのか判らなくならないということはなくとも、
どこに生きているのか判る程度には孤独になった。

今日は、どこにいるのか判らなくなった。
単に我が市、タケフ市のハーツではなく隣りのサバエ市のハーツに来た、
という意識をなくしただけではないような具合だったかと思う。

物を探したり、吟味するのが楽しくない訳はないのだが、
かなりな負担感に、
まだまだこの2ヶ月間の疲れが抜けていはしないことを意識した。
それにどこかでまた小さな小さなひっかき傷がうめいていた。

それはもはや話をさえぎられたという次元のものではなかった。

こんなにもこの土地では、
ここ北陸では、
家父長社会の犠牲になる者がいるのだという確信を得たことで、
どこか心の節々をむしばまれるようなそんな感覚が尾を引いた。

新婚の二人は身支度も完璧。
私たちとは違う、経済感覚を生きているだろうという、
そんな風情も放っていた。少なくとも今日は…。

家父長社会からしめだされ、しめだされることを良しとし、
独自の価値観を楽しみながら、
最近では場合によっては這うようにその思索を紡いできている私は、
私が何を担っているのかを思い知ってもいた。

「それはどこでも秘密で…」と彼女は明瞭に言った。

私はあたかも「丸裸」になるような原稿の執筆を昨日から再開していた。
娘の誕生日のその日に。

いい知れない疲労と悲しみと切なさで私はうずくまりそうになった。
カバンの中の抗不安剤を一粒、
スーパーの棚と棚のあいだに立って取りだし、
唾に溶かしてのみこんだ。


買い物は最後までメモを見てやりとげた。
冷凍食品も五点まで半額というのを毎週月曜日の習慣で選んだ。

何もかもが高い。
いつまで、まともに物を食べて生きていかれるのだろうか。
そんなことを思っている割には、
随分と買い込んだ。有り金ぎりぎりくらい。

レジにさっさと行く気にならず、
ふっと雑誌が並んだ一角に立った。
「うらら」はなかったが「福楽」はあった。
前者はこの土地で最もポピュラーな情報誌。
美味しい店や婚礼の情報で溢れている。
後者は、大人のために、と銘打たれた、
やや文化的という顔つきをすました表紙で謳った
やや高級感のある、ややぶあつめの雑誌だ。

まず開くこともなくきたこの雑誌を久々に開いた。
昔は小さい囲み記事くらいで取り上げられるのを、
よしとしたこともあった。


あった。あの人のことだ。
私は腹をくくって読むことにした。
筆一本で日本の文化の先端を行っているようなポーズを、
けっして崩そうとはしないだろうその人の見開きのページを。

その人の来歴が淡々と流麗に語られていた。
その人の作品が淡々と流麗に写真になって掲載されていた。

その人は、フクイの、
都会にない豪快な自然を好んでいる、
と語っていた。
ここでこそ生まれるものがあると語っていた。
あるいは、語ったことになっていて、そう書かれていた。

前に一つだけ知ったある旅館の商標だけではなく、
幾つもの世界的なブランドなどなどのデザインも手がけたことが、
導入部にさりげなく示されていた。

読み終えた。

私のなかで言葉が涌き出た。

どの嘘、ホント。
どの嘘、ホント。
どの嘘、ホント。


「成功」という名の「業績」に身をまとい、
淡々とした流麗な文章に身をまとい、
その人はいずこへか消えていた。



偶然にも会ったその人のパートナーの男性との
半年以上も前の会話を、
私はかみしめていた。
もうすでにそれはずいぶんと前のことで、
しかし少なくともそのとき彼と私は、
お笑い芸人のように出逢い、
出逢いを楽しみ、
お互いが何者であるかを面白く探り合っていた。

彼はおのずと語った。
「僕はストレートで…」
彼はおのずと語った。
「僕たちは事実婚で…」
彼はおのずと語った。
「いやはや、原発事故以来、トーキョー脱出を決意するまで、
どんなにか迷ったか、
よっこらしょっとするまで、
こんなに時間がかかるとはねえ。」

彼とは何度か交信した。
そのうち交信は途絶えた。
必然性がたち消えたのだろうか。

なぜなら、
彼らはストレートという価値観も、
事実婚という価値観も、
原発避難民として住んだこともない土地に、
ただ彼女の生まれ故郷だという理由で戻ってきたことも、
以後、語らなくなったからなのだと、
その記事は示していた。

いや、彼と彼女は違う。
ごっしゃにしてはいけないのかもしれない。

でも、彼との交信も途絶えたのだ。

その記事は、
東京で30年ほどの間に確かな名声を得たアーティストが、
何の迷いもなく、誇らかにその名声を、
臆面もなく、「成功」という名の実績で示すことで埋められていた。


どの嘘、ホント。
どの嘘、ホント。


そこには、「成功」という名の嘘を、
けっして得てはいけないという証明のような、
フクイを賞賛し、フクイをたたえる言葉が連ねられていた。

どのホントが嘘、とはけっして言えなかった。


私はレジをすまし、
買い物したものの重さに耐えながら、
段ボールに詰めこみ、
一旦カートで雪が駐車場にごつごつになって、
時々行く手をさまたげるにもかかわらず、
カートで遠めの我がジムニーくんのところまで行こうとしてあきらめた。

ジムニーをスーパーの入り口に移動したほうが早い。
2台分の駐車スペースに横向きにつけて、段ボールをよいしょと持ち上げた。

それから、バックし、前に進んで道路を左に出た。
左に出るとき、いつもあるはずのうどんやがなくて、
ミスドなのに驚いた。
もう店が早くも変わっちゃったんだなと
毎度のことのように思った。
間もなく、コンビニがあって品切れになっていたボタン電池を買えた。

それからまた走った。
これは違う道を走っていると間もなく気づいた。
気づいたというより、
夢から醒めるように意識と認識を総動員した。

ここはタケフではなくサバエだった。
ここいらで一番安いガソリンスタンドにもう行けなくなったのではなく、
まさにそこに向かう道を無意識の内に走っていたのが快挙のようだった。
財布に残ったお金で10リットルだけガソリンを入れた。

もう我が道は見えた。

どの嘘、ホント、も、
この嘘、ホント、もなかった。

たとえその人が、
私が心血を注いだ、ある別の若いアーティストたちと共に、
何をどうしていようと、それはそれだった。
彼らは、その人を寄らば大樹の陰にしたかどうかは判らなかった。
あるいは、ひととき、
寄らば大樹の陰、だったかもしれない。

しかし、
寄らば大樹の陰、
も、
どの嘘、ホント、の世界で、
どの嘘、ホント、の世界のもろさは、
世界のブランド品のもろさのように、
栄光の輝きをいただけない喜怒哀楽で包装して、
届けているようなものだった。


私は世界の片隅で「成功」していない喜悦を感じた。

1390円だけガソリンを入れながら、
底のついた人生が、
けっして底を突いていない確信に、
うなだれながら顔を上げた。


行く手はそこそこの雪道だった。
帰路は、回り道したぶん、少し遠かった。
帰路は、ちょっとした以上の旅路のぶん、少し道のりがあった。

否、腹などくくって立ち読みしたぶん、少し遅くなった。

ヒデコからは二回、食材を待つメールと電話が入った。

誰もが秘密を持って生きている。
誰もが流麗な記事で武装して生きている。
誰もがなけなしの百円玉を数えて生きている。

まったく別のことなのに、
全てが同じことに思えた。

それでも、
百円玉を数える人より十円玉を数える人のほうが多分大変だろうし、
百円玉を数える人より千円札を、
あるいは一万円札を数える人のほうがもっと大変かもしれなかった。


どの嘘、ホント。

もう思索の余地はなかった。

ケイコ

| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ヨソモノとは口をきかないの?…たとえヨソモノと暮らしていても、という疑問

このホワイトマウンテン地区には、いったい何人の正真正銘のよそものさんが暮らしているのだろう。
だって、中国人研修生のみならず、各集落には、今やアメリカ合衆国で出逢ったフランス人やカナダ人の女性と暮らしている、そんな次世代男性がいるんだから、相当数の「正真正銘のヨソモノ」がいるのは間違いない。

ただし。
ヨソモノというのは、白人系ヨーロッパ系はもしかして違う扱いなのかな。

ただし。
日本の違う場所から30数年前に住み着いた我々こそが、
やはり「正真正銘のヨソモノ」なのではなかろうか。

最初から結論を出す気は、最近はないのだけれど、
最初から結論を出すしかないのかー、と思わせられる会話があったから書くのです。

隣の集落には、カナダ人女性が結婚して暮らしています。
幸い?今は、子ともを産むのに海の向こうに里帰りとか。
旦那衆と思われる立派な門構えのお家の話です。

この集落にも、フランス人と結婚した旦那衆の家の次世代がいます。
ベロ亭のふたごちゃんが呼び捨てにしていたら、
「そんな呼び捨てにしたらあかん、あの家の子は…」
と言われたほどの家柄ではあったのです。

それぞれそういう家の次世代後継ぎが、海外で出逢った女性と結婚する背景。
深層心理。必然性。あれこれ研究の余地ありかもしれません。

昔、かれこれ15年以上前、
この市内に山形県で日本語を教えている妙なセンセーが来たことがあります。
「国際結婚は最悪の国際交流です」と淡々と顔をゆがめておっしゃっていました。
むろん、最良の国際交流になる場合も知っていらっしゃるのだと思います。


実は…。
隣の集落のカナダ人女性の義理のお父さんが、
このホワイトマウンテン地区のずいぶん途絶えた市議会議員の席を取り戻すべく、
市議選に立候補しました。

なんかね。
地域の人のね、風向きが変わって、私にも丁寧にお願いしてくれたりするのです。
頭を下げて、よろしくよろしくよろしくって。
うちの玄関口での話です。

で…。

1週間くらいまえに下のうちで話し声がして、
さすがに察した私は一人だったけれど、
うちに、候補者の奥方なる方がご挨拶に来たときに、
腹を決めて、少しだけ語りかけました。

なんたって、そのカナダ人女性とはこちらのウォーキング、
あちらの犬の散歩でよく道端で出逢ったこともあり、
「内通」しているみたいな感覚があったというのもあります。

なんたって、その彼女に、私たちは私たちのアイデンティティを、
なんとなんと、この集落の角でカミングアウトすらしたのです。
そして、彼女はそれを誰にも言わない、ということを通しているはずです。
なんたって、なんたって、同性婚が当然のカナダ人だし、
なんたって、なんたって、そもそもは東欧がルーツの、
境目を何度もまたいで来た人だから、そのくらいのことは判ります。

候補者の奥方。
この集落の現在の責任者…区長さんかな…が
私が庭仕事をしているところに来て…。

私は、やはりここぞと「ヨソモノ談義」を始めました。

「30数年住まわせてもらって…この言い方は千歩譲っている…
ついついヨソモノということでいてはいけないと思うんですけれど、
まあ、これを機会に、私たちがここに暮らしていることも、
どうぞ生かしてやってくださいねえ。
そう、パートナー…実は彼女の名字呼び捨て、まるで妻みたい…
が、ほらここに『コウノトリ』の大作を創ったのは、
それなり並々ならぬ思いがあるんですし、
この里山の会にも顔を出させてもらっているし…。」

とりあえず、二人ともに笑顔だけは絶やさない。

「それに、紛れもないヨソモノである方が家に入っていらっしゃる、
そういう家からの候補である訳ですから、
この際…うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん」

いや、そんな長話をした訳ではありません。

ところが、二人ともに何の応答もしないのです。
嘘でもいい。外交辞令でもいい。
その話は夫に伝えておきます、でもいい。
なんか言うことないの?と思うほど、
ただただ、にこにこ、でも表情は動かないから、
意見を交換して、投票するべきか決めるなんて関係ないような、
結局は無表情のニコニコで、
二人が「ではよろしくお願いします」と去ったあとに、
なにがよろしくなのか、結局は霧散した次第でした。


ヨソモノの女二人所帯がどんな歴史を持っているか。
誰も知らないだろ。


知らぬ存ぜぬなのかな。

そして、今日は選挙の第一声が始まり、
うちの横を選挙カーが通りました。
ご近所さん、外に出て、待ち受けてご挨拶。
律儀な村の選挙の風景。
そりゃあ、久々のホワイトマウンテン地区からの候補者なのだから。


あのとき、せめて外交辞令でもいい、
お世辞でもいい、コミュニケーションがなりたっていたら、
私もあの第一声はもう少し近くに聞けたと思います。

でも、私には限りなく遠い、村の風景でした。

2年ほど前に、いのちのフォーラムとかいう市内の催しで、
こんなんシンポジウムと称していいのってほど間に合わせの、
それでもシンポがあって、会場に最後に質問が求められました。

私、手を挙げた。
私、真ん前のほうにいた。
後ろの人に顔を見られたくなかったのもある。

「それでは4人の檀上の方にお聞きしたいのですか、
ヨソモノということで、どんなことを思われますか」

これは最後に投げた質問。
その前に、私は4人目のシンポジストと同じ自死遺族であること、
などなど少し語りました。
「私の後ろにいらっしゃる方々とも出逢っていきたいと思っています」
などと律儀に言いました。

でね。
4人の答え。驚くべきー。

ひとり目。この市内の精神保健センターのトップの女性。
「ヨソモノっていうことで、今はなにひとつ頭に浮かびません」

彼女の人生には、ヨソモノがヨソモノとして登場したことはないのです。
間違いなく。
たとえヨソモノがどれほどの違和感でこの地を生きていようと、
それを押し隠し、黙り、生きていることに、
精神保健分野のトップが気づいていないのです。
まあ、当たり前かな。
こわいけど、とりつくろうことすらできないって。
すごく素直でこわいけれど。

あと、県の精神保健の人、若者支援の人、
それなりのこと言ってたっけ。
「県外からいらしたお母さんたちはよく頑張っていらっしゃいます」
だとさー。まあ、そうだろうなあ。

最後の自死遺族の会の方。
ひとこと。
「ヨソモノがこの地を変える」。

心の奥深くで深いため息。
もう何べんとなく聞いたぜ。
「あなたたちヨソモノなんやから、皆の代わりに言ってくださいな」
てなことごとを、何度も何度も。
そして、いいことなんて今まで少なくともなかったぜ。
こそこそ褒められてもうれしくはないしね。

この自死遺族の女性とこの後、駐車場で話しました。

「ヨソモノなんですね。
どこからいらしたんですか」
「ええ、О市の町中から在郷に嫁に行きましたから」

かくんかくんかくんかくん。

同じ市内の町中から農村部に移っただけでヨソモノ。
そういう価値観がまかりとおってんだね。

関東から女二人が来て、
代々住んできた家をベロ亭につくりかえた私たち。
こういう私たちは、この人たちには何者なのでしょうか。

そして、
旦那衆の家に「嫁いだ」欧米系の白人女性は、
ただの「外人」なのでしょうか。

そもそも外人とかヨソモノとはなんぞや。

隣人、隣国を意識できなければ、
市議選はこの時代性のなか意味はないと思います。

ここに暮らしています。
私もヒデコも。

ここに生きています。

カナダ人の女性と最初に道端で話したとき、
彼女は言っていたものでした。

「ああ、あの静かな家ねぇ。
田植えのときも、稲刈りのときも静かな家」。

ヨソモノも外国人も、
種無しブドウになる。
日本の田舎の土壌はそういう土と水と風でできている。

むろん、そのあとのかミンクアウトは、
彼女との境界をも越えていったのですが。

街中で日本語教室をしていたときの、
日系ブラジル人のなかにたまった思いのありかを思い出します。

彼らは言ったものでした。
そのとき、私は彼らには日本人ではなかった。
少なくともその質問をするときは…。

「ねえ、センセー。どうして日本人は話をしないの。
コミュニケーションをしないの。
ねえ、センセー。」

少なくとも、今日、ヒデコと合点しました。
「きっとさ、結婚する話、息子さんが持ち込んだとき、
当たり前だけど、反対しただろうね。」

まあ、そういうことです。

ケイコ

| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 13:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大型ゴミの山と不穏なトラックの一群から出たマコト…「ご近所」ってこれなんだ

大型ゴミの山と不穏なトラックの一群から出たマコト…「ご近所」ってこれなんだ

今日は、外のテーブルでの食事時から、なんだか近くのゴミ置き場が盛り上がっていた。
そう、色々なものが置かれたゴミの山は、大型ゴミの日を控えて、これは点検しなければという意欲がわき上がる物たちがちらほら見えたり。で、やけに気になったのである。

それのみならず、そう、ゴミ置き場は盛り上がった。
あの不穏とも言える、外国語が行き交う、何人もの男たちが織りなす、三台ものトラックの一群が、さあっと、あっという間の手早さで、ゴミをあさり、少しでも金属質のものがあると、トラックの荷台に乗せる…そのときの盛り上がりようったらなかったから…。

私は、日本ではもはや、ほとんど見られないだろう、こういう不穏な盛り上がりが大好きだ。わざと近づいて、淡々と見届けたりする。おおっ、この男たちの話しているのは、紛れもなく中国系の言葉だよなー、とか、このゴミでどのくらいの人が、どうやって儲けるのかなあ、とか、彼らの価値基準はどんなふうに、日本のゴミの山の細々とした現実を見通しているのかなあ、などなど思うとわくわくしてしまうのである。

こういう眼差しを向けている私は、けっこうふてぶてしいから、男たちのうちの二人は、流暢な日本語で話しかけてきたりもする。
「なんかあるー」とか、あれこれゴミの出し手として期待しているのである。
一人なんかは、携帯でまくしたてていて、この不穏で緊張感に満ちた、堂々とした立ち居振る舞いはなかなかのものでもあるのだ。

さてさて、私も抜け目なく、ゴミの山から、プラスチック製の古くなってはいるけれど、まだまだ使える植木鉢を幾つも回収しました。ヒデコも、負けずに! ふた付きの容器を幾つも、仕事に役立つだろうと回収しました。こういう時は二人とも笑ってるんだな。

「ヤエとハナが保育園で、今度拾った新しい冷蔵庫は…」って話したのと同じノリ。30数年前の保育園のセンセーは、「拾った新しい冷蔵庫」という意味が全く解せなかったんだけれどね。で、これは執筆中の本の、この地と私たちの価値観の違いとしても展開しているのでありますが…。うむ、本当に価値観、違うんだろうかな。

いやあ、しかし手早いなあ。彼らは海賊ならぬ、山賊みたいだ。私も山賊になれるものならなっていたかも。いやはや、もうなれないかな。日本社会では、そう簡単にならせてくれないだろうな。

そんな一群が去った後に、もう一度丹念にゴミの山の後ろ側に回り込んで、まだプラスチック植木鉢があるかどうか物色としていると、隣りの二代目がやってきて嬉しそうに話しかけてきた。私もつい勢いづく。
「いやあ、家は植木鉢はみんな、やきものなんだけど、季節の変わり目とかプラスチックので間に合わせるんで、あればあるだけいいんで…。要らないんだから使えばいいかなって。」
などともったいぶって、堂々と言い訳なんかをするのである。すると、
「捨ててあるんだから、持ってけばいいんや」とニコニコ。

なんか、少し嬉しい。隣りの二代目とは最近はなかなか話せないことも多いから。

書斎にこもって一仕事して、夕方水やりをしていると、またまた来た。来たぞー。山賊の一団である。今度は、トラック二台の荷台はものすごく盛り上がっている。あちこちでせしめた戦利品の山がこぼれんばかり。その上に、まああらたに捨てられた自転車なんかを、うまいこと載せるんだから、ものすごい根性だよね。いやあ、あれには共感でいっぱいになってしまうよ。そう、なんでも生かすって、なんでも金にするって、これって根性だよ。

私は完ぺき外国人かも。ゴミの山がやっぱり嬉しいし、あさるのは恥ではないし、宝探しだし、これは、のえが味わっていた野宿者のテント村とどう違って違わないのかな、なんて一瞬ひらめく。ははは、のえも「よっしゃあ」って笑っているよ。

あら、また植木鉢らしいのがある。なんて訳で、また奥のほうに回り込んで、熱心にあさっていたら、今度は隣りの先代が嬉しそうに寄ってくる。
「すごいねえ。また、トラックで持って行ったよね。」
「今度は自転車二台持って行ったなあ。ああやって金にするんだな。」
みんな、この大型ゴミの日が一大イベントみたいに嬉しいんだ、と思うと私も嬉しくなった。だって、このおじいちゃんは、おばあちゃんが亡くなってから、久しくこんなふうに私には話しかけてこなかったから。なんかものすごく嬉しくなって、家に上がってから、ヒデコに、「おじちゃんとね、話した。なんか嬉しいよ。みんな大型ゴミの日、けっこう楽しんでるんだ。何があるか見に来ているご近所さんもいるみたいだしねー」などと。

それから台所でご飯を作ろうと流しに立つと、さっき話したばかりの先代のおっちゃんが、すたすたとベロ亭の敷地内を歩いてくるのが見える。ええっ、あんなに最近はうなだれているおじちゃんが、どうしたんだろう。さっきは確かに嬉しそうだったけれど。私と話した勢いで、来たのかなあ。

ヒデコが玄関に出る。話すのが聞こえてくる。
「戸があるんやが、いらんかのう。」
「いるいる。もうすぐ夏に、小屋を建てようと思ってるんで、いただきます。」

かくして、私とヒデコは、お隣の家の庭に、お隣り家の大改装工事のために出された、まだまだ上等の戸を合わせて8枚、いただくこととあいなった。
いや、おかしいぞ。あれー、これはこれは、それなりの経緯のある事なのだなー。

じわじわと、やりとりしながら腑に落ちるものがあったり。
えっ、となんだかくすぐったくなったり。

そう、先代のおじちゃんは、先代のおばちゃんと私たちというか、特に私がケンカすらしながらも、仲良くつきあっていたことを大事にしてくれたのだ。大事にしたいと思いながらも、機を見ていたのかもしれないのだ。だって、最近はお隣りさんでもほとんど口を利くことがなかったから。

盛り上がったゴミの山。
山賊みたいな活気とやる気と、日本人にはけっしてもうない、満々の緊張感あふれる外国人の群れと…。

そして、お隣さんの二代目と先代とのやりとり。
なんかくすぐったくて、そして泣けてくるじゃないの。

二代目の「お嫁さん」、言ってくれはりました。
「この戸は、おばちゃんが建てたものだから…」。
うーむ、泣けてくるよ。ニコニコ、にやにやしながらも、
筋を通してきたこと、それでもあのおばちゃんの通夜の席で、私が周囲もアッする号泣をしてしまったこと。

そんなことが一気に押し寄せて、泣けてくるのです。

へへ、最近はいい感じで天国とつなかっているみたい。
おばちゃんありがとう。
そして、おばちゃんとつないでくれたおじちゃんありがとう。

それに、せっせとなんだか、やけに熱心に、
お隣さんのお庭に乗り入れたハイエースに、それなり重たい戸を何枚も、運び入れてくれた二代目さんもありがとう。

そうして、空気感のようにある「ご近所さん」というものの、歳月のおもみをも思った、そんな私の一日でもありました。

知らないようで知っている。知っているようで何も知らない。
でも知っている。そう知っている。お・ば・ちゃ・ん…。


うん、その前にはさ。私が今もいいおつきあいをしている、しょっちゅう、野菜やらいただくおばちゃんの畑にしばらくぶりに行って、新鮮なレタスと大根をいただいたりもしたのです。あちこち故障しても、畑に立つ根性もすごいんだな。

で、そう、このおばちゃんと、亡くなったおばちゃんは妹と姉というわけで。このおばちゃんは、亡くなったおばちゃんが子どもを産めなくて、で、で…。

私は、はたと思っていたんだ。
あっ、このおばちゃん、子どもを手放した人なんだ。こんなに長い間、おつきあいさせてもらっているけれど、「手放した側の痛み」に気づかなかったんだって、私のいたらなさに気づきもしたのでした。だって、このおばちゃんのほうは、立ち入らないみたいな距離感をものすごく大事にしている人だから。
その立ち入らなさの奥の奥に、ふっと何があるのかなって、少し、ほんの少し、突き放されたような、そんな何気なくも淡々としたやりとりで気づいたのです。こちらとは、ケンカなんてありえないもの。ものすごくフェア。田舎流の筋の一本、通ったフェアさ。

ゴミの山との物語は、実にその後のこと。

みんなつながっていて、そして、生きていて、亡くなっていても遠くも近くもあり、やっぱり生きていて…。

大型ゴミの山と不穏なトラックの一群から出たマコト…。

「ご近所」ってこれなんだよね。

35年目の捨てる神と拾う神から出た、そうそうマコトの話です。

ケイコ

| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 00:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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やっぱり、「常識」も「教養」のうちなのかしら…フライヤー事件勃発

やっぱり、「常識」も「教養」のうちなのかしら…フライヤー事件勃発

一月には、カレンダー事件が勃発しましたよね。これは、ある特性に根ざした気づかなさから発した「事件」だと認識してます。まだ、解決していません。ご本人は問題の本質は判ったはずですが、一向に問題に向き合うきざしはありません。猶予をあたえすぎちゃったかな。

すぐに対処しなくともいいというと、この特性のご本人は棚に上げて忘れちゃうという傾向ありなのかな。

私は今も、その事では痛い。なにしろ、かけがえのない亡き娘の肖像権にかかわることだから。個人制作とはいえ、販売するカレンダーの絵に、娘のローマ字名まではいってしまったのですから。そして、それを購入した身近な人がいたのですから。

今も痛い。早く解決してほしい。解決した証しをきちんと見せてほしい。執行猶予ってどんな意味があって猶予にするのかしらん、と思います。猶予にしたのは、私が痛すぎたからなんだって判っているのかしら。他者の痛みがなかなか判らない人たちだから、与えてあげた猶予に、私は今も深い苦痛を感じます。

さてさて、今日も結局、著作権というものについて検索する羽目になりました。
これは、これからなかなか重要な、時にはややこしいことにもなりそうな、そう、私の執筆、のえの音楽に関して、注意深く慎重にやらなくてはならない、そんな課題です。

今日は…。
ヒデコの作品の著作権が無断で乱用されました。
いやはや…。フクイって「教養」があったらだめだって聞いてまだ二日だけれど、「常識」もあったらだめなんだって経験は山のようにしてきています。
だいいち、「ふつう」の人がいませんから、「ふつう」のことがまかりとおっていません。

都市の自動支払機の端末がどうなっていようと、知らない、と言った、ここ地元のいちばん利用されている銀行の傲慢さ、狭量さ。入金したなけなしの売り上げが宙にいっとき浮いたんですからね。

突然、印刷代を、何の前触れもなく非常識にも二倍にした印刷屋さんとのやりきれないやりとり。

ああ、あんまり昔なので忘れちゃったけれど、地元の某文具店とも、リサイクルのコピー機のことであまりに非常識なことがあったのだけは覚えています。

くだらないから覚えている必要もないけれど、その時その時は度肝を抜くだけではなく、実害も大きくありますから…。銀行、印刷屋、文具店との、くだらなくもいまわしい三大事件です。

夜遅く帰宅したヒデコの見せてくれた、ある人の展覧会のフライヤーを見て、あららららら、と呆れかえりました。
「よりそう」…寄り添う…というキャッチフレーズのついた展覧会で、その人のある分野の作品と、ヒデコの逆流壺と、ワインクーラーがまったく同じくらいのインパクトで大写しになっているフライヤー。わあっ、なんて非常識。

四月の末にヒデコはさあっと、あるネット上で見せられて、「ええっ」とかいう感じで反応したっきり、そのフライヤーを見る機会は今日までなかったのです。断られた訳ではない。

要するに自分も大切にされたことがないから、人さまを大切にして「筋を通す」というトレーニングを受けないですむ世間がまかりとおっているんですね。

このフライヤーを対角線上で半分にすると、ちょうどその人の作品とヒデコの作品が半分半分、あらら、「二人展」かな、って間違えますよね。なーんにも断らないで、逆流壺とかワインクーラーとか、きわめてオリジナル性のつよいヒデコ作品を自分のフライヤーに掲載するという無神経さ、というか、まあ、非常識さ、教養のなさにはことばもありません。
ことばがない、というのはこういうときに使うべきでしょう。

なんかものすごくこわいことが進行している気がします。
だって、カレンダー事件もフライヤー事件も、ヒデコがそれなりにきちんと関係を作っている人とのあいだに起きたんですから…。
一方的に「ふかい」つながりに「甘え」ているという、心理構造的なワナに、彼女たちがはまっているという自覚はなかなか持てないのかもしれません。

だいいち、ヒデコがどれほど作品にこころを、こめているかへの誠意をまったく欠いているではありませんか。
要するに、すべてが「なあなあ」で成り立っているんですよね。
「なあなあ」だとしても、「なあなあ」タイプの人間としてはずせないことだってあるんじゃありませんか。

あるいは、「陶芸作品は岩国英子さん作です」とか、キャプションを入れなきゃダメだよねー。断わられたなら、ヒデコはそう言ったに違いありません。

そう、陶芸祭りでもいつも、三日間に20人ほどに、無断でばしばしカメラを向けてくるのに注意を促します。丁寧に断わり、使い道を伝える、という手続きを怠らなければいいんです。
まあ、コピーなど簡単にあっちにもこっちにも出回る、最低のネット世紀初めですからね。

しかし、誰ひとりとして、まねできないのは、本当の作品の触感、魂、こころ…。

だからこそ、表面だけかすめとるような、こずるい、他愛なくも卑怯なやりくちだけは、やめてほしいと思います。

さてはて、どんな「解決」があるのでしょうか。
「解決」しなければならない、面倒な課題っていやだー。
「解決」したい、深遠なる課題でこころ静かに落ち着いてきたというときなのに…。

ああ、もうこんなこと書きたくない。
今日のカテゴリー、「タイムトンネルのこちら側の奇々怪々」でいいですよね。

ケイコ

| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 01:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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