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『Sotto虹』の「終わりと始まり」のためのリサーチに どなたもご協力、よろしく!面白く、リアクション記号を活用してくださーい!

『Sotto虹』の「終わりと始まり」のためのリサーチに どなたもご協力、よろしく!

えっ、熱心な読者なんかじゃなかったから、そんなのできませんよ、ですって。いえね、その熱心な、とか、時間見つけてそれなり淡々と読んだり読まなかったりの、このコミュニティページ、いかがなものだったのでしょうか。あなたの人生に多少なりとも関わっていましたか。いやはや、FBのそんな投稿に期待なんかしていやしませんよ。と、いうお声も聞こえそうですが、それはそれなりの背景や実態や理由があって、お察しの方々も多いか…そうでもないか?…と思いますが、この段階にいたりました。
そこでですね。最近、FBのリアクション記号の選択肢が増えたのをリサイクル?利用させていただいてのリサーチとあいなります。最後に挙げる、長田弘さんの詩作品3つには、もしかしたら、あなたのこれまでのSotto虹とのふれあいを想起させるものがあるかもしれません。なにしろ、3作品のタイトルは、「言葉の死」「嘘のバラッド」「われわれの無残なバラッド」というわけですから。

それでは、5つのリアクション記号を、この投稿に限って、以下のようにご理解してご利用いただきたいということで、例示いたします。
「自分がいつも読んでいる感覚は、これに近いなあ」って程度でいいですから、できるだけ多くの方に、リアクションしていただけるものなら、主宰と事務局の米谷恵子と岩国英子にとっても、この上ない歓びです。はーい、それでは……♪♬
そうそう、以下のリアクション記号の「順番」は、この投稿では独自に並べてあります。あしからず。

超いいね⇒投稿されるごとに、時間をできるだけ作って大切に読んでいます。読後しばらく内省するように自身を顧みたりすることもあり、大変刺激的でありながら、実に穏やかで心地よい言葉との出逢いとなっています。自分の日常の一部となり、いずれご一緒できることなどあればと楽しみです。

すごいね⇒これだけ、日本中にはびこる偏見、それ以前のタブーとも言える事柄に、淡々と、時には大胆に「杭を打ち込む」みたいに言葉にする勇気にエールを送られるような気持ちです。
特に「生きづらさ」の極限にある、「自死」と「自死でノコサレル」という事実に集約する日本の闇に光をあてようとするチャレンジには、どきりとさせられながら気づくことが多々あり。大切な集いやワークショップの告知も注目しています。

いいね⇒忙しい時もあり、読めたり読めなかったりですが、できる範囲で読めるよう心がけています。
判らない言葉は検索したり調べることもあります。はっとしたり、霧が晴れるように腑に落ちたり、逆にもやもやした気持ちに余計なったりといろいろですが、自身に必要な営みとして読むという行為を続けていきたいと思います。

うけるね⇒いつもって訳ではないんですが…だって長いのとか読み切れないこともあるしね…それでもたまに、これって自分のあの課題とがっちりフィット、よくぞ言ってくれたって感じになります。誰も言わないことだったり。でも、いつもって訳ではありません。

悲しいね⇒つくづく「傍観者」に過ぎない自分を痛感します。できるものなら、逃げたいような課題が多いからだと判っていますが、身につまされるばかりでどうにもなりません。そんな自分がふがいなく悲しくなります。見つめなければ始まらないと判ってはいるのですが。

ひどいね⇒こんなに、人間の弱さや愚かさについてリアルに肉薄して書かれるのに抵抗を感じます。まるで責められているみたいな気がするし、ひどいFBコミュニティーページだと思います。すぐにでも閉鎖して、見えないものには蓋を閉めて生きていく人生に返らせてほしいものです。それでも、怖いもの見たさでしょうか。つい、開いてしまいます。だから、余計混乱します。自分が、ただの野次馬なのか、強迫的な思いをなんとか持ち直したいと思っているのかは判りませんが、ひどい投稿ばかりで本当は読みたくない気持ちも大きいんだと、どこかで判っています。

以上の選択肢にしたがって、「終わりと始まりのためのリサーチ」にご協力いただきたいと思います。
できるだけ多くの方々の反応をお待ちしています。各選択肢におさまらない思いが、「これに近いと思いつつもある場合」は、リアクション記号を選んでから、遠慮なくコメント欄にビミョーなあたりなど書き込んでください。その際、このコミュニティページの主旨を逸脱しない範囲でお願いします。
主宰者も事務局の担当も、血も涙もある人間ですので。
なお、このアンケートのアイデア、なんとも、おもしろーい、という「いいね」は今回はご遠慮願います。(笑)あくまでも、上記の選択肢にそった「リアクション記号」の使いかたでお願いいたします。それでもという方は、コメント欄に。
なお、「悲しいね」「ひどいね」はなかなか選べないかもしれませんが、今回に限ってせっかく選択肢としてあるのですから、思いきってご自分の気持ちを表明してみてください。

それでは長田弘の詩作品三作を次に挙げます。これまでのSotto虹のこのページとのふれあいを思い起こす「呼び水」のような働きとなる気がします。いや、なんで、どうして、これを挙げるのって方もいらっしゃるのかな。いやいや、ここまでおつきあいいただいた方はそんなことはないのかな、など思いつつ、えいやっと、三作品。みすず書房の全詩集より。94ページ、99ぺージ、101ページ。

言葉の死

言葉が死んでいた。
ひっそりと死んでいた。
気づいたときはもう死んでいた。

言葉が死んでいた。
死の際を誰も知らなかった。
いつでも言葉とは一緒だったが。

言葉が死んでいた。
想ったことすらなかったのだ。
いったい言葉が死ぬなんて。

言葉が死んでいた。
偶然ひとりでに死んだのか、
そうじゃないと誰もが知っていた。

言葉が死んでいた。
死体は事実しか語らない。
言葉は殺されていた。

言葉が死んでいた。
ふいに誰もが顔をそむけた。
身の危うさを知ったのだ。

言葉が死んでいた。
誰にもアリバイはなかった。
いつでも言葉とは一緒だったのだ。

言葉が死んでいた。
誰が言葉を殺したか?
「わたしだ」と名乗る誰もいなかった。

嘘のバラッド

本当のことをいうよ、
そういって嘘をついた。
嘘じゃない、
本当みたいな嘘だった。
ほんとの嘘だ。
口にだしたら、
ただの嘘さ、
どんな本当も。
ほんとは嘘だ。
まことは嘘からでて
嘘にかえる。
ほんとだってば。
その嘘、ほんと?
ほんとは嘘だ。
嘘は嘘、
嘘じゃない。
ほんとは嘘だ。
嘘なんかいわない。
ほんとさ。
本当でも嘘でもないことを
ぼくはいうのだ。

われわれの無残なバラッド

そうなんだ、
そういうことだ。
そういうわけで
そうなんだ。
そういうふうだし
そういうことだし
そうじゃなければ
そうじゃないが、
そうなんだし
そうだったし
そうであるだろうし
そうなんだ。
なあ、そうだろう?
そうだろうが。
そうじゃないと
そうはいえまい。
そうしたさ
そうするさ
そうなるさ。
きれいに片をつけてきた。
歴史を
二行で。
「いろいろなことがある
いろいろなことがあった」
そういうことだ。
そうなのか?
     
2016年6月3日  昼下がりのベロ亭で、
庭仕事とやきもの制作の手を休めながら
Sotto虹主宰 米谷恵子
     事務局 岩国英子

リーチ214人
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| 心底飛びきりのケイコ節 | 08:44 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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2月11日の夕刻、沈みゆく夕陽がきらめく、海面に 「どうにもこうにも、自分のからだは自分だけのもの誰かにあげることももらうこともできない。」、


さようなら、もうおしまい。
2月11日の夕刻、沈みゆく夕陽がきらめく、海面に、
「きれいですねえ」と漏らした私に、
「生きていて良かった」といった初老の男性、ありがとう。
「どうにもこうにも、自分のからだは自分だけのもの、
誰かにあげることももらうこともできない。」
と意味深に続いた会話。
思わず返していましたっけ。
「そう、これっきりのからだ、こころ」と。
ふっとあいだをおいて、私は言いました。
「いいえ、今、十分にもらっています。」

あの波立つ海面にきらめく夕陽美しかったなあ。
まぶしかったなあ。
知らない初老の男性とかわした不思議な時間。
英子に言わせると「映画のシーンみたいだった」。
「ちょいとやばそうなふたりのシーン。
でも恵子ちゃん奥さんにもちゃんと話しかけたよね。」
はい、その男性思いがけず自分の内面を語ってしまったことをきりあげるように、小柄な奥さんのほうをふりかえり、
「行こうか」と言った。
そしたら、薄紫でコーディネートした上品で地味なかたが。
私は思わず
「わあ、私の大好きなパープルでコーディネートされてるんですねえ」と。
私はその日はセーターのみその色。
指し示しながら言ったのでした。

疲れました。なにもかも疲れました。
さようなら。
おしまいです。
生きてきて、この営みもやれてきて、良かったと思っています。

2016年2月29日 米谷恵子
★約束の2月末日となりました。やはり限度期限
体が知っていたようです。

| 心底飛びきりのケイコ節 | 02:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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誕生日から一週間余り、願いや祈りが消えていきそうな…それでも

なんだかFBであるレストランに行った写真とともに、
ふたりで2月11日の誕生祝いをしている…かのような…
そんな写真をアップして、ひとりひとりが、
「恵子さん、おめでとうございます」などと言うので、
知っている方に関しては、返答をしているあたりから、
自分のなかに大きなねじれが生じ始めた気がします。

昨年の誕生日では、まだ私はヒデコのアイコンを使って、
何事かをたまには言うという「狼藉」を例外的以上に使うことはなかったので、
「おめでとう」と言われても、人ごとみたいに、
まあ、ヒデコのパートナーさんのことでヒデコに皆さんが言っているのね、
で済んでいたのですが、今年はそうはいかなかった。

ヒデコのFB修業で広がった人間関係があるのは確かだし、
その結果、ジャーニー地元篇で出逢いがあったり、
そういうことはいくらかあるし、
実際ベロ亭に訪ねてくる人もいたりはする。

去年なんか、私の写真とともにふたりが笑顔を出すだけで、
いいね、がこんなに増えるのねって言いながら、
実は別のひとのFBに書いた、私の人生にとって、
きわめて重要な事柄がどうして放置されているのかが、
気になっていいて、そちらが地下水みたいな作用をして、
ふふーん、「おめでとう」なんてから騒ぎだよね、
って芯から思えたのだけれど…。
今年はそうもいかなくて…。

誕生日の朝は、数日前から始めた、
「うたうたい のえ」の本の原稿の徹底整理の続きをしていました。
よりによって、のえの誕生周辺の自分の気持ちに、
もう一度向き合うような徹底推敲です。

ところが、人々にとっては、…まあ私にとってもだけど、
その日は私の誕生日。そして画像。笑顔。少しは豪華そうな食事。

だけど、そもそもビーフなんかをとったのが悪かった。
なかなか噛めなくて結果、おいしい「ふり」を多少はした。
いや、少しは美味しかった。いや、相当おいしかったのだけれど。

そこには、コラボのある楽器を担当した若い子も、
アルバイトでいて、コラボをする前みたいな底抜けの笑顔はなかった。
普通にきびしくがんばる人だからそれはそれで仕方ないのかも。
でも、なんだか、普通にいられる場所でない要素が少しはあったかのような…。

プレ誕生日。
最近お友達になった次世代の女性をよんで、
彼女も2月が誕生日なので、
手焼きのケーキやらクッキーを持ち寄りで食べて。
喜んでくれた。
それから、チューリップが私が出かけている間に届いて。
今も活けてありますよ。

おとといから、ヒデコは東京、長野の旅へ。
で、送った帰りにチューリップにたす花として、
かすみ草とマーガレットのいずれも白をちゃんとした花屋さんで。

あああ、その合間にもしきりと風が吹くのです。
なんだかやりきれない風。

今朝もまた少し久しぶりに悪夢を見て目ざめた。
ある種のバターンを繰り返していると思う。
ぜーんぶ、ウソだったというからくりに唖然としているという、
そういうパターンの繰り返し。
あるいは、自分だけ締め出されて、
物事が進んでいく、それを透明人間としては、
見ているしかないみたいなパターンと。
違う、違う、違うって言って、実際に言ったような気がして目覚めたり。

下の部屋では会議。重要な私の人生にかかわる。
それなのに、私は一つ上の部屋から出られない。
窓をあけると周り中荒海。みんなこの荒海知らないんかな、
そんな感じで焦燥感がつのる、これも最近見た夢。


ええ、朝早くからこれをしておかないと、
誕生日のレストラン行きも気持ち的にままならないと、
と原稿をなおしはじめて、そこがよりによって、
のえの誕生にかかわるところで、私の気持ちが余計、
別の方向にいったのは確かです。
こういう気持ちって、子ども産んだ人でないと判らないのかなあ。

「恵子さんが生まれて、そして、
あんなにすごい「うたうたい のえ」さんが生まれた。
そのことすべてにおめでとう」なんてしゃれた真似、
誰にも望めないことなのかなあ。
そう率直に言って、思いますよ。
子どもに先立たれた人間…ここでは「母親」と私らしくもなくあえて言いますが、
にとって、自分の誕生日、つまり自分が年を取る日が、
どんなに「おめでたくとも」、けっして「おめでたくも、嬉しくもない」場合もある。
そんな想像力はないのかーって、何もかも蹴飛ばしたくなるんだなー。

これは、私が天邪鬼だからではありません。
そういう立場なら、心の片隅のそういう気持ちを押し込めて、
まあ笑ったり、楽しんだりもするのかな。
むろん、誕生日祝いができなくなることを望んでいる訳ではありません。

それに、FBの人たち、
私が誕生日の三日前に、
「ちいさな集い 悲しみにSOTTO虹」をスタッフとして、
淡々と、心静かに、最大限の慎重さでとりおこなったのは、
ご存知でないのかー、という気持ち。
そんなこと、何ものでもないんだよね、誰にとっても、
と言いたくもなります。

FBに書きました。
「ヒデコのためにレストランに行った」とかなんとか。
それでふたりは喧嘩になりました。
はい、三割くらい行きたい気持ちがあった。
あとの七割を表明しなかった、という点で、
気持ちは半々くらいと言うべきでしょう。
でもね。あまりにビンボーだから、こういうときしか遊べない、
そんなゲスな根性も働くのです。
やっぱり「楽しげな」思いの真似をさせてもらおうかなって。

で、前日のチューリップの贈り主がお買い上げになった、
ヒデコお手製のパン三個ぶんがレストラン代となって消えたのでした。

それから14日には、関西からやきもののお客さん。
キャラバンで裏方でさんざん世話になった方でもあるし、
むろん、雪道をよいこらしょっと送迎させていただきました。
でも、何度も雪で延期になってきた結果、
言われていたような買いっぷりではなかった。
正直に言うしかないから書きます。
その売上でヒデコは、東京と長野行を決行する予定でした。

キャラバン先だった頃にはできなかった話もしたよー。
隣の石川のもっと山奥が実家だっていう彼女は、
「私は逃げ出した人間。よくこんなところで、ふたりは、
ふたりとしてやってきた、すごいですよ」とも言われたと聞く。
でも、いくらすごいと言われても、もう生きてはいけない。

おまけに、彼女はまた例のパターンをしてしまった。
往復の車のなかで、私の具合をきく、
という、もう満杯で、聞きたくもないし、あってほしくもないし、
やめてーって張り倒したくなるくらいのことなんだけれど、
けっして悪気がないと判るだけに余計悔しい情けないふがいない、ばかばかしい。

なんで私をしめだした場所で、
私のことを訊くんだよー。
どんなに心配しているのか、そういうことがあるなら、
直球で私に投げなよ。変化球でしっかり返してあげるから。
でないとしたら、それは自分の「安心立命」のための、
ヒデコをスケープゴートにもした会話にすぎなくなってしまうでしょ。
むろん、私はスケープゴート以前だな。

まあ、いいよ。
「お二人はつよい。」
それはあながち間違ってはいない。
でも、往復精一杯雪道走って、食事ご馳走して、
でも、数ヶ月お金使いまくったから、もう使えないって、
聞けない、聞けない、聞けない。
それはあなたのことでしょうけれど、聞けない。

友達と…して…語り、心をくだき、
花にお礼をし、クッキーに嬉しくなり、
それから、数々の「おめでとう」に絶句しながら、
なんでもないふりをし…。


そうしてそして、12月半ば以来の、
不届きで不愉快で、失礼きわまりない一件で、
届かない返信は届かない返信で、そんなこともかっとばしながら、
相手は人間ではないと確信するしかないときの虚しさ。
でも、人間として大きな顔して生きていると知っているリアル。

それについて相談を持ちかけた人からも、
何も返信がない虚しさ。こわさ。

それでいて、バカみターイと、
忘れられるようにもなってみた私のつよさは、
本当にこれでいいのか、とやはり疑っている。



のえの原稿は着々と着地点に向かおうとしています。
誰が一緒にそこまで読むの。
誰がともにそこまで考えるの。


それでも、北海道の初夏のジャーニーに向けて事は動き出し、
昨日は、ヒデコのいないベロ亭で、
ある告知の最初の書き出しのチェックに、
札幌のカゲちゃんととともに当たりました。

ヒデコは東京で、大切な方とも会えました。
一年に一回の乳がんの検診の結果は問題なし、でした。

大切な方に会えば、大切な情報もある。
情報からもれおちた悲しい事実を伝えなきゃとも思う。


ともあれ、どっちを向いても私のトモダチはいない。
東も西も、南も北も。
いや、北は違うか。

ともあれ、ここで一人でいる心地よさと、
一人でいる孤絶感は、等価で、
心地よさは地獄の至福のようなものなのである。


そして、誰もが忘れたようにアドバイスする。
そして、誰もが忘れたように挨拶する。
そして、誰もが忘れたようにあくびをする。
そして、誰もが忘れたように議論をする。
そして、誰もが知らん顔してあっちを向く。

ばいばい人生。
ばいばいここのこの場所。

ああ、そう言えば昨晩、またイタチくんが、
抜け道探そうとしていたねえ。
あんたも相当血迷って、生きたいんだか生きたくないんだか。

あちこちに動物の死骸。
あちこちに動物の気配。
あちこちに動物の足跡。

イノシシ、しか、いたち、
ひゃくびしん、あらいぐま、きつね。

人間もみんなそんなんかな。
人間もみんなそんなんかな、って思えばいいんだ。
そうだよ。


そして、私は、のえと大声で会話する。
「困ったもんだよ、この世の中。
子どもじみた人たちには、到底私たちの苦悩なぞ、
届きはしない。判りはしない。
のえのこと、少し判ってきたのかな。
これでやっとね。
ほんの少し」。

ケイコ

| 心底飛びきりのケイコ節 | 13:39 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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世界はスケープゴートをどこまで望んでいるのか…北陸中日ポプレスの記事への反応から「イスラム国」の後藤さんを巡る過熱報道まで、らせんのように巡る思考

世界はスケープゴートをどこまで望んでいるのか…北陸中日ポプレスの記事への反応から「イスラム国」の後藤さんを巡る過熱報道まで、らせんのように巡る思考

「誰が悪いのか」「こやつが悪い。こらしめよー」。
早い話が全てそうじゃないのか。私たちは一体どれだけイスラム諸国の歴史を現状を実感としてつかんでいるというのか。私は少なくとも、これ以降、「テロ」も「殺人」も使わないでこの文章を書く。書いただけで、血が騒ぐ国民性みたいなものがいたたまれない。
それは触れないことではない。その言葉が喚起するものを、ニュートラルに別の言葉に置き換えて思考する、そういうことができないのか、という実験としての営みだ。

2001年9月11日。眼前に映し出される信じがたい映像に、胸つぶれる思いを、叫びだしそうな苦悩を覚えた。世界からはじき出された人々の憎悪は、ここまでのことをしてしまうのだ、とそれは突きつけていた。その犠牲になる人々のことをもむろん思う。あのビルの最上階にもイスラムから来た優秀な技術者がいたことを後に知る。

あの飛行便を操縦していた側には、ヨーロッパで建築の勉強をした優秀な主犯格がいたと後々報道されていった。彼は、まさに彼の学んだ建築の技術を、あのビルを破壊するための力学的な技術として練り上げて、あの瞬間に全てを注いだのである。
あの瞬間のために。それはなぜ…。

私は丁度、ペルーから帰国していた頃だった。
日本人だというだけで、甘えられ、おもねられ、だまされ、詐欺にもあい、それでも「信頼」してくれていた一部の生徒のために、自分なりにNGOを立ち上げようとしていた頃だった。今さら、「誤解を恐れずに」などと念を押すまでもないだろうが、その信じがたい光景は、世界の不均衡への、「不均衡」を強いられた側からの、うむを言わさぬNOと私には映った。ペルーのクスコで起きたことの全てを、実のところは、日本人の支援者に逐一伝えられるはずもない、そんな私の実感とかさなった。一人ひと月1000円のクラスのためにその会費を払えない人は申告制にしたのだが、それを皆の前で申告するのは、彼らとて勇気のいることだった。だから、私は頻繁に待った。あと50円を、2週間待つこともあった。彼らの嘘もホントも誠実さも狡猾さも、すべて受け入れながら、自分とたたかいながら。

話は突然、私たちの北陸中日新聞の「ポプレス」紙面への反響へと飛ぶ。

ここまでのことを、こんなふうに冷静な筆致で書くというのはなかなかのこと。
というあるL女性の反応もあれば、
ドラマチックすぎて、ついていけない、わざわざそう書いているんじゃないの。
というある正体不明な男性の反応。
おおむね、私たちの生き方の多面性に良くも悪くも、共感も反感もあるということなのだ。

世界はそんなに単純にはできていない。
それをきわめてたやすく単純化してしまうのが、日本的、あるいは福井的な思考とも言える。隠された事実をひとつあらわにするだけで、日本中のどの家族だって、今すぐに崩壊の危機に瀕することだろう。どの家族だって、というのが言い過ぎというのなら、「あんなところに行くのが悪い」という島国根性を捨ててくれないのかなあ。

日本は平和。日本は平和。日本は平和。
日本は安全。日本は安全。だからもっとちゃんとに守らねばー。
なのかな。なのかな。なのかな。

隣の人が死んでいたって、知らないふりすれば、平和な国。
ホームに飛び込む人を、携帯カメラでおさめれば安全な国。

後藤さんのノコシタものを語り継ぐのが私たちのまず手をつけるべきこと。
知らなければすまないこと。彼は一体何にいのちを賭けていたのか。

いのちを賭けるしかない場所にいることをなぜ彼が選んでいたのか、
それは「安全地帯」でのうのうと生きていると「思い込んでいる」人からは、
どうしてこうも簡単に不届きな行為に映るというのか。

だから、行った者が悪い。はああ?
世界は、あなたは、どこまでスケープゴートを望んだら気が済むのか。

だから、私たちも語り継ぐ。
私たちの存在を埋没させてしまいそうな、
「安全地帯」という危険地帯で、
「思い込んでいる」人たちに包囲されながらも、
だから、私たちは今日も語り継ぐ。

のえはイラク開戦の折、
イマジンをこう日本語詞にして歌いあげている。

この世界中で流れた血は全部一緒な血だ。
どんな殺され方をしようと全部一緒な血だ。
この日本で毎年三万人以上の人が自殺するのも、
そして、流れる血も全部同じだ。
どんな死に方があったか。どんな殺され方があったか。
違いと言えば、それぐらいのこと。  

イマジン 日本語詞  うたうたい のえ


私は思い出す。
のえの友人だった由紀子さんのことを。
イラク開戦の直前に人間の盾となってイラク入りし、
無事帰ってきたから、矢面に立つことはなかったけれど、
それでも、のえの別の音楽仲間からは、
親不孝だと批難されたことを。
そして、由紀子さんにつらなろうとして、
のえが京都の淀川べりでしたあるささやかな行動まで、
「売名行為」だと批難されたことを。

そうして、のえが亡くなったとき、
まさにお別れという直前に届いた由紀子さんの「送る言葉」が、
そういう経緯を経たからこそのおもみを持っていたことを。

ゲタは、どんな時でも、私が何をしようと、
「由紀子は由紀子なんやから、そんでええんよ」と、
優しく全てのことを受けとめてくれたので、
私はゲタの選んだ道を信じて、祝福したいと思います。


ゲタとは、のえが東京時代にそう呼ばれた愛称。
いつもゲタにギターだったからね。

人の人生の選択。
人の生き方の選択。
どんなにそこに切羽詰まった真実が、
どんなにそこにその人にしか知り得ない深淵が、
あったことか、誰にも何も言えない領域。

後藤さん。
あなたはそれを私たちに見せてくれた。
教えてくれたと言ってもいい。

それを認めたくない、日本がめいっぱい良くて、
平和で、守るためには何か次の選択をしなくてはならないと、
そう思っている人たちには、あなたのしたことは目障りで、
国と国の対立のように映ってしまう。
映ってしまうということで、あなたという人の命まで見失う。

あの私の全く知らない乾いた地のどこで、
今、あなたのむくろは、あなたである証しを残しているか。

誰もがたたかっている。
見えない、自分のもろさと、
見えない、自分の弱さと、
見えない、国という名の力と、
見えない、国と国の駆け引きという名の不均衡と。

私は私でたたかっている。

SOTTO虹。
あなたがイスラムの子どもたちに見ていたのは、
どんな虹のような笑顔。
どんな嵐のような苦悩。

私たちのマチガイニにらみをきかせていてください。
いえいえ、
もう十分にたたかったのだから、
あなたの愛した地上のそこのその場所の矛盾が、
凝縮したその地点のその場所で、
どうか安らかに、静かに眠ってください。

犠牲は弱いところへと集中する。
見えないところへと集まっていく。
スケープゴートを出さない、
そんな人間の営みってないのか。
そんな人間の明日はないのか。

希望はなくたって、引き寄せるものだ。
希望はなくたって、模索して探しだすものだ。

スケープゴートを出さない。
スケープゴートにならない。
出させない。
ならせない。

ケイコ

| 心底飛びきりのケイコ節 | 15:56 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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創作狂言『「えん罪」のように取り残された夢をみた』…狂言観劇と記事の荒波が打ち寄せて

創作狂言『「えん罪」のように取り残された夢をみた』…狂言観劇と記事の荒波が打ち寄せて



夢のなかのことで、ござりました。

人々は、どこか広めの部屋のようなところで話していた。ヒデコはいなくて、私だけが、ヒデコの運命が、私たちへの何ともいいがたい「合意」ができていくのを、やるせない焦りと共に聞かされていた。なぜ、すぐ近くの部屋にヒデコがいるのに、誰もこんなに大切なことで「合意」するにあたって、彼女を呼ばないのだろう。私がここにいるのに、なんでみんな、いないようにふるまうのだろう。
「ねえ…」と声を出したというより、その危機感がきわまったところで目が醒めた。

幾つかある「悪い夢」のパターンのような気もしたが、少し「リニューアル」した微妙な中身を感じた。こんな夢でも見ない限りは、私はたいがいは熟睡していて、夢で目が醒めるということはめったにない。ひっそりと眠りから、覚醒へと、ぽつねんと入っていくのが普通だ。

そして、瞬く間に「悪い夢」の正体に向き合う。前日のどんな事々の蓄積の果てか、それまでのどんな徒労感のあげくか、瞬時に見きわめ、向き合い、分析する。

昨日は、午後早めの時間に、昨日のうちには着かないのかとあきらめかけていた「北陸中日ポプレス」がばさっと届いた。出際に見つけたのである。少しだけ嬉しかった。

まとめて届いたポプレスを、一部、その日の「狂言」のイベントを取り仕切った隣りの市の女性議員に、もう一部を、「小さな集い」や陶芸教室で世話になっているお寺に届けた。それはついでの行為にすぎず、その記事がどう読まれるかなどという「期待」は一切捨てなければならなかった。

うるしの里で催された「狂言」の小中学生によるワークショップも、おばあちゃんたちのウーマンパワーあふれる「しゅうと・嫁・婿」騒動を描いた創作狂言もなかなか笑えた。おばあちゃんたちの憤懣がうまく創作へと結実しているようにも思えた。

プロのふたつの狂言は、圧巻の面白さで、私は人が笑わないところでもクスクスと笑い続けたし、まあ、声と共にある表情、所作の表現にはきわめて刺激を受けもした。

会場のうるし会館のホールに入るとき、「昨日のが福井新聞だったら、これは大覚悟ものだよね。それでも、どう広がっているかはわかんないもんなあ」と私はヒデコに囁いた。

4列目くらいの真ん中へんの席が十分に空いていたので、向こう側に親しい若い女性の姿も見え、声をかけながら座った。
少したって、舞台のきわの席に、FBではおなじみのおばあさんがいた。ジャーニーの搬出も5人分の豪華弁当持参で手伝ってくれた人だった。手をふってから、挨拶に行った。
すると、空いている席が2席あって、「ここにおいでなさいよ」と誘われた。
「いやあ、ここは特別席でしょう。とんでもない。こんなキモノをお召しになっている方もいらっしゃるし」
「ううん、ここは誰でも座れるの。主賓席は別に書いてあるじゃない」。

乗り切られた形でもあったが、その場所に行きたくもあった。結果的にそのおばあさんの隣りに座った英子は、舞台の袖すぎて見にくかったともあとで言ったけれど。
問題は、その舞台の際の2列目の端っこに座った私の位置だった。ヒデコは1列目、ふたつある席の端。私は2列目5つくらいあった席の端。
私が座ろうとした席の真後ろのおばさんが言った。
「あなた、あの人の連れなら、椅子を持ってあの人の隣りにお行きなさいよ」。
一瞬、好意で言われているのかと思ったがじきそれは打ち消された。
「あなたが前に座ったら、私が見えにくくなるんやから」。
私に隣りに来るように誘った、キモノ姿の中年女性に耳打ちして相談すると、
「そりゃあ、椅子の配置を考えて置かれたものでしょうから、気にすることないわよ。ここにいらっしゃい」と励ましてくれた。
なにしろ、後ろの人の意地悪い目つきと物言いには、明らかな悪意を感じた。

やがて、キモノ姿の女性が、何やら私たちのことを最新で知っているらしいと、言いかけた。「なんだろう、まさかね、記事のことじゃあ」内心思った。
プログラム半ばくらいになって、彼女が大きめのアイホンで見せた画像は、北陸中日のヒデコの単独写真だった。観念した。「昨日出た新聞記事ですね」と私は返した。
彼女の実家は、同じ地区だった。もう両親は亡くなり、そこには実家はないとも後で聞いた。名刺すら渡された。うるし会館のある市在住だった。きわめて好意的な笑顔であり、さりげない対応だった。そして「全日本おばちゃん党」なるもので、私たちの記事がネット上で出回っていると知った。

実は、「狂言」の冒頭のプロのお兄さんからの説明で、「文化遺産」について、会場から意見を求めようとして、私は即座にあてられた。舞台の裾の角、白づくめのきらきらしたイデタチで装っていた私は目立ったかもしれない。
私は一瞬頭を巡らして、すらすらと答えた。マチュピチュ遺跡にあきるほど行ったことが頭で点滅したことなどは抹消した。

「それは、生かしておかなければ消えてしまいそうな大事な文化的なものでしょうね。そして、人々の記憶に残していく必要…」
もう少しすらすらと言葉は滑り出たが、だいたいこんな内容。しかし、若い、先代を引きついだというプロともあろう男性は、私が二文目を語り始めると、あわあわあわとなった感じで引きとどめ、自分の語りに戻した。明らかにこちらがそこまで知っていては…対応できない、そういうプログラムではなかったはず、という態度がほの見えた。
すぐ忘れたけれど、なんとも言えない引っ掻き傷が残っていると気づいたのは、催しが終わって、ヒデコと外食していた時のことだった。

「あそこまでしゃべっちゃいけないのかなあ。」
「まあ、ああいう時は、一文しか求めてないんだよね」。
「でもさあ、嘘でも、よく知っていらっしゃるようですが、そろそろ私に語らせてくださいね、とか、相手に失礼のない対応をしないとね。プロなんだから。」
いっぱい笑ったあとだったのに、様々な似たような光景が瞬時に浮かんでは消え、浮かんでは消え、私は悲しくなった。
優れていてはいけないんだ。一般大衆は。
より知っていてはいけないんだ。ただの観衆は。
楽しそうにしていては、仲間に入れないんだ。仲間に入れなさそうな人をフォローする、
それが福井流だからだ。

いや、福井だげではない。様々な、ありとあらゆるその種の光景が浮かんでは消えた。

それに、北陸中日の記事への反応もかなり空しいことも多い。
だいたい、性的少数派の反応が少なすぎるのだ。
そして、地元の今までいつも「いいね」をしていた人の反応も少ないのだ。

お寺の本堂に、お留守なために、おつかい物と29日の集まりのための資料を真っ暗な中、車のライトを頼りに、椅子の上に置かせてもらいながら、会いたかったなあ、と少し思った。それにしても、会えなくとも会っても、何も変わらないのかもしれないとすら思った。

29日のお誘いのFBの文面に、大げさに抵抗を示すある人の反応もどこかで尾を引いていた。
前日の「残す」と「遺す」の違いも尾を引いていた。
その上、よりによって、この日、私は「世界文化遺産」についての質問を、居並ぶ市民の真ん前で受けて、すらすらとしゃべったのだった。
よりによって「遺産」だよー。そう、のえの遺したものも間違いなく「文化遺産」。
あるハンガリーの女性が英語で言ってくれたように、
「この歌手を亡くしたことは、日本の、世界の音楽界の大きな損失です」というような、「文化遺産」。

いっそ、こう答えればよかった。
「ああ、遺産ですね。遺産はノコサレタものをどう生かすか、どう引き継ぐかという問題です。
それぞれのお家にも、ノコサレタものはおありでしょう。
そのは過去に生きた人がノコシタもので、ノコサレタ我々がどう生かすかと問われる、そういうものなのです。
もしかして、狂言役者で自殺された方はいらっしゃいませんか。
だって、天才コメディアンだってそういうことがあるんですから。
笑いを取るというのは、きわめて、綱渡りな芸ですもの。そりゃあ、大変な遺産ですよ。
はい、私は昨日から「遺族」とか「ノコサレル」とかを研究中の、
「ノコサセラレタ」・ノコサセラレタ人間の一人なんです。
いえいえ、取り残された人間の一人なんです。」

無料の狂言の催しから帰宅すると、今度はようやく届いた11月のコラボのビデオを観た。釘付けになって。何をしたことになるのだろう。様々により良くする方法や、構成をも思ったけれど、それをしのいで、これは一体、何をしたことになるのだろう、という思いが吹き上げた。
終了後、私がまるでインタビュアーになって、一人一人に語りかけ、その時にしか聞けない言葉をカメラの前で語ってもらったのが観られたのはよかった。無我夢中だったから、忘れていたこと、エアポケットに入っていたような事柄もあった。
そして、その場で私のあれだけの語りを聞いた人にとって、私の語りは一体、何を意味したのかとも思った。あらためて痛切に思った。しんしんと思った。
そして、観衆の少なさに、自分のやっている事の位置、をもかみしめた。
なんたって、こちとら「ケ」の舞台。
日本文化の「主流」が認めたがらない裏舞台?

それから爆睡して、例によってヒデコに起こされて、なぜか、FBをさかのぼって、「価値ある」「甲斐ある」やりとりを、どれだけの人が果たしてしているのかしていないのか、腹をくくって閲覧した。
なんなんだよー。そんなに美味しいもの食うことだけが楽しみなのかー。
それにそれだけの金がよくあるよなー。
なんか、まともなやりとりしている人ってどれくらいいるのー。
少しは大切な情報を流したりシェアしている人もいるけれど、やりとりってほとんどないじゃないか。

「北陸中日」について挙げた続きには、こんなやりとりもある。
新宿二丁目で困難な活動を続けるある女性。
「二人のぶれない生き方がカッコイイ。写真もいいよ」。

地元の、この地区の保健の先生の友達だという、
もう一人の保健の先生からのメッセージもいい。

「お二人は、あとに続く子どもたちの希望です。先駆者です」と彼女。
「教室でもどこででもお話に行きますよ」とヒデコ。

素敵なら、どう素敵って書いてよ。
WANさん。らしからぬ形容詞のみ表現、いいのかなー。

あるレズビアンの女性のシェアには、
また20近いシェア。
こんなふうに広がるのが普通なのでは…。
ここまで心血を注いで、生み出した記事に、
少しでも敬意があるなら。

ある市内の街中の人の反応。
あらあら、81年からのあの水玉消防団のコンサートから、
私たちを見ていた人なのね。
しかも、あの「ひびき日本語教室」が、
地元のブラジル人の支えだったと言ってくれている。
というか、この記事ともつながって判る人。

なのに、どうしてこんな夢を見たんだ。

「人々に記憶されるべき…」。
中断された私の真摯な受け答え。
そう「文化遺産」に関わる…。

舞台上の人は言っていた。
「子々孫々に受け継がれるべき…」。

そりゃね、伝統芸能、
日本第一の「世界無形文化財」。
なんたってハレの文化。ハレの舞台。


どうだ、悪いか。
どっちがいいか。どっちが普遍性を持つのか。
この時代に。

まあね、「人々」も「子々孫々」も
ともあれ人間ですもんねえ。



そもそも、レズビアン狂言でもしようかって、
ヒデコと冗談半分本気半分でいったんだ。

出し物にからんだ、その舞台上の人がした、
栗についての質問に、
少しだけ親しくしている女性議員は、
焼くと弾けてこまる…と答えた。
彼の質問の主旨とは少し違う答えだったけれど、
「さすが◯◯先生」と彼は持ち上げた。

この◯◯先生、「自死に向き合う」のに往生しているんだよ。
栗も飛び跳ねてかなりお困りみたいだけれど。
それで、私の数日前の電話に、
国会答弁みたいに答えタンダヨ。
まあ、いいお客さんもしてくれて、やきものも届けさせてもらったけど。
ヒデコは彼女を見つけて呼びました。
「○○センセー」。
ヒデコも呼ばれることあるけどさー。


まあね。
世の中、そうできています。
はいはい、福井はそういうふうに回っています。
はいはい、LGBTほど異性愛者を真似たいマイノリティは、
いらっしゃいません。
成人式に結婚式-。
かつて、障害者がエライ努力をして、
健常者になれるものならなりたいと、真似たいと、
涙ぐましい努力をした歴史を繰り返すように。


催しの帰り際、
私は会館の出口で、
おばあちゃん狂言一団の中でも、
ひときわ腹の底から、そして魂の芯から声を出していた、
そんなおばあちゃんに、声をかけました。

「良かったデース。声が、態度が、
本気でした。まるごとでした。すごかったですよー。」
連れが彼女の年齢を教えてくれました。
75歳。
いやあ、私なんてまだまだヒヨッコだわ。
ケの前座舞台、ハレの舞台だったわ。

それより前、会場を出ようとすると、
モヒちゃんのお母さん、そう、たまたま隣りに座りかけた、
親しい若い女性のお母さんが声をかけてくれました。

「質問されて見事に答えられていましたよねえー」。

うん、見事じゃ、困る人がいるんだよね。
見事な人がいるべき場所にいつもいないから。
ばかみたい。
こんな福井。こんな日本。

ハレもケもあるもんか、あってたまるか。

それでもなんでも、あってもいいよ。
よかろうよ。



全て既視感のある体験。ありすぎる体験。

「あなたの発表、いちばん心に残りました。」
ああ、あれはゲートキーパー養成講座でのことでした。
ある海岸部の小さな町の…。

それから、やがて私は、
ある人のとんでも圧力によって、
福井県の自殺対策の一端からすら閉め出されたのでした。
涙をのんで、
笑い飛ばすのには、二年はかけて。



カーン。

この喜劇はおしまい。
この狂言はおしまい。

やるまいぞー。
やるまいぞー。
このままでは、
私の人生、このまま投げ出したりはせぬぞー。
あんたらに、
無償提供させませぬぞー。

まるごとやるまいぞー。
やるまいぞー。

最後の出し物の最後のせりふを、
忘れまいぞー。

ケイコ

| 心底飛びきりのケイコ節 | 12:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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