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2016.05.14 Sat
明日の日曜日、5月15日の午後2時半から、丹南FМ夢レディオの英子のDJのパーソナリティーの時間に、【Sotto虹】の時間を、恵子が3時少し前から繰り広げます。 生放送の月曜日午後には聞けない場合がほとんどでしょう。 ぜひ聞いてください。 「記憶すること」「伝えること・伝えないこと」…。 ありとあらゆる喪失体験、それをどんなに苦悩に満ちていても、伝える意味合いと共に、一切伝えない場合に起こりうる、もうひとつの著しい喪失ないしは、すさまじい喪失の連鎖…について、ある映画との出逢いも含めて、また、「うたうたい のえ」の記憶をもつなぎながら、語りました。まあ、いつもながら私らしく語りぬきましたし、このコミュニティページの読者には、他愛なくも真剣、愛らしくも?けなげな!!、英子の出番を脅かしそうと言われた、私の肉声によるおしゃべりを聞いていただけたら嬉しいです。 連休も明け、連休そのものが意外な展開だったり、それ以前にSotto虹の営みについて、心温まるメッセージや、率直なご意見をいただいたりしていることも記しておきます。早いうちに、それらを含めて今後の方針を発表したいと思っています。 ラジオ放送の感想と共に、この時期、伝えたいことがあれば、ぜひ、コメント欄でも、下記の4月終わり頃の投稿にある、私の携帯メールアドレスにでも。 どちらかというと、私としては、コメント欄を推奨したいところです。 一言。「恵子さんが傷つくのが怖い」という表現について。 それは誰が主体で、まあ文法的にあえて言うなら、誰が主語になるか、向き合ってみてください。 「怖い」は感情形容詞。「ちいさい・おおきい」などの形容詞とは性質が違います。 また、この種の感情形容詞は、所有を意味する「したい」「ほしい」と同じように、助詞「が」が多用されます。それは主語ではありません。主体ではなく、客体です。 つまりこういうことになります。 「●●は、○○が怖い。」 むろん、主語が例えばあなた、つまり「私は」になるということです。日本語は主語を入れず問わず語りにすることで、主体性をぼかす、ないしは喪失させる言語特性を持っているとも言えるかもしれません。まあ、主体的な使いてはそこは気づくはずですが…。文法なんか知っていなくとも、もちろんね、ということです。 つまり、あなたの側の課題なのです。それを誰か面倒な対象に押しつける、という日本人の国民性。そういった特性そのものに侵されていない日本人はきわめて少ないようです。 それは個人史においても、日本史や世界史を把握するうえでも、欠かせない視点です。 今日はこのくらいにして、明日の放送のお知らせを忘れないでね、で終えることにします。 ユーストリーム放送なので、全国で聞くことができます。のえに届いた花々やらの写真の投稿の、もうひとつ下の生放送のお知らせ欄から、ラジオ放送にゆくことができます。 2016年5月14日 Sotto虹主宰 米谷恵子 リーチ80人 Keiko Yonetani やっぱり、FBのコミュニティーページは厳しいな。無音、沈黙…。だからといって、私はわずかにストレスのない友達しか友達にできない。そんな人間だからな。今日は午前中、この投稿と原稿書きに復帰。午後は剛君が来て、ずっと外仕事。夜は、浜に通っている知人から購入した魚でお刺身三昧。人と会えるっていいなあ、とただただ思う。全面公開のコミュニティページのさびしさが今日はしんしんと迫る。ここは日本地図にはのっていなかったような!原発銀座にされてしまうような、たとえ百パーセント本物ではなかったとしても、「戦後民主主義」のうねりの余波ひとつなかった県。戦前のままの県だから、戦前に返ろうとしているなんて、何も誰も認識したり、たたかったりはないんだな。白地図にされた地域に住んで、FBのページで人とつながる限界をひしひしと感じる。トーキョーゴーマニズムはご免こうむりたい。
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2016.03.06 Sun
どうしてこのような事が起きたのか全く判りません。QWRCとは2003年以来地の通った交流を蓄積しています。冊子改訂版からSotto虹の営みが除外されたと知り、丁寧な「依頼状」を送信。お断りをあっけなく受け取るまでを、知ってもらうべく投稿。依頼状を作る前にも、短い断りが来た後も、大変な時間の只中を賛同者と共に喘いでいます。長いですが、課題を共有してください。 QWRCに正式に依頼状を出してから、断り状が来るまで 2月16日早朝までかかって徹夜で完成。 …―3枚分の1枚目―… QWRCの冊子制作担当のかたがたと理事の皆様へ QWRCが制作された『LGBTと医療福祉・改訂版』発送前の、急ぎのご依頼 いつも、なにかとお世話になっております。 私たちベロ亭の二人は、QWRCの今までの医療福祉に関する冊子、LGBT便利帳などを活用、各地のNPOや大学、人権団体などの講演やワークショップや、小さな集まりでもその度に設置や配布、また近隣のクリニックや治療施設などにも常設し広めてきました。 特に、緊急連絡先カードは、必ずといっていいほど、ひらかれた会や地元のラジオ放送などで紹介しています。LGBTのみならず汎用性が広いことから逆にLGBTへの理解を広める機会となっています。 また、福井市の人権相談窓口には、QWRCの既刊の冊子をまとめて置かせてもらうなど、貴団体の活動の結実のひとつとして、大切に生かしてきました。 そんな私たちの努力を通して、福井県の、人権をまとめた大判のパンフレットには、はじめて性的少数者について明記されるなど、近年は変化も生じています。 一方、この度、QWRCで出された『LGBTと医療福祉・改訂版』の制作に関われないまま、LGBTの参加者を優先して受け入れている、自死で遺された人たちの分かち合い(希望に応じて個別面談も)を中心にした一年以上の蓄積をへた営み『SOTTO虹』について、取り扱っていただけなかったことを、この期に及んで、大変残念に思っています。 すでに冊子は完成、学習会の2月11日の翌12日、この冊子の刊行を知った次第です。 このプロセスを知りえなかった私たちの側、SOTTO虹の営みの重要性を冊子に生かせなかった制作側、お互いの今まではさておき、以下の提案に応じていただきたく、ご依頼申し上げます。 ① 冊子はA5版なので頁の間に…できれば、「自殺」と「グリーフサポート」の間に…挟めるようB6判裏表に印刷したSOTTO虹の紹介文、また公認されない喪失体験である「自死」に向き合う困難さ、だからこそ欠かせない心の整理の道作りの一面を持つ分かち合いに触れる大切さなど書いて印刷したものを準備させていただきたいと願っています。 ② 文面、レイアウト、デザインなどが、冊子全体とつり合いが取れるよう確認していただくか、あらかじめ留意点などお伝えいただければと思っております。 ③ また、その際、この挟み込む用紙がQWRCの冊子の一部分であると判るような、一文、ないしはマークなどをご提案ください。案としては、冊子の≪加筆訂正≫≪追加訂正≫とか、いっそ、≪付録≫などと表記するのもありかもしれません。ご指示ください。 ④ 冊子の頁相当のSOTTO虹の裏表印刷のB6版の出来上がった用紙を、冊子に挟む作業については、2月21日日曜日の発送作業の時間帯はもちろんとして、もしも可能なら、少し早めから(例えば1時間ほど前から)こちらで準備したお手伝いの人が加わって行え …―3枚分の2枚目―… ればと思っています。最低二人でも参加できればと呼びかけています。現段階では一人は行けると言っております。 ⑤ 21日の挟み込む作業に間に合うように、版下製作、印刷などの段取りの時間が必要ですので、可能な限り、早急にお返事をいただければと切望しております。ご配慮のほど、よろしくお願いいたします。 ⑥ その他、ご承諾いただけた場合に、私たちが考えなければならない点、ご相談が必要な点については、お伝えくださいませ。どうかよろしくお願いします。 なお、『SOTTO虹』としては、これからは関西や首都圏で、また希望のある各地で、分かち合い『ちいさな集い・悲しみにSOTTO虹』を展開していかれればと計画中です。 また、両輪とも言える活動『SOTTO虹自由学校』ではLGBT、発達障害、精神疾患、外国籍住民などのマイノリティ性、喪失体験や生きづらさ、喜怒哀楽の温度差を互いにひもとく、ゆるやかワークショップや参加型トークショーなども繰り広げていく予定です。 つけ加えれば、ベロ亭の二人のパートナーシップの40周年を視野に、LGBTが子どもを生み育て家族の歩みを蓄積するなどの、ベロ亭の来歴にかかわるトークショーなども展開したいと思っています。QWRCからのご要望にもおこたえしたいと思います。 ご存じとは思いますが、SOTTO虹の2015年度のリーフレットは、QWRCにも常設していますので、ぜひとも参考になさってください。 時間的にも、手間ひまなど考えても、かなり無理なご依頼とは承知しておりますが、LGBTならびに自死で遺された人々の自殺率の高さ…3倍から5、6倍…を思うにつけ、自死の連鎖を少しでも断ち切るために、私たちSOTTO虹の営みが、必要な人の目にくまなく届くよう、告知をよりいっそう広めたい一心からのご依頼です。LGBTで自死で遺された当事者でもある私たちが営む、他の活動とはきわめて異質な、緊急性と重要性を伴う、人間の尊厳にかかわる稀有な場作りです。心を決めて歩み始めた、若くはない二人の胆力を尊重していただき、ともに力を合わせることができればと願っております。 貴団体のたゆまぬ活動への感謝と敬意をこめて 2016年2月16日 SOTTO虹主宰 米谷恵子 事務局 岩国英子 追伸 ★最初は冊子の余白を活用したシール貼りをと考えましたが、その手間ひま、費用の高さなどから、B6の裏表に、公認されないマイノリティの、公認されない喪失体験である「自死」に向き合う困難さ、それゆえの、できるものなら少しでも「分かち合える大切さ」などの記述も必要と判断、こちらの方法でのご依頼に替えました。ご理解くださいませ。 ★冊子制作の折には、関西から少しだけ離れている事情も考慮いただき、次回からはお声をかけていただけますよう、よろしくお願いします。 …―3枚分の3枚目―… このご依頼に賛同するかたがたのお名前と、切実な声より 誠にお手数をかけるご依頼と存じますが、以下のかたがたの力強い賛同の意志の声をご考慮いただいて、なにとぞご承諾いただけるようお願いいたします。 まず、ご賛同いただいたかたがたのアイデンティティやご職業などを挙げます。幾つもかさねて、属性やご専門をお持ちのかたもいらっしゃいます。 〇LGBTの仲間 ○大切な友人や恋人の自死によって遺されたLGBT ○LGBTファミリーや既存の家族で、自死で「子ども」を亡くした方々 ○子どもから、若者、老人までをそれぞれ対象にする福祉関係者、支援者、相談員 ○発達障害者の就労支援に携わるかた ○精神障害者やホームレスの人々の支援者 ○発達障害者、精神障害者とその家族 ○自殺未遂経験者とその家族 ○性暴力被害者 ○引きこもりの若者たちのスペース主宰 ○宗教者 ○ジャーナリスト ○元国会議員 ◎SOTTO虹の営みの原点である亡き娘「うたうたい のえ」の友人、ファン、音楽仲間 以下に、あいうえお順で、ご賛同いただいたかたがたのお名前を挙げます。敬称略。 UM・OA・OE・KH・KG・KR・TS・NK・HM・MN・YI・YZ・SR・HY・HH 以上13名とあとから2名、お名前を出せない1名と共に 計16名 2日間弱という短い期間に呼びかけに応えた方々です。 お二人の、今回のご依頼への賛同メッセージを以下に紹介。心の声が聞こえませんか。 ★昨年、北海道の札幌でもSOTTO虹の分かち合いが開催され、参加することができました。地元では、現行法の血縁遺族に限定した分かち合いの会しかありません。 自分の立場や発言がどう受け取られるのかわからず話せないとか、第三者的な立場で参加していると誤解されずに、きちんと当事者としていられる初めての経験でした。 大切な人の自死から10年以上経ってのことです。 SOTTO虹の主催者自身が多重多層のマイノリティを生き、経験と熟慮から「行き場のない人がないように」と配慮された貴重な機会だと思います。当然ながら機会は多いほどいいです。必要な人の目に届くように情報の共有・広報をぜひお願いします。 KH 50歳 ★遠ざけられ、ひらかれず、むしろしまい込まれる気持のようなもの。分厚い壁。 SOTTO虹の営みから僕自身も、埋もれさせていた悲しみを知る機会につながりました。 生きにくさ、どうにも仕方ないことの苦しみへと受容の道をひらいてくれたのも、SOTTO虹の営みであり、ベロ亭との出会いでもあったと思います。 きっと、そんな大切な営みにフタがされてしまうと、グリーフケアの道もひとつ閉ざされてしまうのだと思いました。応援します。 KG 29歳 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 2016/02/17 23:37 賛同者を中心に送信 「17日早朝に送信したメールと、午前中に来た断りメールです」 ご賛同いただいた皆さま、賛同はできなくとも、見守っている何人かのかたへ 昨夜午前2時半頃、先方に送信したものです。 16人のかたにご賛同いただいたことにささえられて、なんとか自分が自分でいられる心強さのなかにいます。この数時間後に断りが届きました。 QWRCの皆さま、CNさま、Rさま 昨日、2月16日早朝、午前5時頃、「医療福祉・改訂版」冊子発送前の、急ぎのご依頼を、送信いたしましたが、受け取っていただけていますでしょうか。 時間が迫っているなかで、大変お手数をおかけかと思いますが、ご了承を待たずに、ともあれ準備に入ることにします。 まあ、文面を福祉医療関係者向けに練る作業が中心になります。B6裏表にして、どう紙面を埋める予定か、ここに書いてみます。 片面は、「LGBTが自死で遺されるという困難な体験」をわかりやすく、かつ、それがどれほど向き合うのが大変な体験かを書きます。 LGBTというだけで「公認されない悲嘆」であるのみならず、自死がそもそも、誰にとっても「公認されない悲嘆」であることで、 公認されない喪失体験による悲嘆の相乗作用である側面が、いかなる困難さや、つめ跡を残すかを解説し、福祉医療関係者に配慮していただきたい点について挙げます。 もう片面は、「自死で遺されたLGBTのグリーフケアの必要性」について書きます。 そもそも、LGBTの人々のなかに、発達障害的な側面を持つ人々が多いことは、医療や福祉関係者にもそろそろ周知されていることですので、 それも含めて、いかに悲嘆がよりきびしいものになったり、なかなかピンとこないものになったりもする、そんな傾向も含めて、相乗的な喪失体験に向き合う道筋をつくり、 抱えきれない悲しみを吐露したり、語ったりする「分かち合いの場」の必要性を解説します。また、なかなか喪失を意識できない場合も、ゆっくりと無理なく、埋もれた感情を見出していく、 そんな必要性にも触れたいと思っています。 最後に、SOTTO虹の連絡先、それから、自死で遺された方々の分かち合い「ちいさな集い・悲しみにSOTTO虹」と、活動の両輪である「SOTTO虹自由学校」について、 全国展開の予定…関西や東京などでも…にごく簡単に触れます。巻末の団体連絡先に入れられなかったことを補うという意味合いもあります。 レイアウトは、本誌に準じて、できるだけ似た体裁にしてみます。昨日の案にも書きましたが、ご指示くださいね。というわけで、オーケーであれば、発送作業の前日土曜日の20日に、大阪のそちらの近くのどなたかか、 受け取り可能であればQWRCに直接、…上記のいずれの場合も受け取り可能な時間帯に…無理なら、QWRCの最寄りのコンビニに、印刷できたものを送ろうと思っています。 また、この予定で刻一刻の段取りを考えると、誠に心苦しいのですが、午前零時を過ぎたので、本日となりますが、2月17日水曜日、夜10時頃までには、ご返事いただきたく段取りしています。 それでは、お返事をお待ちしています。良い方向での解決とご理解、かさねてお願い申し上げます。SOTTO虹 主宰 米谷恵子 事務局 岩国英子 追伸 気づいたのですが、この新たに制作した2ペイジ分について、そちらのPDFと並べるなどして、ネット上でも公開いただければと思っています。 以下、本日の午前中に早くも届いた、驚くべき「断り」の返信です。Nさんが後から見かねて補う内容もよこしましたが、下記が公式見解のようで優先してあげます。 SOTTO虹のお二人へ メール拝読しました。丁寧にありがとうございます。残念ながら、いまの私にはいまがせいっぱいです。ごめんなさい。子どもが高熱で保育園から呼びだしで電車のなかでこれをかいています。 私にもっと時間や気力があればとおもうばかりです。ギリギリでやっていてすいません。以下は私を含め企画に携わったものの公式見解です。と、お送りしたかったのですが、下記の文章は、まだ数人の許可しかとっていません。 おそらくQWRC理事あてにもいただいていたこと思うのですが、理事の中には冊子作成に直接かかわっていない人もおり事情を説明しなければならないのですが、まだできていません。 つまり、このような早急な要請にこたえられる体制をとることが現段階では不可能です。また、下記が公式な見解となることが予想されますので、まっていただいても同じ回答になると思い、わたしから送信いたします。大変もうしわけございません。 Rさんより -------------- 今回の冊子紙面の「取り組みをしている団体」については、今回冊子を作成するにあたり、取材で協力してくださった団体を記載しています。「相談先一覧」は前回の冊子に掲載したものを基本としております。 スタッフの力量不足でこれ以上の掲載は今回はできません。発送は冊子(寄付者へはプラス特典)のみ行います。他の団体様のチラシ折り込みもご遠慮頂いております。いまから話あい、他の団体へ告知して再び募ることは、スタッフの都合上できません。ご期待に沿えず申し訳ございません。お詫び申し上げます。 -------- 追記 このあと、この冊子の増刷がネット上で公開され、寄付も求められているとのこと。 何人かの賛同者が心を痛め、解決の道を時間をかけて作る方法がないか、当たってみる方向性も出てきましたが、先方に時間や余裕がないことよりも、SOTTO虹の営みの緊急性や重要性が伝わらないのだということに、賛同者一同、打ちのめされ、打診する意味を見いだせずにおります。このような、冷酷な便りをよこせることそのものが、人の命に敏感であろうとするなら、書けないものだろうというのが、賛同者一同と私たちの一致した見解です。
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2016.03.01 Tue
「QWRCの福祉医療に関する冊子改訂版」制作のRさんへ Lマザーとして子育てのなかの懸命な冊子制作に敬意を評し ネット上で増刷を知り、公開のお手紙としました 最後にお別れしてから、いったい何年たったことでしょうか。 あのとき、 「恵子さんはいつもどんなこともポジティブにとらえてくれる」 と言ったラギさんのことを忘れません。 Eテレの映像で知られることになる、あの「のえルーム」にも何度も足を運んできましたね。 「のえのことをもっと知らなければと思い、やはりまた来てしまいました」 とそのたび、ノートに書き残していましたっけ。 持っていっていただいた、のえのお皿は、ベロ亭名物の子どもたちの旅立ちのたびに、持たせるカレー皿。あの縞縞に触れて、いつも使っては見ていてくれているのですね。 あなたのお膝の赤ちゃんとともに。 ほとんど今ではQWRCの活動ができない余裕のない状態だと聞いていました。 それでも、よく頑張ってこの冊子の改訂版を作られましたね。 ずいぶん前にCさんにたくしたSOTTO虹のリーフレットは届いていますか。クォークに置くためにお送りしたものですが。 そんなわけで、今回、この冊子の改訂版がすでに制作されて2月11日…なんと私の誕生日…に、学習会まで持たれていたと知って、えっ、とびっくり仰天してしまいました。 あのお皿を、赤ちゃんの食べ始めに使うと思いなおしてから、Rさんも少し落ち着かれたのだな、と変わらぬ信頼を寄せていましたから、私たちが覚悟と決心でSOTTO虹を始めたことはすでに心のなかにいれてくださっていたと思っています。 今日は倒れた旅人たちも、生まれかわって歩きダースよー♫♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦ Hさんが英子ちゃんの展覧会に来たとき、お膝の赤ちゃんと彼女をそばにしながら、自然に私の口をついた歌詞です。 そう、中島みゆきの「時代」。 のえはいないけれど、あなたたちは新しくお子様を育てている。 感慨もあらたに、次の時代をかみしめながら、私の口を自然についたその思いの根っこが変わったことはありません。 きっと、子育てってこんなに大変なものなのかって、Rさんらしくおののき、驚き、日々刻一刻とのりきっているのだとお察しします。 子育てだけでも経験したら、人生そんなに、すらすらいくことばかりではない、と誰でもわかるところでしょうが、私たち性的少数派には子を持つことも、パートナーシップを祝ってもらうことすら、ままらない現実が横たわっています。 だからこそ、応援しています。すくすくと、のえが使ったお皿とともに、あなたの赤ちゃんが育っていくことを。 さて、今回の冊子の件ですが、改訂版ということで、よほど制作を急がれたのでしょうか。 まさか、Rさんが私たちのことを忘れるはずもありませんし、SOTTO虹の営みは一年以上、地道につづけてきていますし、どうして冊子から取りこぼれてしまったのか、不思議で不思議でなりません。 そこで先日のような「ご依頼」に至ったのですが、期限などの条件より、お断りが即なされましたが、急がなければきっと余地はあるのではないでしょうか。 Rさんもこのままではおつらいだろうし、Cさんもこころを痛めているようです。 それに、この営みをこのうえなく大事に思っている人たちが、Rさんからのお断りの手紙に打ちのめされて、「もう生きていたくない」となったり、これほど重要な活動が取りこぼされたのをフォローできないのはどうして、と周囲で声が高まっていくことを私には止めることが、もはやできません。 時間さえあれば解決することなのではありませんか。 このSOTTO虹、のこの前の投稿「緊急声明」にあるように、これから、これだけの時代の変化に追いつかず突発的に、自死が起きることは今まで以上に、表立つことが増えるように思います。そんなことは、ないにこしたことはないのですが。 だからこそ、そのたびに自死の連鎖につながらないような適切な対応がなされるかどうかが大きなことです。 とりわけ、公認されないマイノリティの公認されない自死という名の死、においては、より一層それが急務と思われます。 子育てで精一杯で、一度できてしまった冊子についてとやかく言われるのは、本当に面倒なことだとこころからお察しします。 しかしながら、これは人の生死にかかわるテーマです。 子どもを生み育てる、という新たな人生のステップを踏まれているRさんだからこそ、一旦は無理と言われたことでも、少し時間をかけるなら、きっと判っていただけるはずと思い、ここに書かせていただきました。 ご一考いただけますよう心よりお願い申し上げます。 日頃から、愛用してきた緊急連絡先カードや、今までの冊子とともに、私たちのSOTTO虹の営みをも大切にしていただくことが、多くの性的少数者の生死にかかわることをかんがみて、変則的なお願いとは思いますが、これから様々な声が、SOTTO虹の取りこぼしの件で上がってくることに対して、人の生死を大切に思ってこられたクォークらしいこころある態度表明がなされることを期待して、希望とともにペンをおきます。 どうか、この営みにすがるように命をつなぐ人々の期待を裏切らないよう、なんとか考えてみてください。 たった今、この営みを知らないかたがたも、またいつ、この営みが必要になるかも判らないという点もどうか、大切な判断の材料としていただいて、よりいっそうの信頼をクォークの活動に継続して持てるよう願っております。 どうか、SOTTO虹に寄せる、様々な人たちの声を真摯に聞いてくださいね。 なにかとご縁のあったRさんに、今という今、こころよりお願いします。 2016年3月1日 午前5時 米谷恵子
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2016.02.29 Mon
《SOTTO虹緊急声明》 拡散歓迎 いま、わたしたちが肝に銘じておかなければならないこと ★自死で遺された人の悲しみをスケープゴートにしないこと。 ★身が引き裂かれるような嘆きを肥やしにして 「活動」の動機づけに利用しないこと それがどれほど、きわめて大事なことで、 損なわれてはならない、自死で遺された人々の尊厳、 平穏な生活を営む権利をも奪うことにつながるか、 皆さん、肝に銘じてください。 性的少数派の表面的な!!だけの 社会面での動きが一見著しく変わったかに見える今、 私たちは冷静にこのことに向き合わなければなりません。 現実に国会やら各市町村、各企業、が争うように、 性的少数派を「売り」にする時代が押し寄せています。 自らの尊厳を売りにだしたりしないでください。 自らのふつうに穏やかに暮らす権利をけっして手放さないでください。 そして、もしも身近なあなたの友達に、ましてや恋人に、 突発的にして、必然的であったかもしれない、 すさまじいストレスと無理がかかっていたかもしれないうえでの、 自死がやむなくも起きたときは、最も身近な人を冷静にフォローしてください。 けっして、 ★自死で遺された人の悲しみをスケープゴートにしないこと。 ★身が引き裂かれるような嘆きを肥やしにして「活動」の動機づけに利用しないこと これだけは、守ってください。 私はレズビアンマザーで 7年5か月前に、37歳の娘を自死で亡くしました。 当初、そう2週間後には日本語教室の仕事にも復活しました。 それは、ささやかな気分転換の時間にはなりましたが、 生徒が帰るや、娘との語りあいの世界へと入っていきました。 そこは誰もいない場所でしたから、声を出して語りあいました。 テレビの画面のなかで起きていることが、 テレビの番組だと、それはそれと認識できるまでに2か月は要しています。 それが「ふらりと田舎町に出没する・鶴瓶の家族に乾杯」だったことが、 今は懐かしく思い出されます。 それまではどんなテレビを観ても、娘のこととかさなって見えましたから。 私は、娘亡きあとにも、Eテレの取材を続行しました。 それはもう一度、このことを続けていいのか、という根源的な、 人生の甚大なる問いかけでした。 そして、その選択をけっして後悔したことはありませんが、 そのテーマにおいて詰めの甘い番組の描きかたで、 また、それのみならない 社会の片隅に無理やり追いやられたこのテーマを、 明るみに出したことで、こおむった被害は計り知れない、 甚大な実害を私たちの人生にもたらしました。 だから、判るのです。 娘が亡くなったと判った大人の生徒さんのひとり、 ラテンアメリカのエクアドルにルーツを持つ、 アメリカ人女性でしたが…が、私を思って言った言葉か忘れられません。 「センセーは今、休まなければならないの。 センセーは今、いっぱい泣かなければいけないの。」 そして、彼女は1か月授業を辞退しました。 泣ける環境がありますか。 泣いてもうろたえない人とのつながりがありますか。 ぎゅっと抱きしめてくれる人がいますか。 そっと、黙ってあなたのためにいてくれる人がいますか。 今日はこのくらいにしておきましょう。 ともあれ、 人の悲しみを利用しないでください。 人の嘆きを踏み台にしないでください。 どんなに貴重に見える運動でも、それをしたら、 人柱を積極的に組み込んだスケープゴートを良しとした、 そんな危うくも、人の命を踏みにじった運動と化してしまいます。 そこから、いっそう残酷に人間が変わってしまうでしょうから。 おのずと遺された本人がそれを選んでいくのを ゆっくりと静かに待つべきです。 誰も強いても、励ましてもなりません。 それが誰のための励ましなのか、向き合ってください。 元気でいるように、大切な人を亡くした側がふるまうべく、 努力しなければならないようなそんな環境をつくらないでください。 こころからのお願いです。 でなければ、 今、劇的な変化を遂げている日本社会で、 性的少数派の自殺があとを絶たない現実がやってきます。 悲しみはあっていいものなのです。 悲しみは大切な感情なのです。 怒りも、喜びも、楽しみも、 それゆえに存在するほどのものなのです。 喪失体験。 それも自ら命を絶たれた側の壮絶な、 誰にも口に出せない問いかけ、 誰にも簡単には伝えがたい波立つ思い。 それらに耳澄ましている本人に どうか雑音にならないような そんな人であり、空気であってほしいて願います。 米谷恵子 2016年3月1日午前2時すぎ
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2015.10.07 Wed
敬虔で神聖なる日には、どんな「雑音」も要らない!! 「その日」から二日たった。私は、自死遺族八年生と二日目。否、遺族は既存の家族を形成しない、形成できない人たちを疎外する表現だから、自死でノコサレテ八年生と二日目。ないしは、自死のサバイバー歴、八年と二日目。 ある「分かち合いの会」で、そういう表現を黙って聞いていた頃がある。いまは、ここまで時間がたってもなお、何年生になったのかをたどらざるをえない必然性のようなものが、よく判る。 ただ、一人一人の年月は同じような過程をたどらないことが多いのが、自死を包囲する沈黙と無関心の壁の現実ゆえに、八年生だからうんぬんかんぬん、という普遍化は禁物だ。 ただ、かみしめるしかない年月がそこにある。ノコサレテモ経つ年月がそこにある。 それをかみしめる以外にない、そんな私たちがいる。 「その日」。夕方までの時間を英子と静かに過ごした。その刻には手を合わせて祈った。 ふっと、のえに寄せる、友人や音楽仲間の声を伝えたくなって、あの直後の、のえのブログの掲示板をプリントアウトしたのを読み始めた。そもそも疲れてもいたのだろうが、なにかぐぐぐっと来てしまった。 私はあっけなくも、横になって目を閉じた。 その掲示板のなかには、「のえの死」を値踏みするようなある人の表現があった。それは、あまりに苦悩をあらわにする、当時の「親友」の書き込みに対して、「みんな冷静になって、ご飯を食べよう、よく寝よう」と「大人」の書き込みがあったのに対して、書かれた「値踏み」だった。あたかも、ノコサレタ私たちが悩む必要なんてないんだよ、と言いたげに。 その毒気に当たったのかもしれない。 うとうとしていると、玄関口にある人が立った。車のエンジン音でそうだろうと思っていた人だった。「その日」にもたらされた贈り物。立ち去ろうとしているので、ルームまで通した。ふっと、のえの音楽コレクションのほうをかいま見る様子があった。手を合わせてしばらくいた。それから、遺影に関して、少しトンチンカンな言葉があった。やっと応対していた私はさっと会話を終わらせた。後味が悪いというほどではないが、良くもなかった。ああ、この人の家の秘密とこれから、どうしていくのだろう、かすかにかすめた。精一杯の思いも伝わった。 その日には、二通の携帯メールが来た。 超KYメールさんからの返信。「私もつながっていきたいと思います。」英子が高らかに笑った。「その、も、間違っているって判んないんだね」「判るわけないよ。人の表現にかぶせて、依存して…」と私。この人からのメールのずれかたは、大声で笑うしかない。それでも、四十代半ばとは、ものすごいことである。まだまだ変われる人だろうに。 もう一通、「自閉症裁判」を購入した、という人からの、私の「アドバイス」を受けての、これもまた短いメール。即購入実行の速さは時には必要だろうが、この人が「自閉症」のなにを判っているかは、かなり疑問だった。ただ、なんらかの必然性は本人が気付いてか気付かないでか、あったのかもしれない。犯罪、というものへのアプローチにおいては。 ともあれ、私は静かに迎えたその日の晩に、急に疲れを覚えて、「もう寝る」となった。 次の瞬間、しかし、となった。のえの歌を聴こう、聴いていないじゃないか。それはまずい、それはいけない、それはしたいことだった。まず、のえのある日のライブを聴いた。 そんなこんなで、LPレコードを物色しているうちに、「あったあ」とニーナ・シモンのヒアカムズザサンが冒頭にある古いレコード盤を見つけた。ニーナの写真もきわめて若い。2010年の三月のあの日の「のえルーム」以来の、ニーナの声が、私と英子の前でとどろいた。とどろいたとしか言いようのない声。包み込みながらも突き抜けていく声。 このレコードをかわぎりに、私と英子は、あたかもジャズ喫茶にいるかのような二時間ほどをさまよった。のえという森に分け入るようにして。トム・ウェイツのでっかいふところを感じてほだされたり、森田童子に赤面しそうなほど恥ずかしくなったり。 夜も更けて、寝ようとして、英子がアップしたフェイスブックに、「二人はそうやって素敵な夜を過ごすのね」といった書き込みがあるのに気づいた。 ここからの私にとっての体験を記すのは忍びない。素敵…無神経に尽きた。 そうっと、心穏やかに、静かに紡いだ、敬虔な時間を踏みにじられるような言動だった。 翌日、そう昨日のことだが、書き込んだ本人は謝ってきた。ただし、負け惜しみのように「SOTTO虹のリーフレットを数回読んで」の私の書き込みを、イヤミを書かれたと結んであった。私なりに大切なやりとりを繰り返したが、かなり心は砕けかけていた。 ともあれ、「娘の命日にイヤミを人に言うほど堕ちてはいません」と結んだ。 書き込みのご本人は、「のえさんが亡くなった娘さんだと知らなかった」と詫びていた。 私は、お詫びとしてやむなかったとはいえ、「亡くなった娘さん」と記されたことに抵抗が少しずつ大きくなることを感じた。 確かに、英子がニーナ・シモンの若い写真のジャケットを挙げたフェイスブックの書き込みだけでは、「のえ」が誰であるか判らない人もいよう。 しかしだ。この人は、あのリーフレットを近くの県に持って行ってくれた人だ。 要するに、そこには三人称の死が、三人称の喪失があるだけだったのである。 「のえは自由だった」。英子はニーナのジャケットとともに、アップ時の文面を結んでいる。自由な才能あふれるミュージシャンが、フェイスブック上で、なんらかの余韻を残しながら、なにをか言っている人の、娘であることを、この人は感じ取る暇も、精神的な余裕も、想像力の行使もなく、その書き込みをしたのである。 今朝のブランチでは、英子とフェイスブックをめぐって、ひとしきり議論。相当やりあった。 まっとうな想像力と社会性、コミュニケーション力を小出しにしたり、遊んだりもしたりしながら、フェイスブックの画面を「創造する力」のある日本人を、私はほとんど見たことがない。話題の中心は、まずは食、あとは、まことにくだらない、本当にくだらないイベントの数々。知りたくもないことのほうが多い。少なくとも私には…。頭に、心にカビが生えそうだ。 そして、もっとも危険なのは、人と人とがつながらない前提のもとに繰り広げられる外交辞令と美辞麗句。つまりは、結局、人を押しつぶすやりとりの数々だ。意識的であれ、無自覚であれ…それは変わらない。 そうして、思う。 神聖なる日には、どんな訪問も、どんなメールも、そしてどんなコメントも要らない、と。 のえをよく知る、のえをこころから悼む、友人や音楽仲間とのやりとりだけは別で、ともにあるいとしさが光り、溢れる。 そうでない人との個々のつながりは、いくらでも別の日に維持できる。 せめて、あの衝撃の日が、七年をかけて、少しずつ穏やかに醸成されてきたその深淵へと、思いをはせられない人には、黙っていてほしい。 ふだんは、黙らないことを選んでいる、この私でも、静かに、穏やかに、しんしんと自分と、のえの声と、英子の寄り添う声だけに、向き合う時間が年に一日はあってもいいじゃないか、と。 それすらも、突然砕かれる。 フェイスブックに書き込む人の半分は、自分が無神経だと知らない人たちだ、というのが、二人で話した今日のブランチの結論である。 そして、「いいね」の半分は、おそらく信用ならないね、とも。むろん、「いいね」を百も二百ものうのうと受けている人たちは、きわめつきの偽善者だろうね、と。 まあ、偽善だって判っていれば、まだいいけれどね、と。 そして、このSOTTO虹、のページは、そもそもずいぶんと性質の違うものだと、多くの人が意識はしていてほしいと願いつつ。 2015年10月7日 午後3時半 米谷恵子(文責・責任は取りませんが一応) 追伸 こころあたりあっても、謝らないでね。次へ進みたいんだ から。
| 生死観の喪失の現場から
| 22:29
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