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再生のための声と、ふたりのピアノとパーカッションのコラボ「まっ白な雪のなかで、ほんとうのことを見た」は、Sotto虹の根っことなる、魂を賭け、心を砕いてつくるイベント

再生のための声と、ふたりのピアノとパーカッションのコラボ「まっ白な雪のなかで、ほんとうのことを見た」は、Sotto虹の根っことなる、魂を賭け、心を砕いてつくるイベント

詳しいフライヤーのPDFは、下の欄をご覧ください。

このコラボは、私恵子の、人生の集大成とも言える表現行為です。「再生のための」は、喪失体験からどう生きなおすのか、を自ら問いかけ続けた、この7年近くが詰まっているからです。


「うたうたい のえ」の幼い頃のおかしさ、可愛さ、から、奇妙な不思議なところ、「うたうたい」になってからの天性の発現。そんなものを、余韻として痕跡として跡づけるべく、「声の演奏」として語ります。

プロローグ「うたうたい のえ がいた」の北海道篇。これは少しずつ変えて、その場その場で発表して3回目。英子の自作の太鼓や笛、などと、声を出します。そっと、あるいは、ぐいぐぐっと、あるいは…。

「それは、フリージャズよ」と言われたこともあります。
「読み聞かせなんかの域ではではない。声の演奏よ」と言われたこともあります。
「衝撃だった。自分もこれでいいんだ、と深いところから言われているみたいだった」と言われたこともあります。

3回目となる札幌の7月11日には、以前よりも、もっと余裕ある時間と空間の生かし方を追求したい、そんな気もしています。

ともあれ、私は魂をこめて、このコラボに臨みます。
昨年は夏と秋、そして3回目のコラボレーション。

まさにこれは、Sotto虹、の基盤であり、根源であり、核とも言うべき表現行為なのです。
そうして、昨年12月、私は「ちいさな集い」を始められるまでになっていた、というより、必然的にそこに導かれていった気がします。
http://kounotori0527.sakura.ne.jp/journey/korabosaporoomote.pdf
http://kounotori0527.sakura.ne.jp/journey/korabosaporoura.pdf



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| 声・唄_・詞・音楽 | 04:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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のえのコレクションから武満徹のSONGSの楽譜が




ぶあついこの楽譜を見つけて2ヶ月はたったろうか。
最初は、よく知られている「死んだ男の残したものは」を弾いていた。
歌詞もあるけれど、ピアノで十分。

楽譜を読むのはそれほど大変ではないけれど、
時々ビミョウな節回しなぞあって、
それなり面白いし、集中を要するところもある。

最近は、ふっと執筆に、他の用事に疲れたときに、
気分転換と、またいつか「声の演奏」の合間に使える、
そんなメロディないのかな、なんて思いもあり、
少しずつ譜読みをして、弾いてみている。

最近気に入って、やさしめでいて、
なんか少し不気味というか、つきぬけた感じが好きで、
弾いていた「ぽつねん」。
なーんだ、英語の題は、『オールアロウン』だとさー。

で、最近になってまともに歌詞nazo見始めて、
のけぞってしまったという訳さ。

はいはい、書いてみましょうね。
谷川俊太郎先生の歌詞。

一番
公園の陽だまりに、おばあさんひとりぽつねん。
やがて極楽でも今地獄。
膝は痛むし目はかすむ。
富士山だって崩れてく。
もういいかい。まあだだよ。

二番
孫たちの顔おぼろ。おばあさんひとりぽつねん。
やがて極楽でも今地獄。
桜ばっかり花ざかり。
いろはにほへとなんまいだ。
もういいかい。まあだだよ。

三番
来し方も行く末も。おばあさんひとりぽつねん。
やがて極楽でも今地獄。
することもなし退屈だ。
救急車でも呼ぼうかね。
もういいかい。まあだだよ。


これがまた、やさしい節回しと、
絶妙なトーンとが組み合わさっていてねえ。
ぞくぞくしますね。
明日は我が身だー。

それにしても、プリンちゃんの
命日からも半年が過ぎた。

そして、のえの本の登場人物の地元の一人が、
おもい病で治療中だと聞く。

そして、ヒデコもどこかが悪いらしく、
鍼灸の先生がしきりと気にしているという。

いやだよ。
いやだよ。

まあだだよ。
まあだだよ。

まだだよー。

もうよくないよー。たのむから。

まだだよー。
まだだよー。
たのむから。
たのむから。

お願いだから、もうよくないよ。

豪華版の絵入りの楽譜を私が弾いているあいだは、
ヒデコと共に生きていくんだから。
のえの残したこのアルバムを、
ひきこみながら、
きっとまた『声の演奏」をするんだから。

もういいか。
いえいえ、まあだだよー。

ケイコ

| 声・唄_・詞・音楽 | 00:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ある若者が、11月16日のコラボ「ちっちゃな星は見えなくなった」に寄せてくれたTHE・長文

THE・長文。
整理のため、とにかく出てくる言葉を殴りかく。
自分でも何が起こってるかわからないから、そのままはきだしちゃえと。
恵子さん英子さん、不都合があったらすぐに知らせてください。
11月16日、
僕は英子さん恵子さんの息子さん、カラさんを車に乗せての
弾丸日帰り福井旅を決行した。
英子さんが11月15~24日の期間
陶芸個展【記憶の底から】を開いており、
【ちっちゃな星はもうみえなくなった】
・恵子さんの声
・東まおさんのトランペット
・英子さんの土笛・太鼓
というコラボレーション企画の日。
ベロ亭を取り巻く環境、のえさんの生きた時間を音色とともに語るという。果たしてどうやって1時間30分に詰め込んでいるのか、一個人として体当たり参加するべく。
受付をすることになっていたので、はじめは入り口を眺めながら聞く。
人の影に意識をそらされるのは残念だったけど、言葉だけじゃなくて、感情や音もあったから必死でひろって、頭に流し込んでた。
心も使えるならば使いつつ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
はじまりは
細い糸のような声
時に穏やかに、時に荒げ高ぶる
声と感情と言葉が入り混じって混沌としていた
人が伝える言葉の表情は、妙なバランスでなりたっていたんだと感じる。
感情が爆発して止まらなくなり、自分でもどうして良いかわからなくて助けを求めて罵声を浴びせるいつかのダレかさんを思う。
いつしか穏やかさをまとい、言葉を紡ぐ恵子さん。
まおさんのトランペットが響き渡り、ハジマリを奏でる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ベロ亭へのたくさんのメッセージをその場にいる人で共有した。
彼女たちとの出会いで得たありまあるエネルギーに、波に、もう身をゆだねるしかない人が大勢いるようだ。
どこか他人事ではないような気も、ん?気のせいか。
のえさんの話に話題がうつる頃には、僕も入口受付への意識がやわらいでいたので聞き入った。
子どもの頃の、のえさん。
僕は恵子さんの言葉に助けられながら、のえさんをイメージしていった。
それまでは写真や唄を通してしか知らないのえさんが頭の中で息づいてくる感覚を覚えた。
のえさんの感性、とても活発で活き活き。
豊かな想像力に家族もたじたじ。
なんだか自然的、野性的?、、、失礼だろうか。
そして音楽へのめり込む、とことんのめり込む。
自然に身に付ける、磨かれていく音楽性があったという。
語られる恵子さんと英子さんの、福井ではじまる家族生活。
陶芸村で五人の子どもを育み、経済的に支えるのだ。
彼女たちの関係にある、当人と周囲の認識の差。
惹かれあった二人なんだ。
けれど、母子家庭どうしが身を寄せ、支え合うという周囲の認識で納得する人たち。
時には自分たちで屋根を修理する。
その姿がどうにかうつったのか。
同情のような、哀れむような村の人の言葉。
無意識に突き刺される違和感にも、凛と振舞ったという。
英子さんは機械修理ができ、
廃棄された家電も使えるようにする知恵を持ってる。
なんて頼りになる英子さん!カッコイイ。
ある日、冷蔵庫を再利用することに成功した。
我が家に修理した新しい冷蔵庫がやってきたと
子ども達は嬉々として話したという。
学校の先生はそれが理解できなかったと話していた。
廃棄品が新しい
英子さんの陶芸と
恵子さんのあらゆる仕事。
二人が五人の子どもを知恵と技で
育ててきたのだ。
耳を疑うようなことを恵子さんが語った。
聞き間違ってるかな、むしろ聞き間違いであってほしいけど。
というか、どうやってそれを知ったんだろう。
村のある夫婦のケンカ。
不仲から別離のような話題になったのか。
奥さんは突き放されることへの不安から
感情をぶちまけたのだそう。
『わたしにベロ亭へ行けっていうの!?』
え?
あ、え?…エ!?
フツフツ胸の奥底から沸き上がってくる
恵子さんも目の前で
声を震い上げて言葉にしている
女たちが肩を寄せ合い支え合う場所、ベロ亭
なんだその、、、
そこまで湾曲して捻じ曲げて
何を思ってその発言?
…~~~~~~~~っ!!!
悔しさか、無念か、怒りか、悲しみか、分からない。
モヤモヤが溜まった。
ひざの上で握りこぶしが強まる。
視界が滲む。
しかしそのことさえ、目の前で
恵子さんは語るのだ。
表現者として、語る。
当事者が、語るのだ。
本当なのだろうか、僕が聞き間違ったのか。
なんだか、妻の方の人に、
湿って嫌な匂いのする雑巾を顔面に投げつけたい。
匂いはなかなか取れないだろう。
でも、もともとその人の心からは
最初からいやなにおいがする。
差。
それは生活だけじゃなく。
のえさんの、独特の感性が子ども社会においては、
どういうものを生むのかと語っていく。
家族内の様子からさえみてとれる
のちのち考えてみればそうだったのかというような話として
のえさんの想像遊びヒストリーだったのか…。
個。孤。子。己。
時間を重ねるとともに、成長し、実感し、
明確にしていく、そして研ぎ澄まされていく。
心も、音も。
自分。
周りと、自分。
音楽。
確かめつつ、確認しつつ、自分を認識する。
追求する。
頭に残るのが
誰か一人でも、
誰か一人でも、
のえの音楽性に寄り添う人がいたなら
もっと違うものになっていたかも...
あれ、こうだったっけ
(自分の記憶力が憎い)
とにかく、のえさんのうたの裏にある
ずっと抱えつづけるだろう影の様な
なにかを垣間見た気がする。
次々と語られる。
新聞配達中の話
雪の中をすすんで踏みしめる話
鳥に声をかけて、鳥から声が返ってきたという話
東京での生活の話。
うたに対するのえさんの追求、探求、挑戦。
とんでもない意欲。
聞けば聞くほど、
何かしらの表現者ならきっと嫉妬さえ覚えるものが
のえさんの中に自然と芽生える過程を感じた。
音楽を通すコミュニケーション
感じたことを共感する、すべ、音。
音楽という「コトバ」を媒介にする繋がり
のえさんにとっての音楽って
心の一番大切なコミュニケーション手段だったのかな
音の感じ方。
逸平さんとまおさんの演奏に涙がこぼれる。
こういう感覚の共感。
それは本当に、うれしいはず。
ひとによってはあまりにも、うれしいはず。
うたうたい「のえ」
さまざまな時間を過ごして
長居公園のテント村にいたころ
うたった曲を恵子さんが聴かせてくれた。
…僕は大阪の矢田出身。
長居公園が近い。
ある夜、長居公園のトイレの傍でうたったというのだ。
僕は陸上部に入っていたから、試合は長居競技場が多かった。
煮詰まった夜には、長居公園へ走りに行ったりした。
あの風景の中でうたっていたのだろうかと
僕の知ってる長居公園を想像して重ねて聞く。
のえさんにとって、月とはなんだったんだろ。
小さい頃からずっと一緒にいる友達だろうか。
風も水も光も草も木もずっと共にしながら生きてたのか。
歌詞が沁みわたって
涙がおさえられなかった。
全身で、五感で
この世の生きることを感じて
それを音楽へ語りかけて
音楽で話していたのかな
ベロ亭の生活
「のえさん」が
詰め込まれた時間
森の話も印象的だった。
僕はあの和訳文が読みたい。
もう、僕の頭は機能していない。
心はなにか大きく感じていたのか
なんだか分からない心地を感じていた。
僕はのえさんを想像するしかない。
だからこの日、恵子さんたちによって
明確に語り聞かせてもらったことで
ある意味で姿が見えた。
語られる言葉がとても鮮明だったから。
人に伝えられるということは、
伝える本人が理解していなきゃいけない。
恵子さんののえさんの探求。
だけど、恵子さんは様々な当事者。
語り聞かせるために
言葉をなんどもなんどもなぞったはずだ
1時間半に詰め込むために
なんどもなんども
取捨選択をしたはずだ。
なんどもなんども追体験をしたはずだ。
過去を思い出すということは
とてもキツイ作業だと、身にしみて感じる。
余計なことまでついてくるし、
感情もダイブするし、
夢にでるし、悪夢さえみるし、
体調にまで影響してくる。
それでも、やめない。
あきらめない。
何度も何度も言葉をおき、作り上げた。
その心はどうなっているのか
今回の個展のDMの写真
英子さんの陶彫
「わかりやすさを疑う」
今回の
【ちっちゃな星はもう見えなくなった】
そのわかりやすさ
表現を見る目を変えてみたら
いっぱいいっぱいあふれ出てくる。
恵子さんと、
英子さんと、
まおさんと、
逸平さんと。
声で、音で、体で、感情で。
様々なコミュニケーションをしていた。
人間は、とても、色々、感覚。
言葉がわからん、出てこん。
ただ、その紡がれる声と音には
積み重ねたパートナーシップや、人と人の共感を感じてた。
僕はパートナーの語りにあんなに響く音を乗せることができるだろうか。
その音を受け入れてくれるだろうか。
とか考えたりもした。
本番の準備中、
のえさんのうたを、CDとともに口ずさみ、
うん。と頷き、英子さんたちに合流しにいった
恵子さんの姿がすごく印象的だった。
僕は、すごい体験をした、と恵子さんに感想として言った
すごいことの把握に追いついていない僕が発した曖昧な表現。
心が感じたはずだけど、なんなんだ、これは。
カラさんを無事に送り届けた後、
24時が近づく帰宅、パートナーが部屋で待つ。
その時の僕は、とてもおだやかな気持ちだったけど、
心の中で起こったことはなにも説明できなかった。
まだまだ、きっと、ずっと、相談中。
寒い、お腹がすいた。
明日に備えなきゃ。




以上です。
本当にありがとう。
当事者が表現行為をするおもみを、
こうやって思い知りながら、かみしめながら、
こぶしを握りながら、聴いていてくれた存在があった。

大きな深い励みとなりました。

ケイコ


| 声・唄_・詞・音楽 | 18:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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追悼 藤圭子さん〈3日後に、自殺報道を巡る国際基準にそって、こころしてチェック)

追悼 藤圭子さん


http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130823-00027482

上記のアドレスは、藤圭子さんの自死に関して、
その報道のありかたを巡ってなされたものです。

私が3日前、亡くなられた当日に書いたこのブログを、
この基準をざっと読んだ、
「自死遺族」当事者として、今一度チェックしてみたいと思います。
こころして、心を砕いて、祈りながら…。



えっ、ベロ亭のブログでこんなことを書く訳って思いますか。
どうか一度は思ってください。
これは、藤圭子さんが「大衆的な歌手」だった事をさして書いています。
むろん、自殺報道に熱狂して書く、そんなつもりがあるはずもない、
という事は、多くのこのブログの読者はおわかりでしょうが、
もしかしたら誤解を招く書き方かもしれません。


今日、午後、考えられない残暑の中を、冷房の効かないハイエースに乗って、郵便局へ。どうしてもすぐに出したい郵便があったし、英子は冷房の効く方で出かけていたし。

冷やっこい小さいけれど、今となってはその機能の割にはだだっぴろい局の片隅に置いてあるテレビがなにやら聞き覚えのある名前を言っていました。それから、はっきりと聞き取れた「自殺」という音声…。
藤圭子、自殺、マンションから飛び降り…。そんな事々が次々と私の耳に入り、郵便を出すや、画面に釘付けになりました。

そうか、新宿のマンションだったんだ。知人の男性…??
まだまだ、時間がたっていないかのような報道だなあ。
そうか、「ご遺体は新宿警察に安置」かあ。

フラッシュバックのように、確かに超有名人の「自死」なのに、まるでヒトゴトではないかのように、報道の内容が私の耳に、目に届いてきます。
帰宅して、またすぐにテレビをつけましたが、どこもやっていませんでした。
ここまでは、まさに、国際基準を逸脱した報道にさらされた一人の自死遺族として、
反応していると思います。
確かに、「現場」が映されているのはつらかった。痛ましかった。


それから、さっき、夜の庭で草花に水やりをしていたら、急に圭子さんのことがまざまざと思い出されて、そうだよ、そうだよ、彼女は昨晩、最後の夜を生きていたんだよって思ったら涙が止らなくなりました。いや、私としては、他のことも自分の間近に迫っていることとして考えてもいたんですが、やっぱり気になって、始まったばかりの「報道ステーション」をつけました。

最近、テレビはまず観ません。随分久々に積極的に観ようとしている自分を意識しました。

藤圭子。
私はいくつか符合する思いがどうしても避けられない存在なんです。

新宿という町。
同じ時代に同じ町で、あのぐさっと胸にささる声でデビューした存在。
そう、同い年。いや、私はまだ一つ下だけれど、同じなんですよ。要するに。
それから、北海道の風を知っている心とからだ。
それから、まあ、ケイコさんって名前はどうにもならないね。
この年代は大安売りみたいに多い名前だしなあ。

そして、演歌でもなく、艶歌でもなく、
怨歌というジャンル?を創りだしてしまった人。
だって、これってブルースだよねえ。

なんか、骨身にしみて、高校時代の自分が甦るような存在なんです。
15、16、17,と…と彼女が唄う時、まさに私もその年頃を生きていたことをまざまざと思うのです。

赤い花ならケシの花。
白い花なら百合の花。
どう咲きゃいいのさ、このわたし。
夢は夜ひらく…♪♪
ここまでは、あくまでも私自身の個人的な、藤圭子さんへの思いの吐露です。
こんなふうに同時代を生きた人たちの思いが揺れたのは間違い有りません。


画面では、彼女の歌が披露され、五木寛之の追悼の言葉が紹介されていました。
ルサンチマンを代表する歌手……かあ。
自己否定感を心底、はき出すように、あの年で石川さゆり、なんてもんじゃあなく唄っちゃっていた圭子さん。

昨夜の今頃、最後の夜を紛れもなく生きていた圭子さん。
みんな、その事を忘れているでしょって言いたかった。
私は、のえの最後の夜の事を百万回は考えたし、思ったし、手を伸ばそうとした。

あの唄と、この最後を誰もがこれから結びつけるのでしょうか。
それはそれかもしれないけれど、私はそんなふうには思いたくはない。
唄っていた唄と、その人の死に方が安易に結びつけられるのはいやだった。
でも、生き方に歌い方が反映してる事はある。そこまでは否定できない。しなくともいい。
でも、ジャニスだって、どう亡くなったか、ではなくて、
どう唄っているか、たんと堪能してよねって、
添付の資料に書いてあったよね。
有名になっちゃうと反対の現象もおきるんだ、って思ったっけ。
それから、藤圭子さんの唄は、自作詞じゃないって事もすごく思ったっけ。


生きていたんでしょ。
だから、命つきた。

唄っていたんでしょ。
だから、唄わない時間もあった。
ここの部分も「生きていたんだよー」ってなメッセージをこめていた。

そうして、彼女の周りに、彼女のこの最後を受けとめかねて、苦悩する人たちのことを思わざるをえません。まあ、有名な歌手がお嬢さんだから、ツィッターはそれでほぼ埋まっているけれど、そして、それははかりしれない事だけれど、それでも、私は同時代を知っている一人のファンとして、まあ、かなり番外編のファンとして、だけれど、やはり心からの追悼の思いを捧げたいと思います。
これは、まあ「自死遺族」としての、最低限の礼節として書かせてもらいました。

五木寛之の追悼の言葉に、浅川マキと並べて語られていたなあ。そして、生きづらさとして、金子みすゞと並べていたなあ。そういう人に人生は残酷に働くのかもしれない、とも書いていたなあ。

でも、本当に本当にそうなのだろうか。
これは疑義を唱えたいところが、どうしてもあるんだなあ。
簡単に言うなよって言いたい。
のえが亡くなった時にも訳知り顔で言われるのはご免だった。


時代をになうような唄を唄った歌手の死に、またひとつの時代が終わったと感じる私。

でも、本当にそうなのだろうか。
そうなんだけれど、そうなのだろうか。
この年になると時代が終るって感じるのはどうにもならないけれど、
私は時代を終らせないって、心意気も持っているつもり-!!


新宿。
北海道の風と光。
同じ年齢。
ケイコという名前。

まあ、あとはある種、縁もゆかりもないようで、でも、やっぱりあの歌声はあらためて聞いても、ずしんと来るよねえ。
なるほど、お父さんもお母さんも浪曲師とか、その道のプロだったんや。

圭子さん。
どうか、どうか、
天国で、あなたの夢を思いきりひらいてください。
誰にも届かない、その夢を、
あなただけのその夢を、
どうか、どうか思いきりひらいてください。
私もまた、「ゆめはひらく」という歌詞に符号した事柄を言いたくなっていた。
それは、故人をおとしめる事だとは思わない。
ただ、過剰にそこにかさねるのは、やはり失礼だと思う。思います。


あなたの歌声と共にあった私の15,16,17と共に、私はあなたの歌声を忘れません。忘れる訳がありません。
これは、ホントのホントの私の気持ち。そういう人たちいっぱいいたと思うよー。

と書いて、ベロ亭のケイコさん、こんな大衆的な歌手の事も書くんだって思った読者の方、いますかね。印象変わりました??

どうにもこうにもつらいんです。人が自ら、人生に終止符を打たねばならないその瞬間を思う時、どうにもこうにも悲しく、心が身がちぎれるんです。

どうか、連鎖など起きませんように。
誰も、よりいっそう追い詰められたりしませんように。

静かに、冷静に、そうっと、彼女の生と死を見つめられますように。
そんなことはとても無理だとしても、少しでも、少しずつでも、日本社会が、彼女の死を前に、穏やかでいられますように。

圭子さん、スッゴイ歌声をありがとう。
心から、心の底からありがとう。

合掌。


ケイコ

| 声・唄_・詞・音楽 | 23:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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中島みゆきの『肩に降る雨』・『ダイヤル117』がふいにわきたって 

幾日歩いた線路沿いは、行方を捨てた闇の道……

この中島みゆきのフレーズが、
その時期の彼女の最も低い水脈を流れる基調低音だと、
私はわかっていたのだと思う。

私が中島みゆきを「卒業」したmissM の中の一曲だと、
おそらく20年以上ぶりにさっき確認した。
題名すら忘れていたからなー。

おそらく、その時期に、
最初で最後の彼女のコンサートに福井で行った。

幕が開き、ステージに響き渡るメロディーと共に、
たちあがってきたのは、
まさにこのフレーズであった。
このフレーズは、
曲のまんなかへんに登場するはずのものなのにだ。

そうだろう…私は得心した。
そうだろう…私は確信した。
わかった…私は卒業した。


今日、さっきヒデコがある人に電話して、
いつも一人の時のその人の声が余りに切なくて、
という話から、今度は別の唄の言葉が立ち上がってきた。

…張り詰めすぎたギターの糸が、
夜更けにひとりで、そっと切れるーーー…


また、手持ちの何冊かのピアノの楽譜で調べてみた。
ピアノの前には一冊しか、みゆきさんの楽譜は棚から下ろしてなかったから、
初めて、20年以上ぶりにみゆきさんの楽譜を全冊下ろした。

おもむろに、それが『ダイヤル117』だと判った。
はは、これはみゆきさん流の「いのちの電話」表現なんだな、
と妙に得心した。

すぐ、みつかったピアノの伴奏楽譜と共に、弾いてみた。
弾けた。歌えた。
のえの事を思ったら、絶対に、いずれにしても、
この4年間には弾けなかったはずだった。


私は今、
何本もの、何人もの、心からのサポーターとの電話線で、
本当に、芯から、紛れもなく、
いのちをつないでいる。

そして、他のつなぎきれないでいる人の事が即座に判る。


おとといの出来事は、そんなに簡単には記せない。
書いてもいいけれど、書くエネルギーと、
書ける内容と、書きたくない思いを調整する気には今はならない。
ならなくていいと思う。


ただ、いのちだけはつなぎたいと思う。


エカちゃんありがとう。
あなたの言葉ではない、深いやさしさ、に救われています。

何人かの大切な友達たち、ありがとう。
私の言葉との「たたかい」に疲れ果てずに、
おもしろがってつきあって、その意味を汲んで返して、
キャッチボールすらできる事に感謝しています。

私の危機的な時間は、
ヒデコの寝た後の、午前4時頃から。
あったかいお風呂に入って、漢方薬やらが効いて、
すっと眠れればたいした事ではないのです。

ところが、全く眠れない、寝付けない時がある。

ここのところ、10日に一回くらいだから、
たいした「重症」ではない。
まして、なぜそうなっているのか、
判るから、「重症」ではない。

でも、それが本当に「重症」ではないのか…。

朝の5時でも6時でも電話させてもらっている、
そんな事が一ヶ月ほど前から始まっている。

本当に8時とか、
「ふつう」の朝になったら、出てくれる人はもっといると言えばいる。


大きな、見えに見えてしまう、
透かし彫りに判ってしまう課題の大きさの前で、
一歩、この福井という日本社会に出て行った時、
それは起きます。
否、それだけではありません、
テレビの画面を通してだって、
ネット上でも、県外でも、
でも、とりわけ地元で腹をくくって出向いた場で、
起きた事が透かし彫りに見えて、
圧倒されるまでもなく、やっぱり…となって、
血の気が引くまでもなく、
というのは、すでにこの地では私は血の気が引きっぱなしだから、
今さらまでもなく、引いている血が、
もはや引く波すらない事に、
後は大津波でも待つしかない事に、
震えるまでもなく、電話線を通して笑い飛ばし、けっとばし、
はげまされ、やさしく包まれ、そっと抱きしめられ、
言葉のつなぎ目に、いのちをつないで、
のえの原稿の言葉をも、少しはつなぐ日々。



そこに、20数年ぶりに、
みゆきさんの「ダイヤル117」のフレーズが降ってきたのです。
それは、むろん私ではなく、
他の人の、低く孤独な声を通して起きていました…。

…ねえ、切らないで、なにかーこたえて…
…張り詰めすぎたギターの糸が、
夜更けにひとりでそっと切れるー…





そして、
紛れもなく私が彼女、みゆきさんを卒業したのが、
あの「肩に降る雨」であった事を発見するのです。



おとといに関する、具体的直接的報告一つだけ。


自殺予防すら、
今の日本ではビジネスなんですね!!
否定しません。
ただ、そのシステムのありかたには驚きました。
派遣会社がやっています。

福井だけかどうか、知りたいものだと思っています。
おとといに関しては、今のところはこれだけ…。



肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま、歩きつづけてきた…
肩に降る雨の冷たさに、まだ生きている自分を見つけた… 




肩に降る雨の冷たさは、生きろと叫ぶ誰かのこえ。
肩に降る雨の冷たさは、生きたいと迷う自分のこえ。




私は中島みゆきは卒業しています。


彼女が才能を乱発しているのを聴きたくなくなったから…。
ある日、その「うるささ」にとても耐えられなくなったから…。
否、それは徐々に、私にやってきた、そんな「卒業」だったのでしょうか。


こんにちは。また、少しだけ唄うかもしれません。
こんにちは。また、少しだけ弾くかもしれません。


あの頃のように、自分のためだけではなく…。
のえの事を想い、人々を思い描いて…。
のえ、もう聞き飽きた、って言うかなあ。


ただ、みゆきさんの曲は20曲中に一曲くらいしか、
私にとっては、一音一音、歌詞の一字一句に無駄も、
過剰も、不足もない、という歌はないのです。


だから、そんな大切な曲だけはね。


ピアノの日々が、
突然私に蘇らせた、「唄う日々」の記憶。
「唄う」しかない苦悩と、
呻吟する人々へのシンパシー。


そして、思い出す。
『モモ』の「豊かさの中の孤独」のどしがたいほどの深さと大きさを。
いやしがたい、長すぎる時間を。




そして、胸にきく。
しかも、それすら浄化しようとする
自らの意思のありようを。


そして、そんな私のそばに、
いつも黙って、
時にうるさそうに、
時にさりげなく食事を出して、
時に抱きしめて、涙を流し合って、
大声で互いに笑い合って、
いてくれる、ヒデコを感じながら…。




 ケイコ
 
「肩に降る雨」YouTube
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Xf_Nk1Im5LE


「ダイヤル117」YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Xf_Nk1Im5LE



読んでくださった方へ


フェリス ナビダードゥ

メリークリスマス



カトリックのペルーのクスコ市のクリスマスには、
いつもなら大嘘つきも、
日本人の別れた夫に憤懣やるかたない女たちも、
カンニングしか考えていない生徒たちも、
みんな、みんな、やさしくなったものでした。
そして、
フェリス  ナビダードゥ
って抱擁しあったものでした。
なつかしいなあ。
ただし、雪もありません。寒くもありません。
真夏ですから…。


つけたし

私が最後にしたmissM は、今調べてみたら、
1985年11月の発売でした。
つまり、27年前のこと。
のえは私がみゆきさんを聴いていた時期、
ぎりぎりちょうど、ベロ亭にいた訳です。
あの頃は、ここの環境を最大利用で、
大音響でみゆきさんを聴いていましたっけね。
ふふ、のえも覚えちゃったよね、きっと…。

その後の、アルバムは、もっぱら人様から、
テープでいただいたりはしましたけれどね!

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