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メキシコとアメリカの国境に建てられるかもしれない壁をめぐる、耐えがたい会話から…2時間号泣した映画と、その背景が書かれた中米のノンフィクションの、新聞紙上での書評と、ペルーで足かけ10年にわたり、「支援」しつづけた日本語学習グルーブがんばろう、の顔ぶれとが鮮烈に蘇った。

今日、メキシコとアメリカの国境に建てられるかもしれない壁をめぐる、耐えがたい会話を聞いた。そして、最初に観たとき、2時間号泣した映画と、その背景が書かれた中米のノンフィクションの、新聞紙上での書評とを、それから、ペルーで足かけ10年にわたり、「支援」しつづけた大人から子どもまでの、日本語学習グルーブがんばろう、の顔ぶれとが鮮烈に蘇った。
胸がつまり吐きそうになったが、立場上、その会話には割り込めなかった。今それをここに記す。
会話はこんなふうに続いた。二人の日本人の男女がよもやま話として、金儲けにつながる投資の話をしていた。
「メキシコ国境に壁ができるみたいだけど、なんだか壁を造ることになるのもメキシコの会社みたいだし…。」
「そうだよね。壁ができて…。」
「だから、壁を造る会社に今は投資するときかもしれないとか、判断しどきよねえ。トランプなんて4年だけだろうけど、それならそれで、何が投資につながるか、ですものねえ。」
彼らの話の根拠があまりないとかあるとか、そういう話ではむろんない。ただ、メキシコ国境に壁が築かれる、ということをすでに既成事実として、投資に向けて話をする日本人を間近に知って、私は吐き気と目まいに耐えた。
下記にYouTubeを挙げた映画のスペイン語のタイトルは、Sim Nombre。Sim は 英語ならWithout 、nombreはnameと置き換えられる。つまり、名前なんかない、といったタイトルの映画である。
下記のYouTubeで途上国や中南米の事情に敏感なかたなら、察するところは大きいかもしれない。
しかしながら、ここベロ亭でこの映画の上映会をささやかにしたとき、「本当のことかどうか信じられない」とある若い女性が言った。そして続けた。「信じられないことは考えられない」とも。
私は4年程前に、この映画をF市のメトロ劇場で初めて観たとき、ひとりひとりの中米のメスティーソ…ホンジュラスやメキシコ人の先住民とスペイン系の混血の人たち・中米はそういった人たちがほとんどだ…たちが、まるで、かつてペルーで日本語を伝えることを通して様々にふれあった、そのほとんどは経済的にはどん底の生徒たちとかさなって、なつかしさといとしさで胸がちぎれそうになった。そして、ギャングの一味に入らなければ生き延びられない若者と、一家でアメリカ合衆国の国境を越えようとしている少女のふれあいにはらはらどきどきしながらも、そこにかすかな希望を、あたかも、ペルーのクスコ市のひとりひとりから、わずかな希望があふれるのを見守ったときと同じように見つめ続けた。
そんな私には、この映画のラストは耐えがたかった。私は号泣し、最も深い私のなかの悲しみの河へとしばらくいざなわれ、戻れなかった。
最近、この映画の背景を裏付ける工藤律子著「マラス…暴力に支配される少年たち」の書評を読んだ。見出しには、こうあった。
「ギャングしか選択肢のない社会」。
「1990年代前半、中米からメキシコを陸路で越えてアメリカに出稼ぎに行く人たちが後を絶たなかった。」「だがアメリカ社会に溶け込めず仕事にあぶれた不法滞在の若者たちは、ギャング団を作り始める。」「カリフォルニア州政府はこれを強制送還。母国では、当然仕事などないから、そのままギャング稼業を続けることになる。このギャング団をマラスという。」
書評を読みながら、「名なし」という映画が最初、若者の背中…だったと思う…の入れ墨の大写しで始まることを思い出していた。たしか、「マラス」というアルファベットだったような気がする。
さて、この書評はマラス問題の悪化の原因をふたつ挙げる。
「若者が苦境を抜け出せるモデルケースが、マラスしかないこと。
極貧状態に加え、親が問題を抱えていることが多く、食と人との関わりに飢えた少年は、マラスの誘惑に抗しきれない。本心ではまっとうな教育と仕事に就きたいのだが、その選択肢はなく、自分をまともな存在として認めてくれるのはマラスだけなのだ。」
「ふたつ目は悪は根絶やしにせよという政府の方針。貧困対策をするのではなく、反マラス法を制定、怪しきは片っ端から捕まえ、時には殺してしまう。この殲滅作戦が、マラスをさらに狂暴化させ………」。
そして、結び。
「著者は世界中の子どもたちが今、「偽りのアイデンティティで自分をごまかし、生き延びようともがいている」と見る。日本でも自尊感情の低さを、いじめに加担したりして………」。
「子どもだけでなく大人まで含めて、社会を分断する排除の構造は他人事ではない。」朝日新聞書評・星野智幸著
「名なし」こと「闇の列車、光の旅」のラスト。
自分をギャングの仲間にいやいや誘った、先輩格の主人公の青年を、あともう少しで国境というところで、まだ子どもとしか思えない10歳かそこらの少年が、ギャングの掟を守るように「裏切者」として銃の引き金を引く。
この少年役の男の子。私には生き写しのペルーの少年が彷彿としていた。
耐えられなかった。
ここで上映会をした二回目にはかなり冷静に観られたけれど。
そして、それよりも「これは本当のことではない」と言いたげな同席した日本人の若い女性の他人事感こそが耐えられなかったけれど…。
壁がなくともこの現実である。見えないガンとした壁が立ちはだかっているのである。
しかしながら、そこにあえてダメ押しのように、かつての東西ドイツを隔てる壁のように、頑強な壁を造るとは何事かと思う。
私には友がいる。
キューバからエクアドルへと無一文で経済難民として移り住み、今は大学で教えるリディセという女性。
彼女の名前は、ナチスドイツが報復のために老いも若きも村の男たちをすべて殺害した、ポーランドのリディツェ村に由来している。ソシアリストの国、インテリの国でもあり、リディセの親もそうだったのだろう。
私には友がいる。教え子がいる。
月謝ではなくごく安い会費で運営した、クスコの日本語学習グループの数々のなつかしくも喧々諤々とやりあった顔、顔、顔がある。
彼らは時に日本にも来た。彼らはアメリカにも渡った。
彼らは、南米の別のもう少し豊かな国にも渡った。
行くたびに少しずつ顔ぶれは変わった。
一から立て直さなければならない、そんなグループ作りをたゆまず続けた。ヒデコと二人…、私たちはひるまなかった。
彼らのひとりがごく初期の頃、口にしたことがある。
「俺たちは、真実というものに慣れていない。そんなセンセーみたいに、本当のことを口にするなんて…。」
彼らはやがて言うようになった。
「センセーは日本語だけではない、もっともっと大事なことを教えてくれている…。」
彼らは最後の最後に私を手ひどく裏切った。
2007年10月のことである。
アメリカのNGOで働いていたことのある信頼できるペルー人女性に相談した。彼女は言った。
「もうこれ以上は、あなたがここに住むしか、解決のしようはないわ」。
それは、日本の各地で私たちの「支援」活動を支えた300人近い「支援者」のほとんどには理解できない結末であった。
毎年、ぶあつい報告を読み物として支援者に送っていた私だが、最後の報告だけは書けなかったし、できなかった。
上から目線で、途上国の支援を良しとしている人には、けっして判らない、と私には明確に理解できた。
そのとき、わたしを支えてくれたのが、かつてアメリカに出稼ぎに行って、そこで冷たい空気も手厚い親切も、ともに味わった若い男女のカップルであり、やんちゃでその頃はすでにフランス語をマスターし旅行会社で働いていた初年度の生徒だった男の子であり…。そして…。
不法滞在ゆえに、日本から強制送還されたペルー人一家であった。
私はすべての家具やら教材やらを手放す段取りのただなかで、この一家と出会った。
日本で育ち、日本語しか話せない18歳の長女が「どれだけ死にたいと言ったことか」としっかりとした母親は私に伝えた。
私にはこんな友人たちが何人も地球の裏側にいる。
クスコの空港を旅立つとき、泣きそうになっている私を支えたのが、「どれだけ死にたいと言ったかしれない」その女の子だったことを私は忘れない。彼女は私の震える手をぎゅっと握った。
そして、ずっと搭乗口のそばにいながらも、いつの間にか消えていた、あの少年のことを私は忘れない。
彼には私たちが日本に帰ってしまう、もう二度と来ない、ということを受け入れることができなかった。
「いつかそういう日が来る、と判っていたのに、なんで今頃、こんなふうに思うんだ」。
彼は直前に口にした。
そして、いざ、私が搭乗口から入ろうと最後にふりかえったとき、彼の姿はなかった。
この少年と、あの映画のラストで銃の引き金を引く少年が驚くほど似ていたことも、私にはあまりに大きかった。
彼は今頃どうしているのだろうか。
彼に希望は今、あるのだろうか。
軍隊に入るしかないんだ、とも言っていたけれど…。
彼はストリートファミリーで育った娘が母であった。
Matta虹主宰・米谷恵子
追記⇒
1986年、1990年、2010年と、ヒデコは3回、私は2回、メキシコを巡る旅もしています。
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| 国境なき話 | 20:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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地球の反対側からの最も美しいエール…ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領からの贈り物

http://buzznews.asia/?p=1118

皆さんに、一刻も早く、
この南米のウルグアイの大統領の、
ふるえるような感動をもたらすスピーチを聞いてほしくて、
急いでアップしました。

昨夜、ヒデコと二人で聞いて泣いてしまいました。
どうしてもっと早く知る機会がなかったんだろう、とも思いました。
私は声をあげて泣いていた…。

ベル―で教えていた日本語教室の生徒のことなんかも思いました。
娘ののえのいた、長居公園の野宿者のテント村の映画を見せた時、
「僕らにはふつうの暮らしにしか見えないけれど…、
どうして、ホームレスに子どもがいないのかなあ。
どうして、大人ばっかりなんですかね」。

ストリートファミリーだった経験を持つ、
ロナルドという名前の生徒の口から出た言葉でした。

ともあれ、私は今、もしも日本社会の一人一人に、
受け取る力が残っていたとしたら、重要な問題提議にもなるだろうという、
そんな本の仕上げにあたっています。

その中には、その主人公が「ご近所さん」として出入りしていた、
この長居公園のテント村の人々とのふれあいも出てきます。
日本の経済的背景を、疑うことなく基準にしたら、
もしかしたら読者の天と地がひっくり返るような、
主人公の歩いた人生が展開していきます。

ええ、天と地、ひっくり返してくださいって思っています。
ええ、その常識、くつがえしてくださいって祈っています。

そんな私の今の今にとって、
「貧しい」と「ゆたか」が、
まあ日本では一般的な価値観を持っていると、
さかさに映し出されるような、この大統領のスピーチは、
骨身にしみるし、血も涙も通っていて、
毅然としていて、揺るぎなくって、
ものすごく大きな、言葉をこえたエールになりました。

いつもいつも思ってきました。

私たちが5人の子どもたちを育ててていた時のゆたかさが、
今のこの時代に、もはや届かないのではないのか…と。
いえいえ、その時から届かないことに、はらはらしたこともありますけどね。

百円玉を数えながら、
米びつの米の減り具合にはらはらしながら、
でも、今回の本の主人公は、とてつもなく豊かな子ども時代を送りました。

長い長い、小さな子どもが運ぶのすら大変なはずの、
木の枝をひきずってきて、お風呂のたきつけをゲットした喜びを、
まずはヒデコに知らせたものでした。

そんな人生の初期に身につけたものが、
その主人公の人生の最後まで変わらなかったというのは、
私の今の誇りです。

ただ、この日本の、この時代に生きる人々に届くか、
時々、ものすごく不安にもなります。

それを後押ししてくれたのが、
この大統領のスピーチでした。

かつていつも思っていたものでした。
世界全体を見ることはできなくとも、
少なくとも「日本」という小さな指針のみで、
物事の尺度を考えまいと、肝に銘じて…。

南米に住む体験を通して、それは血肉化していたはずでした。


でも、すべて、この主人公の生きた時空間は、
日本でのことでもあるのです。
日本でもこんな人間がいたんだと、
日本でもこんな女の子がいたんだと、
日本でもこんな吟遊詩人がいたんだと、
私は知らせるべく、最後の一字まで刻もうとしています。

「ウルグアイ大統領 ホセ・ムヒカ」で検索すると、
色々なブログにたどりつけます。

「私の闇の奥」というブログでは、
私の大好きなプリーモ・レービィと呼応するように、
ホセ・ムヒカ氏のことが書かれています。

とんでもない人生ですよ。
14年獄中にいたんですよ。
7年間、本すら読めない環境に押しやられていたのですよ。

それでも、彼は何も失わなかった。



それから、彼が言う「幸せ」。
これは、私はエクアドルやペルーで、
人々ととことん楽しみながら、踊りまくったとき、
思い知りました。

貧しさや疑心暗鬼や、
嘘や詐欺や、人間の闇と光が錯綜していても、
そこには、幸せがあったのです。
いえいえ、フェリシダードがあったのです。
どうも日本語の「幸せ」とは違うように思います。

それは与えられるものではなく、
つかみとるもの。
共に楽しむもの。
分かち合うもの。
足りないからこそ、満ち足りることを知っている彼らが、
おのずと必要として、過不足なく知ってしまってるもの。

14年間、獄中にあってもなお、彼が失わなかった、
小さくて大きな、深くて大切な、
ホントのホントのフェリシダード。

それは、今の私への、
ホントのホントの、地球の反対側からの、
限りなく美しいエールです。

日本だけ相手にせずに、
英語に翻訳されることも、スペイン語になることも、
ありえないなんと思わず、
まずは、私のホントのホントの日本語を完成させます。

いとしくおかしな、私の主人公のために。
世界中に生きる、
木の枝のたきぎのおもみを知っている子どもたちのために。

そことおのずとつながっていた、
私たちの人生のために。

そことつながるはずの、
日本のいとしい人々のために。

Felicidad!


ケイコ

| 国境なき話 | 16:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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プィリピーナに会った

原発に反対するって、なんだ。

デモで「ふるさと」を歌うって?

昨日、こんな言葉がわたしの中で浮上した。

越前市は結構国際都市で沢山の外国人が住んでいる。
昨日は、仕事がフルで、福井市で恒例になりつつある原発デモに行かず
夜、中華を食べに出た。

日本語の通じない中国人のウエイトレスで、結構この町スゴイ。
私を、外国人にさせた。
本物の中華だ。なんて冗談飛ばして、おいしい食事を腹いっぱい食べて
外に出た。

お隣に、ヘンなペルーの店みたいに、同じものが棚にずらりと並べる方式の
陳列が見えて、入ってみる。

フィリピン、やタイの食材が並ぶ。
オーナーが、いい感じで、少しづつ話し出す。
「フィリピンって、アジアのラテンだよね、」ってケイコ。


「おじいちゃんはスペイン人」
思い切ってスペイン語を話して見るとスペイン語が返ってくる。

ケイコがかつて教えた、フィリピーナの生徒の話をする。
夜の名前と、本名。

彼女達は、夜働くと、日本人に合せて、「日本名」つけられる。
男の客が、覚えやすいようにみんな「日本名」を持っている。

互いに話が進み、奥へどうぞと、ソファーの間に通されちゃって
笑いっぱなし。

彼女は、50歳。19年前に来日している。
日本語、はブロークンだが通じる。

昼は、農業の仕事に出ているようだ。
たくましいからだ。

ミンダナオ島は農業の島だ。
フィリピンに入った事がないが、
話に花が咲き、再会する約束をして別れた。

日本人であることが、問われた。
ふるさとを愛することは、まともに考えると
怖い事だって、思った。
愛するふるさとを離れて、働き続けている人たちもいる。
単純に、こよなく、ふるさとを愛することが国粋主義になる事だってある。
原発のデモで「うさぎおいし♪」って唄うの好きじゃない。
ふるさとなんて、なくした人も多い。
福島の浪江町の人たちが、このうたを、今唄えるか?

インターナショナルって、人間としての基本だよね。
開いた心のない、日本人にばかり会っていたら、忘れそう。
日本人は、表現しなさすぎるよな。
あー、表現するのは、気持ちいいよな。
いやでも、良くても。


ケイコが
「アイデンティティーが、大切だから、私はクラスで源氏名でなくて、本名を使ってますよ」
その言葉を聞いた彼女はキラリと、受けてたって、奥の間にと通されたのだ。

そのうち、我が家の畑に彼女作のゴーヤが出来るかもしれない。

良い夜だった。

ヒデコ

| 国境なき話 | 12:18 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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