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せっかく取り寄せ読み始めたけど『沈黙の町で』はダメだった。微妙なニュアンスが、はるかどこかへ向かっていかないのだ。

せっかく取り寄せ読み始めたけど『沈黙の町で』はダメだった。
重松清の『十字架』のほうがよほどいい、文章が「赴いて」いかないのだ。
微妙なニュアンスが、はるかどこかへ向かっていかないのだ。
というより、例えばこのような叙述に私はまいってしまう。
「ニュースを知ったこの町の、中学生の子供を持つ母親たちは、全員眠れないだろう。」

中学校内の在学生の死亡事件。事件とも事故とも自殺ともつかない…。
そういう始まりは、まあいいのだ。しかし、眠れないのが「親」なら判る。
なぜ、ここに「母親たち」と来るのだ。まったく解せない。父親は眠れるのか。
というより、眠れる母親も父親も、眠れない母親も父親いるとしか思えない。
確かに群像劇だから、絶えず人称が変わる。その人物に託された世界観かもしれない。
それにしても、そんなに簡単にそうゆだねてしまってもいいものなのか。

刑事たちの眼差しで書かれているところ。
「コンビニの前で、不良中学生がたばこを吸って溜まっていた。」
うむ、「不良中学生」と断じることができるのは煙草をすっていたからか。
しかし、この名詞の使い方は私にはとてもできないというか、許せない。
むろん、刑事だから許される人物観とも思えない。ニュアンスがまったくない。

今度は、教師の側の叙述。
「恐る恐る記事を読むと、昨夜時点で自分が知っている以上の情報はなかった。
それどころか、屋根のトタンに着いていた複数の足跡についてはまるで書かれてはいない。
警察が発表を控えたのだろうか。初めてのことなので、判断の仕方も判らないのだが。」
最後の一文、陳腐にすぎる。初めてのこと、それは当然のことだろうから。
またも別の教師についての段落。
「普段はのんびり屋の後藤が、あられもなく動揺していた。学校を襲った初めての危機のせいで、教師たちがいろんな一面を見せる。」
「あられもなく」という副詞が「あられもなく」使われているよねえ。なんかしっくりこない副詞句である。これは感覚の問題もあるかもしれないけれど、他の表現がいかにもステレオタイプなところに、急にこういう表現がくると言語感覚をいよいよ疑う。
「ひどく動揺していた」くらいでちょうどいいんじゃないか。似つかわしくなく、女性の「あられもない」姿をつい想像してしまいそうな表現を使わなくともなあ、とすら思う。

亡くなった中学生と親しい子どもの母親の述懐。
「それを考え出したら、内臓がぞわぞわと蠢く感覚があり、百合は気が気でなくなった。もしも自殺だったとして、遺書に名指しでもされたら、うちの息子の一生はだいなしだ。いじめられっ子はそういう復讐をしがちだ。」
いくら、群像劇の一人をになう、ある母親の思いとして書かれてあるとしても、これは駄目だ。ここで私は読むのをやめた。時間もエネルギーも、心身の消耗ももったいない。
『アルネの遺品』を続けて読んだほうが、精神衛生にも創作の継続にもよほどいい。

この作品の中には、ヒーローも悪人もいない、というのは、それはそれでいい。
しかしだ。これは書き手の側の限界をむしろ露呈していると言えまいか。
何が言いたいのか、判然としないことで、浮かび上がるリアリティをねらっているとしても、これではあんまりだと私は思う。
きわめて浅い。心が動かない。新聞記事を肉づけしたかのような記述。
小説が小説である理由が不明だ。不明であるならあるで、深めようもあるはずのものを。

アマゾンの古本で送料込で340円で購入した本はこうしてお蔵入り。
「不明解国語辞典」の最初の言葉というものの定義にあるように、
言葉にはおもむきがあるのだ。それは言葉が赴き、赴かせるなにものかだ。
それが言葉が立ち上がっていくときにこの小説にはない、と感じる。
まったくないと感じる。

こういう本がけっこうあるのは知っている。
大昔、面白いよと言われて読んだ探偵小説がそうだった。
何が面白くて読んでるのって思った。
むろん、めちゃくちゃ面白い探偵小説だってあるんだよ。

重松清の『十字架』にはまだ緊迫感や、祈りのようなものがあった。
なければならないかどうかは知らない。
ただ、読書という行為を引っ張っていく根拠が確かにあると感じた。
まあ、重松さんのだって、後半はこんなもんかいな、ってな物足りなさ、
この人、結局当事者ではないんだものなって思いが浮かんだんだった。

ただ、この『十字架』では、親というものがどういう存在か、
それも自殺した子どもの親とはどういう存在なのか、
それは掘り下げられていた。
それは思いがけない私へのエールともなった。

そろそろおしまい。
読みきっていない本のことを、これ以上とやかく言うのはやめよう。

ただ、朝日新聞のこの小説の連載が終わるころ、
著者が新聞連載というものに初めて挑戦した意気込み、
その他、ご時世がご時世だから、生半可に書けない、と言っていた
そんな記憶が鮮明だったから購入した、それだけは確かだ。

しかし、すでに私は裏切られている。
群像劇だって掘り下げかたはある。
群像劇だからこその広がりや深まりだってあるはずだ。

そう思いつつ、今日の投稿を閉じる。

2016年3月28日  恵子
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| 自死を語るタブーを考える | 00:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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希望と共に、絶望の淵から爽快な開放感がたちあがってきたよ。そっと虹をかけたい、それだけでここまできた。 伝えたい、伝わらないでいたなら。 そういう時は、ご老体だ?なんて忘れてしまう。


希望と共に、絶望の淵から爽快な開放感がたちあがってきたよ。
そっと虹をかけたい、それだけでここまできた。
伝えたい、伝わらないでいたなら。
それだけでここまで動いてきた。
そういう時は、ご老体だ?なんて忘れてしまう。


多分、この件が一段落したら寝込むかもしれない。でもそれでいいんだ。
予断はできないけれど、なんとしても希望を具体的に失いたくはないけれども、ここまでやったんだよね。
なんだろう、この一週間って。

鍼灸のセンセーには、いつも「恵子さん、鈍感力・鈍感力」なんて言われながら、「待ったー・それ以上言わなーい」なんて治療台の上で笑いながら、忌憚ないやりとりをする。容赦ない。歯に衣着せない。でも爽快な感覚が満ちてくる。
しゃべっているあいだにも彼女の指先は、私の澱んだツボをさっさっさっと刺激する。
なんか、今日は飛んでもないやりとりもした。ここまで話したことは英子ちゃん以外にはないといったような話。
彼女も子どもを育て、母親を失くし、生と死について、いろんなことを思っているんだな。
だけど、この鍼灸の時間は私のこの絶え間ない、次から次への絶望と決断、そしてそれに寄り添ってくれる人々とのありえないほどの刻一刻に張り巡らされた合間にもたらされた、奇妙にして温かい時間でもある。

ありがとう、難問に対面しているかたがたも、どうか受けとめてくたさいますように。
ありがとう、難問が難問ではなく、解決すべき事柄としてひらいていこうと共にしてくれている、名のある人も名もなき人も、ありがとう。

人生よ、ありがとう、こんなにもたくさんのものをくれて。
SOTTO虹につながるすべての人たちにありがとう。
どんな思いであれ、読んでくれていることに、ありがとう。

良き野次馬なら許そうじゃないか。怖いもの見たさが、いつの間にか慣れて、なんともなくなって、ただより良い人生を願って思索する、そんな方向が立ち現れてくるかもしれないから。

妙な手紙も来た。
ははは、亡き娘、のえみたいに、要らない紙を使った、あるゲイの若者からの10枚にもなる手紙。
最後のほうには「ニーバーの祈り」についても書かれていて、けっして「いいね」をしなくとも、こんなふうに深く読んでいることにも驚かされる。

ねえ、あなたの「引っかき傷」はどうなったんだろう。
ねえ、あなたの心の「引っかき傷」はどうなったんだろう。

できるものなら、「責めている」とも「叫んでいる」とも勘違いしないでくださいな。
追い詰められたら、人は言うべきことを言わなきゃならない、そんな時があるだけ。
それが、自死で遺された性的少数者の「親」の立場の人間だってだけ。

ねえ、あなたの「引っかき傷」はどうなっているんだろう。

恵子      
2016年2月17日 未明午前4時  
あああ、また、こんな時間だ。

| 自死を語るタブーを考える | 23:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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10月12日の大阪のSotto虹の「自死でノコサレタ苦悩を分かち合う集い」プラスα、の開催は時期尚早と判断、やむない問題提議として、いま… 12日加筆… 「未熟で残酷な」LGBTコミュニティと、Sotto虹を営む二人の「老い」の狭間で

10月12日の大阪のSotto虹の「自死でノコサレタ苦悩を分かち合う集い」プラスα、
        の開催は時期尚早と判断、やむない問題提議として、いま。…… 翌日加筆
    「未熟で残酷な」LGBTコミュニティと、Sotto虹を営む二人の「老い」の狭間で
 
 当初、計画しようとした10月12日の大阪でのSotto虹関連の催しの開催は見限りました。
 ひとり積極的な協力を惜しまないと申し出たLGBT当事者の存在は、ささやかな励みをもたらしました。
 が、2ヶ月ほど前にアップした結果の反応のなか、万障繰り合わせて、この営みを今こそ大阪で、との思いに応える、当事者が他にはいないなか、見合わせました。
 単に、「してくれるなら、参加してもいいけど…」という程度の弱腰では、どだい無理と、赤字がふりつもるよう経験のあげくのことです。

 実は、この春には、東京での開催をねらい、この件にアンテナが上がっていると思われる数少ない人々に、今から1年前に声をかけ始めました。やはりひとりはそれなり本気でした。
 それからの、決心しての長電話に、やむなく冷徹な反応となるならまだしも、12月に始めたSotto虹の営みの告知を、ひとつずつ丁寧にして、すさまじいバッシング、ないしは無視に遭遇したことは、春の開催どころではない、LGBTコミュニティの未熟で残酷な、番組以来の変わらぬ実情を、これでもかと今さらのように思い知らされることとなりました。
 こころをこめた手紙が捨てられたり、紛失されたり、リーフレットを受け取ったかどうかもどんな反応もなかったり…。
 このテーマに向き合えない自分を素直に自然と伝えることができないせいか、こころを頑ななまでに閉じ、標的をあやまったかのように攻撃にまわる言動にいくつか遭遇、しばらくは立ち上がれないほどの痛手を受けました。
 そういった経緯を見守っていたはずの当事者の知人たちも、物事の本質を見きわめず…あるいは見つめた上でか…、見て見ぬふりを通した(と見えた)ことも、追い打ちをかけました。
 あるかなきかのコミュニティにヒビを入れないための、「賢明な」首都のアクティビストたちの処世術がここでも展開されていたんだな、と思うばかりでした。

 その一方で、地元フクイでも、Sotto虹の営みが口コミで伝わっていくには、なかなかの閉鎖的な世間が身を固めています。
 リーフレットを渡す人のほぼすべてが当事者、ないしはその身近な人にもかかわらず…、いえ、だからこそ。
 ここにこそ、秘密をガンとして守り、生者と死者を分断し、物事の本来の姿をけっして見ない、見せない、日本のシンボリックにしてリアルな原風景が立ちはだかっています。
 それでも、偶数月には、自死でノコサレタ人々の集いを地道に継続。
 奇数月には、互いの痛みや喜怒哀楽の温度差に寄り添う一歩を踏み出さればと、誰でも参加可能な「Sotto虹あゆみあい塾」もかさねました。

 7月の北海道ジャーニーでは、7月12日に札幌で集いを持てたことは、ささやかでも確実な結実でした。自由学校遊での、あゆみあい塾相当の、ワークショップ2回のファシリテートの面白くも深い経験も、旭川大学での性的少数派と、生と死、のふたつに向き合う授業を、英子とともにふたこま持てたことも。
          (それにしても、札幌でできたことが大阪でも東京でも持てない不思議…。)

 しかしながら、ともにSotto虹をになう人材が育たないこともまた、はずせない現実です。
 自分のなかにある、弱さをも抱きしめ、自分と出逢っていく困難さのただなかに、まさに都市の性的少数派当事者やアクティビストも、地方のありとあらゆる老若男女もいるのだということに、直面するばかりです。
 この営みを維持する財源となるカンパも、2、3の例外をのぞけば、ベロ亭の私たちをよく知る、県外の信頼する古い友人のみという、こころもとない実情。
 場所の提供、印刷作業の手助け、配布協力こそあれ、リーフレットの設置に向けても、ひと悶着ということもしばしばです。
 これについては、近日中に、詳細を記します。
 なお、あと250枚の今年度のリーフレットの送付、設置の方法も思案中。どうか声をかけてほしいばかりです。
 
 ただ、やっていて良かったと思うのは、ノコサレタ当事者が、一度もどこでも口に出せずにいた真情を吐露し、参加者同士の思いがはじけ溶け、まさに、そこにこそ人生がある、と胸が熱くなるとき…。
 あゆみあい塾で、参加者の表情が少しずつ、やがて急激にやわらいでいくとき…。
 中部地方の都市の、ある自死遺族の大先輩格の「分かち合い」の会から、性的少数派当事者のケースをつないでもらったとき…、など。

 しかしながら、私と岩国英子は、63歳と68歳という「老い」に逆らえない日々をも生きています。そして、生きかたを貫いてきたぶん(と言わせてください)、ビンボーです。志が燃え尽きることはないとしても…ともに歩み、バトンを引き継ぐ人材がなんとしても必要なのです。

 そのためには、自死に…そして、根源的な弱さという課題に、向き合うことそのものが、自殺のポストベンション…再発防止、というきわめて重要な、避けられない人生の営みだという明確な意識が育たなければならないでしょう。
 性的少数派に限れば、ゲイで通常の6倍、レズビアンで3倍の自殺率と言われます。あいついで、若者の悲報も耳にします。
 また、自死遺族…おそらく同一家族を意味するはず…の再発率は3倍と言われていて、家族の枠をとっぱらったとしたら、10倍以上という考えられない数値が出てくるだろうと、悲しいことながら確信するに至っています。
 親友、恋人、クラスメート、サークルの仲間、同僚後輩先輩、精神科をはじめとする医師や相談員のクライアント、などにノコサレタという突然の衝撃に、向き合えないまま苦悩を閉じ込めている人、人、人…。苦しみの連鎖ははかりしれません。
 つけ加えれば、私は各地の自死遺族(まれに家族限定ではないところも)の分かち合いに出る度、その会の雰囲気をキャッチしては、原因不明の息子や娘の自死者に、性的少数派が含まれているかもしれない事実を、おのずと語りかけます。かえってくるのが、たとえ言い知れぬ沈黙であれ、うちの子に限って、という拒否感であれ…。
 地元フクイに目を向ければ、99パーセントの人々が、いまだ脈々と引き継がれる家社会と、井の中の蛙とも言うべき幻の上昇志向を享受し、そこからこぼれた人々が、老いてなお、次々とみずから生の現場を撤退し、死に至る現実があります。
 地方と性的少数派、という二つの要素が複雑にからみあって、地方でも都会でも、コトはますます深刻化していると言わざるを得ません。

 にぎやかにパレードを虹色で満たし、一同に会して、それを年一回祝し、笑顔あふれるお互いを確かめあうのも必要不可欠のことだ、とこころから思います。
 とはいえ、その笑顔とうらはらの向こう側の現実にこそ、私はこれからも思いを馳せ、ささやかでも力を尽くしつづけたいと、こころしています。

 私のはずせないアイデンティティ。
 それは、レズビアンマザーで、「自閉症」の診断にも至った、、才能と生きづらさを不可分に持ち合わせた娘「うたうたい のえ」を7年前に、自死でうしなったという事実。
 私はそこに立ちつづけます。
 いまの私を、私たらしめた全ては、その事実にこそ発しているから…。

 生と死をもやさしく包む、人生への深く大きなまなざし…、その果てしない道のりのさなかからの、発信です。

  2015年10月11日    Sotto虹主宰  米谷恵子

| 自死を語るタブーを考える | 20:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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女性ならではの生きづらさを考えるシンポが京都で9月20日に


女性ならではの生きづらさを考えるシンポが京都で9月20日に

京都自死自殺相談センターから、以下のフライヤーが届きました。もっと早くアップしたかったのですが遅くなりました。


受け取った当初は、百パーセント行く気でした。今もかなりの確率で行く気。SOTTO虹のスタッフとしても、京都でふたつのNPOと、京都府と京都市が四者対等に毎秋開催している、シンポでは、「自死遺族」が取り残されないような取り組みとしてあるので、なかなかラディカルだなって思っています。昨年は「若者の生きづらさ」がテーマで、芥川賞作家の基調講演がいちばん迫力がなかったけどね。

京都で10年ほど自死でノコサレタ人たちを支えてきた『こころのカフェ京都』の代表の石倉紘子さんが、いつも登壇されるので、けっして自死遺族を取りこぼすことはない、そんな取り組みです。たいがい、自殺防止の比重のこい催しでは、すでに亡くした立場の人間には、居心地が悪かったりするのが、いまだ、多くの地での現実です。娘さんを亡くされた東日本のある方が、「話を聞いているうちに、いつも自殺対策の催しでは、どんなに悪い母親だったか、と思うばかりになるんです」とおっしゃっていたのがこころに残っています。
むろん、すぐに返しましたよ。「それは、間違いなく、錦のみはたを掲げた自殺対策に過ぎませんよ。」と。
そう、いわゆる「正義の味方」でもヒューマニズムだけでも、このテーマに向き合うことはできないのは、この界隈では周知なんだけどなあ、といつも歯ぎしりします。

昨年の10月末の京都では、二人の自死遺族の方が、各十分ほど、みずからの体験を、ステージに上がって話されました。まあ、どのパネラーの話よりリアルで痛切でおもみがあるのは当然です。それから石倉さんが、パネラーとして、自死へのタブー視、偏見のつよさ、語りにくさは、10年前と全く変わってない、と言われたのも、こころに突き刺さっています。さもありなんです。

ところで、ここにアップしそこねているうちに、急な関西行とかいろいろあって、20日に行く気が少し低下しているのに気づきました。ほとほと疲れているのです。なにかとことん疲れている。おそらく、私のしてきたことは、もはや、一参加者としてというところにはいない気がします。いや、何度だって、一参加者になるのは構わないのですが、旭川大学での「生と死に向き合う」ひとこまみたいな体験を持つと、つくづく自分をもっともっと活かしてみたいとも思うのです。

それに、今回の基調講演の講師、岩波新書の『トラウマ』なんかの著書もあるし、まあ聞きたいなという気持ちと、ああ、また母親が責められるのかな、という「疑惑」が浮上して、少し気が重くなってきているのも事実です。(これ間違いでした。この著者は宮地尚子氏でした。)

誰かを標的にしない、そんな自殺対策ってないのかな。家族を語るときには、必ずや、親、それも母親が槍玉に上がりやすい現実。まあ、「女性ならではの生きづらさ」だから、母親の生きづらさだってやってほしいものです。むろん、私めは、娘でもあったので、娘から見た母親ってのも判ってしまうのですが…。

親も子を選べない。子も親を選べない。
選ぼうじゃありませんか。あたらしくー。
両側から見なくては、見えてこない現実もあるかと。

精神科で患者の自死に対する医療サイドのスタッフのケアがなされているという取り組みは、とっくに必要なことなのに、どこでもなかなか手が付けられていないのではないかな。聞いてみたい話です。

この催しに、車出して行きたいという福井県内の方、もしくは滋賀県ぐらいの方でも同乗させてー。一緒に鈍行に乗りたいって方、コメント欄に書き込んで。
いや、朝は特急にしないとダメかな。

それにしても、二泊三日の関西行のあとは、三日間伸びていましたよ。だから、また出かける気迫が残っているか、少し心配です。それに、「女性ならでは」だから、とっくに判ってるよーって叫びたい気持ちが募るとしたら、会場で心配です。
だからこそ、確認したい気持ちもあるのですが。

ともあれ、お知らせです。すでにひとり会場で合流して、一緒に福井に戻るつもりの方もいるみたいですが。

2015年9月6日夕方  米谷恵子
 
京都で女性ならではの生きづらさシンポhttp://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/cmsfiles/contents/0000186/186750/chirashi2.pdf

| 自死を語るタブーを考える | 20:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「のえさんは、どうして亡くなったんですか」と無邪気に訊かれて(翌日と一週間後に最初と最後に加筆)

一旦は、このブログが伝わらないのだな、と思い、
差し控えましたが、やはりこのままアップします。

このエピソードの内容は、
人の痛み、
それも人生を変えるような衝撃を伴うような
痛苦と悲嘆に遭遇した人にとっては、
当たり前のことで、多くの人が知るべきエピソードであるし、
理解したほうが良いエピソードとして心に刻んでいます。

今日、ある方から、「人を信じている…」と言われて、
正直言って愕然としました。
私はただまんぜんと人を信じて、
あけっぴろげにこうやってブログに書いている訳ではありません。



命がけで講演で、若い学生たちに語りかけたからこそ、
どう、その後のお茶の席で、大きな失望と深い落胆を味わったか、
その時間に、本当はねぎらわれるのが不可欠の、
命がけの語りかけをしていた、という意味合いがかすんで、
子どものように、金魚でも死んじゃったみたいに、
語りかけられたことが「痛い!!」のです。

それが、このブログで、普段
の読者にも届いていないのだろうか、
と感じたのは大きなショックでした。
それほど、今の世ては、人の生と死に鈍感になっているのでしょうか。
伝わったらなら伝わった、と言ってほしい。
事実関係が判らないんだな、など、もし判らないなら言ってほしい。

どうして、これだけ重要な内容に、
拍手がほぼ増えないのかも疑問です。
だからといって「同情」で拍手されるのはいやです。

私が今回から決心して学生に語りかけた最後の内容は、
「もしも、自死があなたの周囲に、この大学に発生した場合、
その時、どんなふうに考えるべきか、
「のえルーム」を緊急避難的な意味合いで生み出した人間として、
アドバイスでも、必要な語りかけでもしますから、
忘れずに呼んでくださいね」
という内容でした。

その直後に、
あまりにも無邪気に訊かれたら、死にそうになりますよ。
そして、これは何があったか、
伝えるべきだ、と思うのが私の最近の使命感のありようです。

それだけのことが、
どうしてこんなにも伝わらないのでしょうか。


つけ加えれば、
「のえルーム」は至高の宝物のような、
なにものにもかえられない場所でしたが、
うらやましいと言うような言い方で言われるのは、
ちょっと違うと思います。

のえは亡くなっているんですから。

ああ、これを言わされるのは何回目でしょ!!
みんな、忘れちゃうんですものね。謎です。

人と人の関わりの余りのとぼしさが、
それを言わせるとしたら悲しみはなおいっそう深まります。

身近な人の自死に向き合った方が、
そういう場所が持てたならと言うなら判りますが。

のえへの心の葛藤と痛みを手離せない、手離さない人々が、
それを分かち合う場所だったのです。


ある講演の後の、三人に戻ったお茶の時間のことだった。
その講演をお世話してくれた方から、ふっとこんな言葉が口をついた。

「わたし、素直に訊いちゃうけど、のえさんは、どうして亡くなったんですか」。



正直言って私はふらふらだった。憔悴もしていた。というのも、講演という限られた時間内で、今、語れるテーマを私たちらしい切り口で、聞き手の若者のキャパシティも十分に配慮して、シナリオを作り、語りきったあとだったからだ。

二つ目のテーマは、「生と死に向き合う」という日本社会ではまだまだ未踏のテーマ。
否、「自死に向き合う」という、全く白紙ないしは、人によっては暗黒に地塗られたテーマで、私は全くもって短い時間を、10分間アピールくらいのつもりで、「サイレントグリーフに目を背けずに語り始める」とか、「悲しみを否定しない、自らも、周囲も」などと、パワーポイントに出したものにも、ある程度添って、しかしながら渾身の力をこめて、会場の大学生に語り尽くした後だったのである。


講演後のお茶の席で、私は疲れ切った心身で、その場しのぎの対応をした。余裕があったら、
「どうしてそれを訊くんですか。誰もが考えていることだとは思うけれど…」
などなど、彼女の問いかけの意味を白紙に戻して、語り合い始めることができたかもしれないけれど…。

しかしながら、それは十分に無思慮で、無神経な問いであった。

その晩、私をさいなみ、翌日、温泉に行っている間は忘れることに決めたけれど、
翌々日の、ミーティングではその驚き、唖然とした気持ちを語らずには済まなかった。
ミーティングに集まった人たちは、一応に驚いていた。

当日、帰宅してから、学生たちが出したアンケートを読み、数人の書き込みに、十分に私の渾身の力をこめた「生と死に向き合う」語りかけが届いていたと知ってから、若い学生のほうが感受性がまさって、キャッチしてしまったアンテナがあるということに、気づいてしまったから、なおのこと、問題は大きいと認識せざるをえなくなっていた。

こういう魂もろともの気づきを、それに気づかなかった相手に心を砕いて伝えるというのは、おそろしいほどのリスクを伴うことを私はすでに経験済みだ。
こういうボーダーライン上にいる人たちは、誠実に気づきなおすか、逆ギレするまでに至らなくとも、…あああ、子どもを亡くした人は面倒だなあ。つきあうのはやめとこかあ…くらいのノリ??で、遠ざかって行かれるのがオチだからだ。

お茶の時間にこう語った相手から、「あの時はだらだらおしゃべりしてすいません」うんぬんの「講演は大成功」メールが届いたのもあって、私はようやくその日から一週間を待たずに相手にその旨を伝えた。さあ、どうなるのかな。きちんと伝わるといいんだけれど。


あんまり、こんなことは言いたくはないのだけれど、心のこもらない、ある種、他愛もない、場合によっては、えらく形式的だったりもする、のえのことに対する口ごもったり、大上段に構えたりする口上は、子どものいない「教育者」から出ることが多い。少なくとも私の経験からはそうだ。

わざわざ鳥肌立つ思いで経験したことを再現してフラッシュバックを起こしたくはないので書かないけれど、要するに早い話がヒトゴトなんです。

で、今回は、「サイレントグリーフに目を背けずに語り始める」というパワーポイントの言葉が、この方を後押ししてしまったようにも思われるのです。


「目を背けずに」というのは、大変なことである。大変なことである以上、最大限のデリカシーをもって、「見て見ぬふりせずに死者悼め」ってことでしょう!!

それが、「私素直に訊いちゃうけど…」と、金魚が死んじゃった理由でも訊くみたいに、言われてしまったという訳です。

私は、そのお茶の席で、せめて少しでもねぎらわれたかった。
「よく、あそこまで話してくださいましたねえ」とでも何とでも…、大人だったら、出てくるはずではないのでしょうかね。
それが、直前までの達成感まで粉々にするような言動です。


娘の生と死に向き合いながら、ここまで世間はヒトゴトなんだなあ、と思い続ける日々でした。
それでも、私はたとえ日本中が違うと言ったとしても、最近、ある覚悟を決めています。
それは、「のえルーム」が緊急避難的な意味合いを持った…つまり、一人逝くという命をまさに賭けた意思表示で、どんなに追い詰められていたとしても、自己の存在を示した故人と、どう向き合うべきかを共に模索した場だからですが…、その体験をやはり、自己の存在を賭けて生かしていきたいと願っているということなのです。


だから、例外的とも言える「呼びかけ」をしました。
「特定秘密保護法」は大問題。大変な時代に入ったことを痛切に思いますが、自死に関して、箝口令がしかれ、誰も自ら語り出さず、語り合わず、故人のかけがえのない生きた日々すら抹殺する、すでに、自死も自死で遺された者も、ある種、無意識の特定秘密の中で、息をひそめている現実です。


だから、例外的とも言える「呼びかけ」をしました。


そのあとに、まさに直後に、
お世話してくれた人が、少しでもねぎらいの言葉で、
「ああ、少しは私の覚悟が伝わったかな」と思うくらいになりたかったところを、
「素直に訊いちゃうけれど、どうして…」と、私たちの前に言葉を投げ出したのです。


まさか、講演のお世話をしてくれた方から、
「ハイエナ現象」を観察し、こおむる結果になるなんてね。
でも、ありそうなことです。
あの番組が2011年の一年目には、性的少数派に特化したタイトルになって、
多くの当事者から、そのような現象をこおむったのと全く同じですから。

「どうして??」
は、あたかも子どものような無邪気な問いかけであると同時に、
「ありえない、ありえない、なぜ、なぜ」
という、のえの生と死をヒトゴト化した「投げだし」でもあるのです。

と同時に、
「どうして??」
は、深すぎるほどに哲学的宗教的人間的宇宙的な問いかけでもある。

そう、私たちはどうして生きているのか、という…。



そんな覚悟もなく、「ハイエナ現象」を排出する人々に、
私はせめてもの警鐘を鳴らしたく、本の執筆中だというのに、
またまた、くらったニアミス。

ご免こおむりたいところですが、
まだまだ、続くことでしょう。


のえのことをよおく知っているのに、
何度会っても、のえのことを語らない友人。

それそれ、それがあるから、ケイコさんに会えないの、
とヒデコに言ったという、私たち共通の友人。


みんな、喉につっかえた魚の骨みたいな「こわさ」をかかえて、
かわいそうな人たちです。
あわれです。
救いようがありません。


まあ、屈託なく「どうして?」と訊くところからしか始まらないとしたら、
受けて立とうじゃありませんか。

回答は、
そう、一冊の本です。

読んでください。
いや、読まなくともいい。

読む前に、自分の生と死に向き合えや。
読む資格ない人たちが、この本とどういうことになるんかいな。


ともあれ、回答は、
そう、一冊の宝物のような本です。


ケイコ


追伸  

このブログの調子とは全く違う、丁寧に言葉を尽くして、私にとって起きた事、なぜそう思うのかなどしたためたメールに、一日たった今日、こう言ったご本人から返信をいただきました。
「失礼いたしました。」とひと言、というか、一文。まあ、かわいらしい方なので、言葉を失ってしまった状態の中での最低限!!の表現なのでしょうか。
この方が失礼してしまった対象には、「よくぞ、つらい死のことを語ってくれた」とか、「悲しみについて判った」など、アンケートに書いてくれた学生たちも含まれます。
私が、ねぎらわれたと感じたのは、これらのアンケートの、どんなに短くとも伝わってくる言葉たちでした。

| 自死を語るタブーを考える | 18:04 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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