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2016.03.12 Sat
おもむき
言葉には「おもむき」がある。「おもむき」は「おもむく(赴く)」の名詞形で、どこかに出かけるということである。言葉は方向を示唆している。言葉で考えるとおのずとどこかに出かけさせられることになるわけで、果たして日本語は私たちをどこに連れていこうとしているのだろうか。
『不明解日本語辞典』 高橋秀実著 「はじめに…言えば言われる」の結びより
先日、図書館でやはり新刊コーナーにあって、「あったー」と心の中で言った本。
先々週かな、朝日の書評欄に4冊くらい読みたい本が集中したことがあったのです。
そんなに読みたい本ってふだんは、あまりないんですけどね。
ダニエル・アラルコンのほうは、大声を出して、振り向かせてしまった人までいたけれど。
見出し語を挙げてみますね。全32語
あ
いま
うそ
えー
きく
ちょっと
ちがう
っていうか
なに
意見
リスク
社会
普通
適当
論理的
存在
才能
出世
景気
健康
秘密
信
つかれ
つまらない
スッキリ
すみません
すき
こころ
しあわせ
バカ
日本
私
おわりに……不明解の理由
この「おわりに」もめちゃ面白いのですが、疲れたのでやめます。
言葉には意味がある、のではない。
言葉は意味をなす、のである。
そこがいい。はいはいはい。そう意味をなす。
そうして、今日という日まで、SOTTO虹をやってきました。
とうとう
言葉かな、脳細胞かな、こころかな、たましいかな、
風景かな、暮らしかな、空気かな、風かな、水かな
解体した感じです。
言葉が意味をなす、という行為に抵抗しているようです。
絶対的抵抗、うーむ、いい感じだ。
では今日はこのあたりで。
2016年3月12日夜9時
詩人&SoulfreeFacilitater&日本語教師 米谷恵子
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2015.01.01 Thu
二晩徹夜しました。気づけば午前四時すぎ、昨日は5時。
うちの大工仕事をしてくれているKさんと、ずいぶんゆっくり話しました。
いつも手伝いがてら話に来てくれているGОくんとも作業は少し、
彼のこれからについてやら色々と話しました。
徹夜疲れやら、日曜から復活した園芸仕事で重い植木鉢を、
まだ入れていなかつた風除室内に移動したり…これは雪の晴れ間にしなきゃー
で、腰にも腕にもかなりきていたようです。
昨日も、今日も夕食後は爆睡。
GОくんと一緒に映画を見たのはヒデコでした。
ああ、KさんとGОくん、
ふたりとはかなり自分なりに話した気がします。
それぞれ人生の節目をどのくらい意識しているのかな、なんて、
正直かなり切実に思っていましたから
おせっかいにはなっていないつもり。
Gくんとあれこれ何気なく話しているときに、
ヒデコが圧力鍋で豆をまめまめしく炊いて、できたてのを少しだして、
そんなのをつまんでいるうちに、私から飛び出した「傑作」キーワード。
「「自閉症スペクトラム」の人たちを
圧力鍋に入れてぐっと圧力かけて、
彼らの厚い殻がはじけたらどうなるだろうなあ。」
と私。
たとえに弱いGくんもこれはリアルに響いたんですね。
「あれ、Мさんと一緒なのかなあ。」と笑いながら彼。
「急に誰彼とつっぱりだしたり、
もっと引きこもったり、いやはや演説始めたり、
どうなんやろう。自由に羽ばたいたりとか…」と私。
Мさんは、彼と私たちのあいだでは、
スペクトラムのつよい人として根づいています。
ご本人はそんなに思っていらっしゃらないかも。
ものすごく頭の良い方だから、誰も気づかないかも。
だけど、Мくんはなんで一緒に「圧力鍋」に入りたくなかったのかな。
「どうしてって、ですかあ」ってすっとぼけた顔で、
ぽつりぽつり答えてくれるかな。
エスプリに満ちた…つもりの…傑作キーワードで思い出すのは。
「総領家のおしつぶされた本音がはさまったクッキー」。
はい、あるパフェに入っていたもので、
それもとびきりのパフェに入っていたもので、
私はそのバフェをけなした訳ではありません。
でも、けなされたと見なされた。
三年前に、ものすごい顛末である別件の事実が展開した結末で、
その人の生き死にまで、私が心配するに及んだ相手に、
「悪口を言われた」と最後に帰ってきて、
呆然としたのに似ていました。
この二年前の話、まともな人にすると、
「えっ、その人、子どもじゃなくて、三十代の大人なのー」と
驚きますが。
ワーストワード。
「それなら、のえさんのことを話さなければいいじゃないの」。
のえが常連で活躍していたジャズバーを巡って、
ある人と話になった末に、のえの生死にかかわる話をしたあとに、
「無反応」だったことに違和感を唱えたあとに言われた言葉。
紛れもなく最悪の言葉です。
「あなたの娘さんはいなかったことすればいいのよ。」
と同じですから、娘の人生そのもの、
私たちの人生そのものの冒涜ですもんねえ。
ワースト二番目。
「ああ、ケイコさんに会わなければ良かったんだ」。
カレンダー事件のご本人です。
そして、「のえさんの唄を聞かなければ良かったんだ。」
えらく感動し、顔つきすらかわり、
「壮絶な生きづらさの語りべ」と言った当人の言葉です。
彼女が言うべきは、
「うかつに思いつきでカレンダーを作るべきではありませんでした」ですよね。
ワーストの三番目。
「ご苦労なさったんですねえ。」
まあまあまあ、これは三人の人が別のところでおっしゃられましたよー。
一人はセクシャルマイノリティとして少しは有名人の方。
若者です。だから年寄りは「ご苦労なさった」方。
それ以上、その人生に触れる気はありません。
また、番組を見てもそのおもみは判らないし、
福井の心あるマイノリティーの友人は、
「結局、最初にどれだけ豊かさを持てる者かだけだって、
彼は言っていただけだよね。
誰もがなんでもできるならするよなあ」。
もうひとりは、ある映画の監督。女性です。
ヒデコとのネット上のやりとり。
福井県在住というだけで、
「ご苦労されたんですねえ」とつっぱなして、
おつきあいしませーん、という無意識の意思表示。
おお、こわいこわい。
もうひとりいるんだよね。
これは以前のブログにも書いたわいね。
あるカフェでのやりとりです。
福井県人は幸せ者、という論議に、
そうなのかなあ、とじんわり加わったはてに言われた言葉。
「いいえ、皆さんのほうがどれほど色々な制約の中で、
ご苦労されていることか」ともっと端的な言葉で返したけれど、
そして、そのカフェからはそうやって啖呵切ったことで、
停学処分ならぬ出入り禁止処分…半分冗談半分真実
ですー。はい。
「ケイコさんは態度悪い」とお墨付きを得ました。
私は「ここは新宿よりも西成よりもこわーい」とほざきました。
ベストワード。三つ甲乙つけがたい。
やはり、つかさくんかなあ。
「だってケイコさんは様々な当事者でもある。
それで表現者に徹しているということ」。
誰もそれに気づかない。意識できないことをずばり。
そして、そのコラボの相手のまおちゃんのことば。
「あなたの言葉は毛細血管のすみずみまでいきわたってじわじわと…」
いつか全部再現して、コラボについては丁寧に報告します。
それから、GОくん。
「変わるということは僕たちみたいな人間は痛みを伴うんだ。
だから、のうのうと変わらないでいたいと思う。
それで成長するチャンスを逸してしまう。」
うむ、ベストワード集は二十代三人というのがすごいぞ。
最後にヒデコのワーストワード。
というか、聞き続けてもう飽和状態で、
あきあきしている言葉。
「それで、ケイコさんは元気なんですか」。
なんでも、そうやってヒデコがひとりでいるとき、
訊く人は、ヒデコが元気かは訊かないそうです。
で、私は取り扱い注意物件か、重病人?
で、それを聞かれ続けるヒデコのアレルギーは
悪化の一途をたどっています。
ヒデコのアレルギーが悪化の一途なんですよーだ。
「元気な訳ないじゃないですか」とヒデコがこたえて、
これも違うなあ、相手には判るまいと思ったこともあるそうです。
年が変わってすぐのヒデコから私への言葉。
「ケイコちゃん、もう私無理できない。
頑張れない。ヒデコ、もう頑張れない。
お母さん死んだ年を越えた。もう頑張れない。
自信ないよー。」
私は爆睡中。
「そんなこと
ないよー」むずむす゜。
こちらこそ言いたいです。
「私といたら、ヒデコちゃんの人生大変になりすぎる」。
それは私がなぜか、いわれなき敬遠されるのとセットで、
彼女にも被害が及ぶからです。
いや、いわれなき敬遠は、
ヒデコにも起きているんだな。
それを解くキーワードは、
間違いなく、「畏怖」、ないしは「すごい」。
ある美形の中年女性と、つかさくんとGОくんが
気づかせてくれました。
切ないよ。元旦と名付けられたその日からもう。
あっ、傑作キーワード、これ忘れたらいけません。
やはり今日の午後、大晦日の食卓にて。
「カミングアウトって映画をあっちゃんが薦めているんだけど、
なんだか単純そうで見る気がなかなかしないんだけど、
ほかならぬあっちゃんの言うことだからどうしようかな」とヒデコ。
「そもそも、なんでみんな「カミングアウト」なんてタイトルばかりなのかな」と私。
そこにGОくんのつっこみ。おっ、やったぜ。
「アウティングって映画作らなきゃーダメですよね。」
三人で爆笑。
彼は私たちをまあ見事にアウティングして三年近く。
ここまできちんと言えて笑えて、まあ快挙…です。
でも、映画作れるの?
おっとーっ。
きわめつけを書いておかねばなりません。
あるリスキーな瞬間の張り詰めた空気の中で、
私の口から絞りでた…人からは飛び出たように聞こえたようですが、
これぞまさにキーワード。
ヒデコと私の人生を凝縮したワンフレーズでした。
でも、これはそのイベントにいた誰も口外する気配すらありません。
なぜなら、そこにいた人しか実感できない、
とてつもない一言だからです。
ああ、私はその窮地を忘れません。
ヒデコはその窮地を脱するのに二週間かかりました。
それがパフォーマンスをよりクリエィティブにした、
そう悟るまでに…。
私はその一言で、窮地から脱する以外にありませんでした。
内緒ー。
内緒の内緒。
ここにはヒデコの作陶を長年見続けてきた、
私の切ないばかりの揺らぎを突き抜ける一瞬と、
ヒデコの大きな落胆と怒りにもなりかねないものを、
なにか異質なものに変えうる数分から半時間が交差していました。
そこにいた人たちも聴きました。見ました。
それは究極のパフォーマンスであったと今なら、
言っても許してもらえるでしょう。
なんのことやら判りませんか。
そりゃあ、やむないなあ。
ケイコ
追伸
12/12のブログを削除しようと一旦は決めましたが、
読み直してつくづく考えました。
またまた…。
徹底推敲するつもりです。
しばらく引っ込めておきます。
削除ではなくて。
できあがったら見てもらえるようにお知らせします。
ブログはつい書きっぱなしになる面もあります。
日記だと思っているところもあります。ご容赦。
それでも楽しんだり、考え込んだりしてください。
これからも。
やめません。
それにしても、
かなりな使命を担う文面もあり、考えた結果です。
| ケイコの言葉遊び
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2014.05.07 Wed
世界もフクイも「暗闇」でも、中三の孫に手紙を書こう…フクイ弁の無アクセントの考察から
一日、ブログをおきました。昨日は、ヒデコに調整のためにパソコンを取られていたのが幸いして、街中から帰宅し食事して、間もなく夜9時から今朝9時まで、久々の爆睡とあいなりました。一旦、パジャマに着替えるのに起き出して、読書した1時間はあるけれど。
ものすごく疲れていたんだと判りました。我に返るという感覚を少し思い出しました。
さて、北アフリカのある国で、女たち二百人余りが、西欧風の教養など身につける必要などない、女は結婚させるための存在である、として、イスラム過激派によって略奪されたというニュースをヒデコから聞きました。
私はいまだ検索する気力がありません。アルジェリア? だとしたら、あの映画『アルジェのたたかい』の国ではありませんか。西欧の植民地支配のアトノ内向した抑圧と怨念が、こんなふうに自国の女たちに向いてしまうなんて、ありえません。違う国だったら勘弁。すいません。
今、ヒデコが検索しているのを観たら、
「ナイジェリア」でした。
昼間、彼女が地図上の位置を言って、
アルジェだとしたら、少し妙な気もしたのです。
南米にいると現地の人に、中国や韓国が大変だと日本のことのように思われる。
ペルーの近隣諸国で地震があったら、
ペルーにいる私たちのことを、日本人が心配する。
そんなことを自分もしているかも、と一応思っていた、
わたしの怠慢を告白しておきます。
YouTubeを観て、「アラーの神が言っている」と言う、
過激派の言に、宗教的というより病的な狂気を感じました。
その辺りからのアプローチってないのかな。
彼らは絶対的に悪い。
でも、絶対的に悪くなる、その背景は?
と思います。でなければ暴力はなくなりません。
しかしながら、世界中、まだまだ、女性へのありえない仕打ちは、「よめっころぱし」ならずとも、延々と続いていると認めるのは、あまりにもひどい、と憤りとともに思います。
できることは、しなければならないはずです。
実は、昨日は「まな板の上の鯉」状態で、フクイの発音の話にあいなりました。一週間に一度のある人との語らいです。いや、その人の語りをほぼ一方的に聞くことも多いのですが。
中三のおいっこに英語を教えているとか、から話は始まりました。その人は、確かに言ったものです。ありゃりゃ、私が「トーキョー嫌い」をなにかと表明するようになったら、フクイの人たちがわりに本音をしゃべってくれるようになったんじゃないか、と思えるようなお話がつづきました。なかには、うーむ、聞かなくともいいんだけどー、と言いたくなる話もありますが、まあ、最近はわりに聞ける話止まりなので聞くことは聞くし、こちらが言えることは「まな板の上の鯉」でも言います。
確かに言ったこと。
連休でも、フクイ人、まあ、おじいさんおばあさんだけれど、出たがらないという話。私たちも出はしないけれど、ここがいい、いちばんいい、と思って、どおんと落ち着いて出ないというのとは違いますからね。
ある近場の温泉が特にサービスがいいので、私が「あそこはニュートラルなサービスがある」と言ったところ、その人は「フクイはわが天下、わが土地という感じですから、感じが本当にいいというサービスは確かにないかもしれませんね」と返ってきます。
そう、その温泉では、ものすごく私たち、ほっとします。はい、『花はす温泉』です。
確かに言ったこと。
けっこう、それなり新鮮な驚きがあったので、こうやって列挙しています。
中三のおいごさんが日本語もなかなか通じないなかで、英語を教えたりしていて、母親であるお姉さんが大学に行かせたがっているということで、その人は言いきりました。
「フクイでは大学出である必要はありませんから。まあ、はっきり言って、ここでは教養は要りませんから、無理することはないんです。」
おいごさんに関してはそうなんでしょう。日本人で日本語が通じない若者や子どもたちは増えています。コミュニケーションができないんですものね。
でもね。
「教養は要らない」にどきんとしました。
ワタシハダイガクニハイッテイマセンヨ。
わたし、教養があるかどうかは知りませんが、やはりサイードのことなど書くと、めっきりと拍手の数が減ります。書いている内容はさほど変わらないのに、言い回しや表現が、ややこみいっていたり、未知のカタカナ名など出てくるだけで、敬遠されたりって「教養」と思われているかしらん、とも思います。
サイードは、「知識人」というものをアマチュアでなければならないって言っているんだけれど、まあ、彼が並はずれた知識ある人であるのは間違いない。
解説で「知識人」というものが死語に等しいというのは、まさにそうであるとしても、この「知識人とは何か」という本の本来のタイトルは、「知識人という表象」。
つまり、知識のある人とはどういう表れを持つ何者かということと、
知識人が表わさなければならいな事柄とは何なのか、
という二つについて書かれているということなのです。
すいません、訳わからなかったら飛ばしてください。
あれっ、これだけ書くだけで、
フクイではあったらいけいない「教養」を語ったことになるのでしょうか。
確かに言ったこと。
トーキョー弁はお高くとまっていて、はきはきしていて、はっきりしすぎていてたまらないのですっていうフクイ人の実感。
これをフクイ弁を学習しながら、いや、今さら学習しなくともいいので、判らないことだけ訊きながら確認しました。
やばいです。わたし、フクイ弁もどきしか話せないけれど、もうさっぱりきっぱり、「もどき」すらやめていますから。近所の仲の良いおばあさんは、わたしにつられて「です、ます」で話すことすらあります。
でも、こうするまでに長い歴史があるのです。語りきれない…。
それから、段々と、フクイ弁とトーキョー弁の比較研究へと入っていきました。
わたし、やはり日本語教師なんですよー。
「来て」「着て」「切って」「聞いて」「切手」の区別をトーキョー弁アクセントで発音できる、フクイ人はかなり少ないです。はい、その人もできませんでした。
日本語教室を、鯉状態でしていました。
小中学校のクラスで、ベロ亭の子どもたちは、一人残らず、本読みを「まっとう」な発音ですることができました。当然と言えば当然です。うちの子たちは、皆、バイリンガルですから。フクイ弁とトーキョー弁の。外ではフクイ弁、家ではトーキョー弁。
そして、一番、大事なこと。それはフクイ弁が、アクセントに決まりのない方言であるということ。つまり、いつもどの言葉を口にしようと、揺れているアクセントだということです。
でね。気づいたのです。私たちは、少し前のブログで「陸の孤島」に住んでいると書きましたが、つまり「文化的社会的孤立」を生きているとも書きましたが、ここフクイは、方言の特性から言っても、ものすごく「他者」を意識しづらい面を持っているんだ、と昨日の「まな板の上の鯉」としての語り合いは気づかせてくれたのです。
アクセントの相対化ができないということ。よほど音感とかが良い人でない限りは、絶対にできないのです。おおまかな、会話の流れについた節回しのようなイントネーションとか、一音声ですら引き延ばして、中国語の三声とか五声みたいにメロディーがつく。そういう語感で生きているからです。
つまり、トーキョー弁は、音声と音声の高低が一拍ごとにはっきりとしていますから、誰が話そうと「はきはきはきはき」と聞こえます。それは生意気な語感を生み出すという訳です。つまり…。
講演に来て話すエライセンセーは、「はきはきはきはき」話すのは構わないけれど、近隣に住んでいる関東人が「はきはきはきはき」話すのは、かなりうっとおしいことなのです。
知ってはいたけれど、はっきり堂々と言われて、少しめげました。ははあん、やっぱり、わたしはいてはならない存在なんだー、と心底、とことん思いました。
そして、先日のわたしとのインタビューで関東出身のある方が、「フクイに来てはじめて、思う存分、言いたいこと、言いたい口調で話せました」が、判ってはいたけれど、とことんのみ込めました。
いやあ、大阪の話もしたけれど、これ以上書けません。
まあ、新宿の人ナミのなかに、今でも何の抵抗もなく入れるわたしがいることは話しました。フクイのあらかたの人は、あの人ナミを「泳ぐ」ことはできませんから。
ああ、なんでしたっけ。少し、車酔いかなにかみたいな感じです。
要するに、昨日のその人は、いかに「井の中の蛙」が「井の中の蛙」であるかを、能弁に語ってくれた訳です。
そして言いました。カタカナ語嫌いが高じて…。
わたしもやたら何でも、カタカナ語というか、英語や外国語化してしまう風潮は嫌いです。
パンジーとビオラは、そもそもは西洋すみれだし、クレマチスはてっせん、ダイアンサスは撫子です。だから、「ピエール・ド・ロンサール」なんてたまらないのです。
でもね。これは言ってほしくなかった。
「アイデンティティ」。
自分が自分であるということ、とでも日本語にすればいいんですが…。
うむ、「アイデンティティ」はスペイン語では「イデンティダードゥ」であり、もう、あれこれあれこれ、クスコでも、スペイン人の血と、先住民の血とを巡って、自分たちは何者かなんて話を意外としないよね、なんて話もしたものでした。
自分が自分であること、にものすごく向き合っている人だからホントウハいいのですが、そのでも、わたしはアイデンティティは大事ナノです。自分とは何者かを問うことなく生きていられるのは、前近代の証しみたいに感じるので、フクイには本当に近代は来たのかという思いにもとらえられがちなのですが、ああ、どうなのでしょう。
ところで、良いニュースです。
わたしは、神戸の中三…またもや中三です…の孫の男の子に、ある本を送ろうとしています。手紙を書こうと思っています。
そんな矢先に、なかなかのニュースが届きました。
うむ、そのお孫君は、野球部のキャプテンなんですが、ファーストの子が、見事に球を拾って守ったときのことかな、「ありがとう!ファースト!」とものすごくまっすぐな声で言って、見守る場内に歓声が湧いたというのです。
わたしは野球の詳細なルール、ニュアンスを語る資格はありませんが、上記のことでおそらく理解の範囲は間違っていないと思います。
いやあ、そのお孫君は、ものすごく家の中では物静かなんですよ。
それがね。父親のわが息子くんが、ヒデコに嬉しそうに、実に嬉しそうにコノコトヲ電話で話したということを聞きました。
うん、手紙書くぞ。
神戸弁で、トゥ、トゥ、トゥと言っている、お孫くんに手紙書きます。
一応、こんな妙なブログの最後に書いておきます。
トーキョー弁のアクセントもイントネーションも日本でいちばんってくらい、やさしいのです。動詞の変化も形容詞の変化もたしかそう。
西日本のイントネーションやアクセントのほうが格段に難しい。
それから。
昨日帰宅して、少しだけ、1995年に「月刊日本語」の付録だった「日本各地の方言」に関するテープを聴きました。なにを聞いたかって、そう、仙台方言です。
巻き戻すのが面倒だなあ、と頭出ししていないテープを回すとちょうどそこのところが話されていたのです。
「仙台と同じようにフクイ県でも、熊本でも、◯○○でも、それから韓国でも、インドネシアでも、アクセントのゆれは当たり前です。仙台だけが特殊な訳ではありません。こういう地域や国では、アクセントが定まっていなくとも、語句全体、話全体のイントネーションや流れで、コミュニケーションが成り立っているのです。」
ガーン。
わたしは本当に「偏狭」で「辺境」なトーキョー弁話者なのです。
ケイコ
追記
ヒデコが読んでから、音程を取って発音できない、ということが、
つまりは、その違いもそもそも聞き取れない、ということだというふうには、
日本語を外国語として、教えるために徹底的に学んだりしていなければ、
そうか、知らないんだあと気づいたのでここに少し書き足します。
来て 高低
着て 低高
切って 高低低
聞いて 低高高
切手 低高高
というのが、トーキョー弁アクセントです。
これを関東人が言うのを、フクイ人はほとんどの人が聞き分けられません。
そして、聞き分けられなければ、高い低いの違いを発音することもできません。
そして、それは当たり前のことなのです。
わたしたち日本人が、エイゴノ RとLの発音の違いができないのは、
そういう発音の違いを意味の違いとして聞き取る必要がない世界で言葉を使っているから。
中国の広東語圏の人はダジズゼゾとラリルレロの発音の区別がなかなかできません。
クチノウゴキガ 近接している音声で区別がないからです。
スペイン語では、特にわたしたちが体験した南米では、
ジャジュジョとヤユヨの区別もありません。
だから、わたしは名字は言いません。
とんでもない発音で聞きたくないから。
比較言語学は、もしも百五十歳まで生きられるなら、
わたしが楽しみとして徹底的にヤりたかったことです。
わたしは好んで「トーキョー弁」と使いますが、
ふつうは「共通語」と言います。まあ、テレビなんかが使ってまする。
標準語という言い方は、やや古く今はあまりふさわしくはありません。
あとはまたあらためて…。
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2014.04.01 Tue

ケイコの朽ちかけたハナアソビガ再開。今日と言う日が変わらぬうちに、二人のスペイン移住を発表いたします。
その背景、輪郭、そのこころはこの日のこのブログで、少しずつ物語りますのでお楽しみに。
予告編も本編も、自由な思いはばたく、エープリルフールの日付で展開します。
ふふんだ。同性婚はディズニーランドだけなんて国、捨てますわ。
亡命申請受理されました。
続きは4日以降。この日付で。
ケイコ
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2014.03.04 Tue
ガ人格と、モ人格…助詞の多用から見る思考の違い
かなり専門的な内容になるので、ついていけない人にはごめんなさい、
って最初から謝ります。
私は日本語教師で、
しかも、40代で、今のうちに勉強しておかなきゃーって、
大切にとっておいた楽しみな勉強を教育能力検定の受検も含めて、
してしまって、日本語文法の骨子を、一応すみずみまで理解した人間なので、
ここに助詞から見る、人格というと大げさだけど、
まあ人柄というか、特性の違いも書いてしまおうという訳です。
いやいや、これは執筆中の本のラストスパートの副産物です。
それに、文法がとことん判ったほうが楽に言葉を発することができる、
自閉症スペトクラム度が高い人間向けの文章かもしれません。
文法というのは数学に近い。
日本語に精通していることを文化系と勘違いしている人が多いけれど、
これは違います。
文法がとことん理解できるときの恍惚感と、
微分積分が面白くて、高一の時、教科書を渡されてすぐ全冊読んでしまった、
その時の感覚と陶酔感は非常に似いてる気がします。
と言いつつ、微分積分忘れています。
本か何かで、もう一度勉強して、あの陶酔感を味わいたい。
あああ、前長いなあ。
もともとベロ亭の名づけの元になったヒデコの出していた、
『個人誌に終わらせたくない個人誌 ベロ』。
あの3号は、私たちは出逢った最初の半年の往復書簡を、
実は全部掲載して、一冊の冊子にしたのです。
はい、幻の『ベロ 3号』です。
その時も二人で発見しました。
二人の文体の違いです。それについてはここに挙げません。
また、いつかね。
それと同じように、ここのところ、
私の書き上げた原稿をヒデコに確認してもらう作業の中、
ヒデコはつくづく、ガ人格。
私は、つくづく、モ人格だという発見をあらためてしています。
今、日本語学のテキストや研究書は手元にないのですが、
えっとー、マキノなんとかという、
プリンストン大学の日本語の教授が、
日本語の助詞の研究をものすごく面白い角度からしている本があります。
それで刺激されたのですが、
ヒデコと私の違いを私の原稿チェックで見ていると、
おのずとマキノ先生が言っていた感覚と私の感覚が重なって、
甦ってくるのです。
引き込む、惹き込む「も」。
それも、これも、だれでも、どこにも、
いきもかえりも、…「も」感じて読んでました?
それから、日本語の助詞「に」はめちゃくちゃ多様な顔があって、
ものすごく難しいのですが、
これはヒデコはやや苦手、外国人みたいだねって笑ったことも何回も。
私には「ニ」人格もあるのですが、
これは「に」について説明が要るので省きます。
引きこむ「も」は、本来、外向けには自信がないとも言えるし、
内向けには、ものすごく自信があるとも言えます。
もっとも限定していく助詞である「も」は多用は禁物です。
言葉の含蓄が狭く深くなっていくからです。
でも、私はだからこそ、「モ」人格なのです。
ヒデコは、「ガ」人格です。
空が青く、鳥が鳴いている。
情景描写が「が」が多いのは、
情景全体が主人公だからです。
そして、「ガ」を多用する人は、
ものすごく外界に対して、ある種、無条件な明け渡しや、
時には信頼を持っていたり、
時には、子どものような自我を横たえています。
情景描写のような無前提で自明な人格として、
世に認められやすいということです。
と同時に、時に内面的な自己分析には弱い。
弱いというより、する必要がないのです。
いえいえ、これは今のヒデコには全く当てはまりません、
自己分析してますから。
私とは違う仕方でしていますから。
ただ、基本的に、あるいは骨子としてある人格というか、
脳細胞の動かし方、
行動と思考の関連づけのような辺りが、
こんなふうになっている、と言ったらいいのでしょうか。
ガ人格の人は、
ある意味、自分を疑うことを知らない場合が多い。
ヒデコは当てはまりませんよ。
なんたって、私と一緒に生きてきましたし、
五人の子どもを育ててきたし、
信じられないほど、やきものを作りに作って、
生きてきた中での、別種の社会的精神的な疑問は、
山のようにある訳ですから。
これは生まれつき身についている脳の回路みたいなものの話です。
ガ人格の人は、
自分の疑い方を知らなかったり、身につけなかったりで、
すんでいる場合もある。
ある種の深い質問に、
「えっ、この私が、この私が…、
この私が、私が、まさか、私が…」
と発するのです。
驚きのままに。
ここのところを、
「えっ、この私はそんな…」という感じで、
主語の後にテーマ性を浮きたたせる「は」が来る人は、
もう少し、自省する訓練をしているはずです。
なぜなら、「私は」という時、
すでに人は、「私」とは何者か、という思考回路に立っているからです。
何が書いてあるか、
おそらく少なくなっているだろうこのブログの読者諸氏、
おわかりでしたか。
少し何かに触れた、というだけでも、
拍手していただければ幸いです。
推敲、加筆訂正、全体の整理。
言葉から事実へ。
孤立の二重性、三十性。
社会的な孤立と精神的な孤立。
特性としての孤立やすさ、などなどをテーマに、
仕上げに精出している我が処女作。
処女作、という表現をこの際だから、
堂々と使わせていただきます。
私は女だし、本は女々しくないし、
それでも、一度くらい使ってみてもいいでしょうし。
推敲のすきまから立ち上がってきた、
ヒデコ人格とケイコ人格のお話でした。
ご精読ありがとうございました。
オツカレー。
遊び心で書くのに、およそ二十分かかりました。
ケイコ
| ケイコの言葉遊び
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