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つながりを作る基本をソラサナイ、ネット作法は?

緊急にお願いします

ヒデコがしているフェイスブック、ないしはラインに、
わたし…ケイコが手書きで書いた、
精一杯、丁寧に書いたつもりのメモ、ないしお手紙に、
返信するのは控えてください。

ヒデコは、今、陶芸教室などで超多忙をきわめているだけではなく、
上記の二つのネットは、ヒデコ個人がしているものだからです。

ヒデコ経由で、
「ケイコちゃんからの手書きの手紙がうれしかった」
と聞くというのが、どれほど異常なことか、せめて意識してください。
嬉しさも帳消しだということに気づいてください。

車いすに乗った主役には答えず、
隣りの介助者に口を利く、
身体障碍者に慣れない健常者みたいな真似は、やめてください。

いや、私は全然、そういう障碍者でもないんですけれど、
こんな譬えが浮かんじゃいましたよ。

このジャーニーの連絡以前から、
そんなことが、きわめて大切な事柄でも続いていて、
私の手書きの長い手紙に、
ヒデコ経由で連絡という、私個人へのスルー続きに、
唖然とするのが、すでに何回もかさなってもいるのです。

むろん、お相手の方が
ある種の特性の持ち主でしたので、その都度、
ご指摘させていただいてはいますが。

単に連絡事項だとしても、もちろん私ケイコは、
フェイスブックやラインでは回答できません。
早く連絡しよう、と思ってくれた気持ちは、
汲み取れはするのですが。

それに、この機会にせっかくですから、
こういったネット環境にいる人は、
全国民の二割から三割だということも知ってください。
それ以外に、生身でリアルに生きている、
ネット環境にない人たちを意識できるようになってください。

ベロ亭の電話番号、PCメールアドレスなど、
ベロ亭への連絡方法は、
今回の軽井沢でのジャーニーの、
フライヤーの末尾にすべて記されています。

私個人にあてる携帯メールも書いてあります。
すでに、私の携帯メールを知っている方も多いと思います。


私、ケイコに連絡するのを、まさか避けている訳ではないのでしょうが、
少なくとも、そういう人たちからの連絡ではないと見受けられるので…
でも、つい手軽で気軽な手段に頼っているうちに、
ケイコをスルーする癖がついてしまいませんかね。(笑)

早い話が、
私ケイコとヒデコは別の人間であり、一心同体ではありません。

それに、こういうことが続くと、
やはり、「ヒデコちゃんも大丈夫じゃないのよ」と語った、
あの番組の心境にもなります。
つまり、私を皆さんやっぱり避けたいのではないか、
という不審な気持ち、
ないしは、杞憂ならいいけれと疑いがむくっともたげるのです。

だって、元の手紙を手書きで!書いたのは私なのですから…。
うーむ、ケイコとのやりとりも楽しいって忘れちゃうよ。


おととい、きわめて良い電話での語りあいが、
長野県にお住まいのある方とできて、
その方宛に、深夜三時頃お手紙を書いている途中に、
突然吐き気がして、実際にありえないほど吐いて、
一日昨日は、鍼灸治療の日というのもあり、
過労かなって、少しやりすごしながら、
それでも発送作業を一手に引き受けてやり続ける時間が続いています。

何十通の一人一人に思いをはせながら、
発送作業をしています。
少しでも、そんなプロセスがねぎらわれるようなプロセスと共に、
そんなイベントをも迎えられればと願っています。


まあ、こういうことを書くと、
余計な気づかいがまた生まれるのかもしれません。

でも、余計な気づかいのほうが、やはり余計と言わねばなりません。
うん、そうなんだよ。
余計なんだよ。

皆さん、「ネット障害」に陥らないでください。
「ネット依存」に陥らないでください。
ネットをうまく利用することまでは、もちろん否定しませんけどね。

だから、必要な範囲というのはわかりますが、
人間としての筋まで、この障害や依存で見失わないでください。

一本の電話すらできない時代の闇が、
ジャーニーを始めようとしている今、
一気におそいかかってくるようです。

できるものなら、少しは目に見える相手、声の聞こえる相手と、
やりとりしながら、ジャーニーの第一歩を踏みだし始めたいと思います。

キャラバンもそうだったように、
ジャーニーの言いだしっぺは、私、ケイコなんですよーだ。

とりあえず、緊急にお知らせしたい気持ちで書きました。

ケイコ

追記

このブログを書いてから、
しばらく会っていなかった二胡の友情出演する人の家に行って、
しばらく勝手口で立ち話をしました。
会えるっていいな、と思いました。
でも、こんなに近くとも、会わないと募る不安もある。
払拭できました。のえの日記と出逢いつづけているようです。

それから、帰宅して、ヒデコにラインで「ケイコちゃんの手書きの文字がうれしかった」
と言った人に電話し、留守電に入れました。
しばらくして、折り返し電話があり30分以上話しました。
電話線を通していても、やっぱり肉声っていいなって思いました。
映画「チョコレートドーナツ」や「夕立の道」、
それから、あまりいただけなかった「キッズオールライト」の話もしました。

会ったり、電話で話せなくとも、
このブログのコメント欄もあるのになあって思っていたら、
久々に書き込みがありました。

ふふふ、皆さん、ありがとう。
出逢いつづけられる時間と空間の広がり深まりを、
信じて一歩一歩…なんてね。


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| ネット社会で | 16:40 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ガラパゴスは進化の宝庫・ネット「村八部」をかみしめながら

ガラパゴスは進化の宝庫・ネット「村八部」をかみしめながら

最初に、携帯電話を持つようになって、何年たつだろう。10年は使ったのかな。2台目。
ガラパゴス諸島のリアルな実態を知らない人たちが、この携帯電話のことを、もはやガラパゴス携帯と呼ぶ時代になった。スマホ、アイホン…。おかげで、ベロ亭とのつながりを復活してくれた近場の人もいるにはいる。

会える関係はいいんだ。以前から知っている人との関係もそれでいい。ネットがあって、パソコンや携帯のメール交換、もちろん電話での話もあって、実感が続いていく。それにしても、人の肉声を聞くこともきわめて少なくなった。電話の話だけれど。

今日、私としては、かなり悲しいネット上の事件があった。会話のあるソシアルネット。しかし、なんでソシアルネットというのだろう。こういうツールは本当に社会性をつちかっているのだろうか。

私はまずヒデコが書いたその内容をパートナーとして分かち合う。きわめて現実的に分かち合う。一緒に経験することは、最近はこの地元では少なくなっているけれどね。それはあくまでも、リアルな現実。

それをヒデコが、ネットで見た人とやりとりできるツールに、まとめて書き込む。
そうして、私の手の届かないところでやりとりが始まる。

たまーに、そのツールに私はヒデコのアイコンで入り込んで、たまらなくなって書くことがある。今日はその三回目。めったにはしないようには努力しているんだけれど。
がまんできない話題。これを言わせてはおけないよってテーマ。

今日は、歯医者に出かけるヒデコに向けて、そのツールがマーク・ザッカーバーグというアスベルガー症候群の米国の大学生が、一人も学内に友達がいない状態で生み出したツールだということを書かずにはいられない気持ちにまでなって、ヒデコに断ってそう書いた。

私はヒデコを通して、定型発達の研究を進めている面もある。だけどね。ここまで、こんなふうにこんなやりとりをしていていいのかな。そう思った。最初の彼女の文章の真意がこれでは違ってしまう、そう思えた。ネット村社会にもの申したくなったのである。

詳細は省くけれど、そして、私自身、「ネット村社会」向けの人間ではないから、このツールをやる気なんてさらさらないけれど、「きっちり言葉を書く物書きには無理」なんて言われてものすごく悲しかった。ヒデコが、「本人がネット村社会は無理」と言っている、ときちんとおさえてくれたけれど…。

携帯だって、メーリングリストがある。のえは、このツールでさんざんな目に遭っている。あれは相当、のえを追い詰めたことは間違いないと私は確信している。自分には不向きだと、のえも悟っただろうけれど。

のえはそれでも、自らブログをつくり、日記をアップし、掲示板ではファンとのやりとりもしていた。ライブあってこその掲示板だったんだと今日気づく。

私は…。

自分から、あるブログからすっかり身を引いたことが、まず浮かぶ。ニューヨークに住むレズビアンの次世代カップル。とっても良い出逢いをしていたし、ニューヨークで同性婚が認められたときの様子など、リアルタイムに沢山の写真で知ることができたのは、このカップルとのブログつながりもあったからだ。

ところが、彼女らの一人の愛猫のかわいがりっぷりに、ただただ「かわいい、かわいい」と言わなかったことから、怒られた。猫というのは、そもそもヒモでつないで散歩させたり、閉じ込めて飼ったりっていうのを信じられない気持ちを、やんわり出しただけだ。ネズミを食べて、しっぽとある臓器と頭をのこすなんてのは、野性をのこしている猫の常識だと、私は今でも思うし、この話が通じる人は今も沢山いる。

しかし、猫はもはやペットではなく、生きたぬいぐるみなんですね。
かわいがっている猫のことを、「かわいそう」と言ったら、向こうが切れたね。
自ら、このブログからは撤退しました。
カップルのもう一人から丁寧なパソコンメールが来て、おつきあいを続けたいと言われましたが、無理だとお断りしました。残念ですが、無理だと思いました。

もう一件。
この地域出身の「アスベルガー症候群」を売りにしている歌い手さんのことです。
彼女がこの市内で帰郷ライブを、まあよりによって自殺予防月間のイベントなんかで、しかも、のえの追悼ライブをやった大ホールで…のえの追悼はその廊下みたいなところだったけれど…やったときのことです。それ以前の大阪でのいきさつは省きます。
大阪の仲間はきわめて彼女に対して醒めていたけれど、東京の人達は熱狂的に信奉していましたね。今も多分…。

私は彼女のライブを聴いてから、この歌い手さんのブログに、のえのことも含めて親近感をこめて書き込みました。

「よくないです。おやめになったほうがいいです。」
と本人から、まるで自分の体験からさとすように言ってきました。
ある程度の回数のやりとりをした上で、筋を通すということを全く知らない、ワガママアスペさんに過ぎないと悟って、かかわりもやめました。


実は、私の誕生日の直前頃には、やはりヒデコのやっているネットに、やむにやまれず書き込んで、…そういうときは私であることは明らかにもちろんしています…、それはきわめて私の人生にとって重要なテーマだったからですが、最初の書き手はどう受け答えするか、その内容ゆえに悩んだようですが、結局、無視されたかのような状況になり、二人の次世代がフォローしてくれて、少しだけ救われたこともあります。
これは、近いうちに、このブログに加工して転載します。

そして、実は昨日のブログも、そこからの転載です。「トークバック」についてのね。

違反をするくらいなら、やればいいっていう意見も今日ありました。
でも、私はきっちり言葉を使う人だから、同じ人から不向きだろうとも言われました。

なんか、やはりものすごい不当感が募ります。それって「偏見」だよーって思います。
私の冗談が通じる人は少ないの。きわめつきの冗談やりあったり、そういうのしたいなあって思います。でも、その前の思考の蓄積をしている人が、日本社会にはきわめて少ないので、まずはやや真面目に、ときには大まじめに、ときにはケイコ節で、このブログで書くしか、私としては方法がないのです。

いやはや。
最近はそれなり長いメールも、疲れて寝転がって携帯で出します。パソコンにするときは、よほどの用事のときですね。

肉筆の手紙はものすごく貴重。
それが悲しい知らせだったり、唯一の習慣みたいな年賀状で、このときばかりはーって感じで、悲しい思いをするのももう沢山。

高校時代の親友は今でも、封書の手紙をくれます。まあ、ネット世代ではない世代がまだまだ「伝統」を守ってはいますけれど…。

今日、ヒデコとゴー君が、窯場の棚つくりやら、それに伴う、やきもの材料の大袋の引っ越しなどしていて、大昔の福井新聞が出てきました。字が小さい。
「わっ、福井新聞ですら、こんな小さい字だったんだ」ってやや問題発言をしていました。

ゴー君が生まれる前の新聞。しばらく彼は見入っていました。大事な昭和の資料として取っておくことにしました。彼は社会的な事柄など、色々と紙面から知らない情報をわたしたちに質問しました。抵抗している市民がいた時代だったと、彼が読み上げる記事から判りました。

ネット社会ってなんなんでしょうね。

のえは新聞が大好きでした。配達も小五から、雨の日も雪の日もしていたけれど、読むのもものすごく大切にしていました。

私は最近、テレビも見ないけれど、新聞もへたをすると日曜版の書評も読み忘れそうになります。うちは、福井ではめったに見られない朝日新聞ですが…。

今日、あらためて、ゴー君と「才能の孤島」の話をしました。
自閉症スペクトラム圏にある人に、けっこうある傾向なんですね。
他の対人スキルはなかなかでも、ある種の事柄のみ、秀でていたりする場合。
のえの場合は唄。声。

ゴー君もあるよねっなんて、話してました。

ガラパゴス、孤島携帯だって、
私は最初に持つときには、抵抗しました。長い間、抵抗していました。
たった一人でいるときに、一人になれないなんて、なんてひどいことだろうと思いました。
孤独は創造の源泉です。一人で、全くのマイペースでいたいときもある。

ヒデコになにかあったときの連絡ということで、やむなく承伏した次第です。今では使いこなしてはいますが。まあ、全ての機能ではないかもしれませんが。

シリコンバレー症候群とは、ネット産業の聖地みたいなところから生まれた名称です。
コンピューターは、自閉症スペクトラムの才能の孤島から、めきめきと発展をとげました。


これが人類の歴史のアイロニーと言わずして、なんと表現すればいいのでしょうか。

私はこの「ガラパゴス・ブログ」で、ひたすら進化を続けるつもりです。年末年始頃には、少しとんちんかんなコメントに、実は芯から参りましたが、それでも、最近はなぜか五つ止まりの拍手を糧にしつつ、濃い濃い出逢いを紡げていることで、自分をもねぎらい、人様をも、ときには刺激できているということを誇りに思っています。


板についてきた「ケイコ節」ゆえに、あの「よっこらしょ」の出逢いでは、まさにトーキョー弁の「ベランメイ調」で、しゃべりまくっていて、我が言語、我が話し言葉すら取り戻した感があります。

リサーチするとこのブログを見ている人は相当数。
拍手できない心境でも、コワイもの見たさか、芯からの面白さかは知りませんが、見ている人も含めて、ガラパゴスの孤島の、限りない進化を生きている限り、見届けていただければと思います。つまり、私が生きて書き続けることができる限りってことですが…。


ガラパゴス諸島は、正確には諸島です。
集まれ、ガラパゴス。

エクアドルに住んでいたとき、行こうとして行けなかったほど、旅行費用が高かった島。
その代わりに、ペルーではミニガラパゴスと言われている、海からすぐの島に行って、ペンギンの群れとか見ましたけれどね。


観光化すれば、種の保存も進化も危うくなります。ガラパゴスは本当は、誰も足を踏み入れないほうが良かったのかもしれません。

そんなふうに孤高の輝きをのこして、地球という地上を去った、世界の辺境を生きた人々のことを書いた長田弘の「私の二十世紀書店」、ものすごい本です。
孤立しても孤立しても、人は輝いて生きる。孤立へと追い詰める状況が人をむしばむことは避けられないけれど、誰のものでもないその人自身の孤独は必要不可欠なことです。

孤独のなかからの、本当の発信をこそ、信じたいと思い直す、そんな「ネット村八部」のあとの、静かな深夜です。

ケイコ

| ネット社会で | 01:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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食べることと主張することの狭間で、やっちまうかヒデコ

久々にヒデコです。
変なことばかり起る。

2012年の秋の個展、地元の話です。
私が、福島をテーマに
「避難区域内に残された動物」と題して、
なくなったばかりでまだ生暖かい牛さん、次に硬くなってしまった牛。
そして再起し、骨だけで佇立する牛を3体作り
それぞれ、手前の2体には落ち葉を(これはやきもので)
再生した牛は、一斗缶とおがくずを置く、という設定で
東京でも発表したが、地元でも少し変えて設置した。

ところが、オーナーは「原発に反対だが、」と前置きをしながら
今現に、働いている人が居るのに、原発はとめられんやろ、という。

「僕が、その会社の社長なら、汚染されていてもほんとうのことは言わない」
という人だ。
どんなに、私が個展をするのがいやだったかしれない。
だが、他の利用者より、売り上げも大きいし、歳も上だし人間も大きいから
我慢してくださっている。

ときに、FACEBOOKで彼に批判的なことを書くと、
職権でか? 意見を消される。
消せない場面でも、自分の意向を通すために
そんなことなら、他で言えとメッセージが来る。
こういうネットの使い方は、最低だ。

私は、女たちや、弱者だったり生きづらい人たちに
FACEBOOKで語り掛けている。
だが、その人を守れるのは自分だと思っていて
私が「女」の立場で言葉を投げかけると、
そういういっぱひとからげの言い方はまずいとくる。
私がだよ。
そして私が女性の権利を、あおるとさえ言う。

一人一人にこんなに気を配れる人はそうはいないし、
我慢づよ過ぎて問題があると言われるくらいのこの私が、
あおるわけなどない。
言うまでもないが、彼があおっている。
ああ、男らしさの見せ所なのか。
マッチョだとは隠したいようだが。

ある人の、プライバシーもあるので書けないが、
その人自身の弱さの問題、発達障害の問題もあると思われるが
その人のダンナの実家との問題が元と言えば元。
この地の、ヨメと家問題を抜きにやはり語ってはいけない。
それを、このオーナーは見るなと言うのだ。許せない。

ネットに対して、同じ土俵(FACEBOOK)で私はやらない。
でも、書きました。ブログで。

ちょっと待ってください。
今日の題名を見てください。
「食べること」
年間、この場所で、たった20万ほどの収入です。
この食いぶちが、このブログで消えるかもしれません。
その事を覚悟しても、書かずにはおれません。
ネット怖いけどね。

改めて、表現できたり、やきものを売ったりすることを
ここにたづねてくださる方々に
応援してもらわねばならないでしょう。
応援してくれる?

きょうもでケイコは11日間も声を失って
筆談している。
ずっと一人で声を出している中で、
地元の状況がこうだからめいっている。

ヒデコ あつ、私はコメント可です。


| ネット社会で | 23:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ヒデコのツイッター遊び

なんだか、ツイッターの外でケイコが遊んでるので
私が、ツイッターで遊んでる理由を
書いておこう。

こんな山里で、ケイコ以外の誰と話せるというのだ。
気軽に。

こんな山里、県庁所在地からも1時間、海に5分山に1分
コンビニに15分。みんな車でだけど。

こんな山里で、どうやって、原発の真実を聞けるって言うんだ。

こんな山里で、ウガンダや国連で、東京で、和歌山で、徳島で
セクシャルマイノリティーがどうしてるかって
誰に聞きゃー教えてくれるって言うんだ。

ツイッターに入っていって
ほとんど娘や息子より若いやつばっかりで
う、う、う、
でも、日本語を話している
聞いているうちに、見えてくる顔、顔。

想像力をめぐらせて、聞いてみれば
情報としてだけでなく、心ゆき、雲行き、暮らし向きも伝わる。

許せない感性は、ブロック。
それで、入ればその世界。

とにかく、狭いけど、使い方は自由。
とりあえず、いい人らしくても孫さんとかフォローしないし
万人とか数千人を相手にしている人とは付き合いにくいから避けてるけどね。

私達の世代は、ツイッター上はいないことになってる。
たまにはいるけど、
男かなー。気持ち悪かったりする。
我慢して、少し購読することも。

私の世代は、何してるんだろう。
これは、結構いけるツール。
呼びかけ、話しかけ、DMで親密にも。
友達さえできたよ。

ありがとう。

| ネット社会で | 00:41 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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メキシコシティーに着いた

itiba

いつもの中南米への旅は、USAを経由する飛行機会社だったが、今回はメキシコシティーにダイレクトに着陸し、タクシーで、ホテルに横付け、まるでどこかのツアーに参加して、よその国に入国できたみたいに楽だった。
ケイコが見つけていた店に予定通り、ベジタリアンレストランにすぐゆき、遅い昼ご飯を食べた。豆や唐辛子の料理に二人で、大満足で直行便だったアエロメヒコ航空でも、ベジタリアン食を注文できたから、高度2000メートルを越えても、お腹が苦しくない。
さて、ホテルの部屋で、持ってきた鍋に、携帯用湯沸かしで、暖かいお茶でも入れようかと、電源を入れた。ところが故障していた。
二人とも泣きそうだった。ベジタリアンを通すために、湯を注いで食べられる日本食をしっかり用意してきたからだ。
1日一食は、日本食を通し、あとはおいしい、メキシコ料理を食べる計画なのだ。
そうすれば、経済的にもだいぶ節約になる計画だったのに?
そこで、サバイバーのヒデコはドライバーもないのに、ナイフで湯沸かし機を分解。3時間かけて修理した。
福井を出るとき、野菜がゆだるかテストした時どうやら壊してしまったようだ。
一瞬湯が沸く音がしたが、もとのもくやみだ。
「そうだペルーでポット型の湯沸かしあったじゃない」とケイコ。
それで2日目は5件聞き回って、電気ポットをみつけた。親切に教えられながらも、なかなかたどり着けなくて、二人で楽しくて仕方ない。
すっかりラテンアメリカを味あえるからだ。5時間ほど首都の繁華街から、危ない市場の通りまで歩き回り、朝のパンやチーズ、アボガドやトマトを買って帰った。もちろん、早速、まごへのおみややげや、民芸品の買い物もし、安くて新鮮なジュース屋さんや市場の食堂も初日にしては上出来だった。
大満足の一日だった。
夜はケイコが酸素不足でじんましんがでて、じんましんのツボにお灸をした。成田で取り上げあけられてマッチがなかったが、いいホテルで備えつけのマッチがあって、またまた満足の初日だった。
買い物した野菜やチーズはホテルの氷で冷やし中だ。
私たちの旅の醍醐味はサバイバル度を楽しむのです。でもホテルはかなり上位の安くてよい、ホテルジローです。
それから日本の娘の手術も成功し、悪性の心配はなかったようです?

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