報道ステーションの「子どもの甲状腺ガン隠蔽への疑問の投げかけ」から、
ニッポンの「ないことにする・向き合わない体質」が透かし彫りに!
今なら観れる。ある方のブログから。
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann-tanosiiburogu/archives/51915631.html今日は3年目の3月11日。
私はどうしても自分の側の先立つ悲嘆が大きな課題でありすぎるから、あえて、そう、あえてだけれど、この北日本と東日本の現実には目こそ背けないけれど、積極的に動いたりする余裕なく生きてきた。私の現実を徹底的に生きることが、フクシマの現実に通底すると思って、自分の向き合うべきことに歯を食いしばってここまできた。
報道ステーションで、子どもの甲状腺ガンが通常の三十倍くらいの率で発症しているにもかかわらず、福島県立医大も福島県も、その症状の出た子どもたちの情報を操作し、実情が判らないようにしてきた現実が、丹念な取材で明らかにされた。
チェルノブイリでは4年目から精密なエコー装置がやっと導入されて、その年からやっと検査が積極的にできるようになった現実を無視し、3年目に出るのは、今までの知見からはありえない、などと、のうのうと言ってのける、お偉いさんやら、ましてや医師までが映し出されていた。
どんな取材よりも心に残ったのは、顔も隠し音声も加工して出演した、甲状腺ガンに罹患した子どもを持つ母親の語りと、もう一人のやはり手術を受けている中学生の語り。
その母親は、夫と子どもが「もう放射能の話はしないで、と言うんです。だからうちではできません。」という現実を切実に語っていた。家の中で、甲状腺ガンに子どもがなっている状況での痛切な現実。
それは周りに知らせられないからだし、誰も向き合おうとしない現実に、家族だけが向き合えない中、家族の中ですら箝口令がしかれてしまう、『隠蔽』の果ての悪循環が物語られてもいるように見えた。
中学生はすごかった。「大人は情報公開してほしいです。本当のことを教えてほしいです。」とおそらく女の子だろうと思われるその子は語っていた。
次々と、「隠蔽」側の釈明的インタビューが映し出された。
次々と、現実に向き合おうとする医師や、ジャーナリストの姿も映し出された。
釈明側の物言いや姿勢、顔つきまで全て、ある現実とかさなっていった。
私が今回仕上げつつある本で、何を書いているか、ほとんどの人は本当は何も知らない。
私は私の主人公の、ある診断における誤りとも言える側面に向き合って、ある医療機関と合わせて15時間くらいの話し合いを重ねている。
むしろ診断を出した医師ではなく、その責任を負うトップの物言いが、こういうポストにいると、まさに釈明にたけた人間になるんだな…と思い知った、私のその時の実感。
その時の実感と、フクシマの子どもの甲状腺ガンの本当の事実をなんとか覆い隠そうとする側の、今日の放送の様々な顔ぶれとその話しっぷりとが全く重なってしまったのである。
箝口令。隠蔽工作。
その極限みたいな現実を生きてきた見てきた、
私の側のテーマのはてに、
今日、ずっと開けずにいた本を一気読みした。
ある監察医が書いた『自殺の90パーセントは他殺だ』である。
前に開けなくなった頁は飛ばした。
買ってすぐ、もっとも苛酷な描写のところを開いてしまったのだと判った。
あとはすらすら読めた。この期に及んで腹が座ったのもあろう。
本のタイトルの通りの、いじめや孤立のはてに自死に追い詰められていく日本社会を、シンプルに骨太に書いた後、彼の実体験に基づく、すさまじくも説得力のある記述が展開される。
いやいや、自殺と処理されている何パーセントかに本物の「他殺」もあるんだよな、というのは前々から知っていたけれど、ますます思い知らされた。
逆に、自殺を隠すしかない、隠そうとする家族側の切実な心情に、嘘はつけない監察医として、毅然と迫る描写にも説得力があった。
いくつかの基礎知識も得た。
私はもしかしてある種の、この現実の現場に居合わせてしまったら、
少しは今日のこの本で見分けられるようになった事実が、
あるやもしれないというほどには…。
秘密。隠蔽。箝口令。
向き合わない、見ない、ないことにする、何も考えようとしない国民性。
不安にさせるという口実で、より不安と恐怖を置き去りにする日本の現実。
みんなみんな同じだよな。
全く重なるよね。フクシマの具体性には向き合ってこなかったとも言えるけれど、
私が向き合ってきたことと通底する課題をそこに見た。
そう、3年目の今日に…。
黙祷していて映像にされる人々の一人一人にはどれほどの3年間があったか計り知れない。
でも、モザイクをかけ、顔を隠し、音声を変えなければ、本当のことを言えない、
そういうフクシマがもう深く深く進行している事実に震撼とする。
それを中学生が真っ正面から「教えてください」という姿に心が揺らぐ。
母親が家族の中で、ホウシャノウという言葉を言えない現実を語るのにぞくっとする。
どちらもすでに甲状腺ガンとなった現実の中で…。
実は、私の本の主人公にもつながるある人が、去年の秋に東京で数十年ぶりに会って、
歩きながらの別れ際、甲状腺ガンの手術をしたと知った。
彼は子どもではない。もういい年の人間だ。その人は言った。
「カラオケに行って、高い声が出ないんですよね。
医者にトレーニングですよって言われるんですが、
トレーニングをこの年でしろったってねえ。
東京もチェルノブイリですよ、もはや。」
大人の発生率がどのくらいで、東京都がそういう現実に向き合っているかどうかは把握していない。しかし、心ある人たちの実感というところから、まず入っていくしかない現実ってあるのではないか。
数十年ぶりに、娘のことを分かち合った、唄のうまかった昔の彼の姿を、ふと思いだし、ここにもフクシマがあることを、それを私の主人公が天国で知ったらどう思うのだろうか、と私は目まいするように思った。
今日地元のある人と束の間話した。
「誰もこの土地のことを悪いなんてひとつも思っていない。なにも考えてはいない。
本当に善良に芯からそう信じている。」
ノーモア・チェルノブイリ
ノーモア・フクシマ
そして、数時間後でも数ヶ月後でも数年後でも、
たった今も、ノーモア・フクイ
そして、
ノーモア・シークレット
ノーモア秘密と隠蔽工作
そして、何よりもノーモア「自殺」
中学生の加工された音声の向こうから届いてくる心情が痛い。
「どうか情報公開してほしいです。本当のことを教えてほしいです。」
この中学生も甲状腺ガンになっている。
2014年3月11日 3年目の「その日」に、
それぞれの「その日」を思いながら
ケイコ