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日本人はこの3月11日を日本の命日とし、2度と原発が動かないようにこころから 遺された人と共に、再稼働を止めたい


英子です。
もうすぐ3月11日です。
さっきニュース23でも、伝えていましたが、
直接の震災の被災でなく震災関連死が、3396人と言われていました。
特に福島県ではその6割だそうです。
3月11日は、日本人の命日になるのではないか。
番組に出ておられた、キャベツ農家で自死されたたるかわさんの息子さんは
何度も画面のなかで、唇を噛んでおられた。
そして、今も怒りだけですと。
私も、たるかわさんの気持ちが痛いほど感じ、私の体もかたくなった。


自死があれば、その遺された家族の多くは壊れていまいます。
遺された人もまた倒れそうになりながら、なんとか踏ん張っておられる。
原発が、もう一度動くなんて、普通は考えられないことです。
それなのに、福井でも再稼働してしまいました。
しかも先日、高浜4号機はきわめて危険な4レベルの緊急停止をし、
それでもまた再稼働しようとしている。

私は、高浜原発の前まで行って、阻止しようとしましたが動きました。
仲間と、11日にあらたに裁判に訴えて再稼働を止めようとしています。

自死遺族の苦しみこそが再稼働をとめる力としたい。
まだまだ増えてしまっている震災関連死。
日本人はこの3月11日を日本の命日とし、
2度と原発が動かないようにこころから
遺された人と共に、再稼働を止めたい。
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| 原発を許した国で | 23:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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バネッサさん。応援しています。 提訴された時点から力になれないものかと真剣に思っていました。

英子がシェアしたのを恵子がここにシェア。
提訴された時点から力になれないものかと真剣に思っていました。
自死で遺された家族が気力を維持する並々ならぬ大変さ、
一回一回の誰かの物言いで、粉々にされる大切な気持ちを知っているからです。
バネッサさん。応援しています。
私にはフィリピン人の生徒さんもいました。
日系ブラジル人で過酷な労働のさなか自死した人も知っています。
だから、「外国籍住民」とリーフレットには入っているのです。
途上国と日本の落差のなかでぼろぼろになっていく、
貧しい国の人々のことも、ペルーでエクアドルで、
とことん思い知りました。骨の髄まで、使い尽くして。
そして、9・11は、くるべきときが来てしまったとも思えました。
バネッサさんに、日本は冷たい国だと思ってほしくはありません。
MUCHA SUERTE VANESSA!!!

| 原発を許した国で | 23:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ちょっとした良かったりビミョウだったりの情報操作…再稼働差止め報道から

ちょっとした良かったりビミョウだったりの情報操作…再稼働差止め報道から

大飯原発再稼働差止め判決の出た今日の夕方、250キロ圏内の原告の一人のヒデコが、判決には間に合わずに、大慌てで仕事の段取りの区切りに、遅めに集まりに出かけてから。
6時10分からの地元福井のNHKの放送と、7時のNHKの全国放送と、10時前からの『報道ステーション』と、久々のテレビ、久々のテレビのニュースを見てきづいたこと。

NHKの福井放送局と、全国放送では、同じ大飯町の住民のおばあさんと若い女性のインタビューの切り取りかたが全く違ったこと。

福井のほうでは、おばあさんはまだ微妙な言い方で、住民の一人一人は芯からはこうあってほしいと思っているだろうけれど…、というところまで。
若い女性は、みんな住んでいるから関係ないってことはない訳ですから…、という感じだったかな。

それが、全国放送になったら、おばあさんは「これで良かったです。」。
女の人も、ものすごく肯定的なところで語っていた。
詳細までは記憶していないけれど、同じインタビューのどこの部分を切り取っているか明瞭に判った。
全国放送は、訊きに訊いたあとに「こたえ」となった部分なのだ。

地元福井では、微妙なところも含めて出さないと住民感情がどうなるか判らないし、まだ早い時間だったから、福井放送局としても迷ってそこまでの出しかたにしたのか。
全国放送では、もうこれでいいって感じで、発信したんだろうな。

これって良い情報操作なのか、ビミョウな情報操作なのか。

本当に、ドキュメントもニュースも、ノンフィクションも、場合によってはフィクションだって、物事をどういう順番で、どこを切り取って取り出すかで伝わってくる内容は大幅に違ってしまう。
インタビューされた人も、人から「こう言っていたね」なんて言われた時に、案外とまどうかもしれないよね。

昔、そう20年以上前に、福井県下の郡部で「未婚の母」になった幼稚園の先生が、それゆえに配置転換された「事件」が、読売新聞にあらいざらい本人のプライバシーまですっぱぬかれた。新聞各紙のことは今は触れない。

そのとき、お昼のワイドショーがテレビカメラもって取材に来たんだよね。
私たちは本人と緊密につながりを作っていた最中。

「現場に戻りたいんです」ってカメラの前で語ったって聞いている。それが、全くテレビの放送では映されなかった。
幼稚園の側が、彼女の体型ゆえに、ぎりぎりまで判らなかったろうという擁護説を、地元の医師が、しゃあしゃあとすっぱぬいて語るのを映したり。
あきれたよね。テレビってひどいと思った。


「報道」の名のもとに行われる言葉や行為には、ずいぶんと当事者の心情を無視し、傷つけるようなものも含まれており、そのなかには大衆の潜在的要求がオーバーラップし、社会の人たちの視線が象徴的にあらわれていると感じられることがある。
    若林一美著『死別の悲しみを超えて』 7章「疎外される悲しみ」より


そう、福井放送局は福井向けに、全国放送は全国向けに料理したってこと。
福井というムラ社会の人たちの視線が象徴的にあらわれているし、全国向けに「望み」みたいなものが象徴的にあらわれているんだよね。

今日、二人、判決が出てすぐに飛び出してきて、白い布に書かれた文字を掲げたよね。
あの一人、ヒデコに言ってたんだって。
ドキドキしていて、間違って「敗訴」とか出さないかとか…。

こういうことをここに書いたらいけないかもしれないけれど、こういう事実なんかも、ものすごく「かわいくて人間的な」ことだよね。
彼はあんまり笑わない人だけれど、今日は少し笑っていた。
そして、彼らが話す事柄も、またまた福井の放送と全国放送とでは切り取り方が違ったけれどね。
それは、あの二人の女性ほどあからさまではなかったな。

娘からも息子からもメールの知らせに返信。
娘は、「司法は生きていた」にドキドキしたと、最近トーキョーの脱原発アクションにほとんど参加できていないと、あきらめないでやりぬく意味を見たと、書いてきた。

直接のやりとりがいちばん。
テレビの画面は「虚構」になりやすい。たとえ事実でも、「虚構」になる。

それはテレビ出演で、私たちもいやというほど経験済みのことだ。

「報道ステーション」、がんばってたよ。NHKはやっぱりだめだよね。
今日の判決とかさねて、福島原発の所長だった人が語った、事故当日の重要な情報が隠されていたことを、朝日新聞が明らかにした、それを報道していた。
まっ、これについては詳しくは書かないことにするね。

ケイコ

| 原発を許した国で | 02:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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勝訴した。

窯焚き。また、電気窯になれなくて、もたつく。


どうしても行きたいところがありましたが、いけませんでした。


聞いてください??!


勝ちました。


大飯原発再稼働差し止めを、私も原告として訴えていました。いま、裁判所にいる友人が連絡をくれました。


涙か止まりません。




確かに釜のスイッチいまいれたよな。




なみだが!


勝訴です。聞いてください。


福井地方裁判所は、再稼働の無効を認めたのです。


関西電力も、クニも、この裁判所の判決に、襟を正しなさい。


そして、もちろん福井県知事も!


電力会社は、終始私たちの訴えをシカト状態で被告席にいました。今日のあの人たちの顔が見れなくて残念だ。


また、どうせ裁判ゲームのやうにしか受け止めていないあの人たちは控訴するだろうけど、これからも、頑張る。








HIDEKO.
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| 原発を許した国で | 16:02 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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報道ステーション「子どもの甲状腺ガン隠蔽への疑問の投げかけ」で、ニッポンの「ないことにする・向き合わない体質」が透かし彫りに!

報道ステーションの「子どもの甲状腺ガン隠蔽への疑問の投げかけ」から、
   ニッポンの「ないことにする・向き合わない体質」が透かし彫りに!
今なら観れる。ある方のブログから。
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann-tanosiiburogu/archives/51915631.html


今日は3年目の3月11日。
私はどうしても自分の側の先立つ悲嘆が大きな課題でありすぎるから、あえて、そう、あえてだけれど、この北日本と東日本の現実には目こそ背けないけれど、積極的に動いたりする余裕なく生きてきた。私の現実を徹底的に生きることが、フクシマの現実に通底すると思って、自分の向き合うべきことに歯を食いしばってここまできた。

報道ステーションで、子どもの甲状腺ガンが通常の三十倍くらいの率で発症しているにもかかわらず、福島県立医大も福島県も、その症状の出た子どもたちの情報を操作し、実情が判らないようにしてきた現実が、丹念な取材で明らかにされた。
チェルノブイリでは4年目から精密なエコー装置がやっと導入されて、その年からやっと検査が積極的にできるようになった現実を無視し、3年目に出るのは、今までの知見からはありえない、などと、のうのうと言ってのける、お偉いさんやら、ましてや医師までが映し出されていた。

どんな取材よりも心に残ったのは、顔も隠し音声も加工して出演した、甲状腺ガンに罹患した子どもを持つ母親の語りと、もう一人のやはり手術を受けている中学生の語り。

その母親は、夫と子どもが「もう放射能の話はしないで、と言うんです。だからうちではできません。」という現実を切実に語っていた。家の中で、甲状腺ガンに子どもがなっている状況での痛切な現実。
それは周りに知らせられないからだし、誰も向き合おうとしない現実に、家族だけが向き合えない中、家族の中ですら箝口令がしかれてしまう、『隠蔽』の果ての悪循環が物語られてもいるように見えた。

中学生はすごかった。「大人は情報公開してほしいです。本当のことを教えてほしいです。」とおそらく女の子だろうと思われるその子は語っていた。

次々と、「隠蔽」側の釈明的インタビューが映し出された。
次々と、現実に向き合おうとする医師や、ジャーナリストの姿も映し出された。

釈明側の物言いや姿勢、顔つきまで全て、ある現実とかさなっていった。
私が今回仕上げつつある本で、何を書いているか、ほとんどの人は本当は何も知らない。
私は私の主人公の、ある診断における誤りとも言える側面に向き合って、ある医療機関と合わせて15時間くらいの話し合いを重ねている。
むしろ診断を出した医師ではなく、その責任を負うトップの物言いが、こういうポストにいると、まさに釈明にたけた人間になるんだな…と思い知った、私のその時の実感。
その時の実感と、フクシマの子どもの甲状腺ガンの本当の事実をなんとか覆い隠そうとする側の、今日の放送の様々な顔ぶれとその話しっぷりとが全く重なってしまったのである。

箝口令。隠蔽工作。
その極限みたいな現実を生きてきた見てきた、
私の側のテーマのはてに、
今日、ずっと開けずにいた本を一気読みした。
ある監察医が書いた『自殺の90パーセントは他殺だ』である。
前に開けなくなった頁は飛ばした。
買ってすぐ、もっとも苛酷な描写のところを開いてしまったのだと判った。
あとはすらすら読めた。この期に及んで腹が座ったのもあろう。
本のタイトルの通りの、いじめや孤立のはてに自死に追い詰められていく日本社会を、シンプルに骨太に書いた後、彼の実体験に基づく、すさまじくも説得力のある記述が展開される。

いやいや、自殺と処理されている何パーセントかに本物の「他殺」もあるんだよな、というのは前々から知っていたけれど、ますます思い知らされた。
逆に、自殺を隠すしかない、隠そうとする家族側の切実な心情に、嘘はつけない監察医として、毅然と迫る描写にも説得力があった。
いくつかの基礎知識も得た。
私はもしかしてある種の、この現実の現場に居合わせてしまったら、
少しは今日のこの本で見分けられるようになった事実が、
あるやもしれないというほどには…。

秘密。隠蔽。箝口令。
向き合わない、見ない、ないことにする、何も考えようとしない国民性。
不安にさせるという口実で、より不安と恐怖を置き去りにする日本の現実。

みんなみんな同じだよな。
全く重なるよね。フクシマの具体性には向き合ってこなかったとも言えるけれど、
私が向き合ってきたことと通底する課題をそこに見た。
そう、3年目の今日に…。
黙祷していて映像にされる人々の一人一人にはどれほどの3年間があったか計り知れない。

でも、モザイクをかけ、顔を隠し、音声を変えなければ、本当のことを言えない、
そういうフクシマがもう深く深く進行している事実に震撼とする。
それを中学生が真っ正面から「教えてください」という姿に心が揺らぐ。
母親が家族の中で、ホウシャノウという言葉を言えない現実を語るのにぞくっとする。
どちらもすでに甲状腺ガンとなった現実の中で…。

実は、私の本の主人公にもつながるある人が、去年の秋に東京で数十年ぶりに会って、
歩きながらの別れ際、甲状腺ガンの手術をしたと知った。
彼は子どもではない。もういい年の人間だ。その人は言った。
「カラオケに行って、高い声が出ないんですよね。
医者にトレーニングですよって言われるんですが、
トレーニングをこの年でしろったってねえ。
東京もチェルノブイリですよ、もはや。」

大人の発生率がどのくらいで、東京都がそういう現実に向き合っているかどうかは把握していない。しかし、心ある人たちの実感というところから、まず入っていくしかない現実ってあるのではないか。
数十年ぶりに、娘のことを分かち合った、唄のうまかった昔の彼の姿を、ふと思いだし、ここにもフクシマがあることを、それを私の主人公が天国で知ったらどう思うのだろうか、と私は目まいするように思った。

今日地元のある人と束の間話した。
「誰もこの土地のことを悪いなんてひとつも思っていない。なにも考えてはいない。
 本当に善良に芯からそう信じている。」

ノーモア・チェルノブイリ
ノーモア・フクシマ
そして、数時間後でも数ヶ月後でも数年後でも、
たった今も、ノーモア・フクイ

そして、
ノーモア・シークレット
ノーモア秘密と隠蔽工作

そして、何よりもノーモア「自殺」

中学生の加工された音声の向こうから届いてくる心情が痛い。
「どうか情報公開してほしいです。本当のことを教えてほしいです。」
この中学生も甲状腺ガンになっている。

2014年3月11日 3年目の「その日」に、
        それぞれの「その日」を思いながら

ケイコ

| 原発を許した国で | 00:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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