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本日10月16日(日)午後2時半から丹南FМ夢レディオの、セクシャルマイノリティ四人が揃った再放送が!人間として型にはまらず人生の幅と深みを希求する人間として 

本日10月16日(日)午後2時半から丹南FМ夢レディオの、セクシャルマイノリティ四人が揃った再放送が!   
人生の幅と深みを希求する人間として型にはまらず、あるいはLGBTのステレオタイプにもはまらず、きわめて人間的な人生を願う、どんな人にも知っていただきたい、聴いていただきたい時間です。四人そろったからこその、かけあいの妙。性的志向と性的違和の違い。それでも共通して持つ豊かさと、社会での不都合や無理解への怒り、理不尽さなど、この四人だからこそ楽しく新しい世界へと誘います。
ベロ亭の二人はレズビアンマザーとして、子どもと生きるとは…にも触れます。余りに早とちりの人生観を疑うことなくつっぱしる少数派の多さに、ささやかな一石を投じたい。
そしてトランスジェンダー…性を越境するお二人の声もこの四人が揃った雰囲気のなかで意外にも語りあいのなかから飛び出した面白いエピソードもありなかなかのもの。
どなたも、自分の知らない世界を広げ深めるいいチャンスです。お聴き逃しなく。
最後には、「うたうたい のえ」のコレクションより、SIONの「月が近づいた夜」をお聞かせします。Matta虹の時間は押してあまり取れませんでしたが、コンパクトにお伝えしています。それでは、午後2時半には、79.1MHlz .USTREAM(tannanfm)で近場でも、全国からも、…ぜひ、ラジオのアンテナを立てたり、ユーストリームでさがして…お聞きくださいね。こんな放送、全国的にもなかなか聞けませんよ。恵子
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| 虹色カミングアウト | 10:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日10月10日午後は丹南FM夢レディオで、英子のDJだけではなく、 セクシャルマイノリティの特別ゲストが4人も揃っての放送を、ぜひともご期待ください。

今日10月10日午後は丹南FM夢レディオで、英子のDJだけではなく、
セクシャルマイノリティの特別ゲストが4人も揃っての放送を、ぜひともご期待ください。さて、どんな語り合いが飛び出すか、初めて知る話も聞けるかも。偏見や嫌悪感って、案外、ただの無知から生まれるものかもしれませんからね。
英子はペルーのケチュア語のロック。また、ゲストそれぞれが曲を持ち寄ります。
最後には、「うたうたい のえ」のコレクションより一曲。

さて、最後の15分は、Matta虹の時間として、すこしこの営みについてわかりやすく語りたいと思っています。恵子の声でやさしく語られる、Matta虹と名称を変えた、生きづらさをひもといていく、この営みの意味合い、幅などがあなたの人生に響いていくなら何よりと…。発達障害、精神疾患、外国籍住民、性的少数者などなどの課題も。

それから、ゲストの二人は性別を越境しているトランスジェンダーのお二人。
そして、ベロ亭の英子と恵子のレズビアンマザー二人も交えて、セクシャルマイノリティとしての楽しさ、面白さ、そして不都合、社会で困らされる点など、前半に思いきりしゃべりますので、どなたもぜひとも、楽しみにしていてくださいね。

明日は、祝日なのでリアルタイムに生放送をお聞きになれますよ。
後半は、特にレズビアンマザーとして「子どもを産み育てること」をあらためてふり返って、最近、次世代が早とちりしている人生というものの峰や谷をわたっていく豊かさを、子ども5人とともに、そして女二人で生きて40年のパートナーシップの誇りとともに語る時間もと、いよいよ話題満載…。
またとない機会かもしれません。
どなたもお聞き逃しのなきよう、ラジオを聞けるようスタンバイよろしくお願いしますねー
·
10月10日(月)PM1:16~2:29、DJします。USTREAM(tannanfm)は音声だけ。
再放送は翌日曜日10月16日午後2時半から。79.1MHlz .USTREAM(tannanfm)で全国からも聞けます。
http://www.ustream.tv/channel/tannanfm

| 虹色カミングアウト | 03:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【緊急提言】「LGBTの子ども」と表記するとき、「LGBTに育てられた子ども」の存在を意識できていますか。

【緊急提言】「LGBTの子ども」と表記するとき、「LGBTに育てられた子ども」の存在を意識できていますか。
5月7日に、国際人権団体ヒューマンライツウォッチが【LGBTの子どものいじめと差別禁止法整備の必要性】という講演イベントを催すという告知がありました。国際人権団体ともあろう存在が、無意識かつ無自覚に「LGBTの子ども」と表記していることに、疑義を提したいと投稿しています。

されている活動そのものに、なんら異議はありません。貴重な活動をされていると敬意を表します。日本国内の100件のインタビューをもとに、LGBT議員連盟も出席するという催し。広く普遍的な社会性、人権意識を模索する姿勢に基づいているものと思われます。

しかしながら、催しのタイトルにおいて、全く同じ表現において、除外されてしまう存在として、それもLGBT当事者にとって、きわめて大切な存在である、LGBT当事者が「育てた子どもたち」のことがあるのを、忘れてはならないと思います。

そこで、しかるべき言葉の訂正を要求します。
たとえば「LGBTである子ども」、ないしは「子どものLGBT」になおしてください。
あるいは、その含みに「そうであるかもしれない」というノリシロのような余地を残した「LGBTだろう子ども」といった含蓄があってもいいように思います。「そうなんだ!」と断定できるような、自己との出逢いというものが、アイデンティティ…すなわち自分がどういう存在であるか…の確立において、必ずしも良い効果を及ぼすとは限らないと思うからです。まあ、これについては、今回のところはこの程度にします。

あるいは、今からでもフライヤーのなかで、議論のなかで、その旨、きちんと「誠意ある説明」をなさるべきものと考えます。

さて、5人の子どもを40年前から、レズビアンマザーとして、そんなボキャブラリーすらない時代に育ててきた人間として、せっかくの機会なので、きちんと異議申し立てを判断した背景や、これまでの経験のなかから感じたことなどをお伝えします。
つけ加えれば、私たち二人が育てた…おおいに自ら育った、という側面がつよいとしても…5人は、すでに3人は40代、一人は30代後半、一人は7年前に亡くなっています。

繰り返しますが、「LGBTの子ども」を「そうである子どもたち」という意味に限定してしまうとき、そのボキャブラリーによって抹殺されてしまう存在がたしかにあることを、この際ですから、きちんと意識していただきたいと思います。意識しにくいことかもしれませんが、厳然たる「人権侵害」だからです。

レズビアンマザーが、ゲイファザーが、トランスマザーないしは、トランスファザーが育てた「こども」は見えるところにも、現在それなりいるし、見えないところにもたくさん生きている現実があります。

それを、切り捨てる結果となる「の」という「属性」をも「所有性」をも意味する、助詞の使い方にたいして、謙虚であるべきだと、真剣に思います。一応、米谷恵子は日本語の文法を専門とする仕事をしていることもつけ加えます。

すでに、大人になっている、そういう性的少数者に育てられた側の人たちをも味方にして、ともにできることを考えていったほうがいいのではないでしょうか。それとも、このマイノリティーという存在は、「みずからのカテゴリーしか考えられないという特性」をも兼ね備えている、とでもいうのでしょうか。

私の痛切な経験としては、2011年と12年にEテレで放送された、私たちベロ亭ファミリーのドキュメントへの反応があります。
これには大きな反響があり、「一筋縄ではいかない二人の営みを深く、重厚かつ軽やかに描いた映像表現」として、日本の性的少数者の無意識の底から揺るがした番組として、良心的な当事者には、4年ほどたつ現在もつよく意識されています。

しかしながら、この番組で描いた、2番目の娘の急逝と、その悼みかたにおいて、性的少数者当事者たちが、あまりに忌避感にとらわれ、冷酷かつ残酷でもあった事実は忘れがたい傷を残しています。それは、娘が「性的少数者に育てられた娘にすぎなかった」という「性的少数者の深層意識」を反映したあらわれだと紛れもなく考えています。

むろん、この点にきちんとした理解を示した性的少数者のかたもわずかではあるものの、存在することも、つけ加えておきます。

最近、この周辺をめぐってある人に話をし、
「あなたがたの孤立感は、日本中の誰にも到底共有できないものなのですね。私はできる限り、耳を澄ましていきたいと思っていますが…」
ときわめて自然に、それでいて丁寧に言われたときのことが、印象深く残っています。これを理解し、こう表現したのが、同じ少数者ではなかった、しかしながら、日本のタブーや差別偏見が凝縮する別の事柄に向き合ってきた人からだった、という事実も大変興味深く考察を深めています。

性的少数者の育てた子どもの「死」を他人事(ひとごと)にしてしまう、性的少数者の心理というものは一体どういうものなのか、数限りなく向き合ってきました。
現在進行形で続いてもいます。
そして、そこにはきわめてエゴイスティックにステレオタイプなアイデンティティーを追及する生きかたを「強いられてきた」この少数者たちのきわめてリアルで、精神的に貧しい人生の多くが、若く青いままに、横たわっているという現実に突き当たりました。

それについては、私のなかではかたがついています。つけなければ、私自身、生きていかれない、そこまで酷薄な現実が眼まえで展開するのに、どれだけ耐え、寛容に見守り、どれだけ丁寧に異議申し立てをしてきたことでしょうか。
あまりにこういうことが無自覚、無意識に続けられると、このての少数派の人々とは、つながれないのではないか、という疑念が募ります。

そうして、そこには、あたかもこういった事実とは無関係に、「性的少数者の子ども」という表記が行き渡っていきます。

あまりに身勝手な表記だとそろそろ自覚的に取り組まれる気はないのでしょうか。

驚くことにはもうあきあきしましたが、いい加減、「すでに厳然と存在する、性的少数者にとって大切な人々」を「存在しないとしてしまう!」表現の曖昧さに向き合ってください。

それこそが、多様性ではないのですか。

たかが言葉、されど言葉。憲法ですら、解釈いかんで変えられる時代。

敏感であるべきことには、きちんと対応しなければならないはずです。それよにって、「属性」の側の、いまも「こども」の人たちにも、よりいっそう光があてられる、というものではないのでしょうか。

それとともに、「性的少数者が育てた子ども」たちの、いまだ明るみに出ていないこころの痛み、不都合、生きづらさにも、焦点があてられていくことを望むものです。

私が直面した「性的少数者が育てた子どもの死を悼むグリーフワークを理解する困難さ」は、おそらく30年後か40年後かに、巷に当たり前に「性的少数者が育てた子ども」が溢れたときにこそ、初めてその先駆性とともに焦点があてられるものなのではないか、という思索を深めている昨今です。

そこまでは、まだまだ先を行き過ぎた私たちにこたえるなど及びもつかないのは承知しています。

ですから、せめて、「性的少数者が育てた、ないしは育てている子ども」にも、リアルで明確な光があてられ、しかるべき名称ないしは呼称が、意識的に呼び分けられていくことをつよく望むものです。

つけ加えれば、「育てた子ども」の課題だと思って読みこんでいるうちに、そうではないんだ、と気づく、という「罠にはめられた」ような思いを何度してきたことでしょうか。

もう、そんな思いをしたくはありません。

グリーフワークの必要性、先駆性などは、いまだ手の届かない課題だと悟っています。

せめて 助詞「の」の使いかたの誤り、曖昧さに向き合う、どうかそこから始めてみる気はありませんか。
2016年5月2日夜  
Sotto虹主宰 米谷恵子・事務局 岩国英子

| 虹色カミングアウト | 22:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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点滴後、するするとカミングアウトしていた…後日譚…ティシュの黒い箱を介して「それでは、ご友人ですか、ゴキョウダイですか…。」


点滴後、するするとカミングアウトしていた
…後日譚…ティシュの黒い箱を介して
「それでは、ご友人ですか、ゴキョウダイですか…。」

診察カードが渡され、必要に迫られて訊いてくる看護師さんの訊きかたは、よくある内容にもかかわらず、けっして…それが常識だから訊くんだー…的な押しつけがましさはなかった。態度の悪い医師を補ってあまりある姿勢で、きめこまかに対処してくれた彼女の良心や人間としてのふところの深さ、本来の意味でのプロとしての使命感は、すでに私に十分に伝わっていた。
私はそれ以外になく、するすると彼女にこたえた。
「パートナーです。」
言い終わるか終らないうちから、それを丸ごと受け入れるような気配と頷きが伝わる。私は続ける。
「これは個人的なことですが、信頼できるかただと判るので申し上げました。」
いっそう深い頷きが返ってくる。

通常の診療だとしたら、事務の人が訊くであろうことを、夜間の緊急時だから、看護師に訊かれる、あるいは「疑われる」という経験はすでにしていた。
息子の足先をほんの少し、間違えて車でひいてしまった、そんなことがあった。
私はきわめて体調が悪いときで…実はある重篤な薬害の始まりで、そうとは知らなかったが…、するすると切れるはずのハンドルを、ベロ亭前の駐車で切ることができず、隣家の車庫の扉にずるずるとぶつけるという、普段ならありえないことをしてしまったときのことである。
通りかかった隣人…「嫁」の立場の女性だが…が、猛烈な勢いで、たたみかける。
「なにをしているんですか。」
「いま、車を立て直しているんです…。」
「なにを言っているんですか、ぶつけたら、すぐ頭を下げて謝るのが常識でしょう!」
すさまじい剣幕である。いつかこうしたいと思っていて、今こそ時機を得たという怨念がこもる。ハンドルをどう切るか、判断しているときに頭ごなしはたまらない。
「すいません。今立て直しますから…。」
しばらく凄まじい剣幕を、あたかも、やりどころのないうっぷんを晴らすようにぶつけると、彼女は間もなく立ち去る。
私の途惑いは弱った心身にはきわめつけだった。車から降りて、なにやら誘導してくれている息子のほうにハンドルをふらふらと切る。
わずかだが、軽のジープのタイヤは息子の足先に乗り上げた。
隣家の人に怒鳴られても、ことさらに沈黙を押しとおした息子もさすがに「まずい」という表情。むろん私を責めるわけもない。
遅れて帰宅した英子が、すぐに救急病院に連れていく。
2010年の越前陶芸祭のおそらく3日連続の2日目の夕刻のことである。

英子と息子は、市内のある病院に駆けつけた。
ここでは医師の態度よりも、驚くべきことにある年配の看護師の女性の言動に、二人はやんごとない憤懣を感じたという。実際、戻ってくるや、二人してカンカンだった。
神戸で生活保護を受けている息子が、なんで「実家の」親と一緒に救急に来たのか、ということを何度も、執拗なほど何度も、不審がられたというのである。
「生活保護を受けているなら、親と一緒の訳がないやろ。訳がわからんわ。」
人はどんな福祉を受けていようと、誰といても、誰と笑っても、誰に助けられても、むろん構わないのは自明である。(それとも、生活保護を受けている者は、絶対絶命に孤独で誰の助けも求められないものだ、とでもいうのか。)
しかも、それが通用しないという、価値観とも言えない固定観念を、たった一人で医師の指示を受け、保険の手続などもできるところまで対処したろう看護師に、断定的に押しつけられるという無礼。
それは、紛れもない「生活保護受給者」への侮辱でもあった。
息子はこういうときもきわめて冷静である。言っても甲斐がない相手には、手続き上で言わなければならない以上のことはけっして言わない。英子も相手を見極めて対処する。
しかし、帰宅後、息子がひしひしともらした言葉を私はけっして忘れない。
「神戸ではありえへんわ。神戸であんなこと言ったら、言った側が大変なことになるわ。この市内で福祉を受けている人たちは、さぞやひどい目に遭ってるんやろうなあ。
恐ろしい県やわ。俺、絶対住めないわ」。
後日、事務窓口のほうでは、支障なく支払いを済ませる。そんな一件だった。

閑話休題。

あまりに当たり前に告げた私たち二人の関係のカミングアウトのあと、処置室を出るとき、他の人に当たっていたその看護師に、私は邪魔にならないように、丁重に礼を言った。言いたかった。
「本当にこんな時間にお世話様です。いろいろお手数をおかけしました。」
「山菜の季節ですから、気をつけてくださいねえ。」
医師の開口一番を払拭するような、優しさのある「結び」のやりとりであった。

翌日、英子はその病院の会計窓口に、正式な支払いに行こうとしていた。世話になった前夜の看護師から連絡が入った。
「昨夜、お二人が落とされたらしいティッシュペーパーが駐車場で見つかりました。」
間違いないと英子が対応。会計時に渡されることになった。
はたして会計窓口の英子。
「お支払はお二人ご一緒でよろしいでしょうか。そうそう、落し物をお預かりしてますよ」
と、なんということなく窓口の人が言ったという。
私は思う。あの看護師さんは、私のカミングアウトをむやみとアウティングすることなく、しかしながら彼女なりの「翻訳」をして、おそらく家族のようなふたりであるという事実のみを事務の人に伝えたろう、と。

毒物を拒絶するのに時間がかかる英子が車の揺れに吐きに吐きまくっていた、病院に向かうジープを停めて、水とともに行きがけのコンビニで購入した、私たちとしては、わずかに高級感が増す黒のしゃれた色の、厚みのあるテッシュの箱。
それが昨日も今日も目に留まる。居間のテーブルの上で目に留まる。

今までは、病院に駆けつけるや、私たちはどんなときも「家族です!」で通してきた。それでほとんどすべてのことは片がついた。
それでも、数日前、そっと救急現場の看護師の女性に言った「パートナーです!」が、私の誇りの窓をするりとあけて、すがすがしい風をいっそう自然と通す。

…そうよ。だから、私たちはふたりして助からなきゃならないの。
だから駈けつけたの。だから、この人も私も生きていかなきゃならないの。…
医師と対峙した延長の、やさしくも適切な若いその看護師の対応の延長に浮き出た、初めての病院での「パートナーです」をかみしめる。

こんなこと、異性愛者はみじんも、思わずに済んでいることだろう。
こんなことだけで、どれほど救われるかなんて、ほとんど伝わらないことだろう。

だから、ここに書き留める。
だから、今日も必要なら言おう。
瞬時にタイミングをとらえて、迷うことなく…。
「ええ、私たちはパートナー同士。
40年、女ふたり、パートナーとしてどんな道も歩んできたんです」。

2016年4月30日 午前10時半   米谷恵子

| 虹色カミングアウト | 22:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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詩 ≪ひとつの大きな思い出になっていく≫ 2013 2/16に書いたものを3年後に正式に完成!…人権交流京都市研究集会の基調講演の結びに朗読したものを掲載…!講演タイトル『性的マイノリティが模索した家族のかたち』。


詩 ≪ひとつの大きな思い出になっていく≫ 
2013 2/16に書いたものを3年後に正式に完成!
人権交流京都市研究集会の基調講演の結びに朗読したものを掲載!
折しも2/14に映画「ある精肉店の話」で、「水平社宣言」を誠にリアルに生々しく、それまでの百倍感じ取り、腹におさめた。
講演タイトル『性的マイノリティが模索した家族のかたち』。


詩 ≪ひとつの大きな思い出になっていく≫ 
                  米谷恵子

「あっちのほう、あっちのほう」と
どんどん車を
対岸の遠くのきらめく花火に近づけようと懇願する
子どもにかえった「のえ」の声が甦る。
一気に、のえの、やんちゃで無謀な少女時代が甦る。
けっして、つかまえられないものをこそ、
なんとしても手にしようとしつづけた
おそれを知らぬ子どものような、あの、のえの…。

もしかしたら
金稼ぎに、毎日の家事に夕飯作りに
一刻の猶予もなく
にぎやかすぎる歓声に包まれて
息せききっているそのときこそ
5人の子どもたちもいちばん元気で
私たちも最高に幸せなんだと
こころをよぎったあの時代…。

気づけば、二人だけになって
ああ、ひとつの大きな思い出になっていく。

いま、わたしは
はるかなる空の果てから
そこにかえる。

ふたたび
ひとつの大きな思い出にしていくのだ。
のえとともに。
早苗とやえとはなとカラとともに。

ベロ亭の記憶を深い井戸の底からくみあげて
英子とともに
誇り高い歴史の泉にするのだ。

それはこころに決めてくみあげるきらめき。
それは誰にも替われない
私たちの40年の日々の波がしらだ。

ひとつの大きな思い出になっていく。

くみあげきれなかった
けれど
気づけば手のひらに そっとすくいとっていた
数知れない人びとの 人生の泉とともに。

路上で世界と向き合った
「うたうたい のえ」の37年と289日の
まばゆい いのちのしぶきとともに。

≪end≫

2013年2月16日に講演の結びに朗読するために
急ぎ書き上げたものを、本日徹底推敲、
ちょうど3年後の完成です。
37年から40年となおしました。

2016年2月18日     米谷恵子

下のイラストは、80年代から90年代にベロ亭に通い続けた、アメリカ人のレズビアンの、ライナが描きました。子どもたちと、よく遊んでいましたわ。

| 虹色カミングアウト | 23:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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