ブログを書く隙間が

随分長くブログを書く余裕がなかった。
ひとつには、陶芸祭りがあって、仕事でアップアップ、
マンパイだったこと。
ひとつには、ケイコが、二つも病気して、そのサポートでマンパイだったこと。
えっ、どんな風にって?
窯焚きの様子は前に伝えました。
ケイコは腎盂腎炎という病気になり、
血尿が出たり、背中がはれたりして、
苦しんだ後、血液検査の結果
全快といわれても、背中の痛みが取れなくて
セカンドオピニオンにいって、やはり腎臓は治っていて
じゃー背中の痛みは何だーってことで
ここ2週間たって、いまだに苦しんでいます。
のえルームを閉じ、
ほっとするやら、淋しいやらの上、
キャラバンを2ヶ所、間髪を入れずやり
ゴールデンウイークには、のえのCDブックの出版に向けて
ケイコは書き始めました。
ところがそれで、かなりの精神的なダウンとなり、
ケイコが泣けば、ヒデコがもらい泣き
ケイコが痛いといえば、マッサージやお灸をして
陶芸祭りの準備をしながら、
最悪の状況に追い込まれました。
この福井の片田舎に、
私たちカップルのこの状況を分かち合える友達がいない
と、思い始めるともっと苦しくなる二人でした。
この写真は、5月27日。
私の63歳の誕生会の写真です。
その日、娘のヤエは京都から孫のゆめを連れて
陶芸祭りの助っ人に来てくれました。
カラは、神戸での個展を成功させたエネルギーを持って
来てくれました。
ヤエは、小学生の時から、やきものの手伝いをしていたから
大ベテランで、祭りの間、ゆめを見ながら、店番をしてくれました。
ゆめがしょっちゅう騒いで、半人前になっても、
すごいパワーでがんばってくれたし
毎日来てくれた、地元からの助っ人も
子守までしてくれて、大助かりでした。
土、日、月の3人の地元からのスタッフは
ケイコとヒデコの、追い詰められた状況を
真に迫って、分かち合う関係ではないけれど
ゆるーい関係がかえって、さわやかな気持ちにしてくれることを思い出せました。
ケイコは、搬入も祭りの3日間も、
よたよたしながら、2時間ぐらい来てくれて
ヒデコには魔法のような手助けをしてくれて
ふらふらになっては帰って行きました。
そんなケイコをサポートし続けたのは
カラでした。精神の病気を抱えている彼だからこそ
ケイコのこの苦しい気持ちを軽くする力がある。
こうして、ケイコとヒデコに、二人の娘と息子、
それに、孫パワーも、書けば限りない癒しで、
4泊5日の間、私たち二人は随分と救われました。
今日もまだ、ケイコは、原因不明の筋肉のこわばりで苦しみ
私は、マッサージをやりましたが、
二人とも、祭りの前の孤立感とは違ってきました。
それに、今日は、セクシャルマイノリティーで精神保険福祉士の大阪の友人が
ケイコの状況の相談に乗ってくれて
スーと私は軽くなりました。
祭りが終わっても、ケイコが心配で、
ちっとも緊張が解けなかったのですが、
よき理解者に、状況を聞いてもらい、随分救われました。
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| カップルとして | 00:59 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑