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どこへ行く”グループがんばろう”

火曜日から、授業を中止して、ひたすらミーティングをしている。
「3度の飯よりミーティング」はどこかの仲間のテーゼだが、
ここグループも、今日もミーティングの予定だから、3日で14,5時間話すことになる。

話が、なかなか用をたさない。
なぜ話をしてるのか、意識できないで話しつずける。
あるいは、ケイコ先生に問題を投げかけられたから
話を続ける。

物事を決める。
なぜ決める必要があるのか、
意識できないで決めるから、
すぐ忘れる。

忘れる文化もあるのか。
こんなに話しても
忘れるなら、話すのをやめようか。
援助活動をやめちゃおうか、

そのことも強烈に思わないわけもない。

だが、この写真や9月5日の写真を 見よ。

自らが抱える社会的人間としての負の遺産。
そのことを、この笑い顔で乗り越えていることも
毎日感じている私たちだ。

とことん話して、来年が、未来があるのか
未来を築けるのか、いま少しまとう。

今日の夜も5時間の話すのか・・。
なぜ話しているか、舵を取って・・。
私たち二人の気持ちを、何とかしておきたいものだ。

左がイルデ君、右がエリントン君だ。
ケイコの授業中の写真だ。


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| 教室速報 | 06:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本語教室のあちらとこちら

正直言って、飽和状態で何から書いたらいいかも判りません。
私、ケイコがこの日記を書いてからも、一週間余りでしょうか。

一日が五日分くらいあることもあります。
昼のスペイン語の先生との爽快なクラス。
ちょっとした買い物。
伸びて寝たきりだった二日間。
今子どものクラスを開講中の
広島からの若い先生との確認やら。

そして、若いメンバーと深まる出会いのいくつか。

日本人の私がいくら日本で貧乏だといっても、
ここのストリートチルドレンの現実の間際にいた生徒の
険しすぎた人生を胸の底から語る響きを聞き取る晩。
彼は日本語を覚えるのにも、
何をするにも必死で誠実。生き抜かなければならない、
その姿勢そのものに打たれることしきり。
厳しい顔つきと対称的なこぼれるような笑顔がかわいい。


また、もう一人、シャープで明晰な頭脳は、繊細なやさしさもあいまって、
アイデンティティをめぐって語り明かすさまざまな発展。
まっすぐでりりしく、そして一言一言を考え分析する姿勢がいい。
仲間への深い信頼を語るそのまなざしも何かを見つめ始めてはいる。

そんな日々、リスはすっかり落ち着きを取り戻したものの
ほぼ沈黙を守っていて、必要なことのみに奔走してくれます。
語りすぎ、混乱していた日々から我に返ったとも言えそうです。

フスティノさんだけが、皆から離れていて少々気の毒でもあります。
若者たちがどんどん心を開き、胸をくだいて自らを語りだした日々、
彼だけは平静を装ってはいるものの、孤独にも見えます。

それにしても、二十代の若者たちとのかけがえのない出会いの深まりは、
自分でもあっけにとられるほどの発見に満ち満ちていて
この出会いたちがいったいどこへ向かっていくのかと、
私をときに呆然とさせます。

日本語クラスの枠など、とおに食い破ったこの試みのただなかで、
この活動のこちら側と、あちら側を
無心に見つめ、眺め、考え、思い、
そしてまた、楽しいクラスを続けます。

本当に若者たちは生き生きとしてきました。

写真は、最近とみに注意深くグループのありかた、
日本語学習に取り組む姿勢に信頼がおけるパウラちゃん、
そして、重大な告白もした、笑顔がかわいいロナルド君です。

ケイコ




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| 教室速報 | 13:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもの先生の登場

広島から、子どもの日本語教育を研究中のユミさんがやってきて、
3週間の日程で、授業が始まりました。
子どもは今のところ12人、
6歳から12歳の子どもです。

子どもへの漢字教育が専門なので、なんと子どものに
特別な漢字教育を始めています。

不思議なことに、ペルーの漢字に縁もゆかりもない彼らが
どんどん漢字が入っています。

この子達が何のために覚えているかは
私にはあまりよく判りませんが、
日本での外国人の子どもたちの教育に
きっとやくだつことと思います。

それに、来る子どもも、親も満足げです。
ヒデコ


| 教室速報 | 11:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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父母会

来週から3週間、子どもの日本語クラスを始めます。
広島から、若い女性の先生が来ることになり、
3週間、9回のクラスですが、説明会を開きました。

がんばろうのメンバーや私たちで集めた子どもと
父母が集まりました。

グループのメンバー同様
いろいろな階層の人が熱心に
グループが、だだのアカデミーでなく
市民活動として、グループがあり、日本の支援で成り立っているという、
フスティノ、ケイコ、リスなどの話に聞き入っていました。

日本語はまだ何も話せない、日本人とペルー人の夫婦の子どもの参加もありました。

ささやかな日本紹介として、おにぎりを作ってだし、好評でした。




| 教室速報 | 05:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二週間ちょっとゆっくりめのクラス

また、一週間が過ぎました。しばらくヒデコが旅に出るので、私一人の日々が続きます。でも、その間にも二時間ちょっとのクラスを週三日します。去年からの新人のための今までの復習コースと、新人の中の三人、彼らはとても一生懸命やっているので、に、先に進む特訓コースという感じでしょうか。

旧メンバーが「新人、新人」と言っては、新米扱いし続けているメンバーに、良い意味で空気を入れたいと思っています。

ちょうど三週間の区切りが終わり、教えるグループも一息、エドウインもリスも旅に出ます。彼らは教える大変さの中で、自分がいかに日本語を習っても話せないか、に直面してしまったようです。

この一週間の間にも、ここに書ききれないくらいいろんなことがありました。でも、特筆すべきこととしては、火曜日にアギさんが急きょ来てくれて、一時間ほど通訳をしてくれて、私の言っていることがおぼろげにしか判っていなかったり、余り理解していなかったメンバーにかなりきちんと伝わったということでしょうか。

でも、わざわざ「通訳」してもらうまでもなく、ほぼ判っていた新人もいました。イルデ君です。これはまさにコミュニケーション能力の問題と言えるかも知れません。外国人の言うつたないスペイン語でも、どこまで汲み取ろうという力があるか、ということです。

皆が、一様にアギさんに感謝の言葉を述べるのは、ちょっと私としては聞き苦しかった面もあります。目に見えて役立ったと感じることしか、感謝の気持ちが沸かないという、理解のつたなさが少々情けないのです。

二日後のミーティングの席で、この日に皆が理解したこと、印象に残ったこと、いなかったフスティノさんをはじめ何人かに伝える、という作業をしました。三人ほどが、「ケイコ先生がよくスペイン語を話せないので」と前置きとして言うのに、あきれ返りました。アギさんは日本のテレビ局などとコーディネーターとして仕事をしている人ですから、プロ中のプロです。そんなアギさんと比べて簡単に、「よく話せない」なんて言われたらたまったものではありません。自分たちの汲み取る力のなさ、想像力のなさ、こそ自省すべきときにです。ちなみに私は中級程度のスペイン語力ですが。

でもまあ、この話し合いでは、意識してかしないでか、皆の話は比較的判りやすい話し方になりました。なにしろ、アギさんのいたとき、「ミーティングの席で、私たち二人をおいてきぼりにしないでください」と言ったばかりですから。

それもそうですが、彼らは日本語でも努力して話そうとするのが当たり前です。なにしろ、ここは日本語の自主学習グループのクラスなのですから。そのようにしようとして、まったく言葉が出てこなかったり、やっと話していない自分に気づいたリスが話そうとして、スペイン語と日本語が頭でごちゃごちゃになって話せないことに気づいたり、などなど、皆、少々まっさおになる事態に直面しています。余裕があるのは、バロイスだけ。まあ、フスティノさんはそんなことはありませんが。

ところで、この三週間でリスはやっと自分の今の限界に気づいたようです。本当はフスティノが責任を持つべきことまで、彼女が背負っている現実というのも大きな要因です。
フスティノさんは前より、心のなめらかさ、やさしさ、が磨り減ったようにも感じます。

そして、私たち二人、それからバロイスの提案で、新人三人を委員会に入れることとしました。なぜか、フスティノとリスは、特にフスティノですが、新人を委員会に入れることに、かたくなに拒否的でした。それをなんとか雰囲気つくりをして、こぎつけたことです。
バロイスも、私たちの前では自由にものが言えるみたいです。新人三人もそういう面があるかもしれません。ペルー人同士の関係の自由さももちろんあるとしても、不自由さの大きさも否定できない側面であるようです。なにしろ、階層社会ですから、底辺を生きるメンバーは、リスのようなもともとはお嬢さん育ちのサブリーダーの言うことには、すぐには応じかねる、そんなこともあるように感じます。

リスは一皮も二皮もむけて、ある意味自分を皆に見せた結果になったこの日々に、さらのリスに戻ったようにも思います。格好つけていなくてもいい、そのまんまで皆とかかわっていけば開けていくものがおのずとある、それってどこでも難しいものですよね。

それにしても、その元凶は、いまや四十代後半に突入したフスティノさんの老いにあるうにも思えるのが悲しいところです。今まで彼に感じなかった「男の限界」を感じる今日この頃です。マッチョではないけど、どこかにそんなものが漂うようになったのです。きっと、人は弱さを隠さなければならないとき、男らしくしたりするんでしょうね。よく判る気もするけれど、長い彼との歴史を思うと、とてもさびしい気持ちにもなります。

まあ、新人にむしろ期待して、といってもささやかな期待ですが、二週間の自由なクラスを乗り切ります。午後は、私はスペイン語の学校に通います。二時間だけですが、先生について習うのは、長い学習歴の中でも、本当にわずかです。独学三昧でしたからね。

私は荒野で耕しています。永瀬清子さんの詩の一節を思い出します。



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